09:フオ王子①(竜暦紀元前247年
竜暦紀元前247年
まだ少年だったあの日。
竜舎でフオはリッセックウと過ごしていた。
ふと。
ライハジーラが鎌首をもたげた。
ジッと城の方を見つめていた。
フオが『どうしたんだろう』と思ううちにも、父親の竜は頭を力なく地面に落として。
目を閉じた。
そう。目を閉じたのだ。
目蓋などない竜のこと。銀色の瞳が虚ろな黒い目の中から消えてしまっていた。
「グォラララ」
リッセックウが哭く。
その声を背に、フオは駆け出していた。
父さまに何かがあった!
リッセックウを通した確信だった。
城を走り、ジャグとシェイナの部屋に。
竜をもつ者同士だからだろうか、ジャグの居場所はなんとはなしに分かるのだ。
走る
走る
全力で走る
それでも今のフオは息を乱すことすらない。
ドアの前に立ち。
ドアを開け。
フオは見てしまったのだ。
大量の血にまみれた父さまを抱いて、うっすらと嗤う……母さまの姿を。
「何の御用でしょう?」
執務室にはいったフオは冷たい表情でシェイナを見た。
「あなた。昨晩はどこにいたのですか?」シェイナが厳めしく息子を見返す。
「ゼロード家の令嬢をパーティに誘うようにと言い含めておいたはずですよね」
「そうでしたか?」
フオは肩をすくめる。
その小ばかにした態度にシェイナは眉を顰めて、何か言いかけたものの、口からこぼれたのは「はぁ」という諦めたような溜め息だった。
2人のあいだにおよそ母子らしい温もりはなかった。
何も知らない人が見たのなら、敵同士かと思うかもしれない。
アイハラーンを支え続けてきた女陛下は、それに相応しい貫禄をもって言った。
「何時までフラフラしているつもりなのです? あなたは竜の英雄を継ぐ者として、アイハラーンの王位を継がねばならないのですよ?」
この10年。顔を合わせるたびに言われていることだった。
フオは31歳になっていた。
父王であるジャグが死んだのと同い年だった。
「もっとも」
とフオは自嘲する。
自分は父と違って未だに半人前だが。
竜の英雄を継ぐ者。
そう呼ばれて久しいフオであったが、彼はまだ王位を継いでいなかった。
それというのも結婚をしていなかったからだ。
結婚をしてない男は半人前。そんな甲斐性のない男に王位など継がせるわけにはいかない。
そういった理屈だ。
母親の小言を耳にして、フオは鼻で笑った。
「母上はそのほうが良いのではありませんか? 俺が王になってしまったら、国政を壟断できなくなってしまうかも知れませんよ?」
「どういう意味です?」
声が低められる。
「どういう意味でしょうね?」
フオは冷えた目はそのままに表情だけはヘラヘラ笑うと
「リッセックウと見回りに行く時間ですので、失礼します」
シェイナの執務室を後にしたのだった。
リッセックウと空を駆ける。
アイハラーン国内の見回りをするのがフオのゆいいつの仕事だった。
日がな空を駆け、魔物や魔獣を見つけては狩りをする。
ジャグが他国で金稼ぎをしている間にアイハラーンでは危険な生物が盛り返してしまっていたのだ。
おかげでフオの国内…特に危険な生き物の跋扈する辺鄙な地域での人気は高い。
くわえて無料で怪我人や病人を治療してくれるのだから、いやがおうでも民衆からの人気は集まろうというものだった。
誰もがフオが国王になるのを待ちわびている。
だから
どうしてフオ殿下は妻帯しないんだろう?
とリドルの答え合わせが酒場で10日に1ぺんはなされていた。
その答えをゆいいつ知っているフオの耳が剣戟をもって争う音をとらえた。
「止めよ!」
リッセックウを急行させて空から大音声をなげる。
馬車が十数人の食いつめ者に襲われていた。
よくあることだった
他国からの流れ者がアイハラーンで狼藉を働くのだ。
フオはリッセックウから飛び降りた。
愛竜はライハジーラほどではないが炎を吐くことができる。
しかし竜による大雑把な攻撃は馬車にも被害を出してしまうと考えたのだ。
およそ5メートルを着地し、それでもフオは無傷だった。
ブン!
背負っていた槍を振るう。
「戦るなら容赦はせんぞ!」
男たちは顔色を変えて逃げ出した。
その後姿を見ていて、フオは眉を顰めた。
駆け足の足取りに。
男たちの肉の付き方に。
農民ではないものを感じたのだ。
もしや兵士崩れか?
とは思ったものの、追うような真似はしない。
今、優先すべきは馬車だからだ。
「怪我はないか?」
フオはへたり込んでいる御者に声をかけた。
「おかげさまで」
犬人の御者は顔も上げずに額づいた。
当然、アイハラーンの王子だと気づいているのだろう。
埒があきそうもないので、フオは馬車の内にむけて声をかけた。
「もうし、賊は追い払いましたぞ」
ガタリと内から人が動く物音がする。
安心させるべくフオは言葉を重ねた。
「我が名はフオ。聞き及びあろう?」
薄く馬車の扉が開けられる。
フオを見知っていたものか?
服装から賊の仲間ではないと踏んだものか?
扉は大きく開かれた。
息を呑む。
フオは見惚れた。
馬車にいたのは若い娘で、たいそう美しかったのだ。
部屋には、昔は美しかったのだろう女と、何処といって特徴のない男の2人だけがいた。
「首尾は?」
女が尋ねる。
「つつがなく」
男は言葉短く答える。
だが『つつがなく』成功させるまでには尋常ではない月日がかかっていた。
リッセックウの見回るコースと時間を調べ上げ。
殿下の女に対する好みを徹底的に調査し。
候補者の女を幼女…いいや赤ん坊のころから躾け。
年月もそうだが、金も人も目が眩むほどを使っていた。
「事が成功した暁には、あなた達はこの国の影として働いてもらうことになるでしょう」
「…………」
男は無言だが、胸は感慨にあふれていた。
20年。
ハタラケル者を選別し、教育し、扱いたのだ。
その扱きのなかで命を落とした者は多い。
長かった、とは思わない。
思うのは、ようやく、だ。
「どうあってもフオを篭絡させるのです」
主の命令に
「はっ」
男は応えると、次の瞬間には音もなく姿を消していた。
エルフさんの魔法料理店 (夜塊織夢 )
今、いちばん更新を楽しみにしてる小説です。