表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の帝國  作者: 飯屋魚
8/12

08:愛(竜暦紀元前268年

竜暦紀元前268年


春になると、シェイナ妃とジャグ王、それにフオ王子はアイハラーンの国内を行脚することになった。

それというのも国内の民心が不安定だったからだ。


疫病は祓うことができたものの、亡くなったものは多かった。

魔女たちはフル回転で薬草を煎じたが、どうしたって数に限りはある。

薬は城下に優先的に配布され、農村は後回しにされてしまった。

結果、地方では人死にが多く出てしまっていたのである。


くわえて作物の実りの不良があった。

春の訪れが年を追うごとに遅くなり、夏がいっかな暑くならないのだ。


これは寒冷化のせいだと現代では解釈されており、大陸中で不作が続いていた。

この時期に北方はおろか南でも東でも西でも戦乱が絶えなかったのは、食物を奪うために、飢えた国が飢えつつある国に攻め込むという事態が頻発していたからであった。


もっとも。戦争は絶えなかったが、絶対的な強国も誕生しなかった。侵攻するのは『作物』を奪うためであり『領地』を広げる余裕などなかったためである。


こうした人類の手の及ばない事象が起こると、当時の人々はこう考えた。

『王が不実を成しているから、天が怒っているのだ』と。


特にアイハラーンはそうした不満が強かった。

竜という神に選ばれた王をいただいたことで、他国よりもいっそう王権神授が認知されていたためである。


そうした不満をもつ人々を慰撫するために、王家は馬車で国内を回ることにしたのだ。


護衛をひきつれた馬車のなかから、王と王妃がニコヤカに手を振る。

沿道に集まった人々は大概が住み暮らすコミュニティから離れたことがない。もちろん王族など初めて見る。


「ヘー。オラたちと変わらない顔をしてるんだなぁ」


と王族がもっと人間・犬人ばなれした容姿をしていると想像していた人々は驚き


「仲のいいもんだ」


穏やかに笑顔を振りまく夫妻の様子に安堵し


「あれが王子の竜か!」


大空をゆったりと泳ぐフオ王子のリッセックウに目をみはった。




「お疲れさま」


村長の屋敷を仮の宿としてアイハラーン王夫妻は泊まっていた。

屋敷とはいえ、決して広くなはい。


なので泊まっているのはジャグとシェイナだけだった。

護衛はジャグがいれば事足りるし、侍女はカツカツな台所事情を勘案して連れてきていない。

では王子はといえば、緊急の事態に備えて夕暮れになると城にもどるのが日課になっていた。


コトリ、とシェイナのテーブルに茶が置かれた。

ジャグが手ずから淹れたものだった。


彼は奴隷だったこともあって、こういった雑事を忌避しない。

むしろ腰が軽すぎて、周囲の人々が却って恐縮してしまうほどだった。


「…………」


シェイナは声も返さず、顔も上げない。

テーブルに山積された自分がいなかった間の政務にかんする資料を読むことに余念がなかった。


ジャグはそんな妻の後ろに数歩下がって佇む。

見守る。


竜の英雄となった犬人の奴隷は、王妃のことを尊敬していた。


寸暇を惜しんで国のために尽くし、犬人の自分では理解できない難しいことを捌いていく。

その姿を見るたびに、自分も頑張らなければと思うのだ。


そのままに時間が過ぎる。

1時間、2時間。

室内にはシェイナが資料の木簡をあやつる音だけ。

ロウソクは疾うに2本目が灯され。

カップの茶は1滴も減ることなく、冷たくなっていた。


「そろそろ寝たほうがいいのでは?」


妻を心配してジャグが声をかける。

シェイナは長い闘病から解放されたとはいえ、まだ本調子ではないのだ。

化粧をおとした彼女の顔色は悪く、頬はこけていた。


だというのに国内行脚を決行しなければならないほど、人々の不安は危険な水域まで高まっていたのだ。


シェイナは言葉を返さない。

聞こえてないはずがない。

無視をしているのだ。


これが結婚してからの2人の距離感と関係だった。


仲睦まじいのは人前だけ。

本当の王妃夫妻は冷めきっていた。


いいや。冷めているのはシェイナだけ。

ジャグは歩み寄ろうとしているのだが、けんもほろろなのだ。


「はぁ」シェイナが聞こえよがしに溜め息をついた。

「よくもこれだけ、北方諸国から恨みを買ってくれたものですね」


狂犬ジャグをゆいいつ抑えられるシェイナが戻ったことで、他国が一斉に不満を書き連ねた文句を寄越したのだ。

なかには戦争も辞さないと、出来もしないことを女だからと侮って書き寄越す国すらある。


こういった外交に支障がでている問題もそうだが、シェイナが頭を悩ましているのはアイハラーンという国が北方の国々……いいや住み暮らす人々から憎しみ(ヘイト)を買ってしまっていることだった。


実際、ジャグは憎まれるだけのことをしてしまったのだが、ことはそれだけで収まらない。

事実無根の憎しみまでジャグは押し付けられていた。


例えばこうだ。

とある国では王侯貴族が民衆から過剰なまでの搾取をしていた。餓死者が出るほどだったが、政治を改めるようなことをせず、全ての責任は『かねの傭兵王』のせいだと不満をもつ民衆に周知させていた。

根も葉もない……とまでは言わない。が、すべてジャグのせいなはずがない。

それでも民衆は信じた。信じてしまうだけの悪評が北方では定着してしまっていたのだ。洗脳ともいう。


この憎しみ(ヘイト)はアイハラーンにとって将来的な禍根となるだろう。


いっぽう喫緊では、外の国から購入する物品の値段が跳ね上がっていた。


代表的なところで塩である。

アイハラーンは内陸にあるので、どうしたって塩は購入しなければならない。

その塩の値段が2倍どころか3倍にまで上がっていた。


言わずもがな、他国の嫌がらせだ。

更に言ってしまえば、ジャグを知恵の足りぬ犬人だと侮った商人がぼったくってもいた。


この商人はシェイナが処断したが、それでも塩の値段は高いままだ。

アイハラーンの国庫を逼迫せしめていた。


「すまない」


ジャグは心底から済まなそうに謝った。


第三者が居合わせたのなら、これが本当に竜の英雄かと目を疑ったことだろう。

それほどにジャグは頑健な体を縮めていた。


もっともシェイナは振り向きもしなかった。

相変わらず木簡をあやつる物音だけがしていた。




雪が降っていた。

城に戻ってしばらくが経っていた。


その日。

珍しく……いいや、結婚してから初めて、シェイナは夫に手ずからの料理を振る舞っていた。


元は貧しいアイハラーンの姫。

彼女は料理ができたし、するのも好きだった。


とはいえ18年ぶりの仕事だ。

ジャグが料理を口にするたびに、シェイナは何か言いたげにチラチラと向かいの席に座った夫に視線を向けていた。


「美味しいよ」


とジャグは言わない。

その代わりにバクバクと食べ続けた。


全ての料理を平らげて「俺たちが」とジャグは席に着いてから初めて会話のために口を開いた。

「初めて会った日のこと。憶えてるかい?」


5歳で城に売られた犬人は毎日のように庭のすみで泣いていた。

そんなある日のことだ。


「泣いていたらダメよ」


そんなことを言った幼女がいた。


それがシェイナ。

ジャグが初めて恋をした女の子だった。


「憶えてるわ、泣き虫の男の子のこと」


シェイナが言った。


ポタリ、と落ちる。

王妃の目から。透明な雫が。

王の口から。真っ赤なものが。


「どうして? 食べてしまったの?」


問われてジャグは微笑んだ。


「君がすることに間違いはないからね」


毒が入っているのは臭いでわかった。

それでもジャグは食べたのだ。

妻の手料理を。残すことなく。食べたのだ。


妻が…シェイナがすることはアイハラーンのためになると、疑いの欠片もなく信じていたから。


ゲホ

ジャグの口から大量の血が吐き出された。


椅子から転げ落ちた夫の体を、駆け寄った妻が抱き寄せる。


君が汚れてしまうよ。

そうジャグは言いたかったが、もうほとんど口が動かせなかった。


だから。

だから、最後の気力を振り絞ってジャグは初恋のひとにお願いをした。


「笑って」


シェイナは微笑んだ。

透き通るような微笑みだった。


腕の中で夫の体が冷えてゆくのを感じながら、王妃はずっと微笑んでいた。




【竜暦紀元前268年 冬


竜の英雄。アイハラーン王ジャグが身罷る。

死因は不明。


この後、シェイナ王妃は夫であったジャグの蛮行を痛烈に非難。


粗暴な王が亡くなったこと。

加えて、フオ王子が他国にて癒しを施すことにより、急速にアイハラーンの評判は回復することとなる。

シェイナは、ジャグを嫌っていました。

双子王子の代わりに英雄となった彼を憎んですらいました。

それでも国のために結婚し、犬人と子を成さねばならぬ我が身の不幸を泣いていました。

ジャグも嫌われてるのは知ってました。

知ってはいてもシェイナを手に入れたかったのです。


そうして。こういう結末になりました。


というようなことを後書きではなく中身で書かないといけなんですよね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ