07:継ぐ者(竜暦紀元前269年
竜暦紀元前269年 8ノ月
タタタタタ
軽快な足音が人気の薄い城に響いていた。
「フオさま~」
「フオ殿下」
自分を探し回る声がする。
フオは中庭にある灌木の陰に身を潜めた。
膝を抱えて、涙を袖でゴシゴシ力任せに拭う。
いやだいやだいやだ!
寂しいのはもう嫌だ!
フオは1人ボッチだった。
9歳だというのに友達はいなかった。
言い寄ってくる子はいるのだ。
けれど彼等彼女等とは反りが合わなかった。
『どうして殿下はあの子たちを遠ざけるのですか?』
乳母が訊いたけれど、フオはうまいこと言葉にできなかった。
端的に言ってしまえば『嫌な感じ』がするのだ。
友達になりましょう、と寄ってくる子たちはフッと気づくと自分のことを嫌な目で見ていることがあるのだ。
それは蔑みと反発、そして恐れだった。
犬人のフオに対する蔑み。
自分たちに君臨するフオに対する反発。
何よりも竜の英雄を継ぐフオにたいする…恐怖。
これが貴族の子女でなければ違ったかもしれない。
だがフオに紹介される子供は『貴族』の『人間』だけだった。
しかも、だ。
アイハラーンに引き入れた元メガラリカの知識人たちが悪意なく、犬人に対する差別を学童たちに刷り込ませてしまっていた。
前アイハラーン王のジンドは過去に言った。
この国に他国ほどの過酷な差別はないと。
たしかに市井はその通りだった。
けれど貴族の、次代を継ぐものたちの間では確実に差別の毒が広まりつつあった。
このようなこと、シェイナ妃がいたのなら許さなかったろう。
直ぐに糺したに違いなかった。
が、彼女は疫病に罹患し、もう4年を隔離されて政務にタッチできずにいる。
フオはズズズと盛大に鼻をすすった。
涙は止まっても鼻はなかなか止まらない。
幼いころはもっと毎日が楽しかった。
父さまがいて、母さまがいてくれた。
しかしフオが4歳の頃に変わった。
最初はただの風邪だと思われてた。
それが違った。
風邪ではなく性質の悪い疫病だったのだ。
フオの周りの人間では、まずジンドが亡くなった。
それからも体力のない老人や幼い子供が次々と儚くなった。
シェイナは早急に患者を隔離し、併せて発生源を探した。
メガラリカの流民が原因だった。
たった1人の女。
元凶は彼女だった。
幸いにも女は若く体力があったことから、まだ生きていた。
そこで聞き取り調査をしたところ、彼女は住んでいた村をメガラリカの軍によって焼かれていることが判明した。
「おそらく」とシェイナは会議の席で言った。
「メガラリカは疫病の発生を早々に知って、広がる前に村人ごと焼き払ったのでしょう」
その時の生き残りが、アイハラーンに入ってきてしまったのだ。
まるでメガラリカの呪いだ。
会議の席で誰もが思ったことである。
魔女は薬を煎じたが、病の進行を遅らせるだけで完治はできなかった。
メガラリカに倣って焼いてしまえばいい。
そう発言した者もいたが、断じてジャグが許さなかった。
この頃からフオは寂しくなる。
父親のジャグは金を稼ぐために傭兵となって空を飛び回り。
母親のシェイナは動揺する国民をなだめるために政務にかかりっきりになったからだ。
それでもフオはまだ孤独ではなかった。
1年が経った。
シェイナが疫病にかかってしまった。
この頃のことだ。
フオは父親であるジャグの呟きを偶然に聞いたことがあった。
「俺が間違っていたのか」
意味は分からなかったが、フオの心には強く残った。
英雄と呼ばれている父さまが苦し気に悲し気にしていたから。
それまで1日に1度は顔をあわせていた母親は隔離されて会えなくなった。
父親はまして帰ってこなくなった。
フオは孤独になった。
泣き虫になった。
「…………」
ん?
誰かに呼ばれたような気がして、フオは辺りを見回した。
声は聞こえない。
でも。
「呼んでる」
フオは立ち上がると、導かれるように歩いた。
そこはライハジーラの竜舎だった。
絶対に入ってはならないと言われている場所だ。
扉に鍵はかかっていなかった。
そもそも鍵があろうがなかろうが、竜舎に立ち入ろうとする者などいなかったのだ。
今のこの時までは。
フオは中に入った。
何もなかった。
外観ばかりは立派だが、地面は土のままだし、天井なんてありもしなかった。
キョロキョロと見回していたフオの視線が釘付けになる。
それは鈍い銀色に輝いていた。
「君がボクを呼んだの?」
近づいたフオはそれに…ライハジーラの生んだ御霊に触れ。
ヒヤリと雪のような冷たいものを指先に感じた。
途端。
フオは不可思議な空間にいた。
いいや、在った。
わかるのだ。この真っ暗で真っ白で、果てがないようでいて酷くせまっ苦しい、空間の全てこれ自体が己であると。
同時にフオはソレが在るのも感得していた。
ソレは己の隣に在った。
ソレは己の内に在った。
ソレは逆に己を内包してた。
【トリヒキ ダ】
ソレは言葉ではないナニカでフオに伝えた。
【これ ハ これ ニ ノゾムモノ ヲ アタエヨウ】
【ナレバ】
【これ ハ これ ニ ノゾムモノ ヲ アタエルノ ダ】
望むもの。
フオが望むのは人だ。
1人ボッチはもうまっぴらだった。
そのためにはどうしたらいい?
そんなの簡単だ。
病気がなくなればいい。
みんなが病気にならなければいい!
【ノゾムノハ カテ
スバラシク キタナイ
マバユクモ クダラナイ
カンゼン ヘト イタル カテ】
フオとソレが混ざり合う。
コ に イ ク ナ た
コ ケ ヤ は っ
フオが再び意識を取り戻すと、そこは竜舎だった。
そうして。
目の前には『竜』がいた。
フオはずっとずっとライハジーラが怖かった。
竜が怖くて仕方なかった。
なのに、もう竜に対する恐怖はなくなっていた。
「ライハジーラ……じゃないんだね」
フオの竜は父親の竜と違って緑色していた。
白い兜の飾りも『角』ではなく『こぶ』が2つだ。
「グゥルララ」
「そうだね、名前を付けないと」
フオは小首をひねって
「そうだ!」パンと手を叩いた。
「君の名前はリッセックウ」
リッセックウ。
神話に伝わる、病を祓う女神の名であった。
「いえぁああああああ!」
リッセックウにまたがって空を飛んだフオは歓声を上げた。
「フオさま~」
「何処に隠れておられるのですか~」
城ではまだ自分のことを探してるみたいだった。
ふふ、フオは含み笑うと、リッセックウを彼等の上空に運んだ。
現れた竜にフオを探していた人たちが目をみはる。
「ボクはここだよ!」
大きく手を振って、みんながビックリする様子を楽しんでから、フオはリッセックウを上昇させた。
感じたのだ。
遠くのほうから気配が近づいて来るのを。
それは間違いなく『竜』の気配。
となればライハジーラ、父さまに違いなかった。
「行くぞ!」
リッセックウは空を切るように走った。
眼下の景色が眺める暇もなく流れてゆく。
遠くに大きな建物が見えた。
砦だった。
竜暦紀元前280年にシェイナ妃の肝いりで建設された国境防備の砦だ。
常時300の兵が駐留している。
この砦があればこそ、ジャグはアイハラーンが攻められる心配をすることなく他国で傭兵をしていられたのだ。
フオとリッセックウが、ジャグとライハジーラに合流したのは、まさに砦の上空でだった。
父さまが驚いているのが見えて、フオは大きな声で笑ってしまった。
ジャグも笑っている。
砦は2匹の竜の出現に大騒ぎだ。
フオは竜の向きを変えた。
やらなければならないことは分かっていた。
ジャグがその後を続く。
程なくリッセックウが到着したのは疫病の罹患者を隔離している施設だった。
フオは施設の上空をぐぅるりと旋回してから。
リッセックウのブレスを建物にむかって吐かせた。
緑色の霧のようなブレスが風に拡散して降り注ぐ。
ぐぅるり、ぐぅるり、回ること2回。
わああああああああ!
完治を喜ぶおおぜいの声が、フオの耳に届いたのだった。
【竜暦紀元前269年
アイハラーン国王太子フオが竜を孵化させる。
竜の名はリッセックウ。
フオ王子は愛竜リッセックウを駆って、母親であるシェイナ妃を含めた疫病の患者を治癒した。
リッセックウの権能は『癒し』であった。
人々は確信した。
王の竜ライハジーラ。
王子の竜リッセックウ。
2人と2匹がアイハラーンに善き将来を約束してくれると。
しかして。
誰が予想し得たろうか?
この翌年に大過がアイハラーンを襲うなどと。
急いで書いたので見直し必須の回。
でもきっと手直しはしないと思うのです。