04:竜の英雄④(竜暦紀元前286年
竜の英雄はここでお仕舞。
ちょっと短いです。
シェイナはともすれば震えてしまいそうな自分を懸命に…文字通りに命懸けで叱咤していた。
お兄様。ミルス兄さま、フォシ兄さま。どうか助けてください。
心の中では唱えていた。
突然に姿をくらませた双子王子だったが、館…いいや街の人間で王子たちがメガラリカに恐れをなして逃げたのだと思うような者はいなかった。疑うような者すらいない。
それほどにミルスとフォシは慕われ、信仰にも似た信頼を寄せられていた。
加えてどこで漏れたものか。彼等彼女等は知っていたのだ、双子王子が奇跡を求めて旅立ったことを。
「迎えに参りましたぞ、シェイナ姫」
イミルアが手を差し出す。
シェイナは懐に隠した守り刀を意識した。
いざとなれば、この母親の形見でメガラリカの王を刺し殺す心積もりであった。
聡明な彼女は、アイハラーンは滅ぼされると見極めていた。
これだけの大軍を自分を迎えるためだけに動かすはずがない。
加えて彼女はその可憐な容姿に似合わずリアリストで、他の大人のように楽観に逃げるような精神性をもっていなかった。間違いなく王族や貴族は殺されるだろうと見通していた。
もっとも。
そんなシェイナ姫であっても、イミルアの異常性までは見抜けなかった。
まさかにアイハラーンに住み暮らす人々のすべてを鏖殺しようなどと目の前の男が考えているなどとは思いもしなかった。
これは仕方のないことで、幾ら聡明なシェイナ姫といえども、周囲に存在しなかった種類の人間の性癖を推理しようがなかったのである。
イミルアの手を取れば、シェイナの運命は決まる。
シェイナは意を決したように騎馬牛にまたがったイミルアを見上げ
「え」
思わず呟いていた。
イミルア王の頭のはるかな向こう。
雲のひとつとてない青い空の彼方に不可思議なモノを見つけてしまったのだ。
それは黒い点だった。
点でしかなかったのに、見る間に近づいて来る。
もはやシェイナは目を離せなくなっていた。
まるで見たことも聞いたこともない生き物だった。
空を飛ぶ生き物といえば鳥しかありえない。
けれど、あれは……おおきいくくりでトカゲに似ていた。
シェイナの体が震える。
それは原初の恐怖。
カエルがヘビを前にして身を竦めるように。
あの空を飛ぶ何かが天敵であると、シェイナの根本の部分、人間の部分が告げていた。
シェイナに遅れて、アイハラーンの人々も、メガラリカの軍勢も、イミルアも見た。
見てしまった。
場違いな静寂が満ちた。
「ぎゃあああああああ」
引き裂いたのは断末魔の悲鳴だった。
【恐怖】が炎を吐き出したのだ。
それはメガラリカの兵に向かって吐き出された。
しかし悲鳴を上げたのは炎を喰らった人間ではない。
直接に炎を浴びた人間は瞬時に青銅の鎧ともども焼け焦げて、赤ん坊のように四肢を丸めた焼死体になっていた。
だから痛いと絶叫したのは炎のあおりを喰らった周囲の人間だった。
ある者は腕が肘からただれて。
ある者は両の足が溶解した大地に溶けて。
阿鼻叫喚となった。
メガラリカはそれでもまだかろうじて総崩れにはならなかったが、アイハラーンの軍勢は蜘蛛の子を散らすように街へと逃げだした。
「陛下!」
イミルアの側近が硬直してしまった主君を促す。
メガラリカの王は咄嗟に側近を見、次いでシェイナ姫に目を向けた。
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IF
歴史学者たちは口をそろえて言う。
もしも。
もしもこの時、イミルアがシェイナ姫をかどわかしていたのなら、と。
メガラリカはシェイナ姫を人質にして竜を手に入れることが出来たろう。
そうなれば周辺国を圧倒し、メガラリカこそが大陸を統一したろう、と。
だが、それはもしもの話。
成らなかった話だ。
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イミルアは逡巡しなかった。
すぐさま5000の自軍へと牛首をひるがえした。
彼は王だったのだ。
蛮族の女に気を取られて自らの命を失うことを良しとしなかった。
こうして戦場となりそうだった平原に、シェイナはたった1人残された。
メガラリカの軍勢が焼かれていく。
【恐怖】は容赦なく間断なく炎をまき散らした。
5000の軍勢が真夏の氷のように溶けてゆく。
4000に。
3000に。
その頃にはもう、メガラリカの兵士は潰走していた。
そしてシェイナやアイハラーンの人々は気づいた。
【恐怖】がコチラ側に攻撃してこないことを。
「お兄様だ…」
ぽつりと呟いた願望は、口に出してしまえば真実だと思えた。
聡明であっても。
リアリストであっても。
シェイナはまだ12歳の少女なのだ。
「お兄様! ミルス兄さま! フォシ兄さま!」
もろ手を挙げて振る。
この様子を目にしたアイハラーンの人々も確信をした。
双子王子がメガラリカをやっつけるために帰ってきたのだと!
わーわー
悲鳴のような歓声と歓呼が沸いた。
わーわー
まぎれもない悲鳴と絶叫が続いていた。
四分五裂したメガラリカの兵をしつように【恐怖】は駆逐してゆく。
悪いことには展開していたのが平原であった。隠れる先がないのだ。
やがてメガラリカ兵5000を完膚なきまでにを殲滅した【恐怖】は大空をぐぅるりと大きく回ってからシェイナ姫の前へと舞い降りた。
アイハラーンの人々の口に歓声はない。
いくら憎っくきメガラリカを退治したといっても……いいや、退治してしまえたからこそ【恐怖】が恐ろしかったのだ。
ただ1人。
シェイナ姫を除いては。
「お兄様!」
シェイナ姫は涙に濡れた顔を隠そうともせずに駆け出して。
「え?」
立ち止まった。
涙で視界がゆがんでまともに見れなかった。
こうして近づくまでは。
髪の色がミルス兄さまと違った。
体つきがフォス兄さまと違った。
でも、その顔には見覚えがあった。
「ジャ…グ?」
双子王子の奴隷だった犬人の少年。
彼が【恐怖】に乗っていた。
竜暦紀元前286年 秋
竜の英雄とアイハラーンの姫が婚姻する。
のちに御霊の洞穴へと出向いた調査隊は幾人かの遺体を持ち帰り、これを供養した。
歴史書に。
双子の王子の記載は……ない。
その後。メガラリカ兵の遺体を片していたアイハラーンはイミルアらしき遺骸を発見する。
らしきというのも、ソレは馬蹄や人の足に踏みつけられて、もはや人だと判別できなかったためであった。
それでも僅かに残っていた豪奢な鎧の欠片とへし曲がった戦場王冠とでイミルアだと判定したのである。
このイミルアの形見を多額の謝礼金と慰謝料とで受け取ったメガラリカは混乱した。
5000の軍勢が全滅したのもそうだが、彼等は思ったのである。
もしやイミルア陛下の悪戯なのでは、と。
彼の嗜虐王は前にも同じように姿をくらませたことがあったのだ。
そうして反逆の芽がでたところで、残らず刈り取ったのである。
5000の軍勢が完膚なきまでに負けたあとで、貴族には不平不満が溜まっていた。
イミルアが同じようなことを企んでいると深読みしてしまうのは仕方のないことあった。
しかし。
1週間が経ってもメガラリカの王は姿を現さなかった。
貴族は噂する。
まさか?
やがて1ヵ月が経つ頃にはメガラリカは内戦に突入していた。
なにせイミルアは子供がたくさんいた。
その子供の1人1人に権力を欲する後援がついて争いを始めてしまったのだ。
その争いに周辺の国が食いつくのは直ぐだった。
今まで攻められていたはずの国々が、混乱するメガラリカへと攻め込んだのである。
もはや草刈り場であった。
竜暦紀元前284年。
メガラリカは滅び、王族は女幼子を残して首を刎ねられた。
次回はきっと来週。
サブタイトルの仮題は「王妃シェイナ」かな?
6/10 イミルアとメガラリカのその後を追加