02:竜の英雄②(竜暦紀元前286年
男の報告から3日後。
メガラリカより正式に使者が到着した。
宣戦布告の使者ではない。この時代にそのような決まりごとはなかった。
だから使者は、降伏を勧告しに来たのであった。
「我がメガラリカの軍勢は1万、とうてい貴国で抗すべく法はなく、降伏をお勧めする。しかしながら我が王は寛大であり、王族の首を求めるようなことはしない。ただし」
使者はツイと姫を見遣った。
噂にたがわぬ美しさだ。
メガラリカの宮廷ではアイハラーンの美姫のことでもちきりだった。
大袈裟なことと思っていたが…。
使者は思う。
実物は噂にたがわぬものだった、と。
「姫を側室にいただく」
そもそもアイハラーンを攻めることになった理由がシェイナ姫だった。
どこから噂が始まったものか。
宮廷雀たちのさえずりに好色なメガラリカ王の食指が動いたのだ。
「この場で答えるのは無理であろう。猶予は10日とする」
使者は逃げるように去った。
実際、逃げたのった。
シェイナを側室に欲しいと告げた折りの双子王子の目つきに、ハッキリと殺気を感得したのだ。
使者が去ると、館での会議は紛糾した。
「1万などというのはハッタリだ!」
「メガラリカは大きいが、1万も動かせるはずがない!」
「姫さまをお守りするのだ!」
とは言うものの、彼等とて内心では諦めていた。
どうしたってメガラリカに勝てるはずがない。
アイハラーンは小国である。動員兵力は100…いいや50人にも満たない。
それは王も弁えている。
であれば、この紛糾はガス抜きの場であった。
しかし。弁えぬ馬鹿者…いいや世間を知らぬ若造が2人いた。
ミルスとフォシである。
双子王子とて妹姫のシェイナの婚姻が政略に使われるのは納得していた。
貴族なのだ。当然である。
しかしながら2人の兄は、妹が幸せになるという前提をもって政略結婚を是としていた。
しかるにメガラリカの現王は最悪だった。
好色なのはまだ許そう。
だが彼の王は嗜虐の性癖がある。幾人もの側女が無残に殺され、心を壊されて放逐されたというのは有名な話だった。
これではシェイナが幸福になれるとは考えられない。
思い余った双子王子は、魔女のもとを訪ねた。
「よく来なすった」
女たちが待ち構えていたかのように若く美貌の男2人を迎え入れる。
魔女とは森のほとりに住み暮らす特殊な女たちの総称だ。
彼女たちは優秀な薬師だった。代々に伝わる秘術で薬草を煎ずるのだ。湯冷ましにハチミツと塩を溶かすと教え広めたのは魔女である。
また、いっぽうで彼女たちはシャーマンでもあった。己が身に霊を神を降ろし、口寄せするのである。
行き詰った末にミルスとフォシが縋ったのは神であった。
これは当時としては突飛な思い付きではない。時に為政者はオカルトに政治の行く末を任せることすらあった。
吉兆を占い。
降雨を占い。
日照りならば、人身御供を。
科学など影も形もない時代である。
覚醒作用のある煙を大量に吸い込み、忘我の極致に達した最年長の魔女は言った。
「深山のさらに深きところ
洞穴があり
あまたの試練の先
炎の御霊を手に入れし
勇者の願いを聞き届けん」
よすがは成ったが、肝心の場所が分からずじまいだった。
「その深山とは何処にあるのだ?」
「そこまでは分かりませぬ」
なんとも覚束ない話だが、えてしてオカルトとはそんなものである。
双子王子は眉を寄せたが
「似たような話を耳にしたことがあります」
解決の糸口は思わぬところにあった。
犬人の奴隷、ジャグである。
ジャグは辺境のアイハラーンでも更に蛮地とされる北の出だったが、その出身の村で似たような昔語りを長老から聞いたというのだ。
双子の王子は礼として若い魔女たちに子種を仕込むと村を離れた。
礼が子種とはいささかおかしく感じるかもしれない。
それは現代の感覚だからである。
当時は獣や魔物が跋扈しており村々の行き来は疎遠であった。
ひっきょう、村の中での婚姻がまかりとおって血が濁ってしまう。増して魔女の住処はよその村よりも距離があって容易に新しい血を引き入れることが難しかった。
だからこその『礼』が『子種』なのだ。
しかもその子種は若く美しく能力的にも優れた男のもの。
魔女からしたら垂涎であった。
双子の王子とジャグはすぐさま館を発った。
見送りはない。反対されることを踏まえての暗々裏での出発である。
騎馬牛を操れない奴隷のジャグを追い立てるようにしての強行軍であったが、それでもジャグの故郷である村に到着したのは3日後のことであった。
憐れなほどにみすぼらしい村だった。
人数も20人ほどしかおるまい。
それも老人ばかりだ。それもそのはずで、働けるような若者は、足りない税の代わりにジャグのように各地に奴隷として売られてしまっているのだった。
3日間のほとんどを走り通しで息も絶え絶えな奴隷の尻を蹴るようにして王子たちは村を案内させ、昔語りとやらを聞いた。
なるほど、魔女の口寄せに似た伝承が村にはあった。
「およしなさい」30手前という年齢にしては遥かに年老いた印象の村長は言った。
「あすこには幾人もの腕自慢が挑みましたが、いまだ生きて戻った者はおりませぬ」
「あはははは、なにを言うかと思えば」
「俺たち2人はお前らのような有象無象とは違う」
笑い飛ばし、ミルスとフォシは洞穴へと旅を続けることにした。
その際に比較的動ける村の犬人を洞穴までの道先案内として雇った。
謝礼は僅かばかりの金と、持参していた薬である。
こうして13人は洞穴を目指したが、それは容易ならざる道程であった。
深山には夏ですら雪が厚くのこっていたのだが、それが日差しに溶けて場所場所で雪崩となったのだ。
それだけではない。
雪道を歩いていた先頭が薄く貼った雪を踏み抜いて、底の見えない雪と雪の割れ目に落ちていった。
獣が夜になると群れを成して襲い掛かった。
旅支度が足りなかったために朝起きると凍死している者もあった。
ようよう洞穴に辿り着いたのは村を出発して2日後であったが、雇った10人は3人にまで減ってしまっていた。
洞穴を前にして双子の王子は頷き合った。
スラリと剣を抜く。
空は眩いほどに青い。
見渡す限りの山々は雲の上にあって雪に白く輝いている。
赤い。
真っ赤な鮮血が。
白い雪にぶちまかれた。
斬られた村人の2人が倒れ伏す。
「なにを!」
そう言う暇さえなかった。
「悪く思うな」
ミルスの剣をジャグは袈裟懸けに浴びた。
フォシもまた残っていた1人を斬り殺す。
計画通りであった。
双子の王子は洞穴の秘密をしっている犬人を生かしておくつもりはなかったのである。
御霊は、人間のために神がもたらしたものでなくてはならないのだ。
決して下賤な犬人づれの宝物であってはならない。
もちろん村に残った犬人も始末してあった。
謝礼として渡した薬。あれは毒薬であった。
双子王子は血濡れの剣を雪で洗うと、洞穴へと足をすすめた。
噂にたがわぬ試練がミルスとフォシを襲った。
洞穴は暗く狭く迷路のようだった。
王子たちに天運がなければ迷い死にしていたことだろう。
人丈ほどもある巨大な蜘蛛がいた。
王子たちの武威がなければ食い殺されていたことだろう。
毒蛇に通路が覆われた場所があった。
王子たちの機転がなければ蛇の毒で死んでいたことだろう。
他にも様々な試練があった。
そのどれもを双子の王子はくぐり抜けた。
それは兄王子のミルスだけでも、弟王子のフォシだけでも無理であったろう。
2人が協力してこそ試練に打ち勝つことができたのだ。
ようやく洞穴が終わり、その先にあったものは溶岩の池と、その中央にある島に、島へと延びる細い道だった。
島には銀色に光るひと抱え程の玉が浮いている。
「あれがそうか」
「ようやく見つけた」
2人は呟き
「「フっ!」」
鋭い呼気を発したのは同時だった。
ガキン
溶岩の、うごめくような暗い赤い光のなかで。
ミルスの振るった剣と、フォシの振るった剣とがぶつかりあっていた。
「何のつもりだ」
力を込めながら兄が問えば
「兄上こそ」
力を込めながら弟が睨みつける。
2人は同時に跳びのいた。
まったき同じ姿かたちをした人間が。
まったき同じ剣を、まったき同じ構えでもって突きつける。
「お前。俺を殺そうとしてたろ? 殺気が時々もれてたぜ」
ミルスは感じていた。
弟が己を殺そうとしていることを。
「ほんのわずかな運。遅れて産まれたというだけで何もかも二の次にされる気持ちがわかるか」
フォシは気に入らなかった。
たった数分。はやく産まれたというだけで何もかもを奪った兄の存在が。
それになによりも。
「「英雄は1人でいい!」」
双子の王子は互いの憎しみをぶつけ合った。