01:竜の英雄①(竜暦紀元前286年
竜暦紀元前286年
春は涼しく、夏は短く。
秋は寒風が吹きすさび、冬は降りしきる雪に閉ざされる。
そんな北方に位置する国とも呼べない小さな国だった。
国の名はアイハラーン。
作物の実りが悪い北国ということで、国そのものがひどく貧しい。
水のような粥で飢えをしのぐ人々のあばら骨は浮き上がり、冬ともなれば薪が足りずに凍死することは珍しくなかった。
かように貧弱な国アイハラーンにも、もちろん王はいた。
賢人ではないが、愚昧でもない。平凡な王である。
そんな平凡な王であるが、彼には似つかわしくない者があった。
「「いくぞ!」」
「はい!」
夏だった。
騎馬牛に乗った青年が2人、館を飛び出した。
そっくりだった。金色の髪、勝ち気そうな顔立ち。瓜二つである。
それもそのはず、2人は双子なのだ。
兄をミルス。
弟をフォシ。
平凡な王のもとに産まれた、非凡な双子王子。
ミルスとフォシは武勇も知能も抜きんでていた。
アイハラーンの人々は双子王子こそが貧弱な国を変えてくれるものと期待を込めているほどだ。
そんな双子の乗る2頭の騎馬牛のあとを、少年が追いすがる。
だく足する騎馬牛に負けぬのだから、尋常ではない脚力だ。
名をジャグ。
顔こそ人間と同じだが、耳は犬のように頭頂部にあり、腕や脚は獣のように毛深い。それに尻尾があった。
少年は犬人なのだ。
犬人の性質は素直にして従順。頑健であり、身体能力は人間を遥かにしのぐものの、ただし知能は及ばない。
そんな犬人はこの国に限らず大陸において奴隷として使役されるのが大概だった。
もちろんジャグも、だ。
彼は双子王子の奴隷だった。
夏とはいえ今だ雪が残る道を2騎と1人は走る。
「「ジャグ!」」
双子王子が呼べば
「こちらです」
今年の冬に成人となった13歳の犬人は、騎馬牛の前に駆け出すと先導した。
「ウォーーーーーン」
駆けるにつれて、同族の警戒を孕んだ吠声がハッキリと聞こえるようになる。
「「あっちか!」」
双子王子の耳にも届いたのだろう、騎馬牛に鞭をいれて襲歩させた。
こうなると流石に犬人であるジャグも追いつけるものではない。
いよいよ【それ】が見えると、ミルスとフォシは槍を構えた。
戦闘の場に突撃する。
【それ】は木人形だった。
スカートのように広げた根をうねうねと動かし、ずりずりと移動しながら、真っ白に枯れた枝葉を狂ったように振るって周囲の畑に毒をまいている。
樹齢の高い樹木が魔素を孕んでしまうことで発生する魔物だった。
「でかい!」
「大物だ!」
大抵の木人形は魔物化する際に収斂して元となった樹木よりも小さくなる。双子王子とて幾度も木人形を退治してきたが、目の前に佇立する魔物はそのどれよりもふた回り大きかった。よほどの古木が魔素を孕んだに違いなかった。
木人形の周囲には犬人が5人ばかりいて、木製の鍬で牽制をしていた。
人間はいない。
居残っていたとしても足手まといになるから、奴隷に任せて避難したに違いなかった。
双子王子が安堵したことには、犠牲になった者はいないようだった。
それが人間であれ、犬人であれ、2人にとっては…国にとって大切な財産なのだ。1人でも死んでしまえば、それだけ国の生産力が落ち込む。かほどにアイハラーンは貧しい。
「のけ!」
「邪魔だ!」
ミルスとフォシの言葉に、奴隷がサッと飛びのく。
「「突撃!」」
騎馬牛が勢いをそのままに木人形の枯れた根を踏み砕きながら疾走する。
まずは兄王子の槍が
ゴバン!
とてつもない音を立てて木人形の胴体に突き刺さった。
こうなっては抜けるものではない。
なのでミルスは槍を手放した。毒を吸わぬよう息を止めて木人形の脇を駆け抜ける。
ゴバン!
次いで弟王子の槍が、兄王子の槍とまったき同じ個所に叩き込まれた。
叩き込んで、フォシは兄とは反対方向へと騎馬牛を進めて駆け抜ける。
木人形は脆い。
これで勝負は決まった。
ミシミシと嫌な音を立てていた木人形は、ほどなく真っ二つに折れた。断面から黒い靄をたゆたわせて、もう動かない。
「ご主人様!」
息を切らせたジャグが到着をしらせる。
「あとは任せる」
「そこの5人を指示して素材を回収しておけ」
魔物・魔獣は人間を襲い村を滅ぼす、恐ろしい人類の敵だった。
しかし、同時に肉や骨や腱といった素材は高値で取り引きされるのだ。
それらはアイハラーンにとっての重要な収入源でもあった。
帰還するミルスとフォシの双子王子に住人が声援を送り、奴隷が恭しく首を垂れる。
アイハラーンにとって。
2人の王子は希望なのだ。
夏が半ばまで過ぎた時期だった。
館に馬が駆け込んだ。
馬から落ちるように男がおりる。よほどに急がせたのだろう馬は舌を出して倒れ、それを操っていた男の息も絶え絶えだった。
「何者か!」
館の門を警護していた兵士が誰何する。
「至急、お館様に報せなければいけないことがある!」
そうしたことをゴホゴホと咳き込みながらどうにかこうにか告げる。
警護の兵は男に見覚えがあった。
アイハラーンからしたら比較にもならないほどの大国である西方のメガラリカの商家へ奉公に出た男だ。
目を丸くしている奴隷に王を呼んでくるようにと指図すると、警護の兵は男に肩を貸して木陰へと移動した。
「なにごとか」
待つほどもなく、王と、双子の王子が遣って来た。
だが男は咳き込むばかりで喋れない。
そんな男に木製のカップが差し出された。
木に背をもたれかけていた男がひったくるように受け取って飲む。
それは湯冷ましだった。
ほんのりと甘辛いのはハチミツと塩がはいっているのだろう。
ただ水を飲むよりも精がつく。アイハラーンに住む者ならば誰もが知っている知恵だった。
なんて気の利く奴隷か。
誰もが知ってはいても、機転よく咄嗟につくれるかといえば、否やだ。
飲み干した男は改めてカップを差し出した相手を見て、息を呑んだ。
美しい娘だった。
年齢は12歳、あくる年に成人を控えた少女は
「姫さま」
名をシェイナ。双子王子の妹姫だった。
ニッコリと微笑んでシェイナ姫は館の奥へと引き込む。
「して、何があったか?」
王に問われて、男は立つことは適わないまでも居住まいをただして言った。
「メガラリカにて軍勢が整えられております」
彼の国は王が代わってからというものの周辺国へと攻め込んで領土を増やすことに邁進していた。
アイハラーンは貧しいがゆえに標的にはならなかったが、代わりに度々メガラリカへの加勢を余儀なくされていた。
またか、と王がうんざりした顔をしたのもやむを得ない。
兵を動かすとなれば食い扶持を用意しなければならない。
戦となれば、死人もでる。
これがアイハラーンにとっては大きい負担だったのだ。
しかし王とは違い、ミルスとフォスの王子は表情を引き締めたままだった。
違う、と考えていた。
加勢しろとだけならば、どうして使者が来ない。どうして奉公に出ていた男が息せき切って報せに来る。
懸念は当たっていた。
男は言ったのだ。
「侵攻の先はココ……アイハラーンです!」