第二話〜告解の少女〜
「秋彦ー!」
荘厳な教会に響く少年の絶叫。
少年の機嫌が悪いというわけではない。声を張り上げないと、教会の主と言うべき年若い神父は気がつかないのだ。
「早く来ないと朝飯抜きにするぞコラ!」
ガンガンと神父の自室のドアをたたきながらけんか腰で叫ぶ。
幾度かドアをたたくが無反応。
もう一度声をかけようと息を吸った瞬間、目の前のドアがガチャリと開いて、黒衣の青年が現れた。
「遅い」
「すみません」
少年・明原累がびしりと指を突き付けてわめくと、神父・九法秋彦は素直に謝罪の言葉を口にする。謝罪をしていても、秋彦の生活態度がまったく変わる兆しを見せないことをいやでも知っている累は通算幾度目になるか忘れたため息を吐いた。
ついでと言わんばかりにまだドアが開いたままの部屋を覗くと、予想通り大量の本で山ができている。一応整頓はされているのだろうが、いかんせん本が多すぎて繁雑とした印象しか与えない。
「ったく、図書館でも作る気かよ。いつか床が抜けるぞ」
「その時はその時ですよ」
ノホホンとした言葉をのたまった同居人を睨みつけて、ドアを閉める。
「朝飯、早くしないと冷める」
「あぁ、そうですね。じゃあ行きましょう」
のんびりとした若神父に頭をこっそり抱えながらも、累は秋彦の服の裾をつかんでダイニングへと引っ張った。
聖ルキア教会――。
古の聖女の名を冠したゴシック様式の教会。
全石造りという、今の時代としては珍しい教会には、これまた珍しい19歳の青年が神父として就任していた。
奥にある住居スペースではなく、礼拝堂の信者たちが座る長椅子に腰かけて古書を読んでいた秋彦はカタン、というかすかな物音に気がついて、振り返る。
音がしたのは、小さな箱を思わせる木で出来た小屋・・・懺悔室だ。
(お客さんとは、珍しいですね)
信者の数は多いが、懺悔室の利用頻度はさして高くない。
珍しいこともあるものだと、思いながらゆっくりと懺悔室の戸を開いた。
「神父様・・・・」
「どう、なさいましたか?」
声からしてまだ少女だ。が、声に聞き覚えがないから信者の誰かというわけでもない。
精緻な細工が施してある仕切りが少女と秋彦を隔てているので、詳しいことはわからないが、16〜7といったところか。
軽くうつむく顔を隠している髪はうすい茶色。
(いや、薄茶というより琥珀・・・か?)
この国ではあまり見ない髪の色だ。
「・・・・わたし、見てしまったんです」
蚊が鳴くようなかすかな声。
あわてて少女の話に耳を傾ける。
「何を見てしまったのですか?」
少女が口を開き、また沈黙する前に、穏やかに続きを促す。
自分で勝手にしゃべってくれることもあるが、往々にして自分の罪を神に暴露するのだから、告解に来る人の口は重い。
下手をすれば1時間、それいじょう何もしゃべってくれないことがある。
そうなる前に、先を促す。
懺悔をするために教会に走ってきたのだ。どんなモノを見てしまったのだろう。
殺人現場か、強盗、はたまた強姦か・・・・。
少々物騒な考えを巡らせるが、その予想はすべて外れた。
「・・・・勝利の上に、さらなる勝利をもたらす騎士を・・・・」
「え?」
いったいどういう意味だと問いかけようとしたが、その一言を口に出すと、少女は電池の切れた人形のようにひたすら沈黙し続けた――。
「秋彦!」
「なんですか?累」
「なんですかって・・・・お前の方がどうしたんだよ。急に部屋の中ひっくり返し始めて」
部屋の中にこもった同居人を心配したのか、累はノックもなしに秋彦の部屋に滑り込み、アンティーク調の椅子に行儀悪く陣取った。
「・・・・・すこし、気になることが」
言葉少なに秋彦がそう言うと、累は目を細める。
「今日、懺悔にきた女の子か?」
「見ていたんですか」
「ちらっとな。どんな内容だったんだよ」
「それはいえません」
「いまさらだろうが」
神父には、一応事件性がないかぎり、告解の内容は第三者には明かすことはできないのだが、
類には関係がないらしい。
小さくため息をつくと、秋彦は仕方がないというように開いたままだった洋書を閉じる。
この少年に、神の教えを説いても無駄だと長年の同居生活でいやというほどわかっている。
「黙示録。第六章四節」
断片的な言葉だけをヒントとして与えてやる。
敏い同居人のことだから、一から十まで言わずとも一言でわかるだろう。
その証拠に答えに思い至ったのか、嫌そうに顔をしかめている。
「ヨハネの黙示録、支配の騎士」
「えぇ、相変わらずよくご存じですね。今日来た方は“支配の上にさらなる支配をもたらす騎士”と一言おっしゃっただけですが、おそらくヨハネの黙示録でしょう」
厄介な・・・と言外に秋彦はこぼす。
あの少女はその気はなかっただろうが、この問題は非常に厄介だ。
「無視しちまえばいいじゃねぇか」
「・・・そうしたいのはやまやまですがね」
先ほど閉じた洋書をまた開いて、栞のように挟んでいた新聞の切り抜きを累の目の前に突き出す。
「なにこれ」
「どうやら、これに関連があるみたいですよ。あの方の告解は」
新聞の切り抜きは、数十年前の集団自殺の記事だった。




