19 瀬能芹葉『こっそりひっそり秘密裏に。抜き足差し足忍び足で行きます!』(ただし喋らないとは言っていない)
恋は盲目とよく言いますが、もとからぽんこつな瀬能先輩がその状態になると。……このくらいぽんこつになります。
埋め合わせの内容を決めた私の心は晴れやかだった。たとえるのならば雲ひとつない快晴。
仕事でもここまでの重圧を感じたことはなかったので、開放感がすごい。
土曜日のことを考えると今から楽しみで楽しみで仕方がない。
だからこそ就業時間中は意識していないと頬が緩みそうになってしまう。
気を抜いているとつい無意識のうちに弓削くんの姿を目で追ってしまうのだ。
それほどまでに彼のことが好き……。
なのでお仕事中はいつも以上に集中して。いつも以上に気を引き締めて。
カッコイイ先輩の姿を弓削くんに見せられるように頑張った。
――そして今も、とてもとても大事で重要で肝要な業務……ううん、任務の最中なのだ。
「…… ……」
課長席に座りながら背筋をピーンと伸ばして周囲の様子を窺う。……右よし、左よし、もう一回確認左右よし!
他の課員は総務課のオフィススペースにはいない。数名の総務課員がPCに向かって業務を行っている絶好の機会。
ちなみにその中には弓削くんの姿はない。彼は今、花火を打ち上げてくれる業者さんと詰めの会議を行っているのだ。
そんな弓削くんが不在の中、私は動き出した。
「…………ゴクリ」緊張しすぎて息を呑む私
本当は彼に直接伝えたいのだけれど、今の精神状態で弓削くんとお話をしたらニマニマしちゃったり、なんだかダメなことになりそうだったので、私はメモを残すことにした。
引き出しから取り出したるは柴犬の『しばんぱいあ』という可愛らしいキャラクターが、巻き尾をフリフリしている付箋紙。……余談なのだけれどただの可愛いわんちゃんに見える『しばんぱいあ』は、悪人の血を吸って成敗する、見た目は柴犬、中身はヴァンパイア、の正義のヒーローなのだ。任務のためには闇に紛れて隠密行動をする『しばんぱいあ』はまさに今の私にはうってつけ。
そんな心強い味方の付箋紙に手早く簡潔に用件を書き込む。
……でも一番大切な〝目的〟は、わざと書かない。
だってサプライズにしたいからっ!
『私が考えたとっておきの埋め合わせプラン』
『人物:弓削くん! (他には誰も呼んじゃだめ!)
日時:今週末の土曜日16時。
場所:会社の最寄り駅。
恰好:ラフな恰好! (お着替えします)』
書き込んだ内容を見返してイマイチしっくりこない。
「……ん~」
……これだとなんか業務連絡みたいになっちゃう。
――そうだ! こうすれば……!
「……できた!」
『その他:楽しみにしておくこと!』
弓削くんにも私と同じ気持ちでいてほしいなって、ワガママな願いを込めて書いた。
書き加えた一文に「……んっ!」と自己満足してから私は立ち上がる。
――目標、前方の弓削くんの席!
――こっそりひっそり秘密裏に!
――抜き足差し足忍び足で行きます!
――『しばんぱいあ』を味方につけた私には怖いものなし!!
そう息巻いて第一歩を踏み出したところで事件は起きた――。
――ガシャン!
皆が己の業務に集中していて静謐な空間となっている総務課のオフィススペースに鳴り響いた衝撃音に、とっさに固まる私。
目標である弓削くんの席を見過ぎて足元の確認がおろそかになり、踏み出した一歩目で机を蹴ってしまったのだ。
遅れてやってきたジンジンとした鈍い痛みに涙目になりながらも「この音を出したのは私じゃないですよ~」といった心情で、無表情を貫く。
「あ~はいはい。そういうことか」
幸いにもこちらをじーっと見てきたのは釣井先輩だけで。独り言をつぶやいて納得したように顔を戻したので、任務続行に支障なしと判断した私は、おっかなびっくりなへっぴり腰で歩みを進めた。
「……今は何時かしら?」壁掛け時計を見るふりをしながらさりげなく目標に近づく私
「……ん。こんなところにホコリが」綺麗な床にありもしないホコリを取るフリをしつつしゃがんだまま少し前進する私
「……あら、弓削くんのデスクにホコリが」思考に余裕がなく同じネタを多用しながら何とか目標に辿り着いた私
――後はこの付箋紙を貼って任務完了――っ!?
手の甲に貼り付けていたはずの『しばんぱいあ』がいない!
きっと極秘任務遂行中にどこかに落としてしまったのだ。……貼ってすぐにはがせる付箋紙あるある。どうしてちゃんと手で持っておかなかったの私!
キョロキョロと辺りを見回してみると最悪なことに……つるりんの席の前に落ちていた。……あそこは最難関ポイントだと思ってホコリを取るフリをして、しゃがんで移動したところ。よりにもよってどうしてあそこで……ってしゃがんだからよね……。
……いつまでもそんなことを考えていては埒が明かないので、私は再度しゃがみこんでちょこちょこと歩き出す。
「……こっちにもホコリ……じゃなくて、綿埃が」さすがにホコリを何度も使うのは怪しまれると思って機転を利かせた私
「……お前はロボット掃除機のル〇バか。大事な物なら落とすなよ……ったく」何か意味不明なことを呟いているつるりん
「……んんっ!?」
――回収しましたっ!!
急に喋り出したつるりんにビックリしてビクッてなっちゃったけど、無事付箋紙を拾い上げて。今度は早歩きで弓削くんのデスクまで移動。……もちろんしゃがんだままでだけれど。
「――弓削くん、楽しみにしてくれるかしら」
つるりんのクセがうつってしまったのか、私も独り言ちながらデスクの端っこであまり人目につかない所に、一緒に任務を遂行してくれた相棒『しばんぱいあ』をそっと貼った。
「あとはよろしくね?」
「お~い瀬能! 次、WEB参加とはいえ経営戦略会議だぞ? 遅れたらまずい」
「はい。今行きます」
――そしてその途中、偶然にも弓削くんの姿を見つけて。いてもたってもいられないくらい嬉しくなってしまった私は、他の人にバレないように何とか取り繕いながらすれ違いざまに呟いたのだった。
「 」