8 『付き合う前からバカップル』
村田本部長は仲良く3人で飲みたかっただけなのに……
「――村田様、挨拶が遅れて申し訳ありません。ご無沙汰しております。瀬能です」
居酒屋にやってきた瀬能先輩は個室の扉を開けるなり、カッチリとした社会人らしい挨拶を口に。
瀬能先輩の取り乱しようから考えて、てっきり「うぅぅぅっ!!」と威嚇しながら入ってくるものだと思っていたが、さすがに気付いていたらしい。
総務課の皆とのやりとりを見ていても瀬能先輩はクールな外見は崩さないものの、意外とノリが良いのだ。だから今回も実は初めから分かっていて、やっていたのかもしれない。
「瀬能ちゃ~ん! 会いたかったとよー! 元気しとった?」
先程まであんなやりとりをしていたというのに、村田本部長も何も気にした様子はなく、瀬能先輩を抱きしめようと立ち上がって両手を広げていた。
……一先ず何も問題なさそうだ。
「――先に確認させてください」
――なんて安心するのも束の間、両手を前面に出して熱い抱擁をお断りした瀬能先輩。
荷物を置いて俺のことを見つめてから、
「弓削くん。正直に答えてほしいのだけれど――変なことはされていないでしょうね?」
いつも通りの凛とした表情に、いじけ成分大さじ1杯、怒り成分小さじ1杯を溶かしたような、微妙な表情をしていた。その証拠に頻りに手を開いたり閉じたり、もぞもぞと動かしたり、なんだか落ち着きがない。
恐らく村田本部長には感じ取れない程度の変化だろう。
「はい。村田様とは納涼花火大会でのキッズスペースや保育士さんの派遣について、ご相談させていただいておりました」
「……本当にそれだけ? この後――お持ち帰りはされない?」
「されません」
「……そう。よかったぁ……」
すると瀬能先輩は心からの安堵を表現するように、ナチュラルに俺の隣にペタンと腰を下ろして。
課長になってからこれまで張り詰めた表情をしていたので、久しく見ていなかった眉を緩めた穏やかな笑みを浮かべ。
――優しい手つきで俺の髪を梳くように撫でてきたのだ。
好きな人から髪を触れられるというのは、どうしてこれほどまでに心地好いのだろうか。
思考を放棄した俺はされるがまま頭を撫でられ続け――、
「――感動的な再会はよかとして……うちもおるっちゃけど?」
その声に現実に引き戻されて、対面を見る。村田本部長がニコニコ顔のまま自分を指差して、俺らのことをガン見しているではないか。
抗えない心地好さだったとしても、俺は取引先のそれも本部長の目の前でなんて醜態を晒していたのだろうか。……ふと冷静になって死にたくなった。
「す、すみません!」
「…………」
村田本部長の言葉が聞こえているはずなのに、瀬能先輩は動じることなく無言で俺の頭を撫で続けている。
毛先を指でクルクルとしたり。
前髪をサラッと掻き上げたり。
五指でワシャワシャとしたり。
……もしかして遊んでるよな? これ絶対遊んでるよな!?
見ればいじけ成分が大半を占めた膨れっ面になっていて、それでも目だけはキラキラと好奇心の光が輝いていた。……いじけながら楽しんでるってどういうことですか先輩。基本的にぽんこつ天然なのに変なところで器用である。
「……瀬能ちゃ~ん……ひょっとして怒っとーと?」
「私の可愛い後輩を人質に取ったのですから当たり前です」ナデナデを継続中の瀬能先輩
「謝るけん機嫌ば直して! ――こん通り!」
眼前で両手を合わせて片目を瞑りながら、瀬能先輩の出方を窺うように村田本部長が謝っていた。
ちなみに俺は何もできずに固まっている。……むしろどうすればいいのか誰か教えてくれ。
「……もう、冗談ですよ? せっかく居酒屋さんに来たのですから、乾杯しませんか? 私、走ってきたので喉が渇いてしまって」
……絶対冗談でやってなかった気がする。なんなら心の底から楽しんで堂々と俺の頭を撫でまくっていたと思う。
「ありがとうね! 今日は目一杯飲みんしゃい! うちのおごりやけん!」
――こうして村田本部長の狙い通りと思われる飲み会がスタートしたのだった。まぁ、楽しく飲めればそれでいいか。
「「「乾杯!」」」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「弓削くん! お酒、美味しいね!」
「はい。美味しいですね」
――そして飲み始めて1時間ちょっと。
俺はほろ酔い、村田本部長は顔に出ていないので何とも言えないが、恐らくほとんど酔っておらず。
瀬能先輩が最初に出来上がりつつあった。……そりゃ初めから日本酒を頼んでたらこうなるわな。
俺の隣で軽く身体を左右にふらつかせながら、嬉しそうに微笑んでいる瀬能先輩。
そんな姿を俺と村田本部長が眺めながら話を振るというスタイルで、瀬能先輩は徳利をどんどん空にしていく。
「それにしてもいつ村田さんだと気付いたんですか?」
「……んー? 弓削くんが今朝言った! ……村田さんと会いに行ってくるって」
「あららー。弓削くん言うとったんね」
「言うとったの! だから途中から気付いたの!」
瀬能先輩が頬を軽く朱に染めながら「言うとったの!」と言っている姿が可愛過ぎて――ビールが止まらねぇ!
どうも俺は瀬能先輩を酒の肴にできるらしい。……先輩は可愛いし酒も美味いし最高だわ。
前を見れば村田本部長も同じ才能があるようで、ジョッキを一気に傾けて「プハァ~!」なんてやっている。
「どこで気付いたんですか?」
「うちも後学んために聞いときたかね」
後学って……村田本部長またやるつもりか? ……警戒しておこう。
「……ホテルにお持ち帰りって言った……お持ち帰りって言ったぁっ!」
思い出したようにそう言った瀬能先輩は「それで福岡連れて行くつもりだったんだぁーっ!」と、涙目になりながら猫がするような毛を逆立てた威嚇を、村田本部長に対して行っていた。
本人はそれで威嚇ができているつもりなのだろうが、残念なことにまるで怖くない。むしろ酔っぱらい的な可愛いさが増しただけだ。
……というか福岡についてどうのこうの言っていたのは、こういうことだったのか。ようやく理解できたぞ。
だけどなんで朝一は「福岡に行っちゃえ!」みたいなことを言われたんだ? 理解はしたけど経緯が分からん。
「うんうん。福岡にお持ち帰りされてしまうんと思って、心配になって今日は駆けつけたちゅう訳ね」
「……でも今朝は福岡に行っちゃえって言ってませんでしたか?」
「そうなん!? それならこんままお持ち帰り――」
「――だめぇぇぇぇぇぇっ!!」
村田本部長の悪乗りに対して瀬能先輩は両手を広げて、ゴールキーパーのように俺を守っている。……やばいな。今までの反動なのか瀬能先輩の可愛さが爆発している気がする。
それに俺にはできない瀬能先輩イジリを村田本部長が適度にやってくれているので……何と言うか、ありがとうございます!! という感じだ。……この可愛い姿は脳内に刻み込んでおこう!
「ふ~ん。それならなんで福岡行っちゃえなんて言うたと?」
「……だ、だって……弓削くんが……私のこと全然頼ってくれないから」
「――え?」
瀬能先輩が潤んだ瞳で俺のことを見つめてきた。
……俺が頼ってないから? どういうことだ?
「あぁ、そげなことね。管理職あるあるやなぁ~」
「……どういうことですか?」
瀬能先輩に向かって聞き返してみるも、今度はプイッと明後日の方向に顔を向けてしまい会話にならない。
そんな状況を見かねてか村田本部長が助け舟を出してくれた。
「瀬能ちゃん、ここで拗ねよったらいかんやろ? ちゃんと言葉にせんと伝わらんよ? 弓削くんもそれで困っとーみたいやけ」
「……ん」
コクリと頷いた瀬能先輩は俺に向き直って口を開いた。
瀬能先輩の纏う空気が急に変わったためか、個室内が静寂に包まれる。
俺も雰囲気につられてなんとなしに姿勢を正した。
「……弓削くんはひとりでどんどん仕事をしちゃうでしょう?
それ自体はすっごく良いことなのよ?
……でも、私は弓削くんにいっぱい頼ってほしかった。
……それなのに村田さんのことは頼ろうとしたでしょう?
だから自分でも抑えられなくなって――福岡行っちゃえって言ったの。
……ワガママ言ってるのは分かってる。
自分勝手だって充分理解はしているの。
でもね……。
それでもね……。
私は弓削くんに――頼ってほしいの。
ほんのちっぽけで、些細なことでもいい。
私はあなたと一緒に仕事を成し遂げたい。
時には壁にぶつかってふたりで悩みたい。
それを乗り越えられたらふたりで喜びを分かち合いたい。
もしもダメだった時は、落ち込むあなたを元気付けたい。
――課長としてではなく、弓削くんのいち先輩として、一番近くであなたと仕事がしたい。
――こんなワガママな先輩だけど……これからはもっといっぱい頼ってもらえると嬉しい……」
――知らなかった。
瀬能先輩がこんなことを思っていたなんて微塵も理解していなかった。
……俺は1日でも早く瀬能先輩に追い付きたくて、自分でできることは無理にでもやっていたし、仕事の邪魔をしたくない一心で、話し掛けるのも最小限で済むようにしていた。
だが、それは俺の自分勝手だったということだ。
本来であれば上司に報告し連絡を行い相談するべきなのだ。
俺は焦るあまりそんな基本的なことを満足に行えず、あまつさえ瀬能先輩に心配を掛けてしまった。
……優しい瀬能先輩は「私のワガママで頼ってほしい」なんて庇ってくれているが、こればかりはどう考えても俺のミスだった。
「俺の方こそすみませんでした! これからは独断専行しないよう必ずご相談させていただきます!」
「……うん! だから――先輩の私には何でも相談してね?」
「はい! これからもよろしくお願いします! ――課長!」
……よかった。これで明日からは今まで通り――、
「だめっ!!」
「「え!?」」
思わず俺と村田本部長の驚愕が重なった。
綺麗に解決する流れだったのに、突如瀬能先輩がいじけたようにそっぽを向いてしまったからだ。
その仕草に俺はピンとくるものがあった。
……これだ! ここ最近瀬能先輩が俺に対してやるやつは!
いくら待っても瀬能先輩は明後日の方向を見たまま口を開かないので、俺から話し掛けた。これも部下がすべき報連相のうちの立派な相談だろう。
「何がダメなんでしょうか?」
「………… 」
いつぞやの鮭フレークの時のような流れだ。
瀬能先輩が恥ずかしそうにチラチラと俺の方に顔を向けて、様子を窺っている。
「絶対に笑いません」
「……村田さんも?」
「…………………………えぇ」
妙な間があった。……絶対この修羅の笑みさんはよからぬことを考えている気がする。
「私……弓削くんに――課長って呼ばれるのが嫌なの!」
「…………ふふっ♪」
よからぬことではなく普通に空気に耐えられなくなって、笑いを零す村田本部長。
人間「笑うな」と言われると、ちょっとしたことで笑いたくなってしまうものなのだ。大晦日の恒例番組となった、笑ってはならないシリーズ、がいい例だ。
「――わらったぁーっ!? ……ゆげくん!! むらたさんがわらったぁぁぁっ!!」
子供が親に言いつけるように。
力強くビシィッと村田本部長を指差して、泣きそうな顔をしながら俺に訴えかけてくる瀬能先輩。
……いや、俺に言いつけられてもどうしようもないんですが。
……俺は瀬能先輩の保護者なのかな? 酔っぱらっているので介抱者であることは間違いないが。
どうしようもなく困ったので無反応でいたら、忙しそうに俺と村田本部長を交互に見つめて「うそついたのっ! ゆげくんおこって!!」なんて無茶を言ってくるぽんこつ天然酔っぱらい先輩。
「あら? うち――ベッドの上で怒られてしまうんね? 弓削くんホテルは新宿の――」
「――やっぱりおこらないでいいの! ゆげくん、どこにもいかないで!」
もはやただの酔っぱらい先輩が完全におもちゃにされていた。
やっぱり修羅の笑みさんを敵にするのはやめた方がいいと、酔っぱらい先輩のおかげで改めて認識できた。……さすが先輩の鏡。身を挺して教えてくれるなんて、一生ついていきます!
……さて、おふざけはこの辺にして。
一番重要なことを確認しておくか。
「……もしかして最近俺のことを避けてたのって、課長って呼んでいたことが原因ですか?」
「……避けてないよ? ちょっと――拗ねてただけ」
「――よかった。そういうことだったんですね」
「瀬能ちゃんって……ほんに愛らしか子ね~」
瀬能先輩の返答を聞いて心の奥底から安堵してしまい、全身から力が抜けて、ソファー席の背もたれに身を預けた。
ここ1か月の原因不明だった不安事項が綺麗さっぱり解消して、やっと解放された気分だ。
無意識にジョッキをあおって、すっかりぬるくなってしまったビールを飲み干し、すかさず次を注文した。
今日は飲もう! 瀬能先輩の可愛い姿をつまみに、思う存分飲もう!
「よくない! 全然よくない! 先輩って呼んで! じゃないと私これからも末永く拗ねる!!」日本酒ゴクゴク
「さすがに他の皆がいる前ではあれですが……ふたりきりの時で妥協してくれますか? ――先輩」ビールゴクゴク
「うんっ♪ 私は弓削くんの先輩だから、ちゃんと我慢できるもん!」日本酒ゴクゴク
「先輩、ありがとうございます」ビールゴクゴク
「弓削くん、これからもよろしくね?」日本酒ゴクゴク
「こちらこそよろしくお願いします! 先輩!」ビールゴクゴク
「「――かんぱーい!!」」ゴクゴクプハァー
「……付き合う前からバカップルってなんなん? 今日言うん2回目なんやけど――うちもおるっちゃけど?」
――そして俺と瀬能先輩はこの日は仲良く酔いつぶれたのだった。
介抱は最年長の村田本部長が「このバカップル、若かねぇ~」と呟きながら行いました!
さすが大人の女性!(引っ掻き回した張本人なので自業自得)
~レビューのお礼~
はるにゃまん様!
23件目のレビューありがとうございます!
声に出して「はるにゃまん」って言ったら、盛大に噛みました!(笑)
言うの難しい! けど可愛い名前ですね\(^o^)/
>甘ァァァァァァァァァァァァイ!
⇒スピードワゴンの井戸〇さんかな?(笑)
>取り敢えず早くくっ付いてあまあまな日常シーンを見せてくれ!
⇒付き合い始めたふたり~(皆がいるオフィスでこっそり編)~
瀬能先輩「弓削くん少しこちらに来てもらえるかしら?」自席で周囲警戒キョロキョロモード
弓削くん「はい――どうかしましたか?」
瀬能先輩「――どうもしないわ」( ̄^ ̄) ドヤッ!顔先輩
弓削くん「え?」
瀬能先輩「――ただ近くで……あなたの顔が見たくなっただけよ」(`・ω・´)キリッ!顔先輩
弓削くん「……仕事中にこんなことをしていると皆にバレて、俺がイジラれるんですから、自重してください」
瀬能先輩「…… 」(´・ω・`)ショボーン顔先輩
弓削くん「……そんな顔して……お昼になったら一緒にご飯食べるんですから、それまで我慢してください」
瀬能先輩「――うんっ♪ たのしみ!」シャキ━(`・ω・´) ━ン!!顔先輩
見守り隊の皆(それで隠してるつもりか、このバカップル!)
はるにゃまん様「甘ァァァァァァァァァァァァイ!」別部署のオフィスからこっそりのぞいていたはるにゃまん様
見守り隊の皆(……あの叫んでるやつ……胃もたれになって明日死ぬぞ!? 誰かブラックコーヒー差し入れしてやれ!)
そして手違いでMAXコーヒーを差し入れられたはるにゃまん様は、無事胃もたれが悪化して昇天したそうな……めでだしめでたし……はるにゃまん様すみませんでした!<m(__)m>