36 『ついに食べられてしまった弓削くん。安らかに眠れ。アーメン\(^o^)/』
両手でちょこんとおにぎりを持って頬張っていた瀬能先輩が、突如、目を見開いて固まった。
……一体何があったのか。嫌な予感がするのは俺の気のせいだろうか。
瀬能先輩は予測できない行動を平然と行うので、俺はあえて様子見のために静観。
すると今度は深刻そうな顔つきになって。ゆっくりと俺の方に視線を向けてから重々しく口を開いた。
「弓削くん――大変よ!」
「どうしました?」
何やら「大変」とのことだが、俺にはまるでそうは見えない。もぐもぐと鮭おにぎりを嬉しそうに食べるその姿はほのぼのとしているので、眺めているだけで癒される。
そんな光景のどこに「大変」要素があるというのだろうか?
もしや凡人には気が付かない第六感的なもので、何かしらの危機でも感じ取ったのだろうか?
……瀬能先輩のことなので本当に第六感がありそうな気がしてならない。
「たった今、おにぎりの具に到達したのだけれど……昨日食べたものよりも――確かに鮭フレークが美味しくなっているのだけれど? これは一体全体どういうことなのかしら??」
「……へ?」
両手を目一杯伸ばして天高く掲げたおにぎりを、宝物でも見るようなキラキラした瞳で眺めている瀬能先輩。……やめてくれ! その可愛さは俺には致命傷になりかねないので!!
やたらとシリアスな雰囲気を醸し出していたので身構えていたというのに……。
どうやらこの先輩は、本心から鮭が好きらしい。……いや、知ってたけどな。
余程嬉しかったのか、
「この焼き鮭のほぐし身のサイズ感は、昨日のものと比べると1.25倍程度になっているような気がするの。
それにほろほろ感もなのだけれど、ひとつひとつのほぐし具合がふんわりとしていて、舌触りでも楽しめるようになっているのだけれど?
……考えられる点としては、この鮭おにぎりに偶然、良質な鮭フレークが集中したということかしら?
でも、それにしては具材の程度に差が無くて、平均的なものであるようにも感じられるのよね……。
第一にファクトリーオートメーション化された食品工場で、このような偶発的事象は起こりうるのかしら?
もしかして確率収束を考慮すると、一見アトランダムに発生した事象にも思えるのだけれど、実はパターンがあって――」
俺と鮭おにぎりを交互に見ながら、興奮気味に伝えてきた。その首をカッチリキッチリ動かす仕草が何とも可愛らしい&ちょっと面白かった。
鮭おにぎりに対する解説があまりにも長かったので、俺はおにぎりを包んでいたパッケージを確認。すると『新発売』のシールが貼られているではないか。
スマホを取り出して調べてみると、どうも今日からリニューアルして新発売となっていたようだ。
鮭おにぎりのリニューアル内容を紹介している説明書きを見たら『ほぐし身を大きめにカットすることで、口当たりも楽しめます』だの『当社独自のふんわり製法を採用することによって、より美味しくなりました』なんて書いてある。
……それを的確に言い当てる瀬能先輩って、マジで何者なんだろうか?
ワインソムリエならぬ、鮭ソムリエ。ひょっとして利き酒ではなく、利き鮭ができそうだ。割とガチで。
「先輩。その鮭おにぎりなんですけど今日からリニューアルしたみたいで、新発売ってシールが貼ってありますよ」
「……んっ!! ほんとだっ!」
それから俺に鮭フレークについて熱く語った瀬能先輩は、普段よりも更に時間をかけて食べ終えた。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったの……」
「そ、それは……よかった……です」
手を合わせ、余韻に浸るように目を瞑っている瀬能先輩。
一見すると絶世の美女が手を合わせているその姿は、神に祈りを捧げるが如くとても神秘的な光景だった。――ある一点を除けば、だが。
……おにぎりを食べていた際、鮭フレークについて語ることに夢中になってしまったためだろう。
形の良い唇のその横に。
ちょこんと貼りついている一粒の白い煌き。
紛れも無く――ごはん粒だった。
「……弓削くん? どうして笑っているの?」
「……先輩……ついてます……」
「クスクス笑ってるの! ……なんで? どうして??」
ごはん粒を付けたまま、首を右に左に傾げる瀬能先輩。
我慢なんてできる訳がない。
俺は堪えることを早々に諦めて、腹を抱えて笑ってしまった。心の底から笑ってしまったので、目尻に溜まった涙を拭いながら指摘する。
「口の端に……ごはん粒ついてますよ」
「……ん?」
ベッドから立ち上がった瀬能先輩は壁掛けの全身鏡の前に歩いて行き「……ごはん粒、ついてる……」と、慌てるでも恥ずかしがるでもなく、ぼそりと呟いた。
てっきり俺の想像では慌ててごはん粒を取ってから「見ないでっ!」と、恥ずかしがるものだと思っていたので、予想外だった。
俺はそんな反応をしてくれるのだろうと期待して瀬能先輩のことを見ていたので、ふと鏡越しに目が合ってしまった。
瀬能先輩の口端にはごはん粒は未だ健在。そんな状態で目があった瞬間に……ニタリと人の悪い笑みを瀬能先輩が一瞬だけ浮かべたのを、俺は見逃していなかった。
……あぁ。また何か企んでるな……この小悪魔先輩は。
クルリと振り返り。
ちょこちょこと歩いて近づいて来て。
俺が座っているひとり掛けの椅子に腰を下ろそうする瀬能先――、
「――って何してるんですか!? 向かいのベッドに座ってくださいよ!!」
「……残念ながらそれは無理な相談ね。何故ならば私は今、とっても、椅子に座りたい気分なの。だから横に詰めて?」
「それなら俺立ちますよ」
「いいえ。それはダメ。仮とはいえ、この部屋主は私。そして弓削くんは招かれたお客様。だからあなたを立たせることは、神様が許しても私は許してあげない」
ものすごく回りくどい言い方をしているが、要するに「立つのはダメ」ということ。
だからってひとつの椅子にふたりで腰掛けるとか、死にますよ? ……もちろん俺が。
「それなら俺がベッドに座ります」
「えぇ。どうぞ? お客様」
やけに余裕綽々なその態度に疑問符が浮かんだが、結局立ち上がってベッドに座り直した。
「それで先輩はいつまでごはん粒をつけっ――」
「――ごはん粒をつけているのかって?」
言葉を遮ったかと思いきや、次の瞬間には肩と肩が触れ合う零距離に瀬能先輩は腰を下ろした。
ベッドに零距離で座るふたり。……考えるまでもなく完全にアウトだろぉぉぉ!
「なんでこっちに座るんですか!? 椅子に座りたいって言ったじゃないですか!」
「気分が変わったの。ベッドもやっぱり捨てがたいでしょう?」
そう言って俺を立ち上がらせないためなのか、瀬能先輩はごろんと横になって膝の上に頭を乗せてきた。ふわりと舞う甘い芳香に軽いパニックになり。膝上の瀬能先輩をどう扱えばいいのか分からず、俺は固まった。
……瀬能先輩はもしかしたら俺(の理性)を殺るつもりなのかもしれない。
「弓削くん、自分では場所が分からないから、ごはん粒を取ってもらえるかしら?」
いやいや!
さっき鏡でバッチリ確認してたじゃないですか!
だから絶対分かってますよね!?
なんであの時、取らなかったんですか?
まさか確認して満足したんですか?? ……ぽんこつっぷりが爆発したのかな?
俺の手を掴んで自身の顔に誘導する瀬能先輩は表情こそ凛としたものだったが、どこか楽しそうだ。
「……いいですか? 取るだけですからね!?」
「うん。いいよ? ――取るだけで」
瀬能先輩を膝上から転がり下ろす訳にもいかず。俺は諦めて念押しをするだけにとどまった。
これ以上下手に刺激を与えたら却ってマズイことになりそうな空気が、これでもか! と漂っているのだ。
俺は爆発物でも扱うような慎重な手つきで、ごはん粒除去作業に取り掛かる。
利き手である右手の人差し指。俺の中で一番動かし慣れたその指で、瀬能先輩の肌はもちろんのこと、大人の色香を纏う艶めいた唇に触れぬよう、細心の注意を払ってごはん粒を取った。
瀬能先輩に見つめられながらの作業だったので、あまりの緊張感に寿命が縮んだ気さえする。
「……取れました。取れましたよ先輩!」
並々ならぬ集中力で行ったので、ごはん粒が取れた時は謎の達成感が湧き上がった。
「……そう。ありがとうね? ……取れたごはん粒をよく見せてほしいのだけれど?」
「はい、これです」
言われるがまま瀬能先輩の顔の方に人差し指の先端を向けて。
指越しに見えた瀬能先輩の顔は今までにないくらい悪い笑みで。
それに気が付いた時には既に手遅れだった。時すでに遅し。頭の中でそんな言葉が思い浮かんだ。
「―― 」
あろうことか瀬能先輩は俺の人差し指についたごはん粒を――ぱくりと直接食べたのだ。……それも俺の指ごと咥えて、だ……。