23 『……しようも……あな………………き』
「――それじゃあ弓削くん、これからもよろしく頼むよ!」
「はい! こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします! 吉田様」
「あぁ! もちろん瀬能さんもこれからよろしく頼むね!」
「吉田様、今後とも、よろしくお願い、いたします」
時刻は17時を少しばかり回ったところで、なんとか無事に2社目の訪問を終えることができた。
今回訪問した会社は新規に提携を結ばせていただいたので、俺がメインで話をさせてもらった。
1社目のユビノ・ホールディングスで瀬能先輩の対応を全て見ておいたので、大きな不手際や粗相をすることなく、なんとか乗り切ることができたので一安心だ。……といっても適度に瀬能先輩からフォローが入ったのは言うまでも無いだろう。
ちなみに2社目の担当者である吉田さんに急用が入ったとのことだったので、向こうから先に今日は飲みに行けないので申し訳ないと話があった。村田本部長に先約を入れられている我々としては渡りに船の申し出だったので、正直助かった……。
時間もまだ余裕があるので、これから一度博多駅近くのビジネスホテルにチェックインをして、キャリーケースやら仕事関係のものを全て置く手筈になっている。
身軽になってからでないとあのパワフルな村田本部長に付き合うのは大変だ、という瀬能先輩の冷静な判断によるものだ。
「先輩、フォローしていただきありがとうございました。明日の打ち合わせの際には完璧にこなせるよう、先程フォローいただいた部分も注意して臨みたいと思います」
「…………」
横を歩く瀬能先輩に今日のお礼と明日の意気込みを語ってみたが反応が無かった。
顔を向けてみるとキャリーケースを重たそうに引きながら、息を切らしている。……さすがに長時間移動だったので疲れてしまったのだろうか?
俺は特に疲れは感じていなかったので、瀬能先輩のキャリーケースも一緒に運ぼうと再度声を掛けてみた。
「キャリーケース俺が持ちましょうか?」
「…………」
やっぱり返答はなかった。
……おかしい。
鈍感な俺にでも分かるレベルで瀬能先輩がおかしい。
横を歩きながら眺めていて気が付いた。
なんだか瀬能先輩の足取りが普段とは違うのだ。
具体的に何が違うとは断言できないが、いつもならば芯が通ったように美しい姿勢で歩いているはずが、今はどことなく軸がブレているようにも見える。
要するにおぼつかない足取りというやつだ。
「……先輩!」
「……なに?」
いくらか大きめの声を出してようやく瀬能先輩がこちらを見た。
いまいちレスポンスが悪いのはもちろんのこと、サッとその表情を見て察した。
恐らく初対面の人であれば気が付かない程度かもしれないが、凛とした表情がほんの僅かに崩れていたのだ。
一見平時のクールな仮面を被っているが、顔色は悪く微かに震える口元を見てようやく分かった。
……間違いなく瀬能先輩が体調を崩していると。
一体いつから調子が悪かったのか?
なんでもっと早く気が付けなかったんだ?
俺は横にいながら何を見てたんだ!
瀬能先輩を一番近くで見ていたのに……一番濃い時間を過ごしてきたというのに一体何をやっていたのか。
ふたりきりの出張だと勝手に浮かれ、憧れている……慕っている人の変化に気が付けないなんて……ありえないだろ。
自分自身への不甲斐無さ。
肝心な事に気が付けない情け無さ。
こんなことを考えるのは後で自分の気が済むまでやればいい。
今はとにかく瀬能先輩を病院に連れて行くのが先だ。
「ちょっと止まって下さい」
俺は歩みを再開しようとした瀬能先輩の手を優しく掴んで立ち止まらせる。
瞳にはいつものような力強さは無く、どこか焦点の合っていないとろんとした視線をこちらに向けてくるだけで、掴んだ細い指はひんやりと冷たかった。
そこから推測するに比較的高温の発熱状態であることが分かった。
「……ん? どうか、したの?」
瀬能先輩は体調不良を隠そうとしているのか、何事も無いと取り繕うように言葉を口にした。
……だがその言葉すら一息で言い切れていないのだ。
「先輩……今熱どのくらいありそうですか?」
そう口にすると瀬能先輩が少し驚いたように瞬きを数回。
「……ない」
「さすがにそれは通用しませんって」
「……それなら、大丈夫。だから、飲み会、私行かないと……弓削くんが……」
そうきたか。
けれどこれは想定の範囲内だった。
体調不良を隠そうとしている瀬能先輩が素直に言ってくれるとは思っていなかったので、俺は強引に話をまとめにかかる。
今はグズグズしている暇なんてないので、あえて冷たく言う。
「大丈夫かどうかなんて聞いていません。飲み会のことなんて気にしないでください。俺は熱があるかどうかを聞いているんです」
「…………ない」
「――ならば失礼しますね」
以前やったようにあっちむいてほいを仕掛けるでもなく、バツが悪くなってそっぽを向こうとしていた瀬能先輩の額に躊躇なく手のひらを当てた。
……分かり切ってはいたが相当に熱かった。
「な、なにする――」
「――間違いなく熱がありますね」
「ない……ない、もん」
頬を膨らませて怒ったように「ない、から」と言葉を続ける瀬能先輩。
高熱で意識がボーっとしているのか、こんな時になって素の瀬能先輩が前面に出てきたようだ。
ここまで強硬手段で事を運んできたが、最悪このままでは意固地になってしまう気がしたので、一度引くことにした。
……ただ、引くと言っても策あってのものだがな。
「先輩は以前俺に言ってくれましたよね? ……辛かったら頼ってもいいの? と。……今がその状況ですよね? それともそんなにも俺に頼りがいがありませんか?」
過去瀬能先輩自身が口にした言葉を出せば、その一本気な性格から自らの行動を振り返ってくれると踏んでだ。
それと心優しい瀬能先輩だったら、これを言われたら吐露せざるを得ないという状況にした。
ずるいかもしれないし、後で怒られて嫌わられるかもしれないが、そんな心配をする暇があったら今は目の前の瀬能先輩だけを心配していたい。
「―― 」
「はい。自分でもそれは理解してます」
力無く俯いた瀬能先輩が弱々しく零した。
分かってはいたが口にされると若干ショックだ。……落ち込んでる暇なんてないが。
「…… 」
「はい。イジワルを言っている自覚もあります。……ですが、それ以上に瀬能先輩のことを……心配してやっているってことも分かって下さいね?」
さすがに悲しくなったのでセルフフォローを入れた。
……クソダサイのは自分でも充分理解しているので、さすがヘタレビビリ、と罵るだけにしてほしい。
「……わかってるよ? ……だから、ずるいの」
「? それで先輩は今、辛いですか?」
瀬能先輩の言いたいことがイマイチ分からなかったが、一先ずは素直になってくれたのだろうか?
「…… …… 」
「先輩……辛いなら早くそう言ってください! 病院連れて行きますからね! イヤと言っても絶対連れてきますから!」
「……ゆげくん……ありがと……」
それからすぐにタクシーを捕まえて瀬能先輩を乗せた。
その際フラフラと危なっかしいので、ほとんどお姫様抱っこをするような形でタクシーに乗せたら「ゆげくん、あったかぃ、きもちぃ」と、瀬能先輩が呟いていた。
きっと悪寒がしているはずなので、ただ俺の体温が心地好いだけだ、と自分に言い聞かせて心を保った。
「この時間でもやってる一番近い病院までお願いします」
「かしこまりました」
キャリケースをトランクルームへ積み込んでからタクシーはゆっくりと走り出した。
どうも体調が悪い瀬能先輩のことを察してより丁寧な運転を心掛けてくれているようだ。さすがプロである。
「……ゆげくん、ゆげくん」
車内にはBGM代わりに福岡のローカルラジオが流れていたので何となく聞いていたら、横に座る瀬能先輩が俺のスーツの肘あたりを掴んでクイクイと引っ張ってきた。
「どうかしました?」
「……さむいから……くっついても……いい?」
瞳に薄い涙の膜を張って上目遣いにこちらを覗き込む瀬能先輩。
俺はその破壊力抜群の視線を何とか躱し、努めて冷静に返答する。
「それならば俺の上着を羽織りますか?」
こんな状況であれ、くっつくのはマズイ。
いつもより弱々しい瀬能先輩は可愛いし、その上どこか儚くて、つい抱きしめたくなってしまうのだ。
今こんな瀬能先輩相手に暴走することがあればすぐにでもタクシーから飛び降りる覚悟だが、物事に絶対はない。
であればわざわざリスクのある行動をするべきではないだろう。
「……はおる。そのあと、くっつく……くっつきたいの!」
「わかりました」
やけに強い口調で言われてしまったので従うほかなかった。
ここで言い争いをしたあげく瀬能先輩が興奮して熱でも上がったら元も子もない。
スーツを脱いで瀬能先輩に羽織らせてから、固まったまま待機する。
程なくして瀬能先輩がもぞもぞと動き出し、ぴったりと寄り添うように密着してきた。
上着を2枚も着込んでいるはずなのに瀬能先輩の身体はひどく熱かった。
……何やってんだ俺。
また自分のことばかり考えて……しょうもない。
今は瀬能先輩がしたいことをすべてやってあげるべきだ。
「先輩、他に何かあれば遠慮なく言ってくださいね?」
「……ゆげくん――だきしめて?」
「わかりました」
「……んんっ。……あったかくて、あんしんする」
ようやく振り切れた俺は胸元に顔を埋めてきた瀬能先輩を、ガラス細工を扱うようにそっと優しく抱きしめた。
そのままの状態でしばらく経つと瀬能先輩がいつもの天使の寝息を立て始めた。
どうやら体力が消耗していたのと、体温の心地好さで眠りについたようだ。
寝入る直前「……しようも……あな………………き」何か寝言を口にしていたが、途切れ途切れだったので何を言っていたのかは分からなかった。
「…… 」
「……先輩、おやすみなさい」
子守歌代わりのラジオに合わせて、俺は病院に着くまで瀬能先輩の背をぽんぽんと優しく撫で続けた。
~レビューのお礼~
スマッシュホルン様!
18件目のオレハムリデシターレビューありがとうございます!(笑)
まさかスマッシュホルン様の初レビューをいただけるなんて……!
>今も口から砂糖がおべばばば
⇒おべばばば の破壊力!(笑)
こんなの笑うに決まってるじゃないですか!(笑)
ある意味反則ですよ\(^o^)/
~どうしてもおべばばばをスマッシュホルン様に言わせたいだけのSS~(ごめんなさ……おべばばば!)
瀬能先輩「本心タイピング……? 弓削くんこれってなんのことかしら?」(床に落ちてたメモを拾う)
弓削くん「……さ、さぁ? 俺にはちょっとよく分かりませんね」(明後日の方向を見ながら)
瀬能先輩「……そう。――スマッシュホルン先輩はこれが何かお分かりになりますか?」
スマッシュホルン先輩「オ、オレニハワカラナイナー」(カタコト)
瀬能先輩「……本当でしょうか?」モニター画面『あやしい! ぜったいあやしい!』
スマッシュホルン先輩「お、おい! 弓削! 見てないで助けて!?」
弓削くん「……さて仕事しなきゃ」(モニター画面を確認してから見ていないふり)
瀬能先輩「助けてってどういうことでしょうか? ……ねぇ、先輩?」 『わきこちょこちょしたら、はいてくれるかしら?』
スマッシュホルン先輩「わきこちょこちょ!? そんなことされたら吐くどころか…………おべばばばぁぁぁぁっ!?」(口から飛び出すパウダーシュガー)
釣井先輩「……あ、救急ですか? 社内におべばばばと奇声を発する同僚がいるのですがどうすれば……え? もう手遅れ? 何もできない? 了解です」(察し)





