18 『僅かに微笑んだように見えたのは、多分気のせいだろう』
私のデスクの対面の同僚と真横の同僚が同時期にインフルにかかりました……。
1シーズンで2回目のインフルとか罹患しないですよね……?
機内に乗り込む瀬能先輩の足取りは重く、顔色はいつも以上に白くなっていた。ここまでくると怖いというレベルではなく、もはや体調不良になっているような気さえする……。
チケットの関係上、俺が通路側で瀬能先輩が窓側といった配置だった。
既にグロッキーな瀬能先輩のビジネスバッグを受け取って、荷物棚に俺のものとあわせてしまう。
「弓削くん、ありがとう」
椅子に座った瀬能先輩は背もたれに寄り掛かることなく、すぐにシートベルトを装着して背筋をピーンと伸ばし、いつでも立ち上がれるような体勢で俺のことを見上げていた。
見ているこっちが疲れてしまうような姿勢だ。例えるならば面接の時に座るお行儀の良い姿勢というやつだ。……もしやこの体勢のまま瀬能先輩は微動だにしないつもりなのか?
……まさかな。
「降りる時も俺が取るので気にしないでください」
「……えぇ」
そう言うと瀬能先輩はスマホを取り出して機内モードに切替、何かを熱心に眺め始めた。
横から覗くのも失礼かと考えて俺も席に着く。
試しに瀬能先輩と同じ面接姿勢をしてみたら1分程で疲れてしまったので、早々に諦めて背もたれに身を預けた。
俺に与えられた特別任務はフライト中の2時間弱、瀬能先輩の気を紛らわすことだと勝手に解釈している。
ならばこの状態で俺はどうするべきなのか考えてみる。
①緊張しないようにひたすら会話をしてはどうか?
……それはさすがに迷惑だろう。そもそもそんなに長く会話が続くのかも怪しい。
なので却下だ。
②ならば逆に俺が黙っているのはどうだろうか?
……これは考えるまでも無くなしだな。任務放棄に当たるだろう。
……結局喋るか黙るかの両極端な2択しか思いつかなかったので、ひとまず瀬能先輩の様子を探ることにした。
横を見ると瀬能先輩が変わらぬ姿勢のまま、スマホの画面に集中しながら微動だにしていない。
俺もそんな様を見守りながら眺めていたら、不意に顔を上げた瀬能先輩がスーツの肘の部分をクイクイと引っ張ってきた。
「……弓削くん弓削くん」
「どうかしました?」
「……どう?」
スマホの画面を俺に向けた瀬能先輩はどこか誇らしげに口角を上げた。
見れば先程展望デッキで撮った写真が映し出されていた。
画面の中の瀬能先輩は柔らかく微笑みながら俺の肩に頭を乗せて寄り添っている。
今更だがまじまじと写真を見ていると……俺の表情が緩み切っていて好意が全く隠せていなくて絶望した。
正直こんな状況下で真顔を維持できるやつは表情筋が死んでいると思うが、これはさすがにマズい。100人中99人が俺の好意に気が付くレベルの緩みっぷりだ。
……まぁ、それ以上に恥ずかしさが上回ったけどな。
「よ、よく撮れてますね」
……主に俺のデレ顔が……。
「そうでしょう? これもどうかしら?」
「いいと思います」
それから何枚も俺のデレ顔を見させられた。
瀬能先輩の可愛さ有り余って神々しいまである姿が映っていなかったら、俺は発狂していたことだろう……。
『――皆様おはようございます。本日は――』
ふたりで写真を見ていたら機内アナウンスが流れ、それを聞いた途端、瀬能先輩がビクリと跳ねた。
顔を見れば唇があわあわと揺れていて「この世の終わり!」とでも言いたげな悲しみに満ちた表情で、縋るような瞳を俺に向けてきた。
『――ただ今より、非常用設備についてご案内いたします。安全のしおりがシートポケットに入っておりますので――』
「――もうだめ! こわい!」
「せ、先輩!?」
飛行機が滑走路に向けて動き出したことがとどめを刺したのか、プルプルと小刻みに震えていた瀬能先輩が俺の胸元に勢い良く飛び込んできた。
下半身がシートベルトで押さえられているのでなんとか上半身だけの接触で済んでいるが、勢いから察するに何も無かったら恐らく瀬能先輩は俺の膝の上に座るつもりだったんじゃないかと思う……、
「し、シートベルト……とれない! ……弓削くんのとこ、いけないっ!」
あ……マジで俺のところに来るつもりだったらしい。
今来られたら俺もパニックになって死ぬ。
間違いなく理性も吹き飛んで死ぬ。
焦ったような手付きでシートベルトをカチャカチャと外そうとする瀬能先輩の手を両手でそっと包み込み、目を合わせてから落ち着いた声音を心がけて話す。
気分は子供をあやす親の気分だ。……と言っても子供はいないのであくまで気分である。
「先輩落ち着いて下さい。大丈夫です。俺は隣にいますから安心して下さい」
いつもの冷静沈着な瀬能先輩からは想像も出来ない弱々しい姿。
こんな現状で思うのもあれだが……心の底から可愛らしいと思ってしまった。
「……や、やだぁ! 弓削くん、ぎゅってして……だっこしてっ!」
顔を上げて目尻に涙を溜めながら懇願してくる瀬能先輩。
様子から察するにかなり真剣に言っていることはすぐに分かった。
……だからと言ってさすがに機内で瀬能先輩を抱きしめるのはどうかと思い至り、ギリギリで踏み止まった。
「あの……抱きしめることはできないので、代わりに何かしてあげられることはありますか?」
「……ないぃぃっ――」
『――皆様にご案内いたします。この飛行機は間もなく離陸いたします。シートベルトをもう一度お確かめ下さい。また座席の背もたれ、テーブル、足置きを元の位置にお戻し下さい――』
瀬能先輩が半べそ状態で顔を左右に振っていたところで、再度アナウンスが入った。瀬能先輩にはそれが死刑宣告に聞こえているみたいで、不意に無表情になったかと思いきや「……弓削くんがだっこしてくれなかったから、地縛霊になる」と、訳の分からないことを言っていた。
「先輩。加速のGがあるので背もたれに身体を付けておいた方が良いですよ?」
「た、戦う!」
いや「戦う」って瀬能先輩は一体何を目指しているのか……。
恐怖のあまり瀬能先輩が重力加速度に勝負を挑み始めたので、いい加減躊躇している場合ではないようだ。
「とりあえず一旦離れてください。抱き着いている方が危ないので」
「……でも、こわいの。弓削くん……隣にいる? 絶対、いる?」
「絶対にいますから安心してください」
「分かった」
恐る恐る瀬能先輩が俺から離れていったが、やっぱり怖いのか唇を尖らせながらこっちを見ている。
……そんな「助けて!」と訴えかけてくる視線は反則だった。
俺に今できる最善は何か?
瀬能先輩を安心させられる行動は何か?
離陸が迫る中、頭をフル回転させてひとつの結論を出した。
実行するにはやはり恥ずかしさがあったが、己の心を殺して瀬能先輩のためだと言い聞かせ実行に移す。
「……これでどうですか? 少しは安心できますか?」
瀬能先輩の握り拳に手を重ね、その緊張を解きながら互いの五指と五指を絡める。瀬能先輩の手は全体的にひんやりと冷たく、かなり緊張していることが分かった。
俺から瀬能先輩に恋人繋ぎをするのは初めてだったので、少しぎこちない繋ぎになってしまったかもしれない。
やりすぎたか? とひとり落ち込み気味で反省していたら、瀬能先輩が俺の指をギュッと握り返してきた。
見れば繋いだ手を驚いたように見つめている瀬能先輩。
それからしばらくの間俺の手の感触を確かめるように、にぎにぎと指を動かしていた。
一先ずは落ち着いてくれたのだろうか?
「……はじめ……こんな……ずる……」
突如暗号めいた言葉を途切れ途切れに発した瀬能先輩が顔を上げて……、
「――弓削くん―――――」
「すみません! よく聞こえませんでした!」
何か言っていたのだが、そのタイミングで飛行機がスタンディングテイクオフを開始し、ジェットエンジンの轟音に掻き消されて後半は何も聞き取れなかった。
……いよいよ離陸の時だ。
「先輩! 背もたれに身体をつけてください! 怖かったら俺の手を思いっきり握ってくれていいので!」
しっかりと聞こえるように瀬能先輩の耳元に顔を近づけて、少し大きめの声で喋る。
すると瀬能先輩がくすぐったそうに肩を上げてから、花が咲いたように爽やかな笑みを顔一面に浮かべてから頷いた。
「えぇ。お言葉に甘えて、思い切り握るから……離さないでね? 絶対よ?」
今度は瀬能先輩が俺の耳元で声を張り、宣言通り俺の手を強く握りながらおずおずと背もたれに身を預けていった。
俺もその姿を見届けてから座席に深く座り直す。
多少は瀬能先輩の恐怖を緩和することができたのだろうか?
それから飛行機は加速を始め、あっという間に飛び立った。
気になって何度か横を確認したら瀬能先輩は目を瞑って口をへの字にしながら「うぅ 」と、恐怖に耐えていた。……瀬能先輩としては癪かもしれないがただ可愛いだけだった。
『――皆様、ただいまシートベルト着用のサインが消えましたが、突然揺れることがございます。皆様の安全のため座席では――』
無事離陸が行われたことを告げるアナウンスが流れたので、そろそろ手を離そうかと瀬能先輩の方を見たら、やはり目を瞑ったまま微動だにしていなかった。
「……先輩?」
「…………」
声を掛けてみるも反応は無く……もしや恐怖のあまり気絶してしまったのか? と、割と本気で考えながら耳を傾けてみる。
すると聞こえてきたのはいつもの「…… 」といった天使のような寝息だった。
どうやら疲れ切って眠ってしまったようだ。
きっと朝が早かったというのもあるのだろう。
起きていたら色々と気を張り詰めて疲れてしまうであろうことは目に見えていたので、ゆっくりと寝かせてあげようと指を解こうとすると……それを察したように深く絡められる。
こっそりと外そうとしても、手際良く外そうとしても、あと少しの所でやっぱり握り込まれる。
……挙句の果てには、こてん、と音がしそうな動きで傾いてきて、俺の肩を枕代わりにしてくる瀬能先輩。
その仕種が可愛いのなんのって。
――思わず息を止めてしまった。
――じっくりと眺め過ぎてその美貌に昇天しかけた。
間近にとんでもない美人がいるこの感覚は一生慣れることが無いだろう。
「お客様、ブランケットはご使用になられますか?」
「ありがとうございます」
瀬能先輩の枕としての特別任務をこなしていたら、CAさんが微笑ましいものを見るような視線を横に向けてから、ブランケットを渡してくれた。
それを受け取って夢の世界へと羽ばたいている瀬能先輩へそっと掛ける。
……全く人の気も知らないでこの先輩は……。
掛けたついでに瀬能先輩の頭をぽんぽんと軽く撫でておく。
このくらいの役得は許してもらえるだろう。
――そして俺も眠ろうと瞼を閉じようとした視界の端で、瀬能先輩が僅かに微笑んだように見えたのは、多分気のせいだろう。
~レビューのお礼~
Chell様!
14件目のレビューありがとうございます!
初レビューでしかも別作品まで宣伝してくれるんですか!?
そんなに褒めてくださっても飴ちゃんくらいしか出ませんよ!? (´っ・ω・)っ飴ちゃん
>やっぱり識原さんの作品が大好きなのでお気に入りユーザー登録とブックマークしておきます!
>やっぱり識原さんの作品が大好きなのでお気に入りユーザー登録とブックマークしておきます!
⇒大事なことなので2度引用させていただきました(笑)
……私、嬉死するかもしれません……!
ダイイングメッセージには『犯人は……チェ……』と書いておきますね!
「……糖……分……」_(꒪ཀ꒪」∠)_こんな顔で地面にorzしているChell様
「…………ん!」そんな様子を眺めていた瀬能先輩が何か思いついたように目を見開く
「……お~い瀬能ここの資料なんだ――何してんだお前ら!?」用があってやってきた釣井先輩
「……鮭……分……」_(꒪ཀ꒪」∠)_こんな顔をしながらChell様の横でorzしてる瀬能先輩
「……糖……分……」_(꒪ཀ꒪」∠)_そして未だにorzしているChell様
「………………え、塩……分……」空気を読んで_(꒪ཀ꒪」∠)_この顔をしながらorzする釣井先輩だった
_(꒪ཀ꒪」∠)_ これ好き(笑)