12 『~10まんボルトと鮭・ライムと、時々、ピニャ・コラーダ~』
時間にしたら一体何分だったのか。
感覚としては恐らく3分間くらい瀬能先輩にされるがままの状態が続いた。
俺としては精神的地獄以外のなにものでもない時間だったが、それも突然終わりを迎えた。
「――うぅぅぅっ!?」
今までのほほんとした穏やかな笑みで俺の頭やら髪を撫でていた瀬能先輩が、ビクリと身体を揺らしたかと思ったら急に背筋をピーンと伸ばして固まった。
視線はどこか遠くの方に向けられ顔からは、のほほんとした表情がログアウトしていった。
どうしたんだ?
何かまずいことでもあったのか?
瀬能先輩に「私の気が済むまで弓削くんは動くの禁止!」と言われている以上、俺は何もすることができない。
ただ、声を掛けるくらいは許されるだろうと考えて瀬能先輩に問い掛ける。
「あの、先輩? どうかしたんですか?」
「……弓削くん、人にいじわるをすると……天罰が下るって知ってた?」
「人を呪わば穴二つ、みたいなことですか?」
無言でコクリと頷いた瀬能先輩。
絶望の色が漂う顔つきで冷静沈着とはまた違った真顔を湛えている。
「そろそろ皆の所に戻りませんか?」
「えぇ……そうね。弓削くん、ゆっくり慎重に起き上がってもらえるかしら?」
「分かりました」
言われた通り細心の注意を払って起き上がり、手を付こうとしたところで瀬能先輩の膝あたりに指が当たってしまった。
ほんのわずかに当たっただけだというのに、瀬能先輩の反応は劇的なものだった。
「――むうぅぅっ!? 電気!! ……電気がビリビリで足がジンジンで痛いっ!!」
「せ、先輩!?」
ぷるぷると小刻みに揺れている瀬能先輩は涙目になりながら「10まんボルト……」と静かに呟いている。
これあれだ。
俺に膝枕をしてくれた結果……足が痺れてマズイことになってるパターンだ。
……これは仕返しをしろ! という神のお告げなのか?
いや、俺のことを介抱してくれた人に対してそんなことしていい訳がない。
「先輩、立てますか?」
なので言葉だけで仕返ししてみた。
十中八九立てないことは理解している。
さて、瀬能先輩はどんな反応をするのか?
案外冷静に「立てない」と言いそうな気もするが……、
「た、たてないぃぃ!!」
なんて予想していたら、気の抜けるような悲鳴にも似た声を上げながら、涙目のまま俺の手を掴んで立とうとジタバタする瀬能先輩。
「無理に立たないで大丈夫ですから、痺れが治まるまで待ちましょう」
「……先に行かない?」
「行きませんよ」
「……一緒にいてくれる?」
「もちろんです。そもそも俺が迷惑かけたんですから先輩は気にしないで下さい」
「うん」
未だに俺がひとりで先に行ってしまうのかと警戒しているのか、つないだ手を離さない瀬能先輩。
そんな瀬能先輩を安心させるために俺は隣に腰を下ろして話し掛けた。
何かしていないと今までとは違った意味の緊張で押しつぶされそうになったからだ。
「俺どれくらい眠ってました?」
「そうね……20分くらいかしら?」
「そんな寝てたんですか……申し訳ないです」
「それを言ったら私のためにビールを飲んでくれたのだから、弓削くんは何も気にする必要はないわ」
そう言ってすぐに俺を庇おうとする優しい瀬能先輩。
瀬能先輩に無理をしてもらいたくなくて勝手に飲んだのは俺なんだから、やっぱり悪いのはこっちだ。
それにそもそも酔い潰れている時点で自己管理が出来ていない。
どう考えても俺が100%悪い。
……だがここでそれを言っても瀬能先輩は引かないだろう。
もしかしたら「膝枕は私がやりたくて勝手にした」と反論してきそうな気がする。
だから俺は瀬能先輩に甘えた。
どうしようもなくダサい選択肢かもしれないが、こんなことで瀬能先輩とぶつかりたくはない。
ただの憧れを明確に超えてしまった今、俺は瀬能先輩に嫌われてしまうことが一番怖いのだ。ヘタレでビビリ過ぎんだろ俺……。
「だったらおあいこってことにしませんか?」
「……そうね。私も弓削くんもどっちもどっちってことでこの話しはお終い」
「俺達ふたりしてなにしてるんですかね?」
「楽しいから……私は結構好き。……そろそろ歩けそうだから弓削くん、エスコートしてくれるかしら?」
「喜んで」
瀬能先輩の一言に嬉しくなって、つい素で返事をしてしまったがこれくらいならば問題ないだろう。
そして俺達は個室の手前まで手を繋いだまま戻ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「今日は色々あって楽しかったよ。それじゃあ皆お疲れ様! よい週末を!」
店を出てあの長い『アクアチューブトンネル』を抜けたところで、恵比寿課長の一言で解散となった。
ちなみに恵比寿課長と数人はこれから〆のラーメンを食べに行くとのこと。
「よし! お前ら2次会行くぞ~! 俺についてこい!」
「釣井先輩あざーっす! ゴチになりま~す!」
「釣井先輩ウチに釣り対決で負けたんですから、おごって下さいね? 2次会はアイスが美味しい居酒屋でお願いしまーす!」
「それなら俺もヒラメ釣って金額では勝ったんでごちそうになります! 俺は焼き鳥が美味い居酒屋がいいです!」
「ふざけんなお前ら! 好き勝手言いやがって…………仕方ねぇ! 俺のおごりだ! 好きなだけ飲んで食え!」
釣井先輩達の6人グループはこれから2軒目に向かうようだ。
そんな中、俺と瀬能先輩はふたりでどうするか相談していた。
「一度解散したフリをして、駅で落ち合いましょう?」
「はい。では駅でまた会いましょう」
「お~い! 弓削と瀬能は飲みに行くか?」
釣井先輩に声を掛けられたので瀬能先輩とアイコンタクトをしてから返事をしようとしたところで……、
「あっ、いや、やっぱいいわ! お前らのことまで奢る金ないし、胃もたれしそうだからふたりで飲みに行ってくれ」
勝手に自己完結した釣井先輩が俺達に手を振って歩いて行ってしまった。
周りにいた先輩達も、
「師弟関係なんだからふたりで飲みに行ってくるんだよー?」
「弓削くんちゃんと潰れないように頑張ってね!」
「月曜日が楽しみ。おやすみなさいおふたりさん」
「教育係の先輩と後輩は一蓮托生だからな。ふたりして潰れるなよ?」
「瀬能、ちゃんと弓削の愚痴聞いてやれよ? それじゃお疲れさん」
俺達に一言ずつ声を掛けてからそのまま行ってしまった。
もはや解散するフリも必要なくなった。
ポツンと取り残された俺達は顔を見あってからどちらともなく言った。
「「行きましょうか」」と。
それからふたりで繁華街をふらついて瀬能先輩が興味を示した、シュラスコ料理がメインのバルに入った。
通されたのは4人掛けの完全個室。
暖色の少し暗めな照明とウッド調の内装のおかげで、1軒目の明るくてガヤガヤしていた釣り堀居酒屋とは正反対の落ち着いた雰囲気の店内だった。
シュラスコは簡単に言ってしまうとブラジル流のバーベキューとのことで、様々な肉類を鉄串に刺して岩塩をふってじっくりと炭火で焼き上げるものらしい。
意外とさっぱりしていて女性が食べやすいと評判なのだと店員さんに説明された。
1軒目が魚料理だったので丁度良いかもしれない。
「弓削くん何飲む?」
「そうですね……せっかくなのでこのブラジルカクテルのカイピリーニャってやつにしてみます」
「それ結構強いみたいだけど……大丈夫?」
「無理して飲まないので大丈夫ですよ」
「もしまた酔っぱらっちゃっても私がなでなでしてあげる」
冗談っぽく笑みを浮かべた瀬能先輩は「名前が面白いから」という理由で、ピニャ・コラーダというカクテルを注文した。
このバルはカクテルに力を入れているらしく、わざわざ別にメニュー表があったほどだ。
ふたりでカクテルのメニュー表を見ながら、どちらが一番面白いものを探せるかという暇つぶしをしていたら、カクテルとお通しが運ばれてきた。
ちなみに勝者……というか一番面白かったのはカクテルの名前ではなく瀬能先輩だった。
メニュー表に『サケ・ライム』という名前を見つけて「サケ・ライム! 鮭のカクテルがある!」と天然っぷりを発揮したからだ。
瀬能先輩は本気で鮭のカクテルだと思っていたようで、店員さんに「日本酒のカクテルです」と説明され、しょんぼりと落ち込んでいた。……もしかして鮭のカクテルだったら頼む気だったのか? ま、まさかな。
「弓削くん。今日はあなたの愚痴を聞く会だから、思っていることがあったら何でも言ってね?」
「了解です!」
「――乾杯」
そして俺達はグラスを重ね合わせ、ふたりきりの飲み会をスタートさせたのだった。