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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

騎士の幽霊

 これでもう3日目だ。

『パタン、パタン』と扉を開けては閉める音が繰り返し聞こえてくる。初日は羽虫の飛ぶような小さな音だったが、日を追うごとに大きくなってきたのだ。音が鳴り始めるのは夜が深まった頃からで、空が明るくなるとぴたりと止む。

「モンスターだ、モンスターが出た」とピエールは怯えた声で叫んだ。すると隣で眠っていた恋人が嫌な表情で起きてきて

「今何時だと思っているの、いい加減にして」と怒鳴った。彼女は温厚な性格だったのだが、毎晩相方が騒ぐせいでとうとう我慢の限界が来たようだ。

「音なんて聞こえないじゃない」そう言って布団をかぶった。

 しかし音はたしかに男の耳に聞こえた。

「ホントにするんだよ、ほら今だって扉を開けてほら閉めた」

「ピエール、あなた疲れているのよ、明日病院に行きましょう」恋人は彼氏に背を向いたまま言った。しかしピエールは汗だくになりながらも話すのを止めない。

「いいや僕は病気なんかじゃ無い。まともだよ。きっとモンスターの仕業だ。間違いない。1匹生き残りがいたんだ。このままじゃみんな殺される」

 小柄な少女が彼に顔を向けた。可愛らしいタレ目には怒りの色があった。

「領主様の安全宣言に異を唱えたりするなら私許さないわよ。もうあれから1ヶ月経つけど何も変わったところなんてないわ。モンスターは全部退治したの、いいわね」まだ幼い少女とは思えない気迫に押されて青年は頷くしかなかった。

 恋人が横になった後、彼は隣の部屋で眠っている兄の事を気にかけた。先月のモンスターとの戦いで大怪我を負った兄はそれからずっと眠ったままなのだ。

 結局、音は一晩中続いた。


 次の日の夜、ピエールはまた扉の音に震えていた。

 昼間、彼は家の中だけでなく外の方も隈無く点検したがおかしな所はどこにも無かった。安心したピエールは睡眠不足を解消するため昼寝をしていたが、扉の音がして飛び上がった。

 しかも、昨日までは深夜からだったのに、今日は日没直後からなのだ。恋人はまだお城から帰って来てはいない。彼は剣を抜いて聖書を読みながら扉に構えた。

 すると開閉の音に混ざって、今度は足音まで加わってしまった。

『ぎいっ、ぎいっ』と腐った床を歩くような音だ。

 もちろん彼の家はまだそんなに古くはない。

 足音はだんだん近づいて来て扉の前で止まった。

 そして、ゆっくり扉を開ける軋む音が部屋中に響いた。

 ピエールは恐怖のあまり目をつぶったが、やがて(まぶた)をゆっくり開いてみた。

 誰もいなかった。

 扉も閉まったままだったが、しかしまた開閉と歩く音が鳴り始めた。ピエールは扉を開けて廊下に出た。

 やはり何もいない。

 念のために、兄の部屋を覗いてみたが彼は眠ったままだった。


 その時、少女が帰って来た。

 彼女は、彼氏が剣を抜いているのを見て驚き尖った声で言った。

「ちょっとピエール危ないじゃない。早く鞘に収めてよ」

 男は言われた通りに剣を片付けてから口を開いた。

「また出たんだ」

「いい加減にして」疲れた表情で言った。

「今度は足音までするんだ。ほらアンヌ君の後ろに」

 ピエールは、音が聞こえてくる彼女の背後に指を指した。

 少女は恐る恐る後ろを見が、しかし何も無かった。

「誰もいないわよ」彼女はぷいっと頬を膨らませて風呂場の方に歩いて行く。ピエールを横切ったアンヌの身体から、微かだが煙草のような香りがした。


「庭の木を伐ったな」朝になって、ようやく意識を取り戻した兄が尋ねた。

「ああ。モンスター騒ぎの後、アンヌが縁起が悪いってんで」弟が答えた。恋人は既に出掛けている。

「とんでもない事をしてくれたな」窓の外の、木が立っていた場所を見ていた兄が不機嫌そうに呟いく。

「なんかヤバイのか?」弟は嫌な予感がしてきて呼吸が荒くなった。

「最近、物音がするだろ? 扉とか足音とか?」顔面蒼白になっていく弟に、呆れた表情で兄は声を小さくして続ける。

「あの木の下に騎士の死体が埋まってんだよ」弟は倒れそうになったが、なんとか踏み止まった。兄は指で『こっちに来い』と合図を送ったので従うと、彼は片手で口を隠しながら耳元で(ささや)いた。

「絶対誰にも言うなよ」弟は頷いた。

「昔、お前がまだ小さかった頃にな、モンスターが村を襲ったんだよ。んでたまたま通りかかった旅の騎士がモンスターを退治してくれたのさ。それなのによう、俺達のバカ親らときたら。村の恩人だっていうのに、騎士が持ってた金に目が眩んで背後から襲いやがったんだ。でけぇハンマーで頭叩き割ってよう。そんであの木の所に死体隠したんだ」弟は汗を掻き続けながら聞いていた。

「それから暫くしてからだよ、扉をパタンパタン閉める音がしだしたのは」弟は身体が震えだした。

「何日かしたら今度は足音が加わってよう。次は鎧の金属音、剣を振り回す音、壁を叩く音、どんどん五月蝿くなっていきやがる」弟はキョロキョロと目を回していた。

「そしたらある日、目の前に死んだ筈の騎士が現れてな。脳みそと目ん玉飛び出して、血で真っ赤な顔で『ニター』って笑うんだ。そしたら親父もお袋も泡吹いて死んじまったんだ」弟は白眼で鼻水を垂らしていた。

「いいか、殺しの事は絶対誰にも言うなよ。もしお偉方に知れたら俺達も無事じゃすまねえ」兄は一旦喋るのを止め窓の外を見た。「しかしまあ、よく切り株まで掘り起こしてるのにバレなかったよなぁ」兄は、今は土しかない騎士が埋まっている所に目をやった。

「両親が死んだ後はな、幼かった俺達を不憫に思った爺さんが森から聖なる木を運んでくれてそこに植えたんだ。そうしたら幽霊はぴたりと出なくなんたんだよ。だからあの木は伐っちゃいけねえんだ」


「はあ? 森の木を植えるですって?」アンヌは哀れむような目でピエールを見た。

「今は村の復興で人手が足りないの知っているでしょう?」

「でもさ幽霊が出ているんだよ」今も彼の耳には『パタンパタン』と扉の開けたり閉めたりする音と、『ぎいっぎいっ』と歩く音が同時に聞こえてくるが、やはりアンヌには聞こえないらしい。

「あの木にはモンスターの返り血が沢山付いたから、ほっといたら疫病が出てくるのよ」

「でもさぁ、頼むからさぁ」男は食い下がった。

「ねえピエール・・・」少女は冷たい目で男を見上げた。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?()」ピエールは驚きのあまり、身体が震え、上下の歯がカチッカチッ鳴って、目が泳いでしまった。

 その時、

 扉と足にさらに鎧の金属音が聞こえ出してきて、アンヌの背後の廊下から赤黒い影が現れた。

 彼は咄嗟に彼女を守るように抱きしめた。

「ピエール?」

「大丈夫だ。僕が絶対君を守るから」目を(つぶ)ったまま叫んだ。

「ピエール落ち着いて」周りを見渡したアンヌはピエールの顔を優しく撫でた。「よく見て。何もいないわ」穏やかな声で言った。目を開けると確かに誰もいないし、また音も止んでいた。

「ありがとう。それからごめんなさい。仕事が忙しかったせいで最近貴方にキツく当たりすぎていたわ」彼女は頬を赤らめながら、おもむろに言った。「結婚したら子供沢山作って幸せな家庭を築きましょう」彼氏の左薬指をさすりながら口にした。そして、赤い液体の入った瓶を渡してこう言った。「薬だから日が昇ったら飲んで」

 にこやかに笑うアンヌから漂ってくる煙草のような香りは昨夜よりも強くなっているようだった。


「気付れたみたいだな」翌朝、赤い瓶を触りながら兄は衝撃的な事を伝えた。「自白剤だぞ、これ」弟に投げ渡した。受け取った弟は顔面蒼白になっていた。

「後な、お前には言いたくなかったんだが…」兄は辛そうな顔で口にした。「アンヌは浮気してるみたいだ」ピエールは頭の中が真っ白になって後ろに倒れた。兄は仰向けになっている弟に話を続けた。

「城で身分の高い男にでも出合ったんだろ」弟はゆっくり起き上がった。「俺達はもうすぐ捕まって拷問されて異端児として火炙りだ」弟はあぐらをかいて、ベットに座っている兄を見上げていた。「騎士殺しの証拠が見つかったからだろうな、昨日アンヌの奴バカに機嫌良かっただろう」弟は首を縦に一回振った。

「兄さん、僕どうしたらいいんだ?」

「今すぐ逃げろ。国境を越えれば追ってはこれまい」

「兄さんはどうするんだよ?」弟は、一本しかない兄の脚を見た。

「俺の事は気にするな。お前はお前の事だけ考えてりゃいい」

「出来ないよ」弟は怒鳴った。「兄さん置いて行けない。アンヌだってそうだ。彼女を裏切りたくない」弟は泣き出した。「初めてアンヌと出合った時、彼女何て言ったと思う?」兄は黙って聞いていた。「人形みたいな表情で【貴方がわたしのご主人様ですかピエール様。どうぞわたしの事は道具と思って使い捨てて下さい】だってよ。12歳の子供がそんな事いっちゃいけないだろ」弟は立ち上がった。「それが今じゃあ笑ったり泣いたり怒ったりするんだ。僕に対して呼び捨てでタメ口をきいてくるんだ。人間らしくなったんだよ」弟は涙と汗を沢山流していた。「浮気? いいじゃないの。人間浮気ぐらいするでしょ」小声で僕はしないけどと付け加えた。「もうすぐ彼女と結婚するんだ。アンヌを幸せにするんだよ」弟は息を切らしてしまった。

 沈黙を守っていた兄は人形のような無表情になって弟に顔を()()()()

「そんなにあの娘を愛しているのなら」部屋の中が氷のように冷たくなるのを感じた。

「殺してしまえよ」予想外な言葉に弟は目を大きくして兄を見た。兄は()()()()()()()()()()()()()()()


 玄関の扉を開ける音と、「ピエール今すぐお城に来て」というアンヌの声が、遠い世界のように聞こえた。

「な、なんでそんな事を?」ピエールは兄に聞いた。

「殺すんだよ。それが一番の愛情表現だ」

「ピエール昨日渡した魔除けの薬ちゃんと飲んだ? ちょっと煙草臭いけど」アンヌが部屋の前までやって来て、扉を開けた。

「いや流石に殺すのは良くないよ」ピエールは首を横に振った。彼の態度を見て、恋人はすごく驚いた。

「ピエール貴方…」アンヌは青い顔になった。「()()()()()()()()()

「誰って兄さんだよ」

「お兄さん? いやだって貴方のお兄さんは…」アンヌは叫んだ。「()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ちゃんと生きてるよ。ほらアンヌ君の隣に…」少女は口を開いたまま横を見た。

「よし今だ殺れ」兄の声がしたと同時に、ピエールの身体が勝手に動いて、腰に下げてあった剣を抜いてアンヌを斬った。

 幼い悲鳴が出て部屋は血の海になった。

「良いぞもっと殺れ。人間共を全員殺せ」

 その時、ピエールは見た。

 動かなくなった少女の傍らにいる兄はいつの間にか鎧姿になっており、脳と眼球が飛び出ていながら『ニター』と笑っている真っ赤な顔を。

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