池袋の帝王 その6
彼――いや、彼女の事情はよくわかった。
「つまり、今が一番、自由な時間、ということですね」
「……そうなる、な。口惜しいことだが」
この後、年の頃十程度の、この幼女にどれだけのことが出来るのか、想像する。きっと、何もさせてはもらえないだろう。ただ、玉座に着き『ああ』だの『よい』だの、後ろにいる誰かの代弁者になるだけの運命なのだ。最初は、ただのぼんくら皇帝に支配される民の心配をしたが、今はまるで構図が変わってしまっている。望まぬ地位。望まぬ扱い。それを許容しなければならない運命。どれもが、とても――。
バチン!
「にゃ!?」
不意に、頬に衝撃が走った。頬を叩かれたのだ、とい気付いたのは数舜遅れて、椅子から身を乗り出し、右手を上げた涙目のノビラータを目にしたからだ。
「同情などするな!」
顔を真っ赤にして、彼女はそう答える。
「ノ、ノビ様……」
「我は、我はそれでもやらねばならんのだ! 帝国を、臣民を……導かねばならぬ!」
もう彼女の瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。
「わ、我がくじけたら……ママが……いや、亡くなった母上との約束も守れぬ……平和な……誰しもが笑顔で、豊かな食事を取れる……そんな暮らしをさせる、と」
「……申し訳、ございません」
俺は自然と、彼女に礼を取っていた。
少なくとも、彼女は『帝』たろうとしている。逃げてはいない。受け入れて、ただ、どうにかするだけの力がないだけのだ。その心意気だけには、敬意を払わなければ間違っている。俺のしたことは、侮辱以外の何物でもないだろう。
彼女はちょこん、とそのまま椅子に身を沈める。もう、何も言う気力がないように。
そんな彼女に、俺が出来ることは――。
「――小麦粉、というのは不思議なものでしてね」
「……?」
「それを練って、生地にて、焼く。それでパンを作るのに、これだけの種類のまったく味わいの違ったものになります。それは、発酵時間だったり、そうこのクロワッサンのように――補佐を入れるからです」
俺は食べかけのクロワッサンの断面を彼女に示す。
「幾層にも重なり、そのバターの力も相まって、これはこの店の一番人気――『帝』の位まで登り詰めている。そう、貴方がなるべき、者のように」
「――何が言いたい?」
「……このままでは貴方は、誰の色にも染められるその白いパンになってしまう、ということです」
俺がソースを付けて食べた、あの白いパンのように。
「貴方は今すぐ、信頼できる補佐を得て、貴方そのものが『クロワッサン』のように、幾層にもある深みを身に着けた真の皇帝を目指さねばならない、と思います」
「――簡単に言ってくれる」
吐き捨てるように彼女は言う。
「そのような者はもう去った。誰一人――残ってなどいない。ニャー君は我にそこまで口出しはしない。人の祭りごとに関わろうとはしないからな。残っているのは魑魅魍魎の大人だけだ。さあ、どうするというのだ!」
彼女は机を拳で叩き、俺を睨む。そう、状況は詰んでいるのだと、そう言いたげに。
「――ならば、作りましょう」
「は?」
「いないなら、作り出せばいいんです。バターから」
◆
「すっごい、久々に登場した気がしますねえ」
「そういやそうかもな、ドリスコル」
新婚旅行以来かもしれんな。いや、こまめにメールで連絡とっていたから俺的には久々という感じも無いんだが。
俺達は今、屋敷に戻ってきていた。その居間に俺とノビ様、そしてドリスコルが集っている。そしてもう一人――。
「我は与り知らぬが、何者だ?」
「一人称が我で被ると会話が面倒じゃの。技師のダイヤと申す。次期皇帝殿」
ノビ様の疑問に我被りのドワーフ技師、ダイヤが答える。この屋敷の設計や、レイの身体を作ったゴーレム技師でもある。彼女を招集するためにドリスコルに連絡を取り、連れてきて貰ったのだ。
「用件は説明した通りなんだけど、出来そう?」
「ああ、ゴーレムを作ればよいのじゃろ? 簡単なことよ」
「――何をするつもりなのだ?」
「貴方を裏切ることのない、ドラえもん……じゃなかった。側近を作ります」
「……ゴーレムで、か?」
彼女は怪訝な顔をする。まあ、それも当然だろう。
「ゴーレムなら暗殺の心配も無いですし、ずっと貴方の傍にいれます。まあ、貴方の心配はそちらではなくて『中身』なのでしょうけど」
ただの機械、それでは傍にいると言うだけで、何の精神的支えにはならないのではないか? という懸念は最もである。
「中身は……まあ、あとで分かりますよ」
「話はまとまったか? 取り合えず我は仕事に移らせて貰うとしよう」
好みをデザインをダイヤは彼女から聞き出し、すぐに作業に移り始めた。そのまま一日、不眠不休で彼女が作り上げたそれは――うん、まあどこからどう見ても『あいつ』だった。
◆
「――凄いものだな。ドワーフの技術というのは」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
ダイヤ嬢はノビ様の言葉に恭しく頭を下げる。
出来た代物は、幼女形態のニャルラトホテプを少年のような面持ちに変えたものだ。服も従者のような、少年騎士と言えそうな、白い礼服を着せている。それは今壁に立てかけられ、起動を待っている。
「さて、しかし核は入れなくていいという話じゃったが、構わぬのか?」
「ええ、それで構いませんよ。ありがとうございました」
「そうか、それでは我らは行こうかの」
ダイヤ嬢はドリスコルに声を掛ける。
「そうですね。この後結婚式の打ち合わせもあるんでしょう?」
「そうだよ。諸々決めなきゃいけないことがあるからな。ミリアルが家にいるからそっちで待っててくれ」
「了解っす。じゃ、お先に失礼致します。もう戴冠なさるのですからこう呼ばせて頂きます、皇帝陛下」
そう言ってドリスコルは頭を下げ、屋敷を辞した。さて、残された俺達は出来立てのゴーレムに向き直る。
「これは、どうすればよい?」
「まあ待ってましょうよ。そのうち――」
「ふああああああ」
俺が皆まで言う前に、それは起動した。あの軽妙なしゃべり口は、どう見ても――。
「ニャ、ニャー君?」
「やあ、『初めまして』皇帝陛下」
語り口はそのままだが、それは『初めまして』と彼女に言った。
「ニャ、ニャー君じゃ、ないの?」
「うう~ん。そうだと言えばそうだし、そうじゃないと言えば、そうでもない、かな?」
――でも。
「君が望む限り、僕は君の傍で君を支えよう。この姿なら、君を助けることが出来るから、ね」
そう言うと、そのゴーレムは膝をつき、彼女の手を取ったのだった。
あと1話、エピローグを残してます。そして来週の次回予告をお待ちいただけると幸いです。
一週間私が更新せずに何をしていたのか予想してお待ち下さい。正解者はまあ、出ないとは思いますが(笑)




