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昭和の匂いは死の香り その3

「あい、お待ち!」


 目の前に無造作に置かれたラーメンと半チャーハン。しかしその『半』と呼ぶには多すぎるのではないかと思える盛りに男は鼓動が高まるのを感じた。


 ――やはり、肉体は良い。


 心臓の高鳴り、体温の上がり、どれも生きていなければ味わえない。そう、この料理も、だ。


 ラーメンはもうスタンダードなものだった。中華麺、しょうゆ色のスープ、そして浮かぶ脂、メンマ。ざくっと切られたゆでたほうれん草とネギの緑がそれを彩り、チャーシュー

が一枚ちょんとついている。昔よく食べた――醤油ラーメン、その装いをそのまま残している。男は割りばしを取り、さっそくそれを一口啜る。


 ――素晴らしい。


 ちゅるん。ちゅるるるるん。


 味は、決して一流とは程遠いだろう。スープは鶏ガラだろうが、思ったよりもあっさりとしていた。タレも脂もけして多くない。もっと濃い味付けかと思ったが、意外にサラッと食べれてしまう。それが、若干物足りない。しかし――。


 ――物たりない、時は……。


 男は土手っと盛られたチャーハンにレンゲを差し込む。焦げ茶色の色づいた米、それに玉子の黄身が挿す。刻まれた長ネギ、チャーシューも一緒に入っている。それを、一口――。


 もにゅ――。


 香ばしい風味が口の中で広がる。こちらも思ったより薄い味付けだ。それが口に残ったまま、今度はラーメンを一口啜る。


 ずりゅ――。


「――は」


 物足りない――などという思いはもうどこかへと飛び去った。決して一流とは言えない味付け、どこにでもありそうな、しかし今は失われつつある店構え。その中で彼は――『昭和』を見つけた。

 香ばしい焼きめしの風味がラーメンのスープと絡み、一気に口内を彩っていく。こうなるともう――手が止まらない。


「へい、餃子お待ち」


 そのタイミングで彼が欲していたものが追加された。彼は急いで横の調味料からしょうゆ、酢、辣油を混ぜ合わせ即席のたれを作る。そしてそれを付けて、一口齧る。

 一口齧り、どこか――優しい感じの甘さが彼の舌に乗った。その正体は――。


「ニンジン――が入っているのか」

 

 齧った断面から微塵になったオレンジの物体が覗いている。隠し味としてニンジンを刻んで入れているらしい。

 それがニンニクのたっぷり入った餃子に甘みをもたらし、食べやすさを生んでいる。


「と、なれば――」


 かじった餃子を口内に残したまま、男はレンゲでチャーハンを掬う。そして一緒に飲み下す。餃子についたタレ、肉とニンジンの甘み、ニンニクの風味、それがチャーハンに移り込み、さらに味を増していく。その勢いで時々ラーメンを啜り、口内の風味を旨味と共に洗い流す。もう、言葉はいらなかった。彼の手は止まらない。すべてがB級、しかし、これが――彼の求めた『生きている瞬間』だった。


 ガッ ずりゅ! ザクッ ずりゅりゅ ガッガッ ずりゅるるるるる!


 麺、汁、餃子、米、麺、餃子、米、汁――。


 不規則にトライアングルをローテーションする。すべての味の組み合わせを慈しむように。


「ぶっっっっはあああああああああ!」


 すべてを胃袋に収めた時、漸く彼は息を吐いた。


「――美味かった」


 男は満足していた。この店のすべてに。お世辞にも誰かとデートに、などという場所ではない。店から漂う圧倒的なおやじ感がそれを証明している。それでも――ここは良い。学生時代、こういう場所は沢山あった。親父とその嫁さんだけが切り盛りしている町の中華食堂。その懐かしい趣を未だ色濃く残したこの店は、彼の求めるすべてがあった。


「――ごちそうさん」


 このままここにいたら、満足で昇天しかねない。彼はそう思いながら店を出た。外に出れば当時より整備された街並みが彼を出迎える。まるで、自分が異世界に迷い込んだような錯覚を彼は覚える。そして、そんな感想を抱いたこと自体が可笑しくて、彼は笑いをかみ殺しながら歩き出した。


     ◆


「ただいま戻りました」


 藤間玲子――メイドのレイが伸介の自宅の玄関を潜ると、もう主人の靴はそこにある。客を出迎えた後すぐに戻ったのかと思い声を掛けたてみたが、呼びかけに反応はない。


「――お休みでしょうか?」


 声の大きさを落としそう訊ねるが勿論返答はなかった。

 彼女は訝しみながら玄関で靴を脱ぐ。


「ご主人様?」


1Fの居間に足を踏み入れた直後だった。彼女は『とある匂い』をかぎ取る。敏感な、彼女の感覚がそれに気づいた。――懐かしい、匂いに。

 その男は居間の椅子に座り、買って来たらしい新聞を読みながら、粒チョコを食べている。彼女が近付くと男は顔を上げる。


「――お帰り」


「――ご、主人、様」


 彼女の言葉には動揺が見られた。見慣れた顔――そのはずだった。しかし、直感としてわかる。あれは、別の――。


「栄太郎――様」


「すぐわかったよ、玲子や」


 レイス――いや、今は亡き伸介の祖父、藤間栄太郎はそう答えた。

今は大分減った町中華。化学調味料だろうが塩コショウだろうが業務用スープだろうがおかまいなしの現代の流行とはかけ離れたお店。偶に食べたくなりますね。20代の頃はそれこそヘビロテ出来ましたがいまやったら無限に太れるのでNGです(笑)

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