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昭和の匂いは死の香り その2

「ふむ……」


「どうかなされましたか、お客様?」


 中野新橋駅近くのペットも入れるというカフェに、とりあえず男は入ってみた。なれたところよりも、目新しいものを――、それだけの気持ちで入ったのだがこれは失敗だったと言える。なにしろ、メニューからしてチンプンカンプンだったのだ。何を注文したらいいかもわからない。彼の文法の中にわかるような単語がないのだ。そんな彼を見かねて店員が声を掛けたのだが、彼はじっとメニューから目を離さない。


「和食――にしても大分勝手が違う――」


 このメニューに書かれた塩麹とは何だろう? いや、麹は彼にもわかる。しかし、塩麹なんて料理に使ったことはないし、味も想像がつかない。和食の定食ならまだ解読も出来るが、このペペロンチーノだのカルボナーラだのはもはやどんな食べ物だというのか?。


「さらに、この飲み物――」


 コーヒーや紅茶はまだわかる。しかしシナモンだのチャイだのミントライムスカッシュだの、何の呪文だろうかと訝しむ。


「いや、すまん、失礼した」


 そう言って彼はその場を辞す。恐らく食べれるものはあるだろう。美味しい匂いに誘われて入ったのだからきっと味も問題ない。それでも、これは自分の食べるものではない――彼はそう感じていた。


「――違う」


 次に入った中華料理店でも彼は一口出てきたラーメンをすすり、確信する。『これではない』と。一緒に注文したチャーハンに口もつけず、彼はお代だけを置いて店を出た。


 その瞬間だった。


 ――てめ、ふざけんなこら。飯を残すんじゃない!


「む――、まだ動けるのか」


 意識は乗っ取ったはずだが、まだ動けるとはなかなか見た目よりは骨があるらしい。


「中年太り気味のくせに」


 ――一言多いんだよ!


「もう少し、大人しくしとれ。さらばじゃ」


 ――ふがっ……むぎゅう。


 危ない危ない、この男、飯のことになると予想外に魔力が膨れ上がるようだ。念入りに今度こそ封印させてもらう。


 ――て……てめ、ざっけんな……何が目的だ……。


「大人しくしておれ。なあに、ちょっとした観光じゃよ」


 ――嘘……吐け。


「嘘ではないぞ? ワシはな、昔からこうやって、人界を楽しんで居るのだからな。実体がないのだから」


 ――ま、さか。


「そう、俗にいう、霊体じゃよ」


 男の正体はレイス――霊魂が変異しアンデットとなった憑依型のモンスターである。

 どうして彼がこのような姿になったのかというと――まあ、色々あったのだ。今はそれに関しては割愛させていただく。



「こうやって人に憑依しなければ何も楽しめん。飯の味もわからん。だから借りているだけ――正当なことだと思うんじゃがなあ」


 くくく、と男は笑う。もう話しかける相手の声は限りなく小さくなっている。もうすぐ、完全に閉じ込めることも叶うだろう。


 ――返せ。


「ふむ、嫌じゃ」


 ――返、せ、俺は……ミリアルのとこに。


「ほほ、想い人か。なら、それも一緒に味合わせて貰おうかの――」


 ざけんなジジイ!


 やべ!? と彼はいきなり勢いを取り戻した男にびびる。どうやら、こういう冗談は通じないらしい。


 ――く、そ、う、動けねえ……。ぜってえ、そんなこと許さねえ……。


 抵抗する男の様子を伺いながら彼は思うところがあるのか、彼に訊ねた。


「……ふむ、ならワシにピッタリ合う店を見つけて見よ。そうすれば、その娘には手出ししないと誓ってもよいぞ?」


 ――守る気なんてねえだ……ろ。


「そう思うならそれでもよい。だが、他に手があるのか?」


 男は暫し沈黙する。どう答えるのか悩んでいるのか、それとも、もう封印され声もでないのか――。暫しの沈黙ののち、自由を奪われた男は決断した。


 ――わかった、あっちだ。


 

 男は中野新橋から鍋横商店街方面を脳内から指し示す。そこに何があるのか――レイスは不安半分、そしてこの乗っ取った男への期待半分でそこへ向かった。


     ◆


「――ここ、か?」


 飯屋の前にはタクシーが一台通り沿いに停めてある。中野十貫坂上の途中、鍋横商店街入口より少し手前にあるその店は、本当によくある『中華料理店』のようにみえた。


「――懐かしいのう。この、見た目」


 男が暖簾を潜るとそこは――そう、『昭和』だった。客層はガテン系のおっさんが多数、それにタクシーの運転手が赤いカウンターに座りたばこを燻らせている。お上品とは程遠い店構え、懐かしの町中華、というやつだった。店主もいかにもな感じのおっさん、その妻らしき恰幅の良いご婦人が一緒に切り盛りしている。


「らっしゃい! カウンターどうぞ!」


頼まれ運ばれた他の客のメニューを横目で確認しながら彼は席に着く。

 どれも――物凄く量が多い。ガッツリ系だ、と彼は思う。そして、ガッツリだが、値段は安い。どれも1000円は超えない。彼は直感する。求めているのは、これだった、と。


 ――これこれ、こういうのだよ。


「はい、何にしますか?」


「ええと――」


 悩ましい。横の客のキクラゲ定食が非常に美味そうである。どっさりと入ったキクラゲと玉子の黄色がとてもうまそうなコントラストを描いていて、たっぷりの飯と中華スープが添えられている。隣に座るタクシーの運転手はそのキクラゲをたっぷりご飯に乗せ、美味そうに掻き込んでいる。それはこちらにまでそのコリッとした歯ごたえが伝わってきそうである。

 

 さらに後ろの席に目をやると、美味そうなレバニラが目に付く。大皿一杯に載せられたレバニラを大工風のおやじが箸で無造作に摘み、口に放り込んでいく。レバニラの茶色、しゃきしゃきとしたもやし、そしてニラの風味、その皿の匂いも味もこちらにまで漂ってくる。

 それはもうすべての席から……まるで全員が、それを食べることが至福であるように、自然と笑みがこぼれている。


「レ――……いや」


 同じものは止めよう。なんとなく、彼は思う。せっかくだから、もっと昭和を堪能したい、と。


「半チャーハンと、ラーメンのセット、それに餃子を」


「はいよ!」


 スタンダードな町中華のメニュー、変わらない味わいをどうしたら一番味わえるか、彼は考えた末そのメニューを注文した。もっとも――ガッつける何かを求めて。

 注文して彼は大人しくその時を待った。そして、それはすぐに運ばれてきた。懐かしい――郷愁の匂いを伴って。

初見でこの店に入った時のB級感は半端なかったです。量的にも女性には決して勧めない、男の店でしょう。

ガッツリ飯がお好みの人向けのお店です。私は好きです。


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