嵐の前の徹夜の夜 前編
「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとうございます、玲子さん」
昼下がりの午後、民泊者を一人見送ってから玲子さんは俺のアパートに戻ってきてお茶を淹れてくれている。彼女が客に対応説明をしっかりしてくれるから俺のほうもすこぶる楽になった。具体的に言えば、創作活動に打ち込む余裕が出た。今俺は机に座り、PCをつけ新作の小説の執筆にとりかかっている。
「調子はいかがですか?」
「良くも悪くもないよ。そもそも、発表するあてもないし」
「え、どうしてですか?」
「単なるストック。そもそも次の小説が出版出来るかも怪しいし、ネットに上げるか、どっか賞でも出すよ」
「そうなのですか。厳しいのですね」
俺の小説の売り上げはすこぶる悪い。悪かったからこそ担当に『ネットでビュー稼いで下さらないと次は無理』と三行半に近いことを言われるのだ。それデビュー前に戻った状態だよね? と思うし、実際そんなもんだろう。だからいろんな小説を書いてはストックしている。ミステリ、恋愛、クライム、文学っぽいもの、等々。特にラノベにこだわっているわけではない。出版出来るなら何でもいい。
この程度の泡沫作家が続けていられるのも、メインの会社員としての収入や、民泊業が順調だからだ。だからはっきり言っていつ筆を折っても俺の生活に問題はない。問題はないが、俺の心に問題がある。
俺は創作したい人間なのだ。生きていくために必要なことは沢山ある。俺が飯にこだわるのもその一つだ。だけど、どれを置いても最後に残るのは、「作りたい」という欲求だけである。兎も角大事なのは、足掻くことだ。作らないなら、何も始まりはしないのだし。
「今日の人はどうだった?」
「ええ、新宿へ向かわれました。ハーフリングの、ご夫妻ですね」
……何か、ピンと来たんだけど。
「それ、アメって名前の子?」
「ええ、よくご存じですね? 一泊二日で新婚旅行だそうです」
ああよかった、会わないで。いや、別に嫌っているとかではない、単に俺が気まずいだけだ。
「大分大きなお腹を抱えておられましたので少し心配ですね」
なるほど、前回の宿泊から考えると多分もう安定期以上に入ってるはずだ。だからこそ新婚旅行をかねてやってきたのだろう。
「何かあったら連絡来るだろ。いつでも準備しておこうか」
「はい、仰せのままに」
「玲子さんさあ、ちょっと硬いな」
「硬い、ですか?」
「うん。もっとフランクに行こうよ。一応二人だけの家族みたいなもんだしさ」
家族、という言葉に彼女の動きが一瞬止まる。
「……嫌だった?」
「……いえ、有難い、と思います」
「うん、というわけでね。まずは呼び方だと思うんだよ。レイちゃん……は年上だからあれか、レイさん、とかどうかな?」
「では、『さん』もお取りください。レイ、で結構です」
「ええ? でもさ……」
「年功序列など別に気にしません。元々家族でいいのでしたら、レイ、で十分でしょう?」
「ん~……わかった。じゃあ俺は伸介で?」
「伸介……いえ、伸介様のままで宜しいでしょうか?」
「え、自分だけずるくない?」
「主従関係は維持した方が宜しいでしょう? 下手に変える方が面倒です。では、以後そのように」
笑顔でそう言われてしまってはなかなか断りづらい。レイちゃん、伸くん、ぐらいがちょうどいいかとも思ってたのだが、流石にやりすぎかもしれない
色々上手くはぐらかされた気がするが、まあ一応少しは前進、したのかな?
「――伸介様」
急に真顔に戻った彼女が俺の瞳を見つめていた。
「な、何だい?」
元々美形に作られたゴーレムだ。顔が近いとちょっとドキっとする。
「――問題が発生したようです。私がこれから向かいます」
彼女の耳につけられた貝殻のイヤリングが赤く輝いている。あれは、緊急通信が入った証拠だ。
そこからは慌ただしかった。アメちゃんが体調を崩したのだ。
――ごめんなさい。そう言って彼女は項垂れて、レイの手で屋敷へと連れ帰られてきた。俺は屋敷で待っていて、レイとアメちゃん、そして旦那を出迎える。
「急に具合が悪くなることは妊婦にはよくあることです。さあ、横になって下さい」
居間の畳にひいた布団に彼女を寝かせ、レイは自身の右手を彼女のお腹に翳し、何事か呪文のようなものを唱える。
「もう大丈夫です。ただし、このまま安静にしていてください」
「ご迷惑を、おかけしました」
旦那であるハーフリングの……ええとなんてったっけ? あ、ビスケットだ。短い赤毛の、精悍そうな若者だ。俺と真逆のスポーツマンタイプである。
彼は深々と礼をする。
「……ごめんな。俺が異世界旅行したいなって言ったから」
「ううん、私も貴方を連れてきたかったの。だから、謝らないで?」
ビスケットは寝ているアメちゃんの傍に跪いて、二人は涙を流してお互いを慰めあう。その光景はちょっと、胸が痛い。
「とはいえ、すぐに帰れるわけじゃないからね。手続き含め、ゆっくりしてくれ」
異世界旅行のスケジュール管理は割と厳しい。一回決まった帰宅日程をずらすのは割と面倒なのだ。扉を出て、ハイ、帰宅、とはならない。向こうの受け入れ準備を整えて初めて動く、飛行機の離着陸のようなものだ。例外としてやってきた吸血鬼親子(子だけだったが)の時は相当帰宅方法で揉めたらしい。結局ドリスコルが調整した、と聞いたが、大分違約金を払ってもらったとにこやかな顔で答えていた。相当ボッたな、あいつ。
「私が軽く診る分にはサービス致しますが、本格的な医療、治療が必要になると別料金になってしまいます。もしもの時は大丈夫ですか?」
レイがそう二人に確認する。そう、外国で産気づいた夫婦が保険適用外でとんでもない金額を請求された、という話をたまに聞くことがある。それはこちらも同じだ。異世界民の治療は当然こちらの保険適用外だし、公的機関を利用するにも問題が多い。だからこそドリスコルが医療チームを一応準備はしている。しているが、金はかかる。もしもの時用だし、使わないで済むなら使わないで済ませたい。
「……アメの安全には替えられません」
そう答えた彼だが、顔には「金がない」としか書いてない。そりゃそうだ。異世界旅行はそれ自体、結構金がかかるのだ。しかもどうも、それだけじゃない気がする。
「……俺、旦那さんにちょっと話があるから、来てもらっていいですかね?」
俺はその場をレイに任せて彼を連れて屋敷の外に出た。
「あの……俺、その」
「……で、いくら使ったんですかね?」
「――え?」
「単刀直入に聞きますよ? 何か贈り物をこっちで買いましたか?」
妻に内緒で、何か買ったのではないか、と俺は彼に訊ねた。
「あ、あの、どうしてそれを?」
「わざわざ身重の新婦を連れてこちらに来るリスク負うなんて、よっぽどの馬鹿か、何か『サプライズ』でも用意してないとやらないですよ。……あなたは見たところ、後者でしょう?」
彼女に対する心配も本物だし、別に蔑ろにしている様子もなかった。多分、若干楽観視していただけだろう。
「――宝石です。その、こちらのカットは美しくて、だからそれを贈ろうと……」
「――なるほど」
だから金がないのだ。彼の先ほどからの微妙な表情の説明はつく。
「――あの、俺……」
「誰も、悪くなんてないですよ。気に病まないことです。だけど……」
――もしもの時は。
俺は言外にその意味を込めて彼の瞳を見つめる。男には、最悪の場合順位をつける必要がある。贈り物なんて、生きていればいくらでも出来る。だけど――。
「――伸介様!」
その時、屋敷の外に聞こえるほどの鋭い声が屋敷から響いた。
実は20万文字分ぐらいの他作品ストックがあります。どこで投稿するか悩み中です。恋愛ものミステリと将棋もののミステリ、あれミステリばかりじゃないか。将棋ものはまだ未完成なのでどこかで時間取って書きたいところ。その間は少しこっちの更新休むかもしれません。その時はそのストックから小説投稿するかもしれず。




