逆襲する気が失せたミリアル~メイン・帰宅・後日譚~
「サーモンとディクセル、ツブ貝のパイ包み焼きと、牛赤身肉のステーキです」
店員がそう言って彼女の前には香ばしい匂いを放つ少し焦げ目のついた握りこぶし程度のパイが置かれた。
「……先に、頂きましょう。料理は冷めたら美味しくありませんから」
無言で俯く彼女に伸介はそう促す。
「ええ……」
「先に謝っておきます。その、サーモンで前菜と被ってしまって」
「え、ああ……」
「でも、味の違いを知って欲しかったのです。同じ食材でも、調理が違えば別物になると、まあ、お嫌でしたら私のと交換しましょう」
彼女は沈んだ気持ちを落ち着けるようにゆっくりとフォークをパイに入れる。
サク……。
瞬間、香気がサーモンの脂と共にあふれ出る。
彼女の沈んだ気持ちは――立ち昇る匂いと共に再び浮き上がった。
少し目算を誤り大ぶりに切り分けてしまったそれを、彼女は口にそのまま放り込む。
サクッ――じゅぉ……。
サクサク生地が口の中で解け、熱を持ったサーモンが踊り、デュクセル――バターで玉ねぎやマッシュルームを炒め水分を飛ばした代物が、その脂と旨味を纏い、口の中で洪水のような旨味を与える。
「――」
本当に美味しいものを食べると人は無言になるという。それからしばらく、二人の間に会話はなく、ただ、ナイフとフォークの音が響くのみだった。
「美味しい――です」
後一口だけ残ったパイ包み焼きを見つめながら彼女はそう言った。
「よかった」
彼女が隣にいる彼のほうを見ると、彼の皿にも一口大のステーキが残っている。
「交換、しますか?」
「……はい」
まるで指輪交換をするカップルのように――二人は恭しく皿を入れ替えた。
――獣肉――だけど。
大丈夫だ、と彼女は思った。幾度か肉を口にしたおかげか、エルフの草食習慣からの抵抗感ももうほぼない。それに――。
彼女はフォークで綺麗なピンク色の断面をした肉と、上に掛った白いソースを共に口に入れる。
ほろり、とそれは口の中で溶けた。柔らかい――マットな触感が彼女の舌で遊び、数回噛んだだけで、喉へと落ちていく。白いソースに含まれたオニオンの香気と刺激が食欲を掻きたてつつ、肉を奥へと流し込む。焼かれた表面が綺麗に肉汁を閉じ込め、それでいて柔らかく仕上がっている中身――。肉の旨味を最大限に発揮し、かつソースがその旨味を倍化させている。
「――本当に、美味しい」
「パイ包みも――絶品ですねえ」
二人とも笑顔でそう頷き合う。
「あの……」
「はい?」
「1000円台なんて、嘘でしょう?」
彼女は悪気なくそう訊ねた。明らかに――そういう味ではなかったからだ。きっと彼は嘘をついて自分を高い店に連れてきたのだ、と。
「1600円ですかね。昔は1300円だったんですけど、材料費が上がったから値上げせざるを得ないって言ってました」
彼女は思わず目を見開いた。それほど、彼女の満足感と値段との開きがあったからだ。
「とはいえランチだけですよ? 夜は少し上がりますから。でもランチだけならどこよりもコスパが良いと思います」
そんなことを話しているうちに二人の元に珈琲が運ばれてきた。
「あ、でもデザートは別料金なので、欲しければ2000円超えちゃいますね。どうしますか?」
彼女は少しだけ考えて、顔を赤らめて彼に告げた。
「みたらし団子が――食べたいです」
◆
幡ヶ谷へ戻るタクシーの車中で、ミリアルは伸介に訊ねた。
「どうして――一流だと喜べないの?」
「え、ああ、それは本当のところは分かりませんよ。一流だ、と言われた方が喜ぶかもしれませんし。でも、元々あそこの店は、一流だったんですよ。大きさだけなら」
「え?」
「もっと大きな店だったんですよ。ビルに入っているような……それが、味が落ちたとか、満足いく料理をお客様に提供できてないとか、色々理由はあったんでしょうけど。それでシェフが『自分一人で』可能な限り、良い料理を提供するスタイルに変えたんです」
あの狭い地下空間よりも、もっと華やかな場所を捨てて――。
「お客様の満足も――自分の納得も、全部満たすほうが、大事なこともあります」
3万円分の料理、それに見合うだけの料理を限りなく並べることも、1600円でそれ以上の満足を得られるように研鑽し続けることも、どちらがいいとは彼は明言しなかった。ただ、こちらが自分のスタイルと好みに合う、それだけのことだろう。
「あの、もう一つだけ――あのお店の名前の意味は何と言うのですが?」
「ああフランス語で――『これが人生哉』みたいな意味です。諦め――仕方ないみたいな意味もありますけど――」
仕方ないこと――。彼女は自身の望まぬ婚約話を思い出す。
「――思わぬ幸運に見舞われた時にも、たまに言います。今回の出逢いは僕にとっての、それですね」
その答えは、彼女にとっても――。
「ご満足、頂けましたか?」
「はい!」
憑き物が落ちたような顔で彼女は朗らかに答えた。そして彼と団子を買い、一緒に食べ、そして笑顔で去っていった。
◆
「どこに行ってたんだミリアル!」
「何ですのお父様。いちいち成人女性が行先を告げないと行けなくて?」
大樹の元にある大きな屋敷の前で待ち構えた金髪の長い髪と髭の父と、その部下たちに彼女はそう言い放つ。
「今日はフルット族の長が息子さんと共にお見えになっておる! 早く支度をしなさい!」
「はいはい……」
暫くして彼女は身支度を整えて、屋敷の大広間に姿を現した。
「おお、美しい……」
天女を思わせる白糸の衣に着替えた彼女は颯爽と、並ぶ氏族の間を抜け『婚約者』の対面に座った。
そして緑と金の刺繍の施された豪奢な出で立ちをした婚約者であるフルット族の長男カミルは彼女に語り掛けた。
「いや、今日はまた一段と美しい。本日は貴方の為に、正式な婚約の品をお贈りしたく――」
そう言うと彼は後ろの部下に持たせていた箱を並べていく。
「翠聖の水鏡、蒼紫のワンド、紅玉の首飾り――、まだありますよ」
そう言って彼は彼の思いつく限りの祝いの品々を彼女の前に並びたてた。その品々を見たグラノラ氏族はどよめき、フルット氏族は胸を反らす。どれも、一つでさえ輿入れには十分過ぎるもの――それだけの――財の差を、そして覚悟の量を見た――とグラノラ側は受け取ったのだ。
「私の愛を、どうぞ受け取っていただきたい」
「――愛?」
彼女は彼の言葉に眉を吊り上げ答える。
「ええ、愛です。何を差し上げたらよいのかわからないので、私の持つすべての財を、貴方に贈ることが誠意かと」
「そうですか――では」
彼女は目の前の箱を恭しく持ち上げて――。
「お返し致しますわ」
「――」
そのまま、彼の手の中に突き返した。
◆
「馬鹿もん! お前、あんなこと、そんな、あほ娘!」
彼女の父、グラノラ氏族長ガイウスは娘の婚約破棄に泡を吹いて一度倒れた。今彼女は奥の間に連れてこられ、父とその姉、そして叔父に詰問を受けていた。
「今すぐ謝ってこい! いいからあれは気の迷いだったと――」
「そうよ、貴方のためにはこの婚姻が――ひいては……」
「結婚してみればわかることもある! いいかね、これは我が氏族の発展に――」
彼らの説得の言葉をいくら聞いても彼女はため息しか出なかった。誰も、私のことなど考えていないのだ、ということがよくわかるだけだった。
父は体面、叔母はフルット氏族のところと縁を結び自分の所の娘を嫁がせたいだけ、叔父は裏金貰ってこの縁談を仕組んだ張本人だ。
いくらこちらが理路整然と断りの文句を入れても意味はない。我儘を言っても聞き入れなどしない。だから、彼女は一つの策を実行に移した。
「何度言われてもお受けできませんわ」
「だから何故だね! 健全な乙女が嫁に行けないわけなど――」
「――乙女、ではありませんの」
彼女の告白に、三人は固まる。
「え――は? いや、乙女ってそう、そのえっと……処女じゃない、というのか?」
うろたえながらそう訊ねる父に、彼女は瞳を伏せて頷く。
「過ちを犯してしまいました。私、異世界の殿方と、一晩を過ごしてしまったのです」
「ば、馬鹿な! う、嘘もたいがいにしなさい! そ、それにそんな嘘を吐いて――」
その言葉の途中で、彼女は自らの胸の上部分の着ものをずらし、見せる。そこには一つの歯形がくっきりと残っていた。
「これが証です。でも、あちらの殿方は責めないでください。私が……許してしまったのですから」
よよよ……と口に手を当て泣き崩れるような仕草を彼女は見せた。
「ユニコーンの洗礼――おやりになりますか?」
ミリアルの追撃の言葉に三人は絶望的な顔になった。処女好きの一角獣に婚姻前の女性を判定させる、氏族間での貴族同士の『儀礼的な儀式』だ。しかしそこで万が一、処女でないなどと分かろうものなら――。
「――こ、今回は諦めよう」
ミリアルは彼らから望みの言葉を引き出した。この痕をつけた相手に感謝しながら。
◆
「――ああ、よかった」
無事に笑顔で帰っていった『エリアルさん』を見送った伸介は安どの声を漏らした。
「いやー、よかった。怒ってなくて! てかまじで、やばいところだった……」
今回伸介は真剣だった。というか、途中から真剣に持て成さざるを得なかったのだ。小物な彼はビビりまくっていたのだ。彼女を怒らせることに。
彼は自らの右の掌に刻印された証を見つめる。
「これ、一応セーフティーロックですんで」
そう言ってドリスコルが施した魔術印が今彼の右の掌にあるのだが――。
「仮に、貴方がお客様にご不快や、傷を負わせたと認識された時に発動します。まあよっぽどのことがないと発動しないように高めに設定されてますから、殴ったりしない限り平気です」
「相手には付けないのかよ?」
「付ける意味がない、が正確なところですかね。こんな簡易の呪いはすぐに外されちゃうレベルの方しか来ませんし」
「呪いかよ! ……めっちゃ怖いんだが」
「大丈夫ですよお。今回ちょっとご事情のある若い女性ですから、何かあったら不味いからとそういう規約を盛り込んだけで……」
「手なんかださねえってば」
「ロリコンだから?」
「そうそう……じゃねえよ!」
ちなみに発動すると――彼のそれは不能になり、半年は賢者モードを余儀なくされ、違約金として暫く民泊の収益が半額になるというデメリットがあった。その代わり、今回の報酬はボーナス的に異様に高かったのだが。
「……まあでも、割とかわいい子だったな。『エリアル』さん」
飯も奢ってくれたし、文句も言わずに御苑デートも付き合ってくれて、帰り際は祖母の話をしながら団子を食べて――涙ぐんでくれたのだ。
「最初に来た高慢ちきなエルフ娘は願い下げだが、あんな優しい子ならお嫁にしてもいいな」
仏壇に団子を備えて手を合わせ、彼はそんなことを考えた。考えた瞬間、祖母の物凄く大きなため息を聞いた気がした。
自分の行った店の順位をつけたとしたら間違いないNO1がこの店ですが、だからと言って次描く店がそれに劣るとかはないです。食べたいものがその時最も旨いものであると私は信じています。美味しい瞬間はそれぞれ違うのです。
というわけで私、ラーメン食べてきました。次描きたいからです。よーしラーメンだ!美味いラーメン描くぞー!身体はラーメンで出来ている。アンリミテッドラーメンワークス!




