星明かりジンクス
――真夜中の山頂展望台の屋上で男女が思いを告白をすると、幸せなカップルになれる。
噂話を信じたわけではないが、俺は今、その噂話の舞台となった展望台の屋上に後輩の智花と二人っきりでいる。
数年前に経営難で廃墟となった展望台は当然立ち入り禁止となっているが、時折肝試しに来る悪ガキたちもいる。俺たちが通う学校の裏すぐにある小山にあるので身近なオカルトスポット、度胸試しに人気なのだ、ここは。
が、今日に限ってはそいつらもいないようで今この場は俺たちの貸し切り状態だった。
「おかしいな」
「どうかしましたか? なにがおかしいんです?」
「どうしてもなにも、どうして俺たちはここにいるんだ」
そもそもの話。俺は気づいたらここにいた。時間はお星さまの位置でなんとなく把握し、場所は月夜で照らされる建物の陰と周囲の夜景と見て何となく把握した。
が、この状況はまったく把握できない。というか理解したくない、そんな気分。
「健忘症ですか?」
「まさか。毎日十時間睡眠を心がけてる俺がそんなわけないだろう」
「随分と健康的な食生活ですね」
「なんか頭が痛い。どこかでぶつけた可能性があるな」
ひとまず思い出せる最後の記憶を掘り起こしてみる。
たしか、今日は普通に学校に行って授業を受けて部活に行って……。そうだ、文芸部には必要ないはずだがなぜだか智花が部室にスパナを持ち込んで来て「おいおい、そんなもん何に使うんだよ」「将来のために今は耐えるべきところなんです……っ」なんて微妙に噛み合っていない会話をしたことは覚えてる。うん。それでその後は特に何もなく部活も終わる時間になって鍵を閉めようと智花に声をかけたところで、智花がスパナを振りかぶってるのを見て――それが最後の記憶、だな。
「思い出したぞ智花」
「な、なんですか。言っておきますけど私は謝りませんよ。だって元々は私の思いを知っているはずなのに先輩がいつまで経っても煮え切らない態度で――」
「タンコブできてないかな?」
「そこですかー!」
いつも物静かなはずの後輩は愉快なテンションでツッコミを上げた。
でも顔を伏せた俺の頭を暗がりの中でもちゃんと丁寧に看てくれる智花はいい子だと思う。
「違います! もっとあるでしょ先輩! きっと私がやったことも思い出せてるはずなのにっまず聞くことはそこじゃないでしょ! あとタンコブはできてるので冷やしましょうか!」
「お願いします」
氷が入った袋が手渡された。準備いいな。
「いやさ、確かに智花が俺に向かってスパナを振り下ろしたところは覚えてるけどさ。性根が優しいお前のことさ。きっと振り下ろしたのは床に虫でもいて、そこに俺が飛び出しちゃったとか、あるいは俺が滑って頭をぶつけたとか、そんなとこなんだろ?」
こんな人気のないところに二人っきりなのは、俺が智花に撲殺されたかのような光景を誰かに見られるのを避けるためにわざわざ連れてきたというところだろう。さらに今が深夜なのは俺が目覚めるのを智花が待ってくれていたってところかな。
そうだ。きっとそう。
智花が入部してから三か月。部活動の時間だけとはいえ数少ない文芸部仲間として一緒に活動してきた。そりゃあ好きだの嫌いだなんて青春っぽい感情は芽生えてなくとも仲良くしてこれたはずだ。
もしもこれで怨恨の類だったら俺は人間不信になる自信がある。そうでなくても故意だとしたら死にたくなる。
「うぅ……、違います、私が先輩をスパナで殴打したのは事実ですし、不慮の事故じゃなくて、狙って、やりました……」
「……そうか、分かった。きっと何か事情があったんだろ? ……それでここから飛び降りればいいのかな?」
「逝かないでください!」
フェンスを掴んだ俺に智花はタックルを仕掛けてきた。錆付いた金網が鳴る。頭にのせてた氷が落ちる。
なんだよ、殺るなら自分の手でってことか?
「先輩を殴ったことは謝りません! ですけど私にはどうしても必要だったんです! 仕返ししても構いません! 先生方に連絡――なんなら警察に駆け込んだって構いません! でも、でもっ、せめてっどうしてそんなことをしたのかと、それだけは聞いてもらえませんか!」
後輩は泣いていた。背中越しに感じる熱に俺は少しだけ正気に戻った。
「そうだよな。俺が自分で言った通り事情があったんだろ? それじゃ、まずはそれを聞かせてもらえるか」
「はい!」
BGMは、某少年になってしまった探偵アニメで、犯人が動機を自供するシーンのアレ。
物語は終わりに向かっている。俺の人生も終わりに向かっている。気持ちは凪いでいた。
今なら何と言われようと驚くことはあるまい。たとえ智花が実は男だったとしても驚くまい。ごめん嘘。驚くわ。閻魔様への土産話にする。
智花は俺とまた向かい合わせになると、胸に手を置いて何度か深呼吸をする。
その真剣さに穏やかな心ながらも俺は少し威圧される。
しばしして決心がついたのか、スゥ、と彼女がひときわ大きく息を吸った。
彼女の気配が一回り大きくなった。
普段は涼しげな眼が緊張に眦を上げたのが見てとれた。
潤みつつも力強い瞳がきらりと月光を反射した。
「先輩、好きです! あなたのことが大好きなんです! 付き合ってください!」
「……!」
驚きに身を固くした。
優しい白色の明かりが色白な智花の顔を真っ赤にしていることをバラしている。
二人の他に虫の音しかない静かな空気が彼女の心音を俺にまで届けているようだった。
「そう、か」
「はいっ」
人前に出る性格ではないのはこの三か月の付き合いで知っている。
そんな彼女が勇気を振り絞って出したその言葉を、想像してなかったと言えば、嘘になる。俺も耳にしたことのあるジンクスの舞台で緊張した様子の智花を見ていればなんとなく察しはついていた。
さっき好き嫌いは別にしても仲は良いと思ったが、彼女の思いはきっとさらに一歩進んでいた。ただそれだけだったのだろう。
俺は、どうなんだろう。いや、あの智花が勇気を出したからには俺も正直な思いを口にすべきなんだろう。
「俺も」
ビクリと、俺の言葉に今度は智花のほうが身を固くした。それがなんだか面白い。
「俺も智花のことが、好き、だと思う。はっきりと言えなくてごめんな。今お前に告白されてそうなんだって気付いたばっかでさ。……こんな俺でよければ付き合おう」
「問題ないです! 先輩がいいんです!」
今度は正面からタックルもとい抱擁を食らう。さっきは背中だったし動転してたから分からなかった女性の柔らかさと華奢さにドキリとする。と、同時に腰のあたりに何か硬いものがぶつかった。
ベルトかキーホルダーでも当たったのかな? と思って覗いてみるとスパナが智花の腰にぶら下げられていた。
ドキリとした。
告白の衝撃で忘れてた。
やばい。早まったか。
「私の方こそ、必要だったとはいえ先輩のことを殴ってしまう暴力女が先輩の彼女で良いんでしょうか」
「いやうん。もういいよその件は」
「ごめんなさい。あ、謝らないって決めてたはずなのに安心したら、つい」
「うん、謝罪は受け取ったからもうこの話はやめよう」
このタイミングで告白を撤回したら至近距離でスパナが飛んでくるのだろうか。そう考えるだけで股間が縮み上がりそうになる。
「先輩好きです。この気持ちは嘘なんかじゃありません! お互い彼氏彼女になったんですっ、だから、だから飛び降りるだなんて、私を置いていくような悲しいことは冗談でももうやめてくださいね!」
「ああうん」
ヒシッとしがみつかれる。
さっきの飛び降りる云々を真剣に受け取ってもらったのだと思うと、彼女の真面目さにまた少し心打たれる。
そうだよ。今日明らかになった、「決めるところは(物理的に)決めてくるところ」以外は俺の知っている通り、真面目で一生懸命でそれでいて可愛らしい後輩なんだ。
スパナがなんだ。智花のことが好きなら好きでいいじゃないか俺。
過去のことより未来のことを考えよう。
「ごめんごめんって。さっそく彼女らしいお願いだな。わかったよ、付き合った記念でその願い叶えてやろう。智花を悲しませるようなことはしないさ」
「それなら今のお願い、これからもずっと、も付け加えてくれます、か?」
きっと意図したわけではなくたまたまなんだろうけど、「ます、か?」と可愛らしく首を傾げながらしたお願いの拍子にスパナがまた腰に当たった。
別に浮気をするつもりなんてないが、智花とは誠心誠意向き合って付き合っていこう。
未来に誓った。
「えへへ、先輩の彼女にしてもらっただけじゃなくてお願いまでしちゃいました。先輩も何か私にしてほしいことありますか? 付き合った記念で何でも叶えてあげますよ?」
「そうだな……」
つきあたっては。
「お願いの前に智花。一つ聞いてもいいかな?」
「はい」
「どうして俺をスパナで、ああいや怒ってるんじゃないよ。怒ってるとかそういうのじゃなくてね、純粋な。そう純粋な疑問として聞きたいんだけど。どうして俺を、その、殴るときに、スパナを使ったんだ?」
「そ、それはですね。友達に先輩をここまで連れてくるにはどうしたら、と聞いたらこれを差し出されまして……」
「なるほど」
彼女への最初のお願いは、友達付き合いを考えてもらうことだった。
「ふふ、ジンクスの通り、私たち幸せなカップルになれるといいですね!」
鏑木慎吾:
気を失うほどの痛打をタンコブで済ます石頭を持つ主人公。けどスパナはトラウマになった。
溝呂木智花:
夕暮れ~夜の時間帯に整備された小山の山道とは言えソレを、自分より年上の男性しかも気絶した相手を背負って踏破する可憐な少女。