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霊感0!  作者: えんぴつ堂
まぁ、よくあること
3/25

まあ、よくあること ②

 俺は、爺ちゃんの耳元へ近づく。


 「じーちゃん! 俺に作り方おしえて!」


 耳の遠い爺ちゃんは、『はぁ?』と言ったので三回は同じ事を言わねばならなかった。



 笑うなよ?


 自慢じゃないが、俺は生まれてこの方『バイト』などをした事が無い。


 そりゃしてみたいが、なかなかタイミングが合わなかったんだ!


 中学は柔道とかしてて時間が無かったし、高校だって体育特待だし寮で無論校則でもバイトは禁止だったから…。


 だから、マイスイートにプレゼントとか思っても自分で自由になる金なんて殆んど無い。


 今からでも、バイトすればって思うだろ?


 けど、バレたらそれこそ退学だ。


 チキンかも知れないが、俺は高校くらいはちゃんと出たいんだ!



 マイスイートの為でもリスクは負えない。



 「だからって彼女へのプレゼントが『お手製』って…引くわ」


 リビングで作業中、背後から辛辣な言葉をかけて来たのは外道シスターズ姉の渚小学校4年生。


 「お黙り! 外道…」


 「外道言うな!!」


 外道シスター渚は、俺の背後を通過し真向かいに座る。


 「何だよ? 晩飯までにはかたすから、ほっとけ!」



 テーブルに10個ほど転がっている『試作品』を渚が手に取る。


 「へぇ、お店に売ってる物みたい…意外に器用なんだ…」


 「お褒めに預かり光栄です、渚様」


 「キモっ」


 俺の柔道以外での唯一の特技。


 『手先の器用さ』


 相当複雑な物で無い限り一回見たら再現可能だ、筋肉質な見た目からは想像出来ない特技だろう。


 そういや一年の頃、美術の時間に豚に『来る学校間違えたんじゃね?』と言われ危うく殴りそうに……うん…もう忘れよう。


 「ま、こんだけ造り込んでたらお手製でも嬉しいかもね…いざって時は買ってきたって言っても誤魔化せるし…」


 渚が、何やら物欲しそうに『試作品』を眺める。


 「そこにある奴なら、貰っていいぜ? トップの部分しかやれないから紐は自分で探せ」


 「ホント!? ありがと!」


 普段の小生意気さが何処へらや…そこには、普通の小4女子の姿があった。



 「あいや~面白い事してるねぇ~」


 台所のほうから『見知らぬ婆ちゃん』が顔を出した。


 「婆ちゃん! 見てコレ、圭が作ったの! 人は見かけによらないでしょ?」

 「あいっ! すごいさ~」


 いつもと変わらない後景の筈なのに、俺の体には自然と力が入る。


 見知らぬ婆ちゃんには、聞きたいことが山ほどあるが今は渚がいる…とてもじゃないがあの件については訊けない。


 「だぁ、婆ちゃんに貸してごらん?」


 見知らぬ婆ちゃんは、渚からクモ貝を見せられると濡れた手をエプロンの端で拭き手に取った。


 そして、クモ貝を握るとそっと口元に寄せて息を吹き込むような仕草をする。


 「はい! 婆ちゃんのマブイを少しめたからね~」

 「わぁ~ありがと!」


 渚は、クモ貝を受け取ると風に見せると言いリビングから出て行った。


 ?


 マブイ?


 込める?


 何したんだろ?



 「だぁ、けーいーのもやろう! はい!」


 見知らぬ婆ちゃんが、手を差し出す。


 俺は言われるまま、マイスイートにプレゼントする最高傑作を手渡した。


 同じように、見知らぬ婆ちゃんは息を吹き込む。


 「はい、終わり」


 う~ん、返されたクモ貝に特に変わった様子は無いのだけど?


 「けーいーは、この前怖い思いしたからねぇ…多くいれたさー」


 ちりちりと耳たぶが、疼く。


 この前。

 

 俺は、霊感が無いにも拘らず生まれて初めて『心霊体験』なるものを味わった。

 無数の赤ん坊の鳴き声に、目蓋すら動かせない体、リアルに耳たぶを噛み千切られる感覚。


 忘れようたって、そうは行かない。


 「コレを大事にもっておきなさねーしたら、けーいーに姿を見せよう見せようする『マジムン《魔物・霊》』も近づけんからさぁ~」


 見知らぬ婆ちゃんは、そう言うと台所に引っ込んで行った。


 あ。


 コレ、マイスイートにプレゼントする物なんだけど…。


 ま、いっか。


 自分のはまた今度でいいや。


 俺は、『もう直ぐ晩御飯だよ』と言う見知らぬ婆ちゃんの言葉を受けテーブルを片付け始めた。








 「はぁ…まだかよ…」


 俺は、図書室へ続く階段に掛けられた『立ち入り禁止』の立て札を見てため息を付いた。


 アレから2日。


 俺は、図書室に行けずにいる。


 原因は、コレ。


 『階段修繕中につき立ち入り禁止』


 12階の階段踊り場に掛けられたソレは、まるで俺とスイートを逢わせまいと目の前に立ちふさがる。


 「また、貴方ですか?」


 背後から、呆れたような声がする。


 振り向くと、そこには『もやしっ子』と言う言葉がぴったりの色白なひょろひょろの眼鏡男が立っていた。


 「まだ、直んねーのかよ?」


 「まだ、修繕中だから立て札が在るんですよ?字が読めないんですか? …コレだから体育科は…」


 眼鏡もやしは、クネクネと身をよじり眼鏡越しに俺を見下す。


 「ボクが、生徒会長になった暁には無能な体育科に日本語の読み書きを義務付けますよ」


 「次期生徒会長様は、先輩に対するお言葉使いがなってらっしゃらないようで?」


 「『先輩』? ソレ、貴方のことですか? …ふっ」



 ああ、殺してぇ…。


 こいつは、二年の川畑郁夫。


 現生徒会では『副会長』らしい…。


 と、言うのもコイツにあったのは二日前が始めてだからだ。


 階段に掛けられた立て札を見ていると、突然背後から現れて歯に衣着せぬ辛辣な言葉を浴びせられたのがファーストコンタクト。


 まあ、特進科が体育科をどう思ってるかなんて知ってはいたよ。

 

 しかし…この眼鏡もやし、俺が手を出さないのを良い事に好き放題言いやがって…!


 「どうしたんです? さっさと、あるべき所へ帰ったらどうです?」


 まるで、犬でも追い払うようにシッシッと手を振る眼鏡もやし。


 ちっ!


 もやし如き0.5秒もあれば駆逐できるが、遺憾せこちとら『卒業』がかかっている。


 俺は、眼鏡もやしに背を向けもと来た階段を下った。


 はぁ…会心の出来のクモ貝はストラップに仕立てて、いつでも渡せる様にポケットに…あれ?


 いくらポケットをまさぐっても、クモ貝のストラップが無い!


 「落としたか!」


 俺は、既に5階まで降りたところから一気に12階まで駆け上がる。


 元の踊り場に差し掛かると、なにやら話し声が聞こえてきた。


 ……?


 俺は、咄嗟に踊り場に差し掛かる辺りで影を潜める。



 「いやぁ! すごいっす! 副会長!」


 「ふっ…これも親衛隊の役目さ!」


 「いいえ! 流石です! 野蛮な体育科相手に完全に打ち勝ってたじゃないですかぁ!!」


 どうやら、生徒会のメンバーと話してる様だ…にしても好き勝手言いやがって!


 「ふふふ…」


 「二日もしのぐなんて! 自分にはとても出来ないっす!」


 「霧香様親衛隊『ナイト』の称号に誓って! 我等が女神の願いとあらば! 例え魔王が現れようとも、この先を通しは_____」


 眼鏡もやしは、それ以上喋る事は出来なかった。


 「_____今、なんつった?」



 『ナイト』とやらの目には俺はどう映っただろう?


 眼鏡もやしと、もう一人のもやしの顔が蒼白になる。



 キーンコーン カーンコーン

        キーンコーン カーンコーン


 昼休みの終了の鐘が鳴るが、そんなモノは耳に入らない。


 「あ、う、あ…、」


 互いに抱き合うように、二人はへたり込む。


 俺は、へたり込む眼鏡もやしに視線を合わせた。



 「もう一度聞く、今__何て言った?」

 「ひぃ!!!」


 眼鏡もやし達から情けない声が漏れる。


 「____そこまで!」


 背後から、聞き覚えのあるソプラノ。



 「比嘉___」


 立ち上がり振り向くと、そこには死ぬほど嫌いな女が立っていた。




 「…貴方達、有難う……もう行って、授業遅れるわよ?」


 比嘉の言葉に、俺の背後からもやし達が抜け出し脱兎の如く走り去った。


 「何のつもりだよ?」


 比嘉は答えない。


 「ふざけてんのか?」

 「ふざけてるのは、アンタでしょ?」


 はぁ? ナニそれ?


 「備瀬きみこ」


 比嘉がスカートのポケットから、メモ帳を取り出す。 


 「調べた…私はアンタの力になりたかった…なのに!」


 比嘉の目には涙が浮かぶ。


 はぁ?


 意味が分からない!?


 「10年前、この学校であった有名な事件…国語教師と生徒の無理心中。 結果、教師は生き残り女生徒は死んだ。 …そして、程なく生き残った教諭が謎の死をとげた」


 おい、ちょっと待て…?


 「その時、死んだ女生徒の名前が___『備瀬きみこ』 …有名な話らしいじゃない! 知っててわざと調べさせたの?」


 比嘉の表情は怒りに染まる。


 「家庭の事情の事は、聞いてる…部活も残念だったと思う! でも! もうすぐ卒業じゃない…どうして…?」


 俺は、比嘉の問いを無しし階段に足を掛けようと踵をかえした!


 ウソだ!


 間違いであって欲しい…!



 ガシッ!


 駆け上がろうと階段に足をかけた背後から襟をつかまれ、地面に引き倒された!


 「っ!」

 「話しは終わってない____」


 地面に転がる俺を、比嘉が怒りの表情で見下す。



 「へぇ…有名な話なんだそれ…」


 もちろん、俺はそんな話は知らない。


 10年前に死んだ女生徒と、自分の彼女が同じ名前だからそれがどうした?


 …っと、言い返せればどれほど良かっただろう。


 いや…言い返せたはずなんだ。


『普通』なら。


 踊り場に仰向けに引き倒された俺の顔面に、比嘉の上履きが迫った!


 ダン!


 俺は、素早く転がりソレを避ける!


 「ちっ!」


 寸前の所で、素早く立ち上がり体勢を建て直して比嘉と対峙する。


 目には涙を溜め、俺を睨む比嘉。


 はは…裏切られてブチキレちゃったってヤツ?


 正義の味方で体育科最強の女が、我を忘れて武力に訴える。


 いいね…萌えるかもw


 「お前ら! 何やってんだよ!!!」


 そこにタイミング良く『豚』が現れ、比嘉が一瞬そちらに気を取られる。


 俺は、その瞬間を見逃さなかった!


 メキッ…!


 鈍い音がして、比嘉の目が見開かれ現状を把握しようと自分の鳩尾みぞおちを確認する。


 そこに沈むのは、俺の拳。


 声すら発せず、比嘉はその場に崩れ落ちた。


 ビチャビチャと美しい唇から、整理的に黄色い液体を嘔吐する。


 朝飯食ってないのか?


 体に悪いぞ?


 「てめ…相手は女だぞ?」


 豚が一般常識を述べている。


 「せーとーぼーえーだっ! つーのw 先に手ぇ出したのはそこの『正義の味方』だすぃww」


 ヤんなきゃ殺られてた!


 正攻法でこんなバケモンに勝てねーだろ?


 それに、俺はそんな人間兵器張りに強いヤツを女とはカテゴライズしない!!


 鬼畜? 卑怯? 好きに言え!


 俺は、比嘉と豚に背を向ける。


 さっき迄、もやし達がへたり込んでいた所に小さな紙袋を見つけるとポケットにしまい階段に足を掛けた。



 「てめ! 待てこら!?」


 「俺に構うより、比嘉を保健室にでも運んだ方がよくね? 結構手ごたえあったんだよね~」


 静かになった踊り場を振り返らず、俺は図書室に向って駆け出した。







 12階の踊り場から二段飛ばしに駆け上がれば、あっと言う間に目的地にたどり着く。


 図書室の前に、俺は立っていた。


 午後の授業が始まり、只えさえ誰も寄り付かない13階の廊下はシン…と静まり返り図書室の扉はまるで何事も無いかのように開かれるのを待っているように見える。


 扉に手を掛けた。


 間違いであって欲しい…。


 扉の向うに、マイスイートがいない事をひたすらに祈る。


 息を深く吸った。


 ガラッ!


 勢い良く扉を開き、俺は真っ直ぐ見据える。



 「先輩…」


 萌えキャラボイスが微かに震えた。


 ああ、昼より少し傾いた陽だまりに『彼女』がいる。


 思い当たる節が無かった訳じゃない。


 俺達は、この所昼や休みだけじゃないく各授業ごとの短い休み時間にも此処で頻繁に逢っていた。


 『逢うなら図書室がいい』


 そう言ったのは、『彼女』。


 その為、俺は休み時間ごとに体育科の教室のある棟から本館まで走り1階から13階までのあのクソ長い階段を爆走した。


 待っている笑顔に合いたくて。


 はっきり言って、俺の体力・脚力を持ってすれば造作も無い事で…だから最初の内は特に気に掛けてはいなかったんだ。


 短い休み時間、俺の全力を持ってしても最短で4分これが15分の休み時間なら行き返りに8分削られ残り時間で一言二言…そして脱兎の如くトンボ帰る。


 3日程して、俄かに湧き上がる疑念。


 マイスイートは、『どうやって俺より先に図書室にたどり着いているんだろう?』


 最初は、エレベーターでも使っているんだと思った。


 だが、そうでないと知ったのは二日前__。


 比嘉と送迎バスに塗るペンキを取りに行った時、偶然通りかかったエレベーター。


 扉に張られた張り紙に、俺は眉を潜めた。


 『他校のエレベータ事故と同型の為使用禁止4月~』


 特進科一年の教室のある棟は本館からは離れている…。


 だから、どう考えてもおかしい。


 「先輩…もう、気付いてるんですね?」


 彼女は震える声で、言葉を紡ぎ読んでいた本をパタンと閉じた。


 「ごめんなさい…」


 震える声は俺に、謝罪する。


 いつもより、蒼白になった肌が『彼女』はこの世の人で無い事を実感させた。


 「本当に…『幽霊』って奴なの?」


 俺の問いに彼女がコクンと頷く。


 ごめんなさい…ごめんなさい…と、今にも消え入りそうな声。


 俺は溜まらず、彼女に駆け寄ろうと図書室に足を踏み入れようとした!


 「ダメ! 来ないで!!」


 席を立ち、必死の形相で制止する彼女に俺は思わず脚を止める。


 「備瀬…!」

 「もうダメ…『先生』に気付かれた___」


 彼女の白い首筋に、何かが食い込んだように歪に窪む。


 「な_____!!!!」


 ソレを目で確認出来るか出来ないかの内に、体にまるでバットで殴られたような衝撃が走る!


 ダン!


 俺の体は、図書室から弾き出され廊下の壁にぶつかった!


 「っつ!!」


 俺が壁に叩き付けられると同時に、図書室の扉も閉まる。


 その瞬間、俺は見た。


 彼女の首を、背後から握り潰すように締め上げる灰色のスーツ姿。


 笑ってた__。


 10年前…無理心中した…国語教師?


 静まり返る廊下。


 まるで何事も無かったように閉ざされた、図書室の扉。


 「ふざけんなっ____」



 俺は、図書室の扉に前蹴りを入れいる。


 何でこんな事をしているのか、自分でも分からない…。


 『飛び込んでどうするつもりなのか?』と、問われれば…ほぼノープランだ!


 てゆーか、初カノがユーレーってドゆこと?


 つか、ユーレーって何次元? 二次元とかじゃないよね? 質量とかどうなってんの?


 0なの? 空気なの?


 ぷぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!


 頭の中は、カオスですよ!




 バキッツ!



 俺の右足が扉を突き抜けた。


 上手くいかねーな…足を引き抜き更に2回ほど蹴る。


 バタン!


 ようやく扉が倒れた。


 扉を踏みつけ中に入る俺の姿を見た、彼女と国語教師が唖然とした顔をする。


 鳩が豆鉄砲て、こんな感じだろうか?


 「へぇ…ユーレーでもそんな顔すんだ?」


 余裕ぶちかまし入場した俺は、彼らにどう映っているだろう?


 表面上の顔とは裏腹に頭の中と来たら、思考は一切纏らず今直ぐ此処から逃げ出したい気持ちと彼女を助けたい気持ちがグチャグチャに入れ乱れプレッシャーから昼飯を食い損ねた空っぽの胃が胃液を喉までせり上げる。


 怖くないわけが無い!


 怖い…怖いが…冬休みに出くわしたアレほどじゃない…。


 俺は、彼女の首を締め上げる国語教師を睨みつける!


 見た目35~40才くらい…蒼白の肌、やせ細りこけた頬、落ち窪んだ目には白目の部分が無くサメのように黒一色。


 灰色のスーツは、何年も着倒した様によれよれ…髪だって額が広々としている!


 しかし、無理心中って…wo……マイスイート!


 こんなハゲ親父の何処が好かったんだい?


 ぜってー俺のほうがイケメンだし!


 心の叫びが悟られたのか、国語教師は彼女の白い首から手を離すと改めて俺の方へ向き直る。


 「い” え” お” ぉぉぉぉぉ ……」


 国語教師の首からひゅうひゅうと空気が抜ける音と共に、その口から言葉にならない声が漏れた。


 「先輩!」


 彼女が、俺に向って手を伸ばす。


 「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!い” え” お” い” え” お” い” え” お” い” え” お”ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 国語教師が、胸を掻き毟りながら叫び声を上げた。



 ガタ…ガタン…。


 国語教師が、悲鳴を上げると机・椅子・本といったものが図書室を縦横無尽に飛び交い始めた!


 は! ポルターガイストねぇ…そんなの俺の家じゃ毎朝やってんぜ!



 ヒュン!


 俺の頬を何かが掠めた。


 カツ! っと音がして、廊下の壁に何かが刺さる。


 …ああ…そーいえば、少なくともウチの奴は人に危害を加えなかったな…。


 頬から伝う血であろう暖かさを感じながら、突入した事を改めて後悔してみた。


 もう、遅いけど!


 俺に目掛けて、本・机・椅子・その他鋭利な筆記具が大挙して押し寄せる!


 如何して良いか分からず、俺は頭を庇いながら目をつぶりその場に伏せた!


 ガチャン!


   パリン!

 ドカッ!


 ガコンという音を最後に、その場が静まり返る。


 あれ程の、備品が押し寄せたにも関らず体に痛みは無い…。


 俺は、覚悟を決めゆっくりと顔を上げた。


 「…!?」


 目の前には、机・椅子などがまるで積み木のように重なり合い『壁』のように反り立っている…それだけじゃない…俺を囲むように本などが歪に積み重なっていた。


 どうやら、上手い事隙間にはまったらしい…背後には扉だった場所。


 半分以上は本などに埋まってはいるが、這いつくばれば廊下に出られない事もない…只『彼女』を置いて逃げる事は____!



 「あ”……あ”あ”……あ”………」


 地を這うような、何とも言えないうめき声が地を這う。


 メチャ……グチャ…。


 積み上げられた机の隙間や閉ざされた本の隙間から血肉の蠢く音と、真っ赤な血があふれ出しそれは次第に人の形をなした!



 ぐちゃぐちゃだ。


 目の前に、ぐちゃぐちゃに切り裂かれた人らしきモノが赤い血の中でパーツを漂わせる。


 「あ”あ”あ”あ”…イ”…え”……お”…ゴポッ…」


 意味不明な言葉を発しながら、白目の無い黒一色の目が俺を捕らえ骨のむき出した腕が、俺の肩を握りつぶさん程の勢いで掴む!


 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 っもう、恥も外聞も無い!


 俺は、まるで泣きじゃくる子供のように身をよじり暴れる!


 が、食い込んだ指は両肩をガッチリと掴み全然外れない!!


 ぐちゃぐちゃのソレは、口であろうモノを大きく開けた。



 「うあ…婆ちゃん…!」


 情けない声が漏れる。


 分かってる…此処は、学校だ!


 あの時、みたいに『見知らぬ婆ちゃん』は助けてなどくれない_______婆ちゃん!?


 俺は、咄嗟に学ランのポケットを探る。


 ガサリと音がして、ソレは容易に手に取れた。


 ギンガムチェックの小さなラッピングの中には、マイスイートに渡す筈だった俺お手製の『クモ貝ストラップ』が入っている。


 そう、そして…クモ貝には____込められてるんだ!


 「イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お” イ”え”お”ぉぉぉ・・ヒュッツ! ヒュッツ!!」


 肩を捕まえたまま、顔面ギリギリまでソレは迫る!


 血の海に形を成した国語教師の大きく裂けた喉から、空気が漏れた。


 考えている暇など無い!


 俺は、肉迫する国語教師の耳まで裂けた口に握り締めた紙袋ごと拳を突っ込んだ!


 「ガヒュ!?」


 国語教師の口から、手を引き抜く。



 「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」


 ソレは俺の肩を掴んだまま、その場でのたうち回る!



 「っつ…くっそ! 死ね! 消えろ!!」


 俺は自分の足を強引に、肉迫する国語教師と自分の間に割りこませ一気に引き剥がししりもちをついた情けない格好でギリギリまで国語教師から距離を取る!


 地を這うような、うめき声。


 国語教師は、まるで殺虫剤をかけられたゴキブリのようにのたうつ。


 ソレに合わせて飛び散る血は、正に阿鼻叫喚。


 そして、遂に国語教師は動きを止め辛うじて形を保った首がゴロリと俺を見る。


 只黒い、ぽっかりと穴の開いたような眼。


 パクパクと、数回金魚のように口を動かし国語教師の体は崩れるように消えた。


 「はぁ…はぁ…はぁ…」


 俺は、膝を抱えた。


 震えが止まらない…助かったのか…?


 「先輩…」


 顔を上げると、いつの間にか彼女が立っていた。


 「有難う御座います…私は、ずっと先生に捕らわれこの場所を離れることは出来ませんでした…でも…コレで…」


 ふわりと微笑んだ彼女は、俺にゆっくり手を伸ばす。


 ゾク…。


 え?


 ガタン!



 突然、背後の本が崩れる。



 「玉城! 大丈夫か!?」


 廊下側から、顔を出したのは豚だった。



 「何だよこれ…? どうやったらこうなるんだ?」


 豚は、図書室の有様に眉を潜めた。



 キーンコーンカーンコーン

       キーンコーンカーンコーン

 

 5時限目終了のチャイムが鳴る。


 「あ…」


 豚が、ガッシっと俺の腕を掴んだ。


 「何やってんだ? 逃げるぞ!」


 俺は、豚に手を引かれ辛うじて通れる隙間から廊下に出た。


 振り返ってみたが彼女の姿は何処にも無い……。


 図書館から解放され成仏したんだろうか?



 豚に引きずられるまま、教室に戻りHRを受ける。


 なんのお咎めも無い所を見ると、5時限目の体育どうやら俺はサボり扱いではなくは比嘉と豚三人で奉仕活動をしていた事になっているようだ。


 比嘉が、何事も無かったように席に着いているのには正直ビビった。


 不死身か?


 あの女……?


 HRが終わり、誰も居なくなった教室に俺、豚、比嘉が残った。


 てゆーか…正確には、俺を逃がすまいと二人に捕まったと言ったほうが正しいが…。


 「何があったのか説明して!」


 一番後ろの窓際と言う最高の場所にある俺の机の背後に仁王立ちして、鋭い眼光を浴びせる体育科最強の『正義の味方』に側面を肉厚なボディで固める柔道部主将で『柔道男子100超級全国3位』の豚…。


 う~ん逃げられませんw


 「ナニかって何が?」


 二人から殺気が立ちこめる。


 説明した所で、信じねぇよ…俺は電波だと思われたくないんでね。


 「…俺が比嘉に頼んだ」


 豚が、おもむろに口を開いた。


 「は?」


 「部活を辞めてから、お前の様子が余りにおかしかったから…比嘉に頼んで様子をみてもらってた」


 おいおい~最近、比嘉に絡まれると思ったら原因はお前か!


 「な~に? 退部した人間にまでお気遣いのつもりですか? 主将様? 一歩間違ったらストーカー行為ですよ? いやんww」


 俺の軽口にいつもなら面白い反応を見せる豚が、身じろぎ一つしない。


 いやんw


 コイツ、マジだ…面倒臭せぇ。


 「お前、此処のところ図書室で何してた? …というより…さっきのアレは何だ?」


 豚が、真剣な眼差しを向ける。


 う~ん、どうすっかなぁ……。


 今は、こいつ等以外教室に居ないし…まあ…いっその事『電波野郎』と思われればもう俺に近寄らないかもしれない。


 よし!


 「実は…」


 俺は、今までの経緯を包み隠さず100%ノンフィクションで語って聞かせた。


 『事実 は 小説 より 奇 なり』


 なんて言うけど、コレまでの経緯はホント普通じゃまず有り得ない事だし…あまりのふざけた内容に俺フルボッコにされないか心配だ…。


 「……」

  

 「………」


 静まり返る教室、無言の二人に囲まれる俺。



 死んだかな?



 「聞いて、圭……」


 沈黙を破ったのは背後に居る比嘉だった。


 「私も仲嶺も、今回のアンタの『退部処分』不当だと思ってるの!」


 は? 何で今そんな話?


 「そうだ、いくら何でも寮費が払えないからって卒業まで残り僅かなのに退部処分は無ぇよ…」


 豚が、悔しそうに顔を歪める。


 「だから、圭…私達…卒業までにアンタが部活に…柔道部員として卒業出来る様に出来る事は何でもしようと思うの!」


 俺の肩に比嘉の手が置かれる…。


 ザワァァァァっと体中に虫唾が駆け巡った!


 まさか、こいつ等の中で俺は________


 『卒業間近で部活をクビになって自暴自棄から幽霊見ましたっていう妄想に耽る残念な子』


 にカテゴライズ!!?


 しかも、そのまま見捨ててくれるなまだしも…なんなの? 青春なの? それとも有名な厨ニ病なの?


 何処かのマンガに出てきそうなワンシーンだ、きっと此処で俺の言う台詞は『ありがとう』に違いない。


 あああ! うぜぇ!!!!!!


 俺は、勢いよく席を立った。


 「玉城!」

 「圭!」


 二人がハモる。


 「俺、バスの時間あるから帰るわ…」


 俺は足早に教室を出る。


 背後で、比嘉がナニやら感動的な台詞を叫んだ気がしたが俺の耳には入らない。


 もうヤダ…早く帰って風呂と飯済ませて求職雑誌でも読もう。


 この学校、進学校だから就職案内とか来ないんだよね~。


 ったく暇人どもが…こちとら、お前らの青春ゴッコのネタに使われるのはゴメンなんだよ。


 もう、いい加減慣れたバスに揺られ俺は家路を急ぐ。


 色んな意味で、濃密な一日だった。


 もしかしたら、『見知らぬ婆ちゃん』はこうなる事を予測していたんじゃないだろうか?


 だから、わざわざ俺の造ったクモ貝にナニやら込めたんだろうな…。


 蒼白になった顔で、ひたすら詫びていたマイスイートを思い返す。



 コレって『失恋』かなぁ…?


 バスの窓から見える夕日にため息を付く。


 最寄のバス停で降りて、徒歩5分。


 昨日、爺ちゃんが作った大きいクモ貝の魔除が玄関にぶら下がる築30年は経っている一階平屋建ての我が家に到着。


 こうやって見ると、我が家は大分周りから浮いてるな…。


 ああ、疲れた…まずは風呂…。


 ガタッ。


 ?


 玄関の引戸に手をかけるも、鍵が掛かっているのか開かない。


 おかしい…この時間は、必ず誰かいるから鍵なんて掛かっていた事なんてないのに…。


 インターホンは壊れているので俺は、引戸を軽く叩いた。


 ガンガンガン。


 「おーい! 誰か居ないのか? 俺、鍵とか持ってないんだけど?」



 サッシにはめ込まれた、曇りガラスの向うに人影が揺れる。


 何だ、誰か居るじゃないか!


 「早く開けてくれ!」



 俺の言葉に返事は無い。



 「お___」

 「入らんよ!そこで待っときなさい!!!」


 曇りガラスの向うからかなり焦った様子で『見知らぬ婆ちゃん』が、怒鳴った。


 「え?」


 普段、滅多に取り乱す事のない『見知らぬ婆ちゃん』が声を荒げている…なんだ!?


 その様子に驚く俺に、『見知らぬ婆ちゃん』は言葉を続けた。


 「けーいー! 『お守り』 はどーしたねー!!!」

 「お守り? ストラップのこと?」


 俺は、今日学校で遭った事を『見知らぬ婆ちゃん』簡単に説明した。


 少しの沈黙の後、見知らぬ婆ちゃんは深いため息を付く…。


 「あきさみよー…でーじなってるさぁ…」


 『見知らぬ婆ちゃん』は、故郷の方言でナニやら呟く。


 「????」


 「けーいー…なんでそんな事したね~…?」


 「そんな事…て…?」




 ビッキッツ!




 突然、戸口に下げられていたクモ貝にヒビが入った!


 「!?」


 何…何なんだよ!?


 「けーいー!! 『サン』を取りなさい!」


 『見知らぬ婆ちゃん』は引戸の下をガンガン叩いた!


 視線を落とすとそこには、何やら30cmほどの長さの『草』が引戸に挟まっていてその先端はくるりと結ばれていた。


 「なにコレ!? 俺に…なんだって!?」

 「早く取りなさい!! マジムンが________」


 『見知らぬ婆ちゃん』がそう言いかけた瞬間、玄関にかけられていた5つもあったクモ貝がパーンと音を立てて一斉に砕け散った!


 「うわ!」


 俺は咄嗟に、頭を庇う。


 チチチチチチッ…。


 背後で、聞き覚えのある音がする。


 誰だって、一度は聞いたことのある筈の音。


 ゾク…と、背筋に悪寒が走る。


 「けーいー! 早く逃げなさい!!」


 『見知らぬ婆ちゃん』の声も耳に入らない!



 恐怖。


 と言う感情が俺を支配する。


 「先輩」


 ああ、声はこんなに穏やかなのに…この気配を俺は知っている。


 「何で…?」


 俺は、振り返った。


 道路と家の敷地の境界に『彼女』が立っている。


 皺一つ無いセーラー服を着用し右手にはカッターナイフ、蒼白の肌に笑顔を浮かべ夕日を反射する眼鏡越しの瞳には明らかな



 __殺意__



 国語教師には一切感じなかったソレを、マイスイートは何故俺に向ける?


 「コレで、邪魔者は居ません…」


 一歩、また一歩…『彼女』が此方に歩みを進める。



 はぁ…はぁ…はぁ…______


 逃げなきゃ……分かっているのに_______


 体が…動かない……!


 俺は、この状態を知っている…『あの時』と同じだ!


 「けーいー!早く『サン』を取りなさい!!」


 すりガラス越しに『見知らぬ婆ちゃん』の必死に叫ぶ毛けど…ダメだ…体が動かね…!



 チチチチチッ…。



 『彼女』が、持っていたカッターナイフの刃を伸ばす。


 「先輩…」


 歪な笑顔を浮かべ、真っ白な手に握られた刃が俺の首へ伸びる。


 グッと、押し付けられた刃が僅かに肉に沈んだ。



 「これで、ずっといっしょ」


 ポッカリと穴の開いた様な、白目の無い真っ黒な瞳が俺を見上げる。


 殺されるのに…怖いはずなのに…何故だか俺の中に不思議な安堵感が生まれた。



 ああ、コレで楽になれる。



 もう誰も俺に____。



 パキ。


 ほんの僅かな音。


 俺は、敷地と道路を隔てるブロック塀に目を向けた。


 そこには、顔面蒼白の外道シスターズ渚と風そして渚に羽交い絞めにされ口を塞がれた弟__剣。



 三人が、ブロック塀から顔を覗かせ此方を伺っている!


 剣に至っては、状況が把握出来ずじたばたしている所を更に風に押さえつけられた!



 剣…渚、風…!


 「うわああああああああああああああああ!!!!!!」


 俺は、首に押し当てられたカッターナイフ握った腕を手で払い飛ばし相手が怯んだ隙に戸に挟まれていた『サン』を取る!


 此処から離れないと…3人に危険が及ぶかも知れない!



 少しばかりよろめいた『彼女』が、体勢を建て直す。



 「こっちだ!!」


 俺は、庭の方へ走り更に塀を飛び越える!


 振り返ると、まるで蜘蛛のように『彼女』が壁から這い上がって来たところだった!



 ふしゅううううううう………!



 怖い! 怖すぎる!



 俺は、命の限り駆け出した!









 体力と気力の続く限り俺は走った!



 方角など頭には無い、兎に角『家』から離れる事だけしか頭に無かった!


 夕日が、赤く染める通りを後ろを振り返らず只ひたすら駆け抜ける。


 チチチチチチッ…。


 しかし、どんなに走ってもカッターナイフの刃を出し入れする音が背後から絶えず鳴り響く。


 「はぁ! はぁ! はぁ!」


 肺が破裂しそうに痛い…こんなの、部活でも滅多にならない。



 「くそっ……?」


 ふと、遥か前方に複数の人影が見えた!


 やった! たすか______!?


 俺は、咄嗟に人電柱の影に身を隠す。


 複数の人影は、徐々に此方に近づく。

 ソレは、15人ほどの女子集団…その全員に俺は面識があった。


 柔道部女子部員。


 あいつらの練習メニューには、男子部員も真っ青になるほど外での走りこみやら筋トレが含まれる。


 女子の一団は、俺の隠れる電柱をかなりのハイペースで横切り走り去っていった。


 此処は、学校の近くなのか…?


 「はは…何やってんだ俺…」


 折角、助かるチャンスだったのに…いや、なんて言うつもりだったんだ?


 『ユーレーに追われてんるんです! 助けて! 殺される!』


 とでも言えと?



 チチチチチチッ…。


 

 …言ったほうが良かったかも…!


 俺は、再び弾かれたように掛けだした。


 女子部員達の姿は、もう何処にも見えない…あいつら、なんちゅうペースで走ってんだ!


 ガッ!


 え?


 足元に違和感。


 俺は、派手に前に転がった!



 マジかよ…。


 転んだ事自体は大したことは無い…咄嗟に発動した柔道の『受身』と言うスキルが殆んどの衝撃をカバーするからだ。


 只、受身で回避出来るのはあくまで与えられた衝撃のみ…達人ならまだしも俺如しは受身を取った地面に落ちてるものまで予測は出来ない。


 俺の右足脹脛には、割れた酒瓶と思われるガラス片がグッサリという効果音がぴったりな状態で深々と突き刺さっていた。


 脹脛側面から突き出した、ガラスが俺の血で夕日を反射しててらてらと光る…痛いより熱い感覚…。



 これは、多分自分で引き抜くのは危険だ!



 チチチチチチチチ…。


 直ぐ近くに迫る、音。


 「っく!」



 俺は、視界に入った路地に足を引きずりながらころがり込んだ。


 建物の裏に当る路地は薄暗く、日も落ちようとする中更に暗さを増している。



 「先輩」



 俺のすぐ背後。

 背中にぴったり寄り添うように声が聞こえた。


 「う あ…」


 俺は情けない声を上げ、足がもつれて無様にその場に転びまるで赤ん坊のように四つんばいでその場を逃れようともがく。


 が、ソレも虚しく背後から襟をつかまれあっけなくゴロリと仰向けに倒された。


 「ひっ!」


 仰向けにされた俺に、彼女がまたがる。


 「もう、無理をしなくて良いんですよ…?」


 恐怖に引きつる俺に彼女は優しく微笑んだ。



 あ…。


 「これからは、ずっと一緒です」



 俺の喉に、カッターナイフが押し付けられる。




 「うん」



 俺の返事と同時に、刃が肉に沈み一気に引き割かれた。 

  


 ああ…。


 

 喰われている。


 俺が、喰われている



 皮を


 肉を 

 

 内臓を

 

 神経を

 

 割かれた腹から、彼女の白く細い腕が中身をまさぐった。


 

 「ゴポッ…ゴポッ…」


 叫び声は、割かれた喉から赤い泡となってはじける。


 「そんな、顔しないで下さい」


 彼女が優しく微笑む。


 「骨も粉にして飲みます。 先輩の全身くまなく…零れる血もすべて喰らってあげますね…」



 どうして…?



 「ずっと、みてました。 先輩は、予期せず全てを失った…それでも逃げ出す事無く…いいえ…『逃げ出せず』その場に留まり続けるしかなかったのでしょう? アナタの人生は正に『自分以外の誰かの為』に消費され続けている…だから、解放してあげますね…」



 『ずっと、そう願っていたでしょ?』


 彼女は、甘い言葉を紡ぐ。



 そうだ…俺は願っていた。


 親父の暴力から、『家族』を救う為・・・わざわざ警察署の柔道クラブへ通いその脅威を回避し努力の末この学校の体育推薦枠に滑り込んだのもみんな『家族の為』…自分の為じゃない…。

 きつく苦しい練習、ソレを乗り越えられたのは母さんや剣の喜ぶ顔が見たかったから…高校こそ試合になんて出られなかったが中学の試合で何度か優勝した時はあの親父でさえ喜んでくれたんだよ……!


 だから、俺!


 死ぬ気で頑張ったんだ…! 


 俺が頑張り続ければ、もしかしたらって…。


 でも、そんなの意味無かった。


 クリスマスの日に俺の努力は泡と消え、同時に高校生活で培ってきたものを全て失う結果となった。


 世界は、対価を持たざる者に呆れるほど残酷だ。


 俺は、行き場を失いそのままそこに居座った…只それだけの事。


 同じ教室にいる『別世界住人達』を、横目にまるで目隠しをしてがけっぷちに立つような感覚。



 『恐怖』


 その感情だけが俺を支配する。


 「大丈夫…もう泣かなくて良いんですよ…これからは私が一緒にいますから」



 チチチチチッ…。



 だから、これは救いなんだ。




 俺の血で口を汚した彼女が、両手で掴んだカッターナイフを振りかぶる。


 国語教師は、どんな気持ちで彼女と最後を飾ろうとしたんだろう?


 今思えば、国語教師は俺を逃がそうとしてたんだよな…大量の机や本があれほど見事に直撃しなかったのも何故か出口が確保されていたのも…最初笑ったもの生徒を守れたと思ったからかな?


 『 イ”え”お” 』って、多分『逃げろ』って言ってたんだよな…はは…酷い事したなぁ…俺。


 ゴキブリのようにのたうち回っていた国語教師。


 事切れる最後まで俺の心配をしていたんだろうか?


 彼は彼女と死のうとした事を後悔したのだろうか?


 先に死なせてしまった事を悔やんだだうか?



 カッターナイフが、俺目掛けて振り降ろされる。



 あ…コレで……。




 


 ________良い訳ねーだろ?


 俺は、恐ろしく冷静だった。


 「なん___?」


 彼女は信じられないモノでも見るように、自分の胸に突き立てられた緑に視線を落とした。


 俺は、カッターナイフを振り下ろそうとした彼女の片方の肘を左手で押し上げがら空きになった胸に右手に握り絞めていた『サン』の枝を突き刺した。


 叫び声は無い。


 只、穴の開いたような黒い瞳から赤黒い液体が止め処なく零れる。



 「ああ…先輩も先生と同じなんですね…」



 ゴメン…本当にゴメン…。


 俺は、君と一緒にいたいと思うほどまだこの世界に絶望していない。


 俺は、激痛を堪え上半身を起こし脱力した彼女を抱き締めた。


 小さな彼女の体は、俺の腕にすっぽりと収まる。


 

 「…も…私……先輩に……なにも出来ない……」


 冷たい感触が、徐々に消えていく。


 


 ゴメン…本当に好きだったんだ…でも、一緒には行けない…!



 「先輩なんか…大嫌い……だから…これは」



 俺の腕の隙間から、彼女の腕が薄暗い路地の一角を指差す。



 『ちょっとした報復です』


 聞こえるか聞こえないかの微かな言葉を残し、彼女は歪に笑う。


 俺は、彼女の指差した場所から目が放せなかった!



 そこは、何の変哲もないコンビニと思われる建物の裏…コンクリートの壁に張られていた訊ね人の張り紙。


 丁寧にラミネートされてはいたが、風雨に曝され所々インクジェットが流れてはいる…でも間違いない!


 爺ちゃん?



 ソレは、間違いなく爺ちゃんだった。


 顔写真の下には知らない名前・知らない住所…なんで…?


 抱き締めていたはずの彼女に視線を戻したが、そこには既にその姿は無く膝の上には『サン』だけが落ちている。



 俺の意識はそこで途絶えた。








 気が付いたのは、病院のベッドの上だった。


 「あら? 起きたの?」


 ベッドの傍らでリンゴを剥いていた母さんが、リンゴから目を逸らさずに言った。


 「かあさ…!?」


 俺は、思わず喉を擦った!


 声がでる…?


 「全治2週間だそうよ!」


 「え…?」



 呆けたようになった息子に、母さんはため息をつく。


 「その足の怪我よ! 全く! 転んでガラス刺して出血多量なんて…もし、クラスの子が通りかからなかったら死んでもおかしくなかったらしいじゃない! 何やってるの!? そんな間抜けな死に方したら飛んだ笑いモノよ!」


 俺は、体のあちこちを弄った。


 不思議な事に、怪我はあのガラスの刺さった脹脛だけのようだ…な…?


 「圭! 聞いてるの!?」

 「はいはいはい! きいて_____」


 母さんの目に薄っすら涙が浮いている…胸が締め付けられた。


 「ごめん…母さん…」


 「全く…心配させないで頂戴!」


 母さんの剥いてくれたリンゴをかじりながら病室の窓を見る。


 彼女は、無事に旅立てただろうか?


 …そして、何より気に掛かるのは_____。





 二日後、俺は退院した。


 本当はもっと経過を見た方が良いらいしいが、経費と出席日数の関係で無理やり残りの治療を通院に切り替えたのだ。


 学校帰り、俺はバスに乗らず松葉杖を突き例の路地裏を目指した。


 アレを確認する為、錯覚であって欲しいと願いながら。


 まだ、日があるにも関らずひんやりとした路地裏その壁にソレはあった。


 「ガチだキタコレ……」


 尋ね人の張り紙には、満面の笑みを浮かべる爺ちゃん…他人のそら似とかそんなレベルじゃない…本人だ!


 俺は、張り紙を壁から剥ぎ取り丸めて学ランの内ポケットにしまう。


 こんなの、張りっぱなしになんか出来ない!


 「何やってるの?」


 背後から、聞き覚えのあるソプラノ。


 「何だ…お前か比嘉」


 「『何だ』じゃ無いわよ…帰りバスででしょ? 怪我もしてるのに一体なにしてるのよ?」


 実は、ここで倒れていた俺を介抱し救急車を呼び母さんが病院に到着するまで付き添っていたのは何を隠そうこの『正義の味方:比嘉霧香様』だ…つまりこの虫唾が走るほど嫌いな女は命の恩人ってわけ。 


 「なんでしゅか? ぼっくんのことストーキングでしゅか~?」


 「…ここは、私の家の近所なのよ! アンタが此処に入っていくのが見えたから…し…心配になって…」


 俺のふざけた言葉使いをスルーし、比嘉は下を向きしどろもどろに答える。


 あ…そう言えば俺、まだコイツに礼を言って無かったけ?


 「はぁ…比嘉」


 「な、何?」


 俺がが声をかけると、比嘉はパッと顔を上げた。



 「…礼をまだ言って無かった、今は無理だけど近いうち何か形に…」


 「いらない」


 ピシャリとした拒絶の言葉に、俺もさすがに驚いた!


 見返りが要らないとか、何処までヒーローなんですか!?



 「いや、俺を介抱してくれた時、着てた服とか血ついてたって母さんも言ってたし…弁償くらいさせろ! 胸糞悪いだろ!? そう言うのが嫌なら何か他に無いのか?」


 …出来る限りこんな奴に借りなんか作りたくない…!


 『命の恩人』なんてヘヴィな借りが簡単に払拭されるなんて流石に思わないが何かケジメをつけないと気分が悪い!



 「ある」


 比嘉は、俺の目をジッと見つめた。


 「あるのか? じゃぁ早く言ってくれ!」


 俺は、この時の台詞を死ぬほど後悔する事になる。


 「圭、私…アンタが好き」


 


 ……………………………………んう?




 毛穴から悪寒と共に冷や汗があふれ出す!



 「こんな事で付込むつもりは無い…だから返事はよく考えてくれて構わない…から…!」


 そう言い放つと、比嘉は白い肌をまるでリンゴのように染めながら路地裏から走り去ってしまった。


 比嘉の美しい黒髪が遠ざかり、それと同じくして俺の体に鳥肌が一気に走る!



 なにコレ?


 フラグとかありましたか?



 自慢じゃないが、今までの比嘉に対する俺の態度の何処にあの台詞を言わせる部分がありましたか?


 俺、結構酷いことしたよね?


 腹パンしてゲロさせたし…それ? それが良かったの? 比嘉、ドMなの?



 それ以前に無理…生理的に無理!!


 悪夢…悪夢だ……答えなんて決まってる!


 しかし…!


 OW…マイスイート、これも君の報復なのかい?



 俺は思わず天を仰ぐ。



 俺の初恋を捧げた君は、そこで笑っているのだろうか…。

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