表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊感0!  作者: えんぴつ堂
すべての優しいifを殺して
19/25

すべての優しいifを殺して①

**************



 誰かが泣いてる。


 「ふっ…ぐすっ…ねぇ、つらくないの?」


 「…」


 「僕は辛い…体中が痛いよ…もう殴られるの ヤダ どうしてお母さんは僕等を助けてくれないんだろう?」


 「オレはお父さんもお母さんもキライだ、ほかのオトナもキライだよだれも助けてくれないもの」


 小さな手が、ほほに触れてぼろぼろ零れる涙を細い指で拭う。


 「泣かないで、大丈夫オレが必ず守るから…お父さんの追いかけてこれないくらい遠くに二人で逃げようよ___ねぇ、兄ちゃん」



 馬鹿で愚かな僕は、その痣だらけの小さな手にすがり付いてしまったんだ。


**************





 真っ暗な部屋の中でまるで、それが当然のように俺は目を覚ました。


 スマホの画面には、 04:50 のデジタルな表示が踊る。


 いつも起きる5時より少し早めだが、体がだるかろうが何だろうが俺は絶対にこの位の時間には目が醒める。



 もちろん、アラームなど掛けているはずはない。


 約3年…正確には2年10ヶ月前、県内トップの進学校にしてスポーツにおける功績も最高峰の称号を欲しい侭にする私立尚甲学園の体育科に柔道部のスポーツ推薦を使い入学した。

 そして、その柔道部の部則に法り入学と同時に俺は親元を離れ柔道部の寮に入寮しそのまま生き地獄とも取れる厳しい練習に実力で全てが振り分けられる過酷な生存競争に身を投じて行く事になる。


 はっきり言って、楽しいと思える事は殆ど無かったが余計な事は何も考えず只練習に明け暮れている日々は悪くは無かった。



 コレは、そのときの後遺症の一つ。


 

 朝練の行なわれる早朝5時に起きるようセットされた体内時計。


 2年10ヶ月もの間に体に植えつけられたこの強迫観念だけは、入院していた時ですら狂う事無く遂行されたのだから驚きだ。


 発光するスマホの画面の眩しさに目を細めなながら、俺の傍らで腕にしがみ付きながら眠る弟の口からしゃぶっている親指を引っこ抜いて代わりにいつものハンドタオルを噛ませそっと腕を外す。


 全く、いつまでたっても剣のおしゃぶりは直らないな…。


 そうこうしてる間に、夜が明けてうっすらとカーテンから光が部屋に差し込みスマホの光なくしても部屋の様子が見えるようになった。


 四畳ほどの広さの空間に、剣と一緒に机代わりに使っている会議用の長テーブルには教科書やらノートパソコンが散乱し統一性の無い大きさもまちまちのタンスに無造作に積まれた漫画雑誌と部屋のドアの近くに置かれた化粧台。


 それらに取り囲まれるように部屋の中央の空間に敷かれた布団。


 部屋の奥側から、俺、剣、見知らぬ母さんがいつもの様に三人川の字になって眠ってる。


 此処は元々見知らぬ博叔父さんの部屋だったが、俺たちが引っ越してきたときに快く明け渡され以来俺たち家族の寝室兼子供部屋として使用している…そう言えば、俺がつい昨日まで引き篭っていた3日間この二人は何処で寝てたんだ?


 …深く考えるのはやめよう。



 いつもの様に、足音を立てないように気お付けながら部屋を出る。


 静かな朝だ。


 普段ならこのまま、新聞を配達員から直に受け取るという日課を遂行しに外のポストに向う所だが…今日は違う。


 俺は玄関とは逆の、縁側の方へ歩を進める。


 今日は、自主的に空手の朝錬をしている従妹の渚は友達の家にお泊りで昨日から戻っていない…だからこの時間、そこに行けば誰にも邪魔されず話すことが出来るはずだ。


 開け放たれた縁側の雨樋、屋内に流れ込む2月の冷たい外気に薄手のジャージしか身につけていなかった俺は思わず震える。


 視線の先に、この雨樋を全開にしたと思われる人物が跪き縁側から空に上りつつある太陽の光を浴びて一人お茶を啜っていた。


 「あい? けーいー? そうね…もう来る頃と思ったさ」


 白髪を団子状にまとめ、暖かそうな紫の綿貫を身につけた見知らぬ婆ちゃんは『おいでごらん』っと手招きして俺を隣に座らせ慣れた手つきで湯飲みにお茶を注いぐ。


 すすめられたお茶を飲むと、ほんのり花の匂いがした。



 「婆ち_____」


 「いつまでも、こんなしてはいられんよ」



 皺に埋もれた、優しいくも哀しげな眼差しが俺に向けられる。


 「ほかの人は気がつかない事でも、婆ちゃんみたいにわかる人にはわかるんだよ…」


 見知らぬ婆ちゃんは、俺の手を取りまる諭すように言う。


 まるで、俺がなにかしたみたいに!


 ザワッっと湧き上がる嫌悪感!


 

 ガチャン!



 庭先で割れる湯飲み。



 聞きたい事が山ほどあってもう喉まで出掛かっていたのに、俺は見知らぬ婆ちゃんの手を払い勢い良く立ち上がる!




 「けーいー! 婆ちゃんはね、けーいーに感謝してるよ! でもね、」





 『もう限界なんだ』




 頭の中で、知らない…いや知ってる声がした。


 なんだコレ…!?



 『正さないと』


 ビキッっと、まるで亀裂でも入ったみたいに頭の芯が痛い!



 「けーいー…? けーいーは、なにも知らなかったわけ…?」



 見知らぬ婆ちゃんは、突如頭を抱え体を丸めた見知らぬ孫の背中をさすり『ごめんね、ごめんね』と繰り返した。







 


 ああ、またか。


 目の前に広がる血の海に俺は、うんざりだとため息を付いた。


 倒れた食器棚。


 血の海で横たわる、青白い小さな亡骸。


 例えそれが、俺の可愛い弟のものであったとしても所詮はいつもの夢だ。


 起きれば、何の事はない。




 『へぇ、そう思ってたんだ』


 「!?」


 さっき聞こえたあの声が、頭の芯をゆらす!


 すると、まるで殴られたみたいに視界がぶれ喉元まで胃液が競りあがり俺は思わず口を手で押さえた!



 『やっとだ…探したよ』


 その声に視線を上げると、茜色に染まるフローリングに広がる血の池にいつの間にか『奴』は立っていた。


 只、おかしな事に俺は奴の姿をどう言う訳か認識できずにいた…妙な感じだ、そこにいるのは分かるのに目に映っている筈の姿形が全く頭に入ってこない。


 「誰だ…てめっ…?」



 びちゃ。


 奴は問いを無視し、血の池の中を一歩また一歩と俺の方に向って歩いてくる。


 おかしい…夢の中の所為だろうか?


 俺は、近づいてくるこの得体の知れない生物に恐怖を全く感じないそれどころか何処か安堵すら覚えている。



 『ごめんね、ずいぶん待たせて』



 奴は、俺に向って両手を広げた。



 『おいで、もう大丈夫だよ』



 俺は、ふらふらと膝を付いてその胸にぽすんと頭を埋める。


 ああ、なんて心地いいんだろう…。


 頭の中のひび割れた芯からドロッっと『ナニカ』が零れて流れてく感覚が恐ろしく心地いい…もっと、もっと零れて無くなればいい…。


 『そうだよ、もう心配しなくていい全てを元に戻すんだ…だからもうお前が苦しまなくて良いんだよ______僕のif』



 if。



 そう言われたとき、まどろんでいた俺の意識が一気に覚醒した!



 「は なせ っ 」


 俺は、もう力の入らなくなった腕で必死に奴から逃れようをもがく!


 その行動に奴は少し驚いた様だったが、どんなにもがいてもふわりと軽く回された手を振り切ることがどうしても出来ない!


 やがて、その微かな抵抗も徐々に弱まり力をなくした腕はだらりとぶら下がりまるで糸の切れた人形のように俺は奴に体を預けた。



 『どうしたの? どうして拒むの?』



 うるせぇ! 糞が! 俺に触るな! 


 冗談じゃねぇ、今更現れて元に戻すだ!?


 ふざけんな!!!


 認めない! こんなの認めねぇぇぇぇぇ!!



 ガッ!



 飛び起きた俺の額に、何か固い物がぶつかって激痛と眩暈にもう一度体が布団に沈んだ。



 「っあ"…!?」


 俺は、ぐしゃぐしゃになった布団の上で激痛に悶えながらも何とか上体を起して激突した物体を確認する。



 「ひでぇ…なにすんの圭兄ぃ~~~~~~!」


  足元で洋服タンスに寄り掛かって額を押さえながら黒縁の眼鏡越しにうっすら涙目で俺を見ていたのは、従弟の浩二だった。


 「浩二…? 何で…ココ俺の部屋…?」


 浩二は父方の従弟で両親が離婚してからと言うもの結構な間疎遠になっていたが、つい最近路上で友人と共に俺を襲撃してきたを機に久々に再会しそこからメールのやり取りはしていたんだが…って、なんで浩二がこの部屋に?


 つか、良くこの家に入れたもんだな…。


 この家の大人達。


 とりわけ見知らぬ武叔父さんは、俺の親父の事が死ぬほど嫌いで大人気ないことに同じ血を引く『小山田』である浩二の事がさほど…いや、かなり嫌いだ。


 もし、門前にでも近づこうものなら追っ払われるのは目に見えている。


 「んぅ? ばーちゃんに入れて貰ったんだよ?」


 ばーちゃんと聞いて、俺はさらに違和感を覚えた。


 見知らぬ婆ちゃんは、流石にそこまで『小山田』を嫌ってはいないが他の家族が嫌っている事は知っているので邪険にしないまでも招きいれるなんてするだろうか?


 …それよりなにより…。



 「…お前、何しに来たんだ?」


 「え!? 酷っ! お見舞いだよ、お・み・ま・い ドゥー ユー アンダー スタン? マイ ファースト カズン!」



 習いたてと思われる英語を喋る中二…キモイ!



 「そら、どーも」


 「マジで大丈夫か? 顔色悪いし、今かなりうなされてたぞ?」


 浩二は、ようやく額の激痛が治まったのかタンスのほうから這って来て俺の顔を覗く。


 「あ? ああ、大丈夫だ…それよか近い! 近いって!」



 俺の抗議に至近距離で顔を凝視していた浩二が、ぱっと離れる。


 ん?


 「浩二…お前なんで制服着てるんだ?」


 良く見ると、浩二はばっちり学ランを着ている…おかしい。


 だって今日は_____



 「は? だって今日は月曜だぜ? バリバリ学校じゃん?」



 はい___?



 「うそ…!」


 え?


 じゃぁ俺、丸一日以上寝てたってことに…?


 

 あああああああ! やばい! やばいよ!


 

 「うを!? どうした圭兄!」


 布団にガンガン頭を打ちつけ始めた俺に浩二がドン引きする!


 「単位! 単位だよ単位!」


 「は? それがどうしたんだ? 圭兄って別に学校サボったとかないじゃん? 入院とか色々あったけどその位で騒ぐことじゃ……」


 浩二が、おろおろと奇行に走る従兄を宥めつつ眉を顰めた。


 ああ、そうだ!


 俺は学校をサボったことなんて無し授業だってちゃんと受けてた通常なら卒業するのになんら問題は無かっただろう!


 通常なら!



 だが、どうして卒業を間近に控えこんなにも困窮を極めているかと言うとそれは俺が柔道部を辞めた(クビ)になった事に起因する。


 体育科は文字通り『スポーツ特待生』の集まりで、勉学なんぞよりも部活動が優先される。

 …つまり、季節はずれの県外合宿や遠征に加え九州大会・全国大会など普通科や特進科が勉学に励んでいるさなか学業そっちのけでそれらに参加しなければならず当然その期間は学校は欠席だ。

 まぁ、それらは当然単位として認められるので普通の体育科生徒なんら問題にされないのだが俺の場合は違った!


 俺は、部活を辞めてしまったことでそれらの一部が単位として認められなくなってしまったのだ!


 理由としては、俺が選手ではなく只のその他雑草であったことで過度の遠征や大会手伝いなど選手として学校に貢献できない一部の事柄が退部してしまった事で『単位』として付与されない状況を作ってしまったらしい。


 無論、抗議する事も考えたが単位数を計算した所普通に学校に通っていれば問題ないという事がわかり無理に抗議して事態を悪化させるほうが得策で無いと判断し今に至るわけだけど…此処に来て事態が急変した!


 度重なる奇妙奇天烈摩訶不思議で奇想天外な非日常トラブルに巻き込まれ、入院とかなんやかんやで今此処きてストックなどない単位に足が付いてしまったのだ!


 「嘘だろ…卒業できないとかになったらそれこそ…俺っ……!」


 「落ち着こう! 一旦、落ち着こうぜ! 圭兄…きっと、多分、もしかしたら、恐らく、なんくるないさ?」



 オワタw


 俺の人生、テラやばいw


 ヘルプミーw






 「泣くなよ、圭兄~」


 布団の上で胡坐をかきはらはら涙を流す俺を、浩二が必死に慰めようとする。


 人間の価値は学歴じゃないとか、学校のテストで人は評価できないとか、ナンバーワンじゃくてオンリーワンだとか、知るか!


 そんな幻想犬に食わせろ!


 学歴は価値じゃなくて証明だし、学校テストの点は社会に示すモンだし、オンリーワンでは飯は食え無いし少なくとある一定の集団で上位でなくてはならない時点でオンリーではないだろ!?


 心の中で従弟に悪態ついても、現状打開にはなりませんよ分かりますよ、はい。



 でも…取り合えず今は泣いてイイですか?


 

 「ううう…」


 「わぁ! もう、泣くなよ…マジでどうすれば…?」


 おろおろする浩二の背後で、ガチャっと部屋のドアが開く。


 「兄ちゃん! 大丈夫_____え? 浩二兄ちゃん!?」


 おうぅ、俺の天使のお帰りだ。


 剣は、久しぶりに会う浩二に一瞬顔をほころばせたが直にその顔が曇る。


 「兄ちゃん! なんで泣いてるの!?」


 「え? ああ…なんでもねぇ…ズズッ」


 次の瞬間、俺の真横を黒い物体が通り過ぎ直ぐ横にいた浩二の顔面にぶち当たる!


 「あべし!!」


 浩二に衝突した黒い物体は、剣のランドセル。


 「浩二兄ちゃん! 兄ちゃんになにしたのさ!」


 「まっ! 待て、剣! はっ話せば、話せば分かる! 無実だ! 圭兄ぃなんとか言ってよって! うぴゃぁっぁぁぁ!!」


  剣が、まるで戦隊モノのヒーローよろしく浩二に飛び掛る!


 あらヤダ剣ちゃんったら、こんなに立派になって兄ちゃんきゅん死しそうw


 浩二の悲鳴を聞きながら、俺は見知らぬ婆ちゃんの言葉と例の夢について考える。


 アレは、夢だよな?


 だとしたら、見知らぬ婆ちゃんは何であんな事俺に言ったんだ?


 それともコレは去年の年末から始まる壮大な悪ふざけ…んな訳ねーよな…。


 流石の俺も、家族が尽く他人である現状や巻き込まれた尋常じゃない事件の事を思えば偶然でもましてや自分の妄想でも無い事くらいわかる。


 それに…あの家、アレは病院で赤又が見せた記事の家ではないだろうか?


 だとすれば、俺は記事を見る前に既にあの家を知っていた事になる…そして、あたかもそのそこで起きたであろう事件の記憶を______。




 「ギブギブギブギブ!!!圭兄、たじけて~~~~!!」



 俺の思考は、従弟の悲痛な叫びで中断された。


 見れば、剣が浩二の背後からはだけた学ランの襟を掴み締め上げようとしているが浩二の顎が下に入っていてどうやら絞まっていないらしい。


 「あ~…剣、顎を上げて手首入れて襟もう少し奥掴んで手首を引っ張るんじゃなくて捻るそうそう…んで反対の腕相手の脇から通して何処でも良いから掴んで引き付けて仕上げに頭を_____」


 「ぐっがっ!? なにいっちゃって…ぐぅ!!!」



 浩二が剣の手を参ったと叩く。


 流石、我が弟だ筋がいい。


 ひとしきりいわれの無い制裁を受けた浩二が、ゲホッっと咳払いをしてがっくりうな垂れる俺の前にドカッっと腰を下ろした。


 剣も満足したのか、今は特に怒るわけも無く俺の隣にちょこんと座る。


 「つー訳で圭兄、考えたんだけど…ここはもうあの人に頼むのが一番だと思うんだ!」


 この従弟の言う『あの人』と言う言葉に、俺の腕に鳥肌が浮く。



 「あの人って言うのは、圭兄もご存知の比____」


 「みなまで言うな!」



 俺は、額にを抑えたまま浩二の言葉を遮る…よぎってた、よぎってましたとも!

 

 あらゆる可能性の中でも真っ先に!


 狭い布団の上で男が三人ひざをつき合わせて沈黙する…この沈黙は俺の決断を持ってしか終わらないだろう。



 「…わかった、明日………話してみる」


 俺は覚悟を決めた。だって、背に腹はかえられないし溺れてりゃ藁だって掴みたくなるだろ?


 それが例え________ピンポーン。


 家中にエコーの掛かった玄関の呼び鈴が鳴り響く。


 「誰だろ?」


 そう言っただけで一向に動かない俺に、浩二が遠慮がちに口を開いた。


 「あ~圭兄が出た方がいいかも……」


 「ん? 今誰もいないのか?」


 家には見知らぬ婆ちゃんがいる筈だ、だから応対くらい出来そうなもんだけどな?


 「いや、さっき家に上げて貰った時なんだか調子悪そうだったから…」


 「マジか?」



 俺が立ち上がろうとすると、剣が『オレが行って来る!』と言って素早く部屋を出て行ってしまった。



 「よっと…」


 俺は取り合えず立ち上がり、背筋を伸ばして首を鳴らす。


 「圭兄も行くのか?」


 「いや…俺は婆ちゃんの様子見てくるわ」


 縁側では取り乱したとは言え、俺は見知らぬ婆ちゃんに酷い態度を取ってしまったし何より体調が悪いなら孫として心配だ。


 「圭兄…今は_____」


 浩二が何か言いかけたとき部屋のドアが開いて、剣が顔を出した。



 「兄ちゃん!」


 「お? 誰が来てたんだ?」


 「うん、兄ちゃんの学校の友達だって」


 は?


 『トモダチ』と聞いて俺の額にうっすらと汗がにじむ。


 ちなみに、俺にはそこら辺の青春スポコン漫画のような暑苦しい友情を育んだ『トモダチ』なるモノはいない。


 意外に思うかもしれないが、寮の同じ部屋で寝起きし同じ釜の飯を食い地獄のような練習を共に潜り抜けたとしてそれで友情なるものが育まれるとは限らないのだ!


 おかしい。


 俺を『トモダチ』などと呼び、自宅まで訪ねて来る輩など存在しな_____あ。


 「もしかして、比嘉が_____」


 「残念だが違う」


 言葉を遮りヌッっと見慣れた顔が、半開きのドアの高い位置から部屋を覗き込んだ。


 俺より10cmは背の高い100キロ超えの筋肉質な肉体を窮屈そうに学ランに詰め込んだソレは、この糞寒いのに刈り立ての頭を青々とさせてその額に汗を浮かべながらまるで巨神兵のように剣の真後ろに佇んでいる。


 「仲嶺…?」

 

 仲嶺一、柔道部主将にして男子100キロ級全国大会3位のお節介なクラスメイトは神妙な面持ちで俺を見下ろし『はぁ…』と呆れたようにため息を付いた。


「なんだ…ピンピンしてるじゃねーか!! ったく、馬鹿かお前! なんで学校来ないんだよ!!」


 100キロを超える体躯から、ビリビリと空気を震わせるくらい気迫の篭った怒鳴り声が部屋全体に木霊しそのあまりの音量に浩二が思わず耳を塞ぐ!


 「っ~わぁ…キンキンするぅ~~…って え ?」


 浩二は、従兄の突拍子の無い行動に言葉を失った。


 つい今しがた、単位の事で落ち込んでいた従兄が次の瞬間には恐らく見舞いに来たであろう『学校のトモダチ』を殴り倒していたのだから。


 「剣!」


 トモダチを殴るという暴挙に出た従兄は、床に倒れる巨体には目も暮れず手前にいた小さな体を抱きしめる。


 「え? なに??」


 浩二があまり事態に困惑する中、腕の中で小さな体が顔面蒼白となりガタガタ震えた!


 っち! また呼吸が…!


 「…ぁっ! ゥァッ…!」


 「剣! いつもみたいに、落ち着いて息しろ! ゆっくり…そう…ゆっくり…」


 不意に顔面を殴られた豚が呻き声をあげて廊下で悶えるが、そんなのお構いなしに俺は剣の口に近くに放置されていたハンドタオルをあてがい兎に角ゆっくり呼吸するよう呼びかける。


 「ゴホッ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 五分ほどだったが、やっと息が吹き返したように泣き出した弟に俺は取り合えずほっと胸をなでおろしその背中をさする。


 「あ…そうか、聞いてたけどまさか此処までとは思わなかったよ…」


 浩二が、面食らった顔で剣と俺を交互に見て『びっくりした~』と呟きため息を漏らす。


 剣は、大人の男の怒鳴り声を聞くとタイミングによってはこんな感じで過呼吸を引き起こす事がある…それもこれもあの糞親父の所為だ!


 「玉城てめっ…」


 廊下で悶えていた豚が、鼻を抑えながらふらふらと体を起す。


 その目は、突然の暴挙に怒り狂い血管が白目を覆いつくす…どうやら行き成り最終形態に入ったらしい。


 「マジかよ…やめろよ二人とも! 嗚呼、もう! けっ、剣こっちおいでっ!」


 哀れな浩二に出来たのは、泣きじゃくる小さな従弟を抱いて窓から逃げる事だった。


 「ぐじゅ…玉城、テメェとはいつかケリをつけようと思ってたんだズズッ」


 溢れる鼻血を手の甲で拭いながら豚がゆらゆらと立ち上がり、俺に狙いを定める。



 「奇遇だな俺もだ、豚」



 小一時間後。



 浩二と剣が見たのは、壁とドア以外原型を留めない程に崩壊した部屋とその両端にそれぞれボロボロの状態で壁にもたれ掛かるように座り込む俺と豚の姿だった。



 「え~と…どっちが勝ったか聞くべき?」



 「「黙れ」」



 浩二は、俺と豚両方に凄まれ『あはは~ですよね~』と言いながら出て行った窓から剣を部屋の中に入れ自分も中に入る。


 「あ、そうそう二人でコンビニ行って適当にアイスとジュース買ってきたから好きなの取って…無理か」


 このクソ寒いのに、アイスとか…つか、コンビニ行ってたのかよ!


 倒壊した家具を適当に角に追いやり部屋の中央に作った空間に、敷物代わりに毛布を敷いて男四人が膝を着き合わせまだ2月のクソ寒い中無言でアイスを食べる。


 ちなみに、ヒーターは豚の手により窓を突き抜けフライアウェイしてった。


 「知らなかったとは言え、すまなかった!」


 自分の分の大福アイスを丸呑みにした豚が、俺の横で毛布に包まりながらモナカアイスから中身だけをチュウチュウしている剣に土下座した!


 「ぐじゅぅ!? んぐっ…もっ大丈夫だよ!」


 ひれ伏した巨漢に、剣が慌てて答える。


 「いいや! 苦しめてしまって、なんと詫びたら良いか…!」


 「もう、いいよ! オレたまにこんなんになっちゃうんだ…けど、もう大丈夫なんだから! ねぇ、兄ちゃん!」


 剣が同意を求めた事により、ひれ伏していた豚がそっと顔を上げて俺を見た。


 腫れ上がった鼻が、文句ありげに鼻息を荒くする…どうやら剣にはすまなく思っているようだが俺に対してはまだまだ煮え切らない部分があるらしい。


 殺気の篭った視線が絡み、その場をまたしても殺伐とした雰囲気に変えていく。


 「はいはいはい! ストップ! 兄さん達! 剣が恐がってるから、ちゃんと話そ! ねっ?」


 浩二が、休戦を持ち出し俺と豚は互いを睨み合ったまま向かいあう。


 「で、何しに来たんだお前?」


 俺は、ガリッっとクラシュされたグレープフルーツ味の氷をかみ砕く…っち、口の中の傷に滲みる。



 「見舞いだ、比嘉の代わりにな」


 豚は、気に入らないと吐き捨てるように言った。


 「比嘉の?」


 「ああ、正確には言伝を預かってきた…お前の単位についてだ」


 『単位』と言う言葉に、俺の体が否応なしに反応する。


 「比嘉に感謝しろよ、お前の為に駆けずり回ってお膳立てしてくれたんだ」


 豚は、着ていたボタンの弾け飛んだ学ランの上着のポケットから二つ織りされた封筒を取り出す。


 「ここに、明日からのお前のスケジュールが書かれている…コレに従えばよっぽどの事が無い限り単位が取れるし卒業も出来るだろう」


 俺は差し出された封筒を掴んだが、豚はその封筒を皺が出来るほどに強く握る!



 「おい!」


 「玉城、一つ質問に答えろ」


 鋭い視線が俺を射抜くように見据える。

 


 「お前、比嘉の事どう思ってるんだ?」


 

 豚は、低く鳴いた。




 …………は?




 「おおう! 圭兄! まるでゴミでも見るみたいな目で見ちゃ相手に失礼だろ!?」


 浩二が剣を引っ張って、部屋の角のタンスの残骸まで下がる!


 予想外の豚の言葉に、俺は余程酷い顔をしたらしい。


 「答えろ! 玉城!」


 剣の事もあって、豚は声を控えめに抑えるがその気迫は先ほど殴りあったそれと変わらない…マジで言ってんのかコイツ?



 「生理的に無理だ」



 俺が、豚の為にしてやれるのは『偽らない事』だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ