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霊感0!  作者: えんぴつ堂
きっと、よくあること
14/25

きっと、よくあること④



 事がうまく運ばない…!


 女は苛々しながら個室内をまるで、檻の中の獣のように右往左往する。


 そんな、自分を心配そうに見つめる娘の視線など気付く筈も無く時折何事かを呟き険しい表情は変わらない。


 そう、彼女は待っているのだ。



 コンコン。


 病室の扉が外から叩かれる。


 娘が何事か返事を口にするのを待たず、女は乱暴に扉を開けた!



 「っと!!」


 急に開いた扉に現れた機嫌の悪い女に、その人物は驚いた顔をし少し後ろに下がる。


  「ご用件は?」


 本当は、今直ぐにでも問い詰めたい激情を押し込みワザと素っ気無く相手に言う。


 「はい、明日のオペについてご説明がありますので…」


 目の前にいる、何処か幼さの残る若い研修医は目つきこそ悪いがスポーツ狩りを伸ばしたような短髪に少し日に焼けた顔に人懐こそうな笑顔を浮かべ女の望んだ『答え』を持って来た。


 「分かったわ」


 女は、研修医を押しのけるように病室から廊下へ出て早足で歩き出す。


 「あっ! 待って下さい!」


 「何?」



 呼び止められた事すら不愉快だ、とばかりに女は若い研修医をジロリと振り返る。


 「どちらへ?」


 「…『どちらへ?』 …? 山川先生の所に決まっているじゃない?」



 ソレを聞いた若い研修医は『あ~』と呟き、白い医務衣の上着のポケットからメモのようなモノをとりだす。

 

 「山川先生は緊急のオペが入ってしまいまして…明日のご説明はこちで別の医師が……」


 「そ…緊急のオペ……」


 病床の娘の看病をするのに相応しい、化粧っけの無い乾いた唇の端が微かに上擦る。


 「では、僕は娘さんの往診を…立ち会わないのですか?」


 若い研修医は、メモを受け取り立ち去ろうとする母親に訝しげに問う。


 「ええ、貴方に任せるわ…」


 母親は振り返る事無く、その場を足早に歩き去っていく。


 その場にぽつんと取り残された研修医は、半分閉じてしまった扉を引き中に入った。


 広々とした個室には、前に来た時よりも医療器具が増えてさながら実験室のようだなぁ…なんて思いながらベッドの上のシーツの蓑虫に視線を移す。


 ガラガラ…パタン。


 扉の閉まる音に、シーツの蓑虫がビクリと震える。



 「起きろよ、お姫様」


 

 聞き覚えのある不機嫌そうな声が、足音と共に迫ってきた。







 俺は、声をかけても動く様子の無いベッドの上の蓑虫から強引にシーツを剥ぎ取った!


 「……!!」


 すると、ベージュのカーデガンにピンクの入院着をお召しの我等がウソツキ姫がその真っ黒な瞳にあからさまに恐怖を浮かべベッド上へと逃げていく。



 「よう! お姫様…俺が此処に来た意味わかるよな?」


 ガシャン!


 と、ベッドボードに背中が当り姫の逃走はそこで終わる。



 「し…知らない……!」


 姫は俺の問いに不安げな表情のまま、その首を左右に振った。



 「おやおやおやおや? そうなのか? じゃ、俺は帰らせて貰おうかな?」



 そのまま踵を返すと背後で『ぁ…』っと小さな声がする…俺とチカはそのまま少しの間沈黙した。


 ブラインドから差し込む茜色の夕日が照らす病室に響くのは、チカの浅く早い呼吸音。


 「……代理ミュンヒハウゼン症候群…自分の代わりに子供など弱者を傷つけ悲劇の主人公を演じる」


 背後から聞こえていた呼吸音が、ヒュッっと喉を鳴らして止まった。


 「身に覚えがあるどころじゃないだろ? お前は______」


 「ちがうちがうちがう!!! ママは、ママは悪く無いもん! チカは病気なの!!!」


 振り向くと、チカは片方の手で頭をかきむしりながら親指の爪を噛む。



 「何も知らない癖に! 何も知らない癖に! 何も知らない癖に! 何も知らない癖に!!!!!」


  俺は、飛んできた枕を捕まえる。


 「はあ? だから、知るわけねーだろ? お前の事なんか!」


 大股で3歩。


 チカにしてみれば一瞬の事だっただろう。


 俺は、ベッドボードに張り付く小さな体をベッドマットに投げつけ叫び声を上げる口元に枕を押し付ける!


 甲高い叫び声は、枕の中でくぐもり見開かれた目は恐怖心から涙を流す。


 「ぶちゃけよぉ…俺はお前がどうなろうが知ったこっちゃねーんだわ…強いて言えばやり方がムカつく的な?」


 泣きじゃくるチカは、鼻からぶくぶくと鼻水を溢れさせ息苦しいしそうにもがくので俺は変装のため着用していた白い医務衣の胸ポケットに都合よく入っていた白いガーゼでチカの鼻をかむ。

 

 「はっきり言うぜ、お前の母親はクソだ! いや…クソにすら失礼な汚物以下の人間だ!」


 俺は、ガーゼを床に投げ捨て涙の伝うチカの耳元で囁く。


 「自分に注目を集める為に、お前を赤ん坊の頃から病人に仕立てるなんざ正気じゃねぇ…けどな、俺から言わせればお前だって同類だよ…」


 その言葉に、チカの大きな瞳が瞬きすら忘れ見開かれる。


 「『分からない』って面してんな? 説明して欲しい? 欲しい?」


 また、ぶくぶくと鼻水が溜り始めた鼻をガーゼでかんでやる。


 「お前は、途中から母親が自分に何をしているか気付いていた…んで、それはどうしてか知った…そうだろ? じゃなきゃ『ママは悪く無い』なんて言わないもんな? 理解なんざはなからする気はねーけど、お前は大好きなママの喜ぶ顔が見たくて今まで頑張ってきたんだろ? 山ほどクスリ飲んで、血抜かれて、体切られて、点滴に繋がれて…その繰り返し…辛かったろ? 痛みに耐えてよく頑張ったな…」


 俺の言葉に、湧いては零れる涙をそっと親指で拭いてやる。



 「………な~んて、悲劇のヒロインにでもなったつもりかよ?」


 安堵すら浮かべていた顔に戦慄が走る…なんだろう?

 

 従弟でドSの浩二の気持ちが少し分かる気がした。


 「ママの為に理不尽な扱いに耐えるワタシ可哀想でしょ? 的な? テラワロスw」


 口に押し当てていた枕を退かしてやると、ほんのりピンク色の涎がツ…っと糸を引く。


 「助かる気なんて無ぇ癖に、助かりたそうな振りしてんじゃねーよ…」


 「ち…がう…!」


 「嘘付け! お前がその気になれば逃げ出すチャンスくらい幾らでもあった筈だ! 少なくとも…自分で異変に気付いたとき、陸と小橋川先生が気付いたとき…お前が、声さえ上げていれば陸や小橋川先生だってあんな事にはならなかった!」


 瞬きを忘れたチカの瞳が歪み、掠れた声が問う。


 「…なにが…あったの……?」 


 俺は、ウソツキ姫に騎士と医者見習いがどうなったかを語って聞かせた。


 「……嘘……!」


 「嘘じゃありませんよ、お姫様! 陸は面会謝絶、小橋川先生は緊急手術…けど、もう気に病む事ないんじゃねぇ?」


 チカは顔を歪め、自分をベッドに押さえ付ける白い医務衣の不審人物を見上げる。


 「明日になりゃ、お前も小橋川先生と同じ手術台の上だ…今度は色々覚悟しないとだろ?」


 「何を…?」


 涙すら乾き真っ赤に充血した瞳に写る白い医務衣の男は、ニヤリと笑う。


 「おやおやおや? 母親に明日受ける手術の内容を聞かなかったのか?」


 震えながら首を横に振るお姫様の胸元に、『トン』っと人差し指が置かれる。


 「明日の、昼には此処が真っ直ぐ切り裂かれて心臓に電気をながすとかなんとか…詳しくは俺もしらねーけどな」


 まっ平らな胸の中心を入院着の上からなぞると、チカはヒュッっと息を呑んだ。


 真っ青になるチカが、俺の顔を凝視しパクパクと口を動かす。


 「どうした? そんな顔して…今回は心臓発作で運ばれたんだろ? なら、入院を長引かせたいお前の母親が何を考えるかなんて予想出来る筈だ! それとも、自分を死なせるような真似ママはしないと思ったのか?」



 『死』という言葉に脅え震えが止まらない少女の耳元で、不審人物はさも楽しげに呟く『健康な心臓に電気流すとかwそんな事したどうなんだろなぁ?』



 言うだけ言って、俺はチカを解放した。


 

 「じゃ」

 「ま"っ…でっ…!!」


 立ち去ろうとした俺の医務衣の裾を、小さな手が必死に掴む。



 「なんだ?」


 「行かないでっ…おねがい…!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃのチカが、蚊の鳴くようなか細い声で懇願する。


 「は? 聞こえねぇなぁ~? もっと大きな声で言って下さいませんか? お姫様ぁ~」


 チカは、まるで呼吸の仕方を忘れた魚みたいに喘ぐ。



 「いや…もう…いや……っ!!」


 「な~に~がぁ~?」


 裾を掴み俯いた顔が、ゆっくり上向き揺れる瞳が俺を凝視する。


 「もういや! 手術もママの飲ませる薬も注射も……チカ…病気じゃない! このままじゃママに殺される! 助けて! お兄さん!!!」


 はは…やっとかよ…。


 俺は、涙と鼻水で洪水を起すチカの顔を最後のガーゼでぬぐった。



 「……ほい、鼻ちーんな…落ち着いたか?」 


 俺は、鼻水でベタベタのガーゼを床に投げ捨てしゃくり上げる小さな背中をさする。


 う~ん、やり過ぎたか?


 いや…こいつの口から吐かせなきゃ意味が無なったならなぁ…。


 「兎に角、ここから逃げ___っつ!!?」


 俺の左手が、それが何なのか認識する前に条件反射で動く!



 ブッ!



 右の首筋を庇った左手の付け根に鋭い痛みと、同時に何かが注入されるような独特の違和感_______



 「うおぉ!?」


  俺は、振り向きざまに右肘でソレを突き刺した人物を弾き飛ばす!


 「っいっ…てぇ!!!」


 俺は、左手の付けに深々と突き刺さった注射器を引き抜きベッドに放り投げる!


 肘打ちによって派手に吹っ飛んだそいつは、ふらふらと立ち上がり血走った目で俺と俺の背中で震えているチカを睨み付けた!


 「あ…あ…ママ……」


 チカがギュっっと俺の医務衣にしがみ付く。


 「もっと、早く気付くべきだったわ…この病院の研修医が着ているのは青い医務衣…白い医務衣なんてありえない…それにあの医者もどき……貴方何者?」


 何者かと揉み合ったかのような着衣の乱れに、先ほどまで整えられていたポニーテールが外れわらわらと落ち武者のように乱れる髪を振りまるで鬼女のような風貌で女は娘の前に立つ不審者に問う。


 「俺は、依頼人との約束を果たしに来ているだけですよ…その様子だと『先生』のご説明はお気に召さなかったようですね?」


 可笑しくて堪らないという様子の不審者に、鬼女はその背後に隠れる自分の娘に『こっちへ来い!』と目で合図する。


 「おやおやおや? お姫様は、そちらへは行きたく無いそうですよ?」


 「チカ!!」


 鬼のような形相で自分を睨む母親に、チカは無言で首を振った。


 「コイツは、テメェになんか渡さなねぇよ…鬼畜が!」


 鬼女の血走った目を睨み返す眼光が、『全部知ってるぞ』と怒鳴りつけける!


 流石に少しひるんだが、鬼女はふっ…と不適な笑みを浮かべその眼光を一蹴した。



 「もし、仮にそうだとして貴方に何が出来るの?」


 「へぇ…認めるんですか?」


 「貴方に何が分かるのよ…コレが私達の普通なの…ねぇ? そうでしょチカ?」


 猫なで声で自分の名前を呼ばれ、チカは血がにじむ程強く医務衣を握り締める。


 「それに、研修医のフリをして子供の病室に忍び込むような不審者の戯言なんて誰が信じるの?」


 「さぁ…それはどぅ_______!?」


 突然息を呑み下を向いた俺を、背中に張り付いていたチカが不安げな面持ちで覗き込む。


 「お兄さん…?」


 俺は、今にもまた泣き出しそうなチカの頭をポンと軽く触って『大丈夫だ』っと小声で言う。


 「たいした量打てなかったから心配したけど、どうやら効いて来た見たいね…」


 鬼女の乾燥した唇がコレまでに無いくらい釣り上がり、上唇の中心が小さく割れて赤く血がにじむ。


 絶えられないほどではないが、急な心拍数の上昇と息苦しさに俺は脂汗を浮うかべ咳き込んだ。


 「どう? 筋弛緩剤の味は?」

 

 「…そうか、今回はコレを使って…心臓発作に見せかけて…鬼畜が…! 自分の娘にこんなもん…」


 俺の侮蔑の言葉など耳に入っていないのか、鬼女は浮かれたように自分の肩を抱き独り言を始めた。


 「ああ…『娘の病室に侵入した不審者を撃退した勇敢な母親』 …きっと皆が私を褒めてくれるわ~そしたらまた取材ね~ねぇ! チカ! ママまたあの服を着ようかしら? それとも紫のやつが良いと思う?」


 狂気にも似た笑顔を浮かべ、自分が悪い事をしているだなんて微塵も思っていないであろう母親の態度にチカは文字通り震え上がり俺の腕にしがみ付く!


 こんな小さな子にだって分かる…この女は狂ってる!


 ああ、もう終わらせよう…このままじゃ余りにチカが可哀想だ。


 俺は、震えるチカの手を腕から外し深呼吸して『ごめんな』と小さく呟く。


 「…なに? 今、私が大声を出したら貴方は終わりよ!」


 鬼女は、唐突に一歩前へ足を踏み出した不審者に声を荒げる!



 「あらやだ奥さんw 『終わり』はテメェの方だよw」



 俺は、上着の胸ポケットからある物を取り出す。



 「テテレテッテレ~すまーとふぉん~byはんずふりーLIVE中継なうww」



 鬼女の表情が凍る。


 あらやだw こんなの良くある話じゃないですかーw




 掲げられたa●耐衝撃防水型モデル:Zu03レッドは、茜色の日が沈み薄暗くなり始めた病室でその大きなタッチパネルの液晶に"通話中"の表示を浮かべひときは明るく輝く。


 「は…な…?」


 先ほどまで、自分が賛美される妄想にどっぷり浸かっていた鬼女は突きつけられた現実に言葉を失う。


 「そうだ、今までの会話ぜぇぇんぶ駄々漏れさw もう少しで此処には警察が来る…テメェは終わりだ!」


 「嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘ウソ嘘いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 鬼女は、この世の物とは思えないような叫び声を上げ髪振り乱しギョロリと血走った目でチカを見る。


 「ち…チカ…チカは、ママの味方よね…? そんなの…その男に脅されてある事ない事喋らされたのよね? そうよね?」


 俺の背中に隠れるチカは、首を激しく横に振り叫んだ!


 「もう、嫌!! チカはママの道具じゃない!!」


 「ち…チカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」



 鬼女の顔が歪み正に『鬼』となって、俺という肉の壁の向こうに蹲る娘に猛然と突進する。


 その目に浮かぶのは、裏切り者に対する明らかな殺意。


 ガキッ!


 俺の拳が、チカに飛び掛ろうとする鬼女の顔面を捕らえた。


 「させるか、バーカ」


 病室の白い床に、カツッ コツッ っと二本の前歯が跳ねボタボタと血の雫が落ちる口元を押さえ鬼女は蹴躓いて後ずさる。


 背後のチカは、自分の膝に顔を埋めガタガタ震えている…良かった…チカは母親が自分に向けた殺意に気が付いてない。


 「聞いたぁ? つー訳で、よろしく頼んますよ! 青沼さん!」 


 俺は、左手のスマホに声をかける。


 『…対象を興奮させてどうするんだ…』


 県警本部少年課の青沼刑事は、ど素人の突拍子のない行動に半ば呆れてため息を付く。


 「『動くには確固たる証拠が必要だ』って、言ったのはそっちじゃないですか?今どこです?」


 『着いてる、ロビーだ』


 ソレを聞いた鬼女は、突如立ち上がり病室の扉向って駆け出す!




 ガラッっと、勢い良く引いた扉から廊下に飛び出そうとした眼前に現れたタポンと揺れる点滴の入ったパック。


 鬼女は、一瞬動きを止めソレを凝視し視線を徐々に下げた。


 点滴パックは、キャスターのついたスタンドに下がっていてそこから伸びる管がその細い腕に痛々しく繋がる。


 そこにいたのは、顔色の悪いぼさぼさ頭の自分の胸より背の低い少年。


 少年は、鋭い眼光で自分を見据えると自分の腕に繋がっていた点滴の管を勢い良く引き剥がす!


 「な__________?!」


 次の瞬間、少年の左手が自分の服の襟に掛かったかと思うと視界がぶれ背中と後頭部に激しい衝撃が襲った!


 激しく床に叩きつけられ、呼吸すら侭ならず身もだえする鬼女。


 見事な『大外刈り』で鬼女を仕留めた少年は、その蒼白の面にドヤ顔を浮かべ此方に向って親指を立てて見せた。


 「陸!」


 俺は床に転がる鬼女を足蹴にし、ふらつく小さな体を抱き上げてベッド震えるチカの隣に寝かせる!


 「何やってんだ! 馬鹿!」


 少し苦しそうに息をしながら、陸は 『へへへ…』っと笑う。


 「無茶しやがって…カッコいいぞお前」


 「り…陸…」


 震えるばかりだったお姫様が、騎士の登場に涙を浮かべその手を握る。


 おおお? ちょっといい感______ガラッ!


 扉の引かれる音に、俺が振り返るとふらつきならがら鬼女が病室を出て行く後ろ姿が見えた!


 何あれ? 


 見様見真似とは思えないほど完璧に決まった大外刈りをまともに食らって置いて動けるの?


 火事場の馬鹿力?



 「おっ…おにいさっ…!」


 ソレをみた陸が、苦しそうに体を起そうとするのを頭を掴んでベッドに沈める。


 「後は、俺が…警察ももう着いてる! お前は絶対にベッドから出るな! つか、1mmも動んじゃねーぞ!」

 

 俺は、目でチカにナースコールを押すように支持し鬼女を追う為病室を飛び出した!


 「っち…もう、あんな所に…!」


 夕日に赤くらされた白い廊下を、必死に掛ける鬼女の後ろ姿。


 俺の拳を含め、あれ程のダメージを受けておいて何故逃げようと思うのか…娘をないがしろにした挙句、確固たる証拠すらも警察に握られまだ自分は逃げ切れるとでも思っているのか?


 鬼女が、L字の角を曲がる!


 俺は全速力でソレを追いかけるが…くっそ!

 

 さっきから動悸と脂汗が止まらない…!


 普段では考えられない程簡単に息が上がり足に上手くスピードが乗らず、鬼女との距離が縮まらない事が腹立たしい!


 L字の角を曲がってからは、障害物など殆ど無い一直線の長い廊下…後は単純にスピードで追いつければ…!


 「はぁっ! はぁ…っち…ゲホッっ!」


 俺の意思に反し、足がもつれ消火栓と書かれた壁から突き出た鉄の箱に手を突く。


 筋弛緩剤とか言ったけ? マンガとかドラマじゃ一瞬で死ねそうな事かかれてたけど…これ、かなりヤバイか?


 心なしか、さっき注射器の刺さった手の平の付け根からの感覚も鈍い。


 「ゴホッ…はぁっ…はぁっ…かっこわりぃ・・」


 動悸と息切れに脱力…俺は鉄の箱に体を預けずるずると地面に崩れる。


 振り返った鬼女は、そんな俺を鼻で笑い先をいそ_____ドン!


 鬼女は、突如現れた白い影にぶつかりそのまま後ろに蹴躓く。


 恐る恐る視線を上げると、そこにいたのは夕日に照らされ佇む白衣の天使。


 女性としては身長高めの167cm、黒人もびっくりのガチのテンパーを無理やりまとめた頭に最近ではお目にかからないナースキャップをちょこんと乗せこの惨状にため息をつく。


 「ひゃんごふしゃん! かふへへくだしゃい!」


 尻餅をついていた鬼女が、前歯のない口から血を飛ばしながら白衣の天使の足にすがりつく!


 「どうしました?」


 白衣の天使は、優しく微笑みすがりつく鬼女を足からそっと離し屈で視線を合わせる。


 「おひょこ…おひょこになぐらえたんでしゅ!」


 「その男はドコに?」


 問われた鬼女が、振り向きながら指さすがさっき迄自分を追いかけて来たはずの男の姿は見えない!


 「あへ…ひゃっ、ひゃっきまえそこに!」


 「あら、まぁ…」


 狼狽する鬼女の口に、白衣の天使はもっていたガーゼを押し込む。


 「出血していますから、これを咬んでくださいね」


 鬼女は、口にガーゼを詰め込まれながらジェスチャーで『あそこの影に隠れている!』と俺が身を隠している消火栓と書かれた鉄の箱を指し示す!



 母さん……!


 いっそ、この物陰から飛び出して事情を説明してやろうかと思ったがいかんせ相手は平然と危険薬物の入った注射器をブッ刺してくるような危険人物だ!


 そんな奴に、親子だとばれたらきっと母さんが危険な目にあってしまう!


 俺は、徐々に荒くなる呼吸を出来るだけ押さえ息を殺すよう勤める。


 「うーうー!」


 口に限界まで詰め込まれたガーゼを真っ赤に染めながら、鬼女はなおも此方を指差しバタバタと腕を動かす。


 「はい、はい、分かりました後で見てきますから…」


 っち…母さん!

 今すぐこっち来い! そいつから離れろ!!!


 「それにしても、女性の前歯を叩き折るなんて野蛮な…でも…」


 急に押し黙った白衣の天使を、鬼女が訝しげに見上げる。


 「貴女のした事に比べれば可愛いものよ」


 空気が凍る。


 病院内は暖房が効いている筈なのに、この廊下だけ気温が一気に下がったみたいに底冷える…気のせいじゃない自分の吐く息が白く_______


 その時、俺の耳にくぐもった女の悲鳴が聞こえた!



 「かぁさ……!?」


 思わす物陰から這い出た俺が見たものは、鬼女を床に組み伏せる白衣の…。


 白い鬼。


 母さんの白衣をきたそれは、縮れた白髪を振り乱し白塗りとしか思えない真っ白な肌に金色の目で組み伏せた女を見下す。


 「私利私欲の為に己が子を生かさず殺さず、その魂と体を切り刻むとは…子を持つ親として許せぬ…」


 美しいが氷のように冷たい声が、底冷えする廊下の温度を更に下げる。


 女は、悲鳴を上げるがそれは口に大量に詰め込まれたガーゼによってくぐもった呻き声ににしか聞こえない。


 「おお、鳴くな鳴くな…殺しはせん…」


 優しげにそう言った口が、ガパッっと開く。


 遠目からでも分かるびっしり並んだ鋭い歯…アレはもはや牙だ!


 「ん"________!!!!」


 女は叫ぶ。


 『生かしもせんがな…』そう呟くと、『母さん』はその鋭い牙で女の額に咬み付いた!



 ぐじゅるるるる…じゅるるるるる……。


 組みひしぐ女の体が、ビクンビクンと跳ねる。


 喰ってる…?


 母さんが…人を喰ってる…?


 喉がヒュッっと鳴り、呼吸がままならなくなった俺はその場に蹲り空気を求め肺を動かそうと喘ぐように息をする。


 「あ~あ~ダメじゃないか~呼吸し辛い時は、体勢を楽にしなきゃ~そんな風に縮こまってたんじゃ余計苦しいよ~」


 それは、背後からまるで気配を感じさせず佇み俺を見下す。


 やる気の感じられない声が、俺を嘲る様に蹲る頭上からヘラヘラと降って来た。


 やる気のない声の主は、手馴れた手つきで苦しさに縮こまる俺の両足を伸ばし右足を少し曲げ顔を横向きにし右手を頬の下にいれる。


 「ゴホッ! ヒューヒュー…っ…!」


 「ほらね、大分楽になったでしょ~」


 俺は、ヘラつく不愉快な筋肉の塊を横目で見上げた。


 …何なんだ?


 筋弛緩剤とやらには幻覚作用でもあるのか…はたまた俺が死に掛けているのか…。

 昼間にあった放射線技師は、まるで絵の具でも零したような真っ青な肌に額からちょこんと飛び出た二本の角を覗かせ白い医務衣をはちきれんばかりの筋肉でぱっつんぱっつんにしながら俺を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべる。


 意味が判らない。


 自分の子供を病人に仕立てる鬼畜な女の額を貪る『白鬼』と化した母さんに、不愉快な筋肉の『青鬼』だって?


 俺の頭は、いよいよどうにかなってしまったらしい…。


 青鬼が俺の方に屈む。


 「全く、僕の医務衣勝手に着るなんて…洗って返してよね~」


 ああ…この変装するために勝手に物色した医務衣、こいつのだったのか…小橋川先生のものを始め他のは俺には小さすぎたからな。


 息苦しさに喘ぐ俺を笑顔を浮かべたまま見ていた青鬼が、不意に口を開く。


 「君さ、どんな手を使った知らないけど…もう彼女を解放してくれないかな?」


 夕日に顔の半分を赤く染めた青鬼は、ニコニコ微笑みながら言う。


 彼女…? かいほう…? 一体……。


 「圭!!」


 苦しみ喘ぐ俺の元に、口元を鮮血に染めた母さんがすごい勢いで駆け込み青鬼を押し退けてぐったりと横たわる体を抱き起こしてガクガク揺らす。




 「圭! 圭! しっかり! こっちを見なさい!」


 焦点がずれ始めた息子の意識を保とうと、母さんは頬を叩く。


 「恐らく小橋川に使われた薬物と同じです」


 青鬼の言葉を聞いて、母さんが何か指示をしている…音は聞こえているのに内容が頭に入らない…。


 母さんは、真っ赤に染まった口元から牙をのぞかせ不安の色を隠せない金色の瞳からポロポロ涙をこぼす。



 あああ…こんな俺の事を心底心配して…ごめん……かあさ…。



 「ゴホッ!ヒューヒュー…か……さ…」


 「圭! 息を止めなで! 直ぐ先生が来るから!」


 そう言って、母さんは俺を抱きしめる。


 呼吸の荒くなった身に、それは苦しさを紛らわせる物ではないが…心から安心できる…なのに何故だろう?


 まるで、指に出来たささくれのようにチリチリとした『違和感』。


 それは、俺を抱きしめている母さんが何故か鬼の姿をしているとかそう言った根本的な所とは無関係に…あれ…?


 なんだ…?


 目の前が赤く染まる。


 またか…。

 それは、いつぞやの『夢』。


 夕日が照らす血の池、倒れた食器棚、腕の中で動かなくなった冷たい肉の塊。


 そして、血の池の真ん中で肉の塊を抱いたへたり込む俺をさも恐ろしい物でも見るような目で見ている女。


 誰だ? とても綺麗な人だ。


 長く真っ直ぐな黒髪を一つに束ね、色白の肌に剣と良く似たくりっとした二重の瞳…何があったのか相当やつれてはいたがそれを差し引かなくても彼女は誰が見ても十二分に美しい。


 リビングのドアの前に立っていた女は、手に持っていた買い物袋をドサッと床に放り投げ大股で俺の横を通り過ぎ行く。


 背後で、女が俺達で無い誰かに叫ぶ。


 振り向くと、女はあの男を抱きしめて俺を憎らしげに睨み怒鳴なった。


 『お父さんに謝りなさい!』


 その瞬間、世界が歪む。


 「圭!!」


 頬を叩かれ、おぼろげに我に返る。


 いつの間にか、『人』に戻った母さんの切れ長な瞳から零れた涙が俺の頬に落ちた。


 母さん…俺は、母さんが大好きだ。


 仕事人間な所も、料理が下手な所も、俺達に世話を焼こうと空回りしてウザイとこも…。



 けれども。



 『僕のお母さん』は、そんな風に僕を優しく抱きしめたりはしない。

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