きっと、よくあること③
「陸!」
陸は心配そうな表情を浮かべ、ガラス越しに処置室を覗き込む。
その視線の先には、慌しく動く医師と看護婦に恐らくチカの母親と思しき女性…。
「先生! 娘を…チカを助けて下さい!!」
女性は叫び、その場に泣き崩れ看護婦に支えられながら椅子に座らされる。
「どうして…」
陸は、搾り出すような声で唸り拳を強く握った。
「陸…」
「お兄さん…どうして・・・どうしてチカはこんな目_________っあっ!?」
急に陸が胸を押さえ、その場に蹲る!
「おい…? 陸? 何だ!? どうしたんだよ!?」
ついに床に倒れこみ、身を縮め冷や汗をかきながら短く早い息をし始めた小さな体をどうして良いか分からず俺は情けなくうろたえる!
「だっ誰かっ…! 看護婦さん!!!」
どうしょうも無くなった俺は、ガンガンと目の前の処置室のガラス戸を叩いた!
激しく叩かれるガラスに、中にいた看護婦が出てきて陸を見るなり血相を変えると中で処置をしていた医師に声をかけ処置室を飛び出していく!
その後直ぐに、別の医師と戻ってきた看護婦によって陸はあっと言う間にキャスターの付いたベッドに乗せられる。
「なぁ! 陸は大丈夫なのか!?」
俺は、医師の肩を掴む!
「君! 何でこの子に激しい運動をさせた? 無理をさせればどうなるか…」
医師は、そこまで言いかけて口を噤む…固まった俺を見て何も知らなかった事を悟ったのだろう。
「移動します! 離れて!」
看護婦の激が飛び、ベッドが動く。
呆然と立ち尽くす俺を残して、陸を乗せたベッドは医師と看護婦に誘われ廊下を滑って行った。
「陸…」
ベッドを見送る俺の肩にポンと、突然誰かの手が触れる!
完全に注意を欠いていた俺は、弾かれた様に振り向き距離を取った!
「っと…すまない、そんなに驚くとは思わなかったよ…」
思わず睨みつけた俺に、驚いた様子のその人は済まなそうにやり場を亡くした右手で自分の頭を掻いた。
あはは…と、乾いた笑みを零すのは動き安そうな青い半袖の医務衣を着用した20代前半位の少し頼りなさそうな細身の若い研修医。
「小橋川先生…」
「さっき、病室に往診にいったんだよ? 駄目じゃないか! 時間にはちゃんと病室にいなきゃ! もうすぐ退院だからって好き勝手に行動して良いって事じゃないんだぞ?」
小橋川先生は、外見こそ頼りなさそうに見えるがそこはやはり医者の卵でしっかりとしたもの言いで言う事を聞かない患者に釘を刺す。
「すみません…」
「元気ないね? どうしたんだい?」
小橋川先生が俯く俺の顔を覗き込もうとした時、丁度処置室の扉が開き中から初老の医師とチカの母親が出て来た。
「…お母さん、気を落とさないで下さい…我々も付いています…きっとチカちゃんを救ってみせますよ」
「宜しくお願いします! あの子にもしもの事があったら私…!」
泣き腫らした目に、更に涙を浮かべるチカの母親に医師は白衣のポケットからガーゼの用なものを渡し涙を拭うように促す。
チカの母は消え入りそうな声で『有難うございます』と医師に礼を言いガーゼで涙を拭いながら礼し、処置室に引っ込んでいった。
「あの人は…! まさか…あの子…また運ばれて来たのか…?」
小橋川先生は訝しげに眉を顰め、小声で呟く。
「チカは、そんなによく入院するんですか?」
「ああ…先月、僕がこの病院に来てから3回目だ…症状自体は直ぐに回復す______」
そう言いかけて、小橋川先生は口を噤む。
「おっと…患者の個人情報は口外禁止だ…ほら、後でまた往診するから早く病室に戻りなさい」
うっかり口を滑らせたのが恥ずかしかったのか、バツの悪そうな顔をした小橋川先生はひらひらと手を振り足早に歩き去って行った。
「はぁ…」
自分の病室に戻った俺は、ベッドでゴロリと仰向けになりすっかり見慣れた白い天井を見上げた。
あれからしばらくあの場所から動けず、ガラス越しに見える甲斐甲斐しくチカの世話をする母親の姿を眺めていたが特に何か出来る筈も無くその場を後にし、その足で陸の病室を訪ねたが面会謝絶だった。
何やってんだろな俺…読みが外れたとは考え難かったんだけどね…。
だだっ広い個室のベッドで、足をバタつかせながら今までの行いを振り返る。
陸に俺たちの情報を流した人物を特定する為に引き受けた幽霊退治、だがそれは被害者と目されていたチカの自作自演だった…。
ここまでは、良いだろう…初めてあった時のチカの様子からなんとなくそんな気がしてたし…問題はここからだ!
都市伝説宜しくベッドの下の男を演じ、どこから湧いて来たのか精神年齢4歳の進くん(45歳)をフルボッコにすると言うかなりの大立ち回りをして無事?に退院させた筈のチカがその日の内に病院に運ばれ今は身内以外面会は不可。
それに加え、陸が極度の運動から来る発作で倒れて面会謝絶。
結局のところ、あれほど苦慮したにも関わらず全くもってなんの解決にも至らなかったという惨憺たる結果が重く圧し掛かる。
恐らく、陸の体調が良くなったとしてチカがこの状態では情報をくれるとは思えない…。
それこそ、無理矢理吐かせてしまおうかとも思ったが如何せん相手は病人だ…今日の事を考えると迂闊に手荒な真似は出来ないってゆーかよく考えたら弟と同自じ歳にの子供にそんな事出来ない!
コンコン。
モノ思いに耽っていると、不意に病室の扉がノックされる。
「は~い」
恐らく、往診だと思い俺は相手が名乗る前に返事をした。
ガラガラと、扉が開きそこに立って居たのは______________
「失礼します! おっくん先輩!」
入室の掛け声も晴れやかな、俺の事を『神』と崇め奉る絶対的狂信者と化した体格大き目可愛い後輩の仲村渠だった。
「なっ…仲村渠」
思わず顔が引きつる。
「どうかされたんですか?」
引きつる俺に、まさか自分が原因とはクソほども思っていない仲村渠は心配そうに顔を覗き込む。
「いや…何か用か?」
「はい、明日退院が決まりましたのでご挨拶に!」
仲村渠は、弾ける様な笑みを浮かべた。
「そうか、そりゃ良かったな」
ひょこひょこと、松葉杖を付きながら俺のベッドの横までやってきた仲村渠は深々と頭を下げる。
「おーい…どうせ学校で会う事もあるんだからそこまで畏まらなくていいだろ?」
「何をおっしゃいます! 『神』に一礼するのは当然です! 寧ろこの足の所為で跪けないのが申し訳ありません!」
うん、これどうしよう…曇りなき眼で見据える従順な信徒に神様ドン引きだから!
「仲村渠…もっと普通に…いや、一般的な後輩として俺に接してくれ! マジで! お願い!」
「はっ! そうですね、此処では人目があるかも知れませんからね!」
恐らく俺の気持ちなんて微塵も伝わっていないであろう狂信者は、足のギブスなど物ともせずキビキビとした動きで姿勢を正す。
「おい! 足! お前、無理スンナよ! 兎に角座れ…ちょっと聞きたいことあんだよ…」
「聞きたいことですか…?」
俺の言葉に、訝しげな表情を浮かべながらベッドの横に置かれたパイプ椅子に仲村渠は腰掛けた。
「担当直入に聞くぞ? お前、あの件について誰かに話したか?」
『あの件』と言うのは、もちろん仲村渠先輩の事件についてだ…仲村渠もその事に気が付いたのか表情から笑みが消え少し俯いたようになる。
「いいえ…警察にだってあんなありえない話…」
「だよな…悪かった…」
やはり、陸にあの件を洩らしたのは仲村渠じゃない…あんな有り得ないような話警察に証言した所で精神科を案内されるだけだし何より関係者として他人話すなんてリスクの高い真似する訳が無い。
「それ、もしかして昨日の騒ぎと関係あるんですか?」
顔を上げた仲村渠が、椅子から立ち上がり食い入るような瞳で詰めよる!
「あ"? 騒ぎって…なんでそんな事知ってんだ…って離れろよ!!」
「病院中皆知ってますよ! まさか、おっくん先輩の事だとは思いませんでしたけど!」
詰め寄る仲村渠を引き剥がし、とりあえず昨日から今日にかけての顛末を語って聞かせた。
「…成るほど、その餓鬼シメて吐かせれば良いんですね? 任せて下さい!」
「やめろ馬鹿! 人の話聞いて無かったのか!? 相手は餓鬼で病人で現在集中治療中なのお分かり?」
「え? ダメですか?」
仲村渠は、きょとんとした顔で首を傾げる…ダメだこの子! 色々アウト!
このままでは、第二のミンタマ姉さんに…いや、それ以上の化け物に成りかねねぇ…俺が…何とかしねぇと行けないのか?
何コレ? 何系の試練? …このトチ狂った子羊をどう導けと? コイツが崇める『神』なだけに? …無理です先輩! 助けて下さい! 俺には荷が重過ぎます!
今は亡き狂える子羊の姉に、心の中で助けを求める!
「…そこら辺は、俺が何とかするからお前は手ぇ出すなよマジで…」
「分かりました…おっくん先輩がそう仰るなら…」
俺が、ため息交じりに言うと少ししょんぼりしたように仲村渠は椅子に座った。
「…それにしても、その…チカって子、色々大変みたいですね」
「入院3回って…大変だよな…」
そう答えた俺に仲村渠は『え?』っと、少し驚いたような顔をむけた。
「おっくん先輩知らなかったんですか? 3回所じゃありませんよ! もう入院だけだも50回以上手術も10回は受けてるって話でしたよ? それでも病気の原因は不明って…」
「おい! それマジか!?」
「はい、ウチの所に来る看護婦さんとてもお喋りで昨日の騒ぎの話ついでに…結構有名らしいですよ? 原因不明の難病に苦しむ子供とそれを支える健気な母親…」
陸の奴…一言もそんな事言って無かったな…まぁ完全には信用されて無かったって事なんだろうけどよ。
『何も知らない癖に…』
月明かりに照らされた少女の言葉が、今更胸に突き刺さる。
「コレって、やっぱりウチのお姉ちゃんみたいに…が関係して____」
「いや、それは無ぇ…筈だ」
今回については、お墨付きをもらったからそんな筈は無いと思うんだが…ちょっと自信が無くなって来たな…。
ガラッと、音を立て病室の扉が開く。
「往診だよ~玉城君~邪魔したかな?」
開いた扉から顔を覗かせた青い半袖の医務衣に頼りなさそうな風貌の若い研修医は、看護婦と連れ立ってニヤケ顔で此方を見た。
「な"! 何を失礼な! このお方は_____」
「帰れ! 仲村渠! また、学校でな!」
顔を真っ赤にして抗議しようとした狂信者に、俺は退室を命じた。
文句ありげに俺の方を見た仲村渠だったが、目が合うと何故かギョッとした表情をして視線を逸らす。
「……っ! 分かりました…失礼します…」
そういうと、仲村渠はキビキビとした動作で松葉杖を突きながら扉の前に立つ研修医と看護婦を押しのけるように俺の病室から出て行った。
ったく、こんな所で神様呼ばわりされたんじゃ速攻で精神科のご厄介になると言う事がどうして分からない!!
「コラ、ダメじゃないか? 彼女をそんな恐い目で睨んじゃ!」
何を勘違いしたのか、入れ替わりに俺のベッドの横に立った研修医の小橋川先生は咎めるような根で俺を見ながら『最近の子は…』とため息をつきながらカルテを開く。
「彼女じゃありません、アレは元の部活の後輩です!」
「後輩…そうか…君たち…」
小橋川先生が『すまない』っと、少しバツの悪そうな顔をした。
一瞬意味が分からなかったが、連れ立った看護婦の反応から俺は事を理解した…この入院における俺と仲村渠の共通点は『先輩の事件』だなんだか気を使わせてしまっている様だな。
…まぁ、ぶっちゃけ先輩には悪いが今は情報漏洩の犯人捜しと小さな依頼人の事が気がかりで仲村渠の更生所ではない。
「先生、俺の退院はいつになりますか?」
俺の胸に聴診器を当てる小橋川先生に問う。
「ん~今日採血して、レントゲン取って異常なければ明後日には退院出来るよ…1時間後にレントゲン予約するから必ずいくようにね」
てきぱきとカルテに何事が書き込み、傍で採血の準備をしていた看護婦に小橋川先生は指示を出す。
「はーい、採血しますねー」
明るい声のまだ若い看護婦が、俺の腕に太いゴムを巻く。
「君、主任の息子さんなんだってね~主任今は小児科の看護指導に行っててね私が代わりなの」
どうでもいい事を喋る看護婦の手は震えている…まっまさか…。
小橋川先生の方を見ると、視線が虚空を泳ぎこっちを見ない!
その後、この看護婦は採血を3回失敗し見かねた小橋川先生に一発で採って貰った。
胸のデカイ看護婦は信用ならねぇ…。
「はい、顎上げて~そのまま~そのまま~はい!とりますよ~」
「…っく」
コーンコーンコーン。
「はい、終了~おつかれ~」
やたらやる気の無い声が、ドアを開けながら俺に言う。
はぁ…やっとか。
俺は、ウィィィンと音を立ててスライドする居心地の悪いマルチスラス何とかって言うパッと見何だか未来に行けそうな大きなドーナツみたいな近未来的装置からやっとの事で開放された。
レントゲンなんて言うから、足の時に取ったアレかと思ったがこんなゴッツイ機械につっ込まれる羽目になるとはな…マジびびる!
俺は病室での災難を乗り越え、小橋川先生の指示通り予約されてた頭部のレントゲンを撮りにこの放射線科のCTと書かれた部屋でまるでSFに出てきそうな近未来チックな機械に通され脳内をくまなく撮影?された。
「どーだい? 最新鋭のマルチスライス3500CTRは~」
「最悪っすね」
俺は、この機械を操作していたと思われる筋肉マッチョなレントゲン技師に正直に答えた。
何が最悪って、この機械に通されている間顎を出来るだけ上に突き上げるという地味にキツイ体勢を取らされ更に撮影?している間中カーンとかコーンみたいななんとも表現しがたい音がして気分が悪い!
「ま~気持ちいいものじゃないよね~」
マッチョは、何やらカルテに書き込みながら興味なさげに言う。
「君、大分体鍛えてるみたいだけど…頭なんて、そうそう鍛えられる物じゃないんだから大事にね~」
マッチョはそういうと、カルテを閉じ俺に視線を合わせた。
「…そういや君…看護主任の息子さんなんだってね~?」
「そうですが?」
「ふぅん…似てないね~」
コイツ・・だったら何だってんだ?
確かに、俺と母さんは似てない…それは普段から回りに言われ慣れている事なのに何故だかこのマッチョに言われるのは不愉快に感じる…。
「もう帰っていいですか?」
「ああ、うんもう此処は終わりだね~お大事に~」
俺は、乱暴に扉をあけ廊下に出る。
振り向くと、ゆっくりしまる扉の向こうで薄ら笑みを浮かべたマッチョが手を振っている…何故だ? 初めて会うはずなのに…こんなに……。
____キモチワルイ____
俺は、身震いしながらその場を後にする。
気持ち悪ぃ…、早く自分の病室に____________。
「あなた! どう言うつもりなの!!!!」
俺が自分の病室に戻ろうと踵を返すと同時に、廊下にヒステリックな女の叫び声が響く。
声のした方を振り向くと、見覚えのある頼りなさそうな研修医が華奢な女に窓際まで詰め寄られているのが見えた。
「落ちついて下さい!」
「落ち着けるもんですか! あなた! ウチの子を殺すつもりなの!?」
なんだ?
小橋川先生?
「ウチの子は病気なのよ…! それを『何の異常も無い』なんて!!!」
ヒステリックに叫ぶ女は、小橋川先生が小脇に抱えていたカルテを奪い廊下に叩きつける。
「……検査結果に間違いはありません…何故そこまで憤慨なさるんですか? むしろ喜ばしい事じゃないですか?」
小橋川先生は、自分の襟首を掴む女の腕をそっと外し床に散らばったカルテの中身を掻き集める。
「お嬢さんの容態は確実に良くなって…いや、回復しています! このまま投薬を続ける方がむしろ______ましてや手術なんて!」
「うるさい! うるさい!!! あなたみたいな研修医じゃ話にならないわ!! 山川先生に直接話します!」
ヒステリックな女は、小橋川先生にそう言い放つとずかずかと廊下を歩き去っていく。
「待って下さい! 兼久さん!」
歩き去る女を小橋川先生は、追いかけていった。
カネク…?
あっ!
あの女…チカの母親だ…!
先ほど処置室で見た『涙を浮かべ娘の無事を祈る健気な母親』のイメージと大分かけ離れた荒ぶる様子に直ぐに同一人物とは気がつかなかった…。
マイスイートも先輩もそうだけど、キレると女って豹変するなぁ……ん?
でも、何であんなに怒ってたんだ?
小橋川先生の言う通りなら、チカはもうすっかり良くなっているんだうに…あれ?
俺は、二人がもみ合っていた廊下に視線を落とす。
さきほど、カルテがばらばらに散ったあたりに一枚の小さな白い紙が落ちているのが見える。
俺は、半ば好奇心に負けその紙を拾った。
『MSbP』
乱暴に引き千切られたメモ帳と思われる白い紙には、走り書きでそう書かれている。
「騒がしいね~」
「うお!?」
紙を眺めていた耳元に聞こえるやる気の無い声に振り返ると、白い医務衣を筋肉でぱっつんぱっつんにしたマッチョがピッタリと背後に立ってぬっと俺の顔の側面から覗き込む!
な!
いつの間に!?
自慢じゃないが、俺これでも柔道なんてやってたから結構気配とかには目ざといつもりだったのに…一日に二回も背後を取られるなんて鈍ったか…?
「そんなに驚かないでよ~」
反射的に飛退いた俺に、マッチョがヘラヘラ笑う。
「…所でさぁ~それ君の?」
マッチョが、太い指で俺の握っていた紙を指差す。
「…いや、小橋川先生の落し物…」
「だよね~君みたいな子がソレの意味とか判んないもんね~」
ヘラヘラ笑うマッチョは、表情こそ好意的たが何処か人を小馬鹿にしているように見えるのは俺が捻くれてる所為か?
俺は、へらつく筋肉に紙を差し出す。
「小橋川先生に渡してもらえます? 何だか急がしそうだったんで」
「え? 嫌だよ、僕も暇じゃないんだよ~ソレに、そんな走り書き届けるまでもないよ~」
へらつく不愉快な筋肉の固まりは、『病院なんだから君も静かにするんだよ~』とほざきながらCTの部屋に引っ込んで行った…何だありゃ?
ムカつく!
比嘉ほどでは無いが、久々に抱く他人への嫌悪感に頭が痒くなる!
俺は、頭を掻き毟りながら上着のポケットから自分の赤いスマホを取り出す。
「は…『意味が判らない』だって…?」
画面をタッチし、アイコンから検索を立ち上げる…はは、今日日の餓鬼を舐めんな……判んないなら調べるまでよ!
タッチし、スペルを打ち込む…たったそれだけの事。
「マジかよ………?」
検索トップに表示された皆でつくる全知の想像神ウィ●ペディ●は、余りに残酷に俺に「答え』を突きつけた。
この病院の入院患者で、その親子の事を知らない者は恐らくもぐりか他人に興味の無い人間だろう。
ソレほどまでに、この親子は注目を浴びていた。
母親の名前は、兼久チエ。
彼女には、今年10歳になるチカという娘がいる。
チカは未熟児で生まれ、誕生と同時に原因不明の病に犯されこの病院に辿り着くまで色々な病院に入退院を繰り返してきた。
そんなチカに時間の許す限り付き添い、献身的に看病を続けるチエの姿は医療系の雑誌の表紙を飾り『日本で一番の慈愛に満ちた母親』と言うキャッチコピーで注目を集める。
彼女が、病院の廊下を歩けば看護婦が挨拶し周囲の患者達からも『頑張ってください』『応援してます』などの暖かい激励を受ける。
が、そんな彼女の努力も虚しく何とか退院出来ても直ぐに娘は体調を崩し又病院に逆戻り…経済的にも追い詰められ痛々しいまでに憔悴した様子に周りから自発的に寄付金が集められその総額は1000万円にも上った!
注目の集まるチエの娘について病院側もあらゆる努力をして治療に当るが、未だ原因は不明…入退院を繰り返しチカが7歳の時には遂にその体にメスが入る。
最初に取り除かれたのは腎臓だった。
その後も、胃、肺の一部に骨髄液の採取に直腸のポリプ…検査の為の採取だけでも上げればキリが無い!
正に絶望的とも思われる中、チエは娘の回復を信じ笑顔を絶やさず傍らに寄り沿い献身的に看病をし続ける…そんな、健気な姿に主治医を含め全ての人達が目頭を熱くする中たった一人だけその状況に疑問を抱く者がいた。
小橋川祐樹、若い研修医だ。
彼は、研修医として赴任早々自分の教育指導担当であった医師の受け持ち患者であるチカの診察に立ち会う事になる。
その時の余りに血色の良いチカの様子に、彼はかなりの違和感を覚えた。
カルテや話に聞いてイメージしていた物とは違うその元気な様子は、とても病人とは思えない。
指導医の手前何も言えず退院も近いとの事だったので気にはなったがそんなモノなんだと思いその場は下がったがその疑問を決定的にする事件が起こる。
それは、退院間近のチカの夢遊病騒ぎだ。
そのお陰で、退院が3日長引く。
そして、彼はこのチャンスを逃さなかった!
それは、チカの過去の入院・手術の記録を分析した確信をもっての行動…一介の研修医に過ぎない彼がそれをするには協力者が必要だったがその人は容易にそれを承諾し二人はそれを実行に移す。
結果は予想通りだった。
チカは、健康そのものだったのだ!
保護者の了解を得ず、ましてや主治医の同席していない非合法な検査___が、協力者のサポートにより結果自体に間違いは無い!
ならば、何故?
彼の脳裏にある病名が浮かぶ、それはこの前まで学生だった研修医だからこそ導きえた専攻外の病気。
このままでは、チカの命が危ない!
彼は、協力者と共に自分の保身なのど省みず検査結果をもって指導医に提出した!
指導医は、先ず非合法に患者の検査を行なった生意気な研修医の行動に憤慨したが彼の協力者の存在がその結果の信憑性を裏づけている為それ以上の何も言えない…それより何より、コレがもし事実なら病院側にとっても大問題だ!
そして、当然ながら事実確認が行なわれた。
とは言え、病院とはやはり隠ぺい体質だ。
もしこの時、警察を介入させていたならこんな事には成らなかっただろう。
「小橋川センセ…」
非常階段の踊り場に横たわる頼り無さげな若い研修医は、自分の名を呼ぶ頭に医療用ネットを被った白いメモの切れ端を握り締める担当患者を見あ上げる。
恐らくこの少年は、メモを自分に届けようとしてくれた…だとすれば先ほどの様子を見ていたのか?
「あ…あ…」
ろれつの回らない口がもどかしい…!
「何だ! どうしたらいい!!」
膝を着いて顔を覗く少年の右手に握られたメモを必死に指差す…おねがいだ……あのこ…を…たすけ…。
霞む意識の中で、自分が少年によって担ぎ上げられた事が解った。