4 本当にダメな子ねぇ
1991年4月、陽太は家の近くの普通小学校に入学した。入学式の翌日、典子は学校を訪れ、担任の船木(27)=仮名=に陽太が「学習障害(LD)」であることを話した。「分かりました、まかせてください」。船木は即座にこう答えてくれた。典子はそれでも心配で、しばらくの間は学校に送り出した後も、校門の前で1時間ほど待っていた。
全国的な実態調査はまだ行なわれていないが、LD児の大半が普通学級に在籍しているといわれている。本県では、親の希望から特殊学級に入れているケースもあった。しかしLD児は学習面でのつまずき以外は、ほかの子供たちと同じように生活できる。そのため普通学級で学校生活を送らせたいと考えている親が大半のようだ。
船木の理解や、典子もPTAの役員になるなど学校と密に連絡を図っていたこともあって、1年生の間は特に問題も起こさずに学校に通うことができた。読み書きに苦手が出たものの2年生へと進級し、典子が安心し始めた矢先にトラブルは起こった。
始まりは一本の電話。新しい担任の安田(32)=仮名=からの、陽太が教室を抜け出して困るという連絡だった。その3日後には、机の下に潜り込んだまま出ようとしないと連絡があった。空間認知に問題のある陽太は、読み書きの苦手以外にも場の雰囲気になじまない行動をとることがあった。
「本当に駄目な子ねえ」。勉強も遅れ、問題行動を繰り返す陽太に、安田はこう注意するようになった。
それを聞いたクラスメートも「陽太は駄目な子」と同調した。陽太はますます落ち着きをなくし、次第に学校に行くのを嫌がるようになっていった。それでも学校に居場所がなくなっては困ると、典子は嫌がる陽太を必死に送り出した。しかし、一度狂った歯車は元には戻らなかった。