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10 そして、これから、、、



 ―ピアノでの自信は陽太を大きく変えた。夏休みには鹿児島まで、一人で自転車旅行に出掛けた。そしてある日の晩、こうつぶやいた。「おれにも行ける高校あるとやろうか」。




典子はひそかに見学に通っていた、県立の夜間高校を薦めてみた。受験を決めた陽太に残された時間は6カ月。遅れた勉強を取り戻すため、知り合いのOB教師に家庭教師を頼んだ。最初は掛け算や割り算など、小学校の復習から始めなければならなかった。それでも図や表を用いながら、必死の勉強は続けられた。

 


 詳しい統計はないが、学習障害(LD)児の多くが定時制高校や就職を選んでいるといわれている。県内では全日制高校に進学している生徒もいるが、やはり個々の障害の重さによって状況は変わってくる。

 


 2000年3月11日、学校適応指導教室の修了式の日。陽太も2日前に高校受験を済ませ、残るはピアノ発表だけとなった。典子は学習発表会が始まると、高まる緊張を抑えきれずにいた。

 


 陽太の名前が呼ばれる。保護者や生徒たちが見詰める中、陽太は席に座り鍵盤に手を下ろした。会場に流れる静かなメロディー。

 


 ―典子は涙が止まらなかった。試行錯誤した子育て。自分が陽太を苦しめているのではと悩んだ時期もあった。それでも演奏を聴いていると、今まで自分がやってきたことは間違いではなかったと確信できた。

 


 そして1週間後、電話口から聞こえる陽太の声。

 「受かった」。「…良かったね」

 現在、陽太は毎日元気に学校に通っている。またピアノの練習も続けている。その楽しそうな姿を見詰めながら、典子はこう語った。

 


 「勉強面での心配はありますが、今は少しほっとしています。人より時間はかかるけれど、陽太にはゆっくりいい子に育ってほしいんです。陽太のLDのおかげでいろいろな人に出会うことができて、今は感謝してるんですよ」

 


 日本でLDが注目されるようになってまだ10年。障害の認定が軽度とされるため、療育手帳の取得が難しいなど制度面での問題は多い。また文部科学省は各都道府県に委託して、平成13年度から2年間で医療、教育関係者らによる「専門家チーム」を発足させ、モデル校に選んだ小学校への巡回相談や、教員らにLD児への指導法を伝授するなどの事業を行った。

 


 ―だれにでも一つはある苦手。もし彼らの特性が個性と受け入れられる社会になれば、それはほかの子供たちにとっても住みやすい社会ではないだろうか。










〜 fin 〜


マスク・ド・ファイブの追憶という

覆面バンドの青春コメディ小説も

書いております。

宜しかったら、読んで下さい。


http://ncode.syosetu.com/n0896cz/

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