16
思考の海にどっぷりと浸かった私に、オレストさんが苦笑しながら、声を掛けてくる。
「何を考えているのかは、何となく分かるけどさ~……そんな難しい事じゃないよ」
私は答えを聞きたく、オレストさんの次の言葉を待つ。もし、ホーバット公爵家の害になることだったら──止めてみせる。
「ははっ、やっぱり良いねぇ~、その意思の強そうな目」
そう言うと、オレストさんは私の頭に手をのせる。そして、髪をなぞる様に優しく撫でてくる。
余りにも自然の動作で動く事も出来なかった。だが、頭を撫でられる心地よさに反抗する気も起きない。……殿下にも小さい頃よく撫でて貰ったな。
オレストさんは頭を撫でる手を止め、手を離す。
離れる温もりを少し残念に感じるも、表には出さない。
「好きなんだよ、クロエちゃんの事が」
「……………………………………え」
「すごく間があったなあ……。本当だよ? マジだかんね? だから、そんな疑うような目で見ないで」
「今までの自分の行動を思い出しなさい。そして、私には婚約者がいますわ。私をおちょくるのもいい加減にして。さもなくば、ご令嬢一同オレストさんを無視しますわ。ふふふ、ナンパ男のオレストさんにとっては地獄でしょうね」
「……混乱しているのは分かったから、落ち着いてくれ」
何を言っているんだ? 私は至って落ち着いているぞ。とりあえず、家に帰ったら使用人の皆とお風呂入ろう。
……まてまて、私は何を考えているんだ? 後、オレストさんに何て言った? というより、何て言われた?
自分でも混乱しているのは分かってるけど、頭が真っ白で考えが追い付かない。
わたわたとしながら、現状を把握しようとしていると、顔の前に手が伸びてきた。
バチンッ!
「うぐぅ!」
私はオレストさんにデコピンを食らった。きっと、手加減はしていると思うけど、痛い。痛みでおでこを押さえ、蹲ると同時に頭が少し冷えてくる。そして、取り乱した羞恥と告白に顔が熱くなってくる。
「落ち着いた?」
「す、すみません」
「照れてる顔も可愛いよ~」
耳元で囁かれ、耳に当たる熱気と振動で身悶える。オレストさんを見ると、ニヤニヤしながら私を眺めていた。
こいつ私で遊んでやがる!
羞恥や怒りで手を出してしまうが、簡単に受け止められる。そして、ごく自然に指を絡ませてきた。振りほどこうにも、握られた手は離れない。
「さっき、令嬢一同で無視するって言ったけど、クロエちゃんが居てくれるのなら、全然構わないよ。むしろ他の全てを犠牲にしても君が欲しい。だから、ずっと俺の側にいてくれ」
ヘラヘラした様子は全くなく、真剣な視線で私を射抜いてくる。緊張感が漂い、私の口の中はカラカラと乾いてしまう。そのせいで言葉を発するのが、とても難しく感じる。
一筋の風が私達の髪を靡かせた。
「……何で私なんですか?」
数秒間の沈黙の末、私が口にしたのは、肯定でも否定でもない何とも情けない問だった。オレストさんもさぞや呆れていると思う。
だが、そんなことは気にした様子もなく、オレストさんは即答した。
「めちゃくちゃ可愛いから!マジで好みだし!」
また、沈黙が続く。しかし、今回の沈黙は緊張感が漂うものではなく、どこかまったりした感じだ。先ほどより余程良い。
どうやら気を使わせてしまったようだ。
「……そうですか、ありがとうございます。ですが、私には婚約者がいます。オレストさんの期待には答えられません」
「……やっぱ、そうだよねぇ。何となく分かってたんだよなあ。今日のデート中にもちょくちょくその婚約者の事、考えてたでしょ? あぁ~、マジ殿下許すまじ。でも、殿下って最近、聖女に夢中って聞くけど、それでもまだ好きなの? ほんとに良いの? これが最後のチャンスだよ! ほれ! 俺の胸に飛び込んで来い!」
「飛び込みませんよ」
確かに殿下は、伊藤さんに心を開いて、いずれかは私の婚約者では無くなるだろう。それでも、殿下から直接、拒絶されるまでは婚約者らしくありたい。それがとても辛い事であっても、自分からこの場所は捨てたくない。
それに、オレストさんが教えてくれた事もある。
──それを糧にしてまた頑張ればいい
だから、完全に拒絶されたとしてもそれを糧に頑張っていきたい。それには、まずは殿下にもう一度気持ちを伝えなければ──
「──私は殿下が好きです」
「ああ、クロエちゃんの気持ちはよく分かったよ……最初から俺に勝ち目はなかったんだ。くそぅ、今日は飲み明かすぞおおお!」
ふられたのにこのテンションは凄いな……ふったのは私だけど。
ふと首に掛かってるネックレスの存在に気が付いた。これは返した方がいいかな?
「あの、このネックレ──」
「おっと、それは返さなくてもいいよ。今日の記念にプレゼントしたやつだし。……親しい間柄だと、お揃いの宝石を身にまとうんだってな。俺達って友達なんだろ? いや、親友っしょ!」
確かに、友達同士で付けるのはありだ。周りからどう見られるかは置いといて。それに、親友か……何か良いなあ。
「それではありがたく頂戴致します」
「うむ、精進するがいい」
何だそれは? 陛下の真似かな?
どや顔で決めてるオレストさんが可笑しくて、笑みが溢れる。オレストさんも何かがツボったのか大笑いだ。
少しの間、二人で顔を見合わせて笑いあった。
私達の笑いが収まる頃には、夕日が城を赤く照らしていた。逆光で他の物が黒いシルエットに見える。その光景を見ながら今日を振り返ると、良い日だったなと思える。伊藤さんの事もあったけど、結果良ければ、だ。
「今日は本当にありがとうございます。とても楽しかったです」
「こっちこそありがとな。……フラれたけど」
「それは……というより、まずはナンパぐせをやめた方がいいと思います。親友からの忠告です」
「うっ、……そうだな。親友からの忠告だ、聞いておくよ。でも、親友で敬語っていうのは変じゃね? オレストって呼んでみ?」
私はオレストさんが「ほれ、ほれ」と言うように、手をクイックイッとしているのを見ると、我が家の門に歩き出す。
後ろから「おーい」と呼ぶ声が聞こえるが無視だ。
わりと長い時間立ち話をしていたので、ひ弱な令嬢には足が限界なんだよ。……後でマッサージでもしてもらおう。
そんな事を考えながら、後、数メートルで門に着く頃、私は後ろを振り向き、オレストさんを見る。
オレストさんは「やっと振り向いたか」と言いながら、手を降ってくる。
「そんじゃ、またなっ!」
私もそれに答えるように、手を振り替えす。
「またね、オレスト!」
オレストは少し呆然とした様子だったが、やがて城のご令嬢達がノックアウトしそうな爽やかな笑みを浮かべると、「おう!」と嬉しそうにサムズアップをした。
私が胸元にぶら下がっている宝石を弄りながら、屋敷のドアの中に入ると、何故かお母様に踏みつけられて、カーペットとキスしているお父様と、爛々と目を輝かせた使用人達に迎えられた。
「「「お帰りなさいませ、お嬢様」」」
「お帰りなさい、クロエちゃん」
お父様が踏みつけられていなければ、そこまで珍しい光景じゃないのに、ブルッと嫌な寒気を感じた。
「どうしたのですか? あの、その……お父様は?」
「この人はねぇ、クロエちゃんが襲われているって、いきなりナイフ片手に飛び出そうとしたから……ね」
そう言うお母様の手には刃が剥き出しのナイフがあり、刃の部分を持ちながらブラブラさせている。
そして、そのナイフをカーペット──お父様の顔の真横に勢いよく刺すと、獲物を見つけた様な目で私を捕らえた。
「上から全部見えていたわよ? 二人で密着して何してたのかしら? ふふふ、心踊るわねぇ」
「ひっ」
これはお母様達──夫人方特有の「あらら、若いって良いわねぇ」だ! これに捕らえられたら最後、全てを話すまで逃げることは出来ない──。
私は爛々と目を輝かせたお母様達に連れられて、奥の部屋に連れられた。──助けて! お父様!
お父様はドアが閉まる最後まで、カーペットに熱いキスを続けていた。