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はいそっ  作者: 相野仁
九話
94/114

11

 休み時間にいつものメンバーに相談する。


「あれであれば正直何とかなると思うだけど」


「音楽の授業やダンスの練習を見るかぎり、ヤスならば練習すればいけると思います」


 小早川とデジーレはそう言い、他の子たちも賛成してくれた。

 幼少の頃からそういう教育を受けてきて感覚が養われているお嬢様たちの保証があるなら、本当に何とかなるかもしれない。


「ワーグナーの交響曲三番であればこれから取り寄せるわ」


 小早川は不意にそんなことを言ったかと思えば、白い携帯をとり出して慣れた手つきで操作する。

 ああ、そうか。

 この学校じゃ携帯を持ってきたり使用したりするのは禁止されていないんだった。

 禁止されるような使い方なんて誰もするはずがないって理由で。

 休み時間に使う子も珍しいからすっかり忘れていた。

 携帯をしまった小早川はにこりと微笑みかける。


「次の休み時間に届けてくれるって」


 な、何が届くんだろう?

 一瞬馬鹿なことを想像してしまったが、冷静に考えれば曲が入ったデータだよな。

 あるいは楽団が演奏している映像か。


「参考資料を早くに聴けるのはとても助かる。どうもありがとう」


 小早川の手を反射的に握って礼を述べると、彼女は頬を朱に染めて視線を床に落とす。


「いいのよ。あなただけの問題じゃないんだから」


 面倒見がいい性格なのに、どういうわけかたまにツンデレみたいなことを言うんだよな。

 不思議だけど世話になる手前、いちいち追及するわけにもいかない。

 デジーレがなんとなくわざとらしい咳ばらいをしてから、こっちに問いを振ってくる。


「練習のスケジュールはいかがなさるつもりです?」


「とりあえず今日から放課後は毎日特訓かなぁ……」


 どういう答えを求めているのかとっさに把握しかねたので、無難と思われることを返す。

 とにかくクラスのみんながフォローできる程度には上手くなる必要があるだろうし、そのためには特訓するしかないだろう。


「失礼ですけどヤス一人では限界があるのではなくて? 指揮者の経験もないようですし、他のみんなと合わせる必要もありますし」


 それはそうなんだけど、だからこそ練習するしかないんじゃ……?

 浮かびかけた疑問をどうにか飲み込む。

 デジーレの性格を考えればそういうことをいちいち指摘しているのではなく、問題を踏まえた上での提案か何かがありそうだったからだ。

 黙って彼女の青い目を見つめて続きをうながす。

 はたして彼女は桜色の唇を心もちゆるめて言い放つ。


「実は我が家は管弦楽団や指揮者の後援をやっておりますの。ですからその伝手を使えば、ヤスの臨時教師を呼ぶことができると思いますよ?」


「ああ、それは名案かもしれないわね」


 笑顔で小早川が賛成する。

 他の子たちも「その手がありましたね」とうれしそうに笑いあう。

 美少女たちが微笑みを交わしあう光景は眼福なんだけど、ちょっと待ってほしい。

 どこからどう考えてもおかしなところしかなかったと思うんだが。


「やっぱりウィーン・シンフォニー? それともアムステルダム楽団?」


 小早川の問いかけにデジーレは表情を引き締める。 


「セオリーならばその方々でしょうね。ただ、今から楽団丸ごとひとつ招待するとなるとさすがに少し難しい気もしますから、何か手を考えた方がいいかもしれません」


 よかった。

 どうせ世界的な有名な楽団なんだろうけど、お嬢様の思いつきで極東まで一介の高校生の指導をするためだけにやってくるなんていうとんでもない荒業は無理らしい。

 そうだよな、有名な楽団だったらスケジュールが詰まっているだろうしな。

 俺のために骨を折ろうとしてくれているデジーレには少し申し訳ないが、個人的には安堵する気持ちがずっと上回っている。

 

「それだったら翠子様に相談してみてはいかが? 姫小路家からの依頼となれば、むげにはされないでしょう」


 一体いきなり何を言い出すんだ、高梨!?

 思わず目をむいたのは俺だけだったらしい。

 他の子たちは「その手があった」と手を打っている。

 ダメだこれ……俺ではとても頭が理解を拒絶するようなパワーによるイベント発生確定だ。

 と思っていると、デジーレは首を横に振る。


「たしかにヤスのためだけを想うならば、あるいは英陵全体の問題につながるのであればお力をお借りするべきでしょう。ですが、これは我がクラスの問題でもあるのです。その観点で言えば翠子様はむしろ我々のライバルなのですよ」


 今回も驚いたのは俺だけだった。

 他の子たちは翠子さんがある意味競争相手だとは理解していたらしい。

 それでも俺のために賛成してくれたんだろう。

 ありがたいんだけど、その分こう胃のあたりにプレッシャーが……。


「けど、赤松君のことを第一に考えるべきではないの? 彼、自分が私たちの足を引っ張ってしまうのではないかと気にしてしまうでしょう?」


 小早川はあきらめずに食い下がる。

 彼女が他の意見に対してこのような反応をするのはとても珍しかった。

 いつもであれば一度は相手の意見を認め、受け入れるというスタンスをとる。

 そのせいもあってみんな小早川相手だと比較的自分の意見を言っている節があるのだが……。


「問題はそこなのですね……」


 デジーレは不快感を示すことなく、物憂げな表情になる。

 そりゃ自分の問題じゃなくて俺のためにどうするべきなのかって話なんだから、反論にも困るよな。

 そろそろ口を出した方がよさそうな空気になってきている。

 小早川とデジーレの意見が一致していればそっとしておいてもかまわないんだが、この二人の意見がぶつかってしまうとややこしいことになりそうだ。

 そして今回それをおさめることができるのは当事者である俺しかいない。

 

「二人とも待ってくれ」


 割って入ったことで両者の美しい瞳がこちらを射抜く。

 

「甘いかもしれないけど、できるだけ自分で頑張ってみたいんだ。そりゃ分からないところは遠慮なく質問させてほしいんだが、でも楽団を丸ごと俺のためだけに呼ぶというのはさすがにちょっと……」


 実のところ舌が急に重くなったように感じている。

 プロのレッスンを受けた方がいい結果を出せるんだろうが、ただそれだけのために呼ぶのは申し訳ない。

 だからと言ってそれなしでいい結果が出せる自信があるのかと言えば、残念ながら全くなかった。

 指揮者が足を引っ張ったせいで本来よりも悪い結果になってしまうのは最悪の事態である。

 一体どうすれば最善なのか……いいアイデアがあればぜひとも教えてもらいたい。

 

「そうですか」


 デジーレは愁眉のままだったけど、俺自身の意見ということもあって引き下がってくれた。

 いや、本当申し訳ない気持ちでいっぱいなんだが。

 さてどうしようと思っていると、黙って聞いていた相羽がふと思いついたように口を開く。


「ねえ、楽団を呼ぶのはダメなら、指揮者を呼ぶっていうのは?」


「うん?」


 いきなり何を言い出すのかと思ったのはどうやら庶民一人だけのようだ。

 お嬢様たちの顔はいっせいに明るく輝き出したのである。

 指揮者を呼ぶのって楽団を呼ぶよりさらに難易度が高いと思うんだが、それは凡人の発想なんだろうか?


「その手がありましたね……」


「考えてみれば赤松さんが学ぶのは指揮についてなのですから、指揮者を呼ぶ方が正しかったのでは?」


 いやいやみんな何を言っているんだよ。

 それとも指揮者の人はお嬢様の招きにはすぐに応じてくれるの?

 どう考えてもそんなわけないよね?

 お嬢様たちが顔や名前を知っているレベルの人って、絶対世界的に有名で忙しく飛び回っているようなレベルの人だよね?

 誰か止める人がいてくれるんじゃないかと少し期待していたんだが、誰もが名案だと思っていそうだった。

 これは自分で止めるしかないか。

 

「えっと、指揮者を呼ぶって難しくなかったりするのかい? 忙しそうなイメージしかないんだけど」


 世界的な指揮者を呼ばれたら俺の胃が死ぬとは言えなかったため、多忙を理由にしてみる。


「呼べば来てくださると思いますが……」


 みなが不思議そうな顔だった。

 お嬢様にとって指揮者とは呼べば来る職業の人であるらしい。

 まさかと思うけど執事と指揮者の違い、区別できてないのでは。

 そんな馬鹿げた考えが一瞬頭をよぎる。

 いくらお嬢様たちでもさすがにそれはないと自分に言い聞かせておく。

 

「要するに赤松君は自分の都合で遠方にいるプロを呼ぶのが申し訳なく思っていると」


 俺の気持ちを察して言葉にしてくれたのは小早川だった。

 さすが小早川、頼りになるぞ小早川。

 心の中で感謝の言葉を繰り返していると、彼女は小首をかしげる。


「たぶんそこの感覚が私たちとは違うのよね」


 うん、その通りだよ、小早川。

 と思えていたのはここまでだった。


「映像とか物を贈られるのはいいのに、人はダメなの?」


「えっ」


 あまりにも素っ頓狂な質問に思わず声が出てしまう。

 人と物は違うだろ、いろんな意味で……そう思っているのは俺だけなのか?

 順番に女の子たちのきれいな顔を見ていくと、相羽以外の全員が不思議そうだった。


「だって私たちの家が所有していたり、後援していたりするという意味では同じでしょう?」


 デジーレの発言にはたちくらみしそうになる。

 こ、これがセレブの感性なのか……。

 こうなってしまっては相羽だけが頼りだ。

 そういう気持ちを込めて彼女を見ると、彼女はおずおずとデジーレに話しかける。


「私たちの都合に合わせるのも仕事と言える人間関係って、想像しにくいってことなんじゃないかな」


「なるほど……ヤスが納得できていないのにそれを無理というわけにはいきませんね」


 ひとまず俺の感情面での問題があるということは理解してくれたようだ。


「みんなの足を引っ張りたくないと言いつつ、わがままばかり言ってとても申し訳ないんだが」


 彼女たちは何一つ悪くない。

 ただ、自分たちができうるかぎりのことをして、俺のフォローをしようとしてくれただけだ。

 やってもらう立場なのにも関わらず、注文を付けている俺こそがダメな奴である。


「いえ、そんな、赤松君が悪いというわけではないですよ」


 それなのに一生懸命フォローしてもらってしまって本当にすまない気持ちだ。

 

「頑張って上手くなって恩返しするしかないか……」


「そこまで思いつめなくても」


「そうです、赤松さんなら大丈夫ですわ」

 

 さらにあたたかい励ましがいっぱい来る。

 大丈夫だって言われても、この子たちは基本的に自分たちのレベルの高さを自覚してないからな。

 さんざん世話になっておいて何だけど、こういう件についてはあまり信用できない。

 レベルが高いのに鼻にかけずに謙虚なところは立派だと思うんだけどね。

 

「じゃあ、こういうのはどう?」


 みんなの言葉が途切れたタイミングを見計らい、相羽が口を開いた。


「音学大学に通っている人を用意するの。それだったら赤松君もまだ受け入れられるでしょう?」


「なるほど、その手があったか」


 大学生だったらまだプロじゃなくてそのタマゴだろうし、俺よりもはるかに上級者に違いない。

 そして何より大学生なら家庭教師の定番だもんな。

 俺がポンと手を叩くと他の子たちは何が何だか分からないという顔をしている。

 ……この子たちは家庭教師を雇うにしても大学生じゃなくて、それを本職にしててしかも業界内では有名な人なんだろう。

 とりあえず簡単に理由を説明する。


「えっ? 大学生が家庭教師に?」


「家庭教師って専門職の方がやるものではないの……?」


 お嬢様たちからは小さなざわめきが起こった。

 よほどカルチャーショックだったんだろうか。


「学生は自分より知識がある人に問題の解き方や勉強のコツを教えてもらえるし、大学生はそれで小遣いを得られるというわけだ」


 きちんとした大学生とまじめな生徒であればウィンウィンの関係だと言えると思う。

 

「そ、そんな仕組みがこの世にあっただなんて」


 お嬢様たち、いくら何でも驚きすぎじゃないか……?

 そう疑問に思ったけど、考えてみれば英陵には塾や予備校を経営している親や親せきがいる子は一人もいないんだっけ?


「それでしたら、我が家の支援を受けている学生を一人回してもらうというのはいかがですか?」


 デジーレがそんなことを言い出す。


「学生の身ですからある程度の自由は利くはずですし、何があっても我が家が解決するという条件であれば引き受ける者はいると思うのですけど?」


 それはそうだろうなと思う。

 学生の人に何かあってもデジーレの家が解決してくれるなら、こちらとしても気が楽だ。

 だが、それには一つ問題がある。


「それは妙案だと思うけど、その中に日本人はいるのかい?」


 全員が外国人だという可能性があることだ。

 俺の懸念に気付いたらしいデジーレは上品な微笑を浮かべる。


「ご心配なく。このあたりに住んでいてヤスの家に訪問できそうな者に心当たりがありますから」


 それなら問題はないな。

 近所の人なら比較的気軽に来てもらえるだろうし。

 

「だったら悪いけど頼んでみてくれるかな」


「お任せください。優秀な人間を選出しましょう」


 いや、そこまで気合を入れなくてもいいから。

 そう言いそうになったのをどうにかこらえる。

 俺としては教え上手で気軽に質問できて、かける負担が小さい人なら誰でもいいのだ。

 割とわがままな考えだという自覚はあるから、デジーレには希望を出さないが。

 

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