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はいそっ  作者: 相野仁
九話
87/114

4

 俺が連行……もとい案内されたのは、多分豪邸の正規の食堂だ。

 いや、食堂というのは何か違う気がするな。

 床には真紅をベースにふちが金色の絨毯が敷かれているし、中央と四方に立派なシャンデリアがいくつもあった。

 互いの顔が見えないほどに大きなテーブルって、実在していたのか。

 てっきりフィクションの世界にしかないと思っていたよ。

 と思っていたが、俺が案内されたのは併設されている小さな円卓だった。


「あちらは客人との会食用なのですが、赤松さんはこちらの方がいいでしょう?」


 先輩はニコリと微笑みながら説明してくれる。

 どうやら俺に配慮した結果らしい。

 気を遣わせて申し訳ない思いでいっぱいだけど、そう言っても先輩だから「客人への配慮は当たり前」で片づけてしまうだろうな。

 

「赤松様はどうぞこちらに」


 老年の執事に案内されたのは、姫小路先輩の右隣の席だった。

 いいのかと思ったものの、断り方を知らないので従うしかない。

 ほとんど間を置かず四人分のティーカップが運ばれてくる。


「食前に飲むとよいとされているものだ。もっとも、色んな意見があるようなので、あまり鵜呑みにはできないがね」


 英輔さんが微笑と苦笑の中間のような表情で教えてくれた。

 民間療法みたいなものなのかな?(偏見)

 こういう人たちでもそういうのを気にするのは、何だかかなり意外で新鮮だった。

 表情に出ていたのか、先輩がくすりと上品に笑う。


「こういう情報は馬鹿にできないのですよ。昔の方の知恵には感服させられます」


「全くだな」


 英輔さんも同調し、その奥さんも小さくうなずいている。

 絶大な力を持っている家の人間なのに、柔軟で偏見らしい偏見がないのがこの人たちの強みなんだろうか?

 ここまでくると感心すると言うか、脱帽するしかないと言うか。

 肝心のお茶の味は美味いとしか分からない。

 他にはおそらくほうじ茶や麦茶じゃないというくらいだな。

 煎茶や新茶、芽茶に玉露って言われても正直、違いを理解するのは無理だ。

 だって材料の品質が最高なら淹れる人の腕も最高なんだから、どんなお茶だって俺が飲んできたものより圧倒的に美味いよ。

 訊けばいいのかもしれないけど、さすがにこの面子にそんな質問をするのは憚られる。

 どうせ恥をかくとは思うが、自分から積極的に傷口をえぐろうとは思わない。 


「お待たせいたしました」


 執事の人の一言で昼食が始まると理解した。

 カップなどは複数の執事とメイドたちによって手際よく片づけられ、代わりにスプーンやナイフ、フォークが並べられていく。

 その見事な動作に感心していたら、不意に英輔さんが口を開いた。


「ところで赤松君は苦手なものはあるかい? 集めた情報だと特に好き嫌いはないようだが」


「嫌いなものもアレルギーも特にありません」


 情報云々というところで先輩が顔色を変えていたけど、あえて気付かないフリをする。

 それを見た先輩が何か確信を得たようにハッとした。

 女の勘は怖いって本当なんだな。

 いや、もしかすると全く見当外れなのかもしれないけど。

 

「ではフランス料理でいいかな?」


「はい」


 事後承諾じゃないか、と思えないのは英輔さんの風格もあるが、豪邸内の雰囲気もあるだろう。

 ハイソサエティ感が丸出しなのである。

 きっとこの家の人たちに言っても、変な顔をされて終わりだろうけど。

 さて、どんな料理が出てくるのかと思いきや、学校で見ているのとあまり変わりない。

 味はさすがにこちらの方が一回り以上も上じゃないかと思うが。

 ……あれっ? よく考えてみれば、すごいことじゃないか?

 こんな豪邸に住んでいる人たちが食べているものと、学食のレベルがほぼ同じだなんて。


「味はどうかな? 赤松君」


 俺が咀嚼したタイミングを見計らい、英輔さんが尋ねてくる。


「美味しいです。ものすごく」


 余計なことを言わないように気をつけて返答しておく。

 すると先輩が嬉しそうに微笑む。


「よかったわ。赤松さんは食堂をよく利用されているようですし、こういったものがお好きなのかなと思っていたのです」

 

 ああ、それでフランス料理にしてくれたんだろうか?

 俺が好きそうなものばかり選んでもらって、まことに申し訳ない。

 先輩たちはそれくらい当然だと言わんばかりの態度なので、気にしすぎない方がいいのかもしれないが。

  

「ありがとうございます。とても美味しいです」


 でもまあ、礼を言うくらいなら構わないだろう。

 先輩はとても嬉しそうな顔をしているし。

 ただ、気になったのはそんな先輩のことを、ご両親が興味深そうに見ていることだ。

 先輩がこんな表情をするのは珍しいのか?

 いや、まさかな……一緒にいる限りだと、かなり表情は豊かな人だ。

 漠然とした疑問を自分で打ち消していたら、英輔さんが口を開く。


「それにしても翠子が年頃の男を相手に、こんな様子を見せるとはね。これだけでも赤松君を招待した甲斐があったというものだ」


 えっ? 何だって?

 思わずそう言いたくなってしまう。

 男相手には珍しいとか本当かよ?

 水を飲みながらそう考えていると、お母さんもどこか楽しげに笑った。


「そうよね。初めて見た気がするわ。男の子相手に笑顔を見せる翠子は」


 えっ? 本当に? 冗談だろ?

 反射的に先輩の顔を見ると、本人は真っ赤になって恥ずかしそうにうつむいてしまう。

 ……嘘だと言って欲しかったんだが、とてもそうは見えなかった。


「ふむ。意外とお似合いかもしれないな」


 英輔さん、あんた一体何を言い出すんだよ!?

 とっさに怒鳴りつけそうになったのを辛うじて堪える。

 間違っても言葉にはできないので、頭の中で百回ほど罵声を浴びせた。

 気の毒に、先輩なんてむせこんでしまっているじゃないか。


「か、からかわないで下さい」


 相手が相手なのでこう言うのが精いっぱいだ。

 それでも抗議はきちんとしておきたい。

 でないと延々とからかわれ続けなきゃいけない気がしたからな。


「ふむ? 何故だい?」


 しかし、英輔さんは止めてくれなかった。

 容赦なく食い下がってくる。


「何故って言われても……僕は庶民ですよ」


 仕方なくずっと思っていることを打ち明けた。

 住む世界が違うのだから、一歩引くのは当たり前だ。

 はっきりと言えばこの人たちは分かってくれるだろう。


「だから?」


 ……そう思っていた時期があった。

 英輔さんはもちろん、他の二人も不思議そうな顔をする。

 だからって、それが絶対の差なんじゃないのか?


「生まれの差がそのままだなんて、いつの時代の話なんだい?」


 彼はどこか呆れたような表情になっている。

 少なくとも姫小路家は先祖代々の財力と権力を受け継いでいるんじゃないか?

 それなのにどうしてこんな言葉が出てくるんだろう?


「裸一貫で事業を始めて、数百億ドルの財産を築く方が何人もいる時代なのに……」


 お母さんもきょとんとした感じでそんなことを言う。

 いや、それは一部の人の話であって、大半の庶民には関係ないんですよ。

 俺の考え方が時代遅れなら、英陵の女子がお嬢様まみれなんてことにはなってないだろう。

 そう言いたいのに、何となく口には出せない雰囲気になってしまっている。


「えっと、赤松さん? 生まれよりも大切なことはたくさんあると思うのですけれど」


 先輩にまでおっとりとたしなめられてしまった。

 あれっ? 俺が悪いのか? 何か間違っているのか?

 そう叫びたい気持ちでいっぱいだ。

 でも、言えない。


「そういうものなのでしょうか?」


 代わりに言葉にできたのは、弱気なもの。


「ああ。そんなことで萎縮することはないさ。気遣いは大事だと思うが」


 英輔さんがまるで俺の背中を押そうとしているかのような言葉を投げてくる。

 要するに気にしすぎていたってことなのかな?


「そうですよ。なかなか赤松さんと親しくなれないと、残念がっている方は何人もいます」


 先輩がどこか拗ねているような口調で発言する。

 まあ、未だに友達と言える相手がほとんどいないしなぁ。

 よそよそしいと文句を言われても否定できないかもしれない。

 高校三年間のつき合いにすぎないって自重していたのもあるし、男女のノリが違いすぎるというのもある。

 そもそも俺たちにとって一般的なことをお嬢様たちは全然知らなかったり……いや、こういう考えがダメなのか。

 ファーストフードとかでも女の子たちは興味津々だったからな。

 少しずつ情報や知識の交流をしていくのはアリなのか?


「ほう? 赤松君はそんなに人気があるのかな?」

 

 英輔さんの目がキラリと光る。

 獲物を見つけた猫科動物のようで、正直かなり怖い。

 

「ええ。困っている時は必ず助けて下さる、とても頼りになる方だと評判ですわ」


 先輩が自慢しているかのように言う。

 止めて下さい、そんな大層なものじゃないんです。

 そう叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 ただ、せめてもの救いは「ヒーロー様」なんて呼ばれているなんて、ばらさないでいてくれたことである。

 さすが先輩、嫌だと主張すればちゃんと考慮してくれるんだ。


「ああ。何でもヒーロー様と呼ぶ子もいるそうね?」


 そう安心していたら、お母さんの方からまさかの必殺ストレートが。


「へえ?」


 英輔さん、メチャクチャ面白そうにしている。

 それに対して先輩は驚き、困った顔をしていた。

 ああ、自分の母親が知っているという事実を知らなかったのか。

 それじゃ責めても仕方ないよな。

 この家の人たち、どうも謎の情報網を持っているみたいだし。

 先輩の口が動いたので、ご両親を諌めてくれると思った。


「あの、お母様。赤松さんの前で言わない約束だったはずです」


 せんぱーい!?

 俺はまさかの裏切りに、絶望して目をむく。

 当の本人はそれに気づいたのか、心底を申し訳なさそうに目を伏せてうつむいてしまう。


「ご、ごめんなさい。お嫌だと伺った時には既に話してしまっていたのです」


 そ、そういうことなら仕方ない。

 もっと早くに言わなかった俺だって悪いんだし。

 仕方ないんだけど……でも、何とかならないものか。

 がっくり肩を落とすと英輔さんが口を開いた。


「しかし、大したものではある。君に打算や下心があるのを見抜けないほどうちの娘や、他の子は馬鹿じゃない。君をそれだけ評価しているのは、それだけ君が真摯だからだろう」


 何だよ、このうなぎ登りな評価は。

 とりあえず否定しなきゃまずい。


「い、いえ。当たり前のことをしているだけですから」


「当たり前だと本気で思っているからこそ、今のあなたがあるんじゃないかしら?」


 お母さんにそう言われて返事に詰まってしまう。

 とても居心地が悪かった。

 どうしてここまで褒められなきゃいけないんだ?

 こんなのただの褒め殺しじゃないか?

 ……あっ。

 そうか、これは褒め殺しすることで、俺がどういう反応をするか見ているんだ。

 そうに違いない。

 それなら、ここまでひたすらマンセーされるのも理解できる。

 そしてこれはきっと、先輩は知らないんだ。

 信じたいし、疑いたくはない。


「恐縮です」


 ちょっとぶっきらぼうだったかもしれないが、ここはひたすら謙遜の一手だ。

 少しでも天狗になるようなそぶりを見せれば、その瞬間抹殺コースだと思えばいい。

 そう自分に言い聞かせてクールダウンする。

 ふう、何とか持ち直せたぞ。

 内心で一息ついていると、先輩が話しかけてきた。


「ところで赤松さん、お父様とは美術館訪問の打ち合わせはすませましたか?」


「あっ」


 そうだよな、姫小路家が所有しているところなんだから、きちんと許可を取らなきゃダメだよな。

 無意識のうちに先輩に丸投げするつもりでいたことを反省する。

 

「ごめんなさい、まだです」


「うん、何? うちの美術館に興味があるのかい?」


 俺たちのやりとりを聞いていた英輔さんが食いついてきた。


「はい。見学させていただく許可を頂きたくて。あの、入館料ってどれくらいでしょう?」


 何か無料でいいって言われそうな予感があるけど、訊いておかないとダメだろう。

 そう思っていると英輔さんは首をかしげる。


「翠子の知り合いなら無料で好きなだけ見学すればいいけど、どれのことだい?」


 ……はい? 一瞬どういう質問をされたのか分からなくて戸惑う。


「美術館なら横浜と練馬区とさいたまと千葉と四つあるんだけど」


 え? 収集が高じて美術館になったものが四つのもあるの!?

 ぎょっとして先輩を見ると、上品だけど曖昧な笑みを浮かべている。

 この表情が出ているということは、困っているということだな。

 俺が変な反応をするかもしれないから、あえて黙っていたんだろうか。

 

「ヘリを使えば全部回れるだろうが、一つあたりじっくり見る時間をとるのは難しいかもな。どうする?」


 どうするって言われても……自家用ヘリも持っているのか。

 そしてそれを美術館を巡回する為に使っていいのかよ。

 おっと、いけないいけない。

 どうするって訊かれているんだから答えないと。


「二つくらいじっくり見たいと思います」


 四つ全部となるとせわしないだろう。

 だからと言って一つだけというのは少しもったいない気がする。

 そこで捻り出した落としどころが二つだ。


「あら、いいですね。どこがいいかしら?」


 幸いなことに先輩も乗り気らしい。

 ただ、大人組の反応が気にかかる。

 まるで微笑ましい何かを見守っている時の表情じゃないか。

 とりあえずこれは言っておかないといけない。


「高遠先輩には相談した方がいいんじゃないでしょうか?」


「ええ、そうですね」


 先輩はにっこりといつもの笑みを見せてくれたが、保護者たちはがっかりした顔をゼロコンマ二秒くらい浮かべていた。

 まるで二人きりのデートじゃなかったが残念みたいだな。

 親としてそのあたりどうなんだろう?

 悪い方向に考えるなら、俺が隙を見せなかったことこそが残念なのか?

 いくら何でも考えすぎかな?

 考えすぎだったらいいのになぁ。



 おっと、女の子たちとダンスの練習をする予定があるって知らせておいた方がいいよな。

 スケジュールがバッティングしてしまってから言うよりも、ずっと心証がよくなるはずだ。


「あの実はダンスパーティーの件なんですが、練習相手になってくれるという子たちがいて、今度練習するんです」


 おずおずと切り出したところ、先輩は驚きもせず首をちょっとかしげる。

 そんな動作も様になっているのだから、美人ってすごい。


「そうでしたか。それで日程は決まっているのですか?」


 この問いかけには黙って首を横に振る。

 

「それがまだでして。ですけど一応お知らせをしておいた方がいいかと思いまして」


「お気遣いいただきましてありがとうございます」


 先輩はにこりと微笑む。


「ではその子たちと相談してみますね。デジーレさんか文香さんでいいのかしら?」


 誰とも言っていないのに的確に言い当てていた。

 うちのクラスの中心人物くらい、把握しているということなのだろう。


「はい。その二人に相談していただければ何とかなると思います」


 先輩に声をかけられて「相談」になるのかという一抹の不安はある。

 だが、そこは先輩を信じよう。

 この人は自分の地位や立場を利用したりはしない。


「分かりました。今度お二人に相談してみますね」


 先輩ならきっと悪いようにはしないさ。

 そう安心していると、英輔さんが茶々を入れてきた。


「きっちり話をつけるということだね」


「お父様」


 先輩が笑顔でたしなめると、目をそらして咳払いでごまかす。

 どうしよう、どう見てもすごい人には見えないぞ。

 能ある鷹は爪を隠す、をやっているのだとしたら、とんでもない演技力なんだけど。

 いや、きっとそうに違いない。

 持って生まれた地位や血統に付属する権力に周囲が勝手に屈服するような時代は、とっくに終わっているはずだ。

 一代で数兆円の資産を築く人がいる時代だって、他ならぬ英輔さんが言っていたことじゃないか。

 何のとりえもない人なんて、まず血族に見捨てられて裏切られるに違いない。

 そうなっていないって時点で、英輔さんはすごい人なんだ。

 分かりきっていることをしつこく自分に言い聞かせないと、妙な錯覚をしてしまいそうだった。

 

「では相談内容はメールで送りますね」


 先輩のこの言葉にびっくりする。


「えっ? いいんですか?」


 俺にメールアドレスを教えても?

 思わず訊き返してしまっていた。

 先輩は思案顔になって、ご両親をうかがう。


「わたくしはいいと思うのですが、お父様とお母様はいかがですか?」


「赤松君なら私が許そう」


 英輔さんがすかさずそう言い放ち、お母さんも賛同する。


「わたくしにも異存はありません」


 すごいな、とうとう先輩の連絡先をゲットか。

 ……調子に乗らないように気をつけよう。

 かくして収穫があったのかなかったのか、よく分からないまま姫小路邸を後にする。

 もちろん、帰りは高級車で送ってもらう。

 もはや乗り心地にビビらなくなってしまった俺がいた。


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