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はいそっ  作者: 相野仁
九話
84/114

2

 姫小路家の敷地は相変わらずドデカいなと思っていたら、車は途中で前回とは逆方向に曲がる。

 怪訝に思ったものの、家の敷地は見えているので黙っていることにした。

 入口がいくつもあって今回は前回とは違うところから、なんて言われてもおかしくはないからな。

 高い塀が延々と続く様を見ながら、ぼんやりとそう考える。

 やがて一つの門へと入った。

 前に来た時よりちょっと豪華かな?

 どっちも立派なものだし、色も同じなんだけど、何となくどこか違うと感じた。

 車から見える光景も当然違っている。

 今回見えているのは、白い平屋根タイプの屋敷だ。

 豪邸と言うよりは博物館とでも言うべきだろうか?

 あっ、ひょっとしてここに趣味の鉄道関連のものが置いてあるのかな?

 美術品の収集が高じて美術館を建てちゃったという一家なら、ありえない話ではないと思う。  

 さすがにこの建物まるごと趣味用ってことはないと思うけど。

 車はスムーズに止まり、運転手さんがドアを開けてくれる。


「お疲れ様でした」


「どうもありがとうございます」


 俺が足を乗せたのは土の上だった。

 こんな建物の敷地内にあると、ただの土でさえ上等に見えるから困る。

 運転手さんの後に続き、石畳の上を歩いていく。

 金持ちは何かにつけて羨ましいが、庭から屋敷までの距離があるのだけは例外だ。 

 ちょっとくらいなら運動になるかもしれないけど、この距離だと面倒さが上回る。

 立派な樫のドアを開けて中へと招き入れられた。

 玄関の右手には高級感のただよう素材で作られた下駄箱がある。

 壁には燭台のような電灯がくっついていた。

 以前に来た事があるところとは、何となく趣が違う気がする。

 高級感があふれているという点だけは一緒だけど。

 靴を脱ぐとほぼ同時に、四十代くらいと思われる執事服を着た男性が姿を見せた。


「赤松様、ようこそおいで下さいました」


 とても礼儀正しくあいさつをされる。

 今日の俺は英輔さんのゲストのような扱いなんだろうか。

 いずれにせよ、庶民のガキに対しては行きすぎたものだと思う。

 だが、郷に入っては郷に従えという言葉もあるんだから、止めてくれだなんて言うわけにもいかない。

 

「お邪魔します」


 とりあえず無難に応じておく。

 先輩に聞いたところによると、「本日もお日柄もよく」的な仰々しいあいさつはいちいちしないんだそうだ。

 俺は俺でハイソサエティに偏見を持っていたのかなぁ。

 スリッパに履き替えて、執事さんの後を歩く。

 ほどなくして応接室に通された。

 英輔さんはどうしたんだろうと思っていると、ほとんど待たされる事なく姿を見せる。


「やあ、すまないね、朝から呼び立ててしまって」


 今日は白い襟つきシャツにグレーのスラックスといういでたちだった。

 割とかための格好だと思うんだけど、普段着がこれなんだろうか?

 それとも人と会う時の最低ラインでもあるのかな?

 金持ちは金持ちなりで大変だよな。

 先輩の父親にして現状の原因である人を見てからそんなことを思う。

 その当の本人は、気さくと言うよりはやや馴れ馴れしい態度で話しかけてきている。

 もうどう考えていいのか分からないよ……。


「いえ。それよりもお仕事は大丈夫なのですか? 会社とか」


 ただ、せっかくだから流れ的には訊いてもおかしくはないことを訊いてみる。


「ああ」


 英輔さんは何やら納得したと言わんばかりの表情になってさわやかな笑みを浮かべた。


「赤松君は知らないんだね。会社というものは所有するものであって、経営するものじゃないんだよ」


 優しい口調で何かとても恐ろしいことを言われた気がする。

 オーナーになって経営者を雇えとか、そういう話なんだろうか?


「は、はぁ」


 圧倒されてしまい、失礼な反応をしてしまった気がする。


「だから比較的自由は利くのさ。まあ、比較的だけどね」


 英輔さんは俺の態度を咎めず、穏やかに笑った。

 それからソファをすすめてくれる。


「本当ならさっそく本題に入りたいところなんだけど、客は一度もてなすべしというのが我が家の家風みたいなものでね。家を継いだ以上、私が曲げるわけにもいかないんだ」


 会話だけ聞いていると、どうにもロックンロールな人としか思えないから不思議だ。

 先輩が常識人なんだからこの人だってそうなんだろうと思うんだが。

 それとも、先輩はお母さん似だったりするんだろうか?

 たしかにお母さんもすごい綺麗な人だったけど。

 

「コーヒーでいいかい?」


 訊かれたので首肯しておく。

 

「それはよかった」


 英輔さんはそう言うや否や、立ち上がった。

 まさかと思ったが、応接室に置かれていたコーヒーメーカーで淹れてくれる。

 想像を遥かに超えた展開に、頭がついてこれない。

 いや、何で応接室にコーヒーメーカーがあるというのか。

 そもそも英輔さん本人が淹れているのか?

 漫画なら、きっとクエステョンマークが頭上を乱舞しているに違いない。 

 

「あいにくと本職にはかなわないがね」


 英輔さんはそういいながら白い小さなカップに淹れたコーヒーを目の前に置く。


「赤松君は砂糖やミルクはどうする?」


「あ、ミルクだけいただきます」


 そう言うと英輔さんは立ち上がってミルクをとってくれた。

 ミルクや砂糖までセットされているとなると、実はここは「英輔さんがコーヒーをふるまう為の部屋」だったりするのかもしれない。

 それだったらまだ理解はできる気がする。

 そんな風に自分自身に無理矢理言い聞かせた。

 だっていくらなんでも砕けすぎだろう、この人。

 この姿だけ見れば、とても財界をリードするっていう家のお偉いさんだとは思えないよ。

 だけど、もしかしたら俺を油断させる為のいつわりの姿かもしれないから、馴れ馴れしくはせずに礼儀は守らないとな。

 庶民の子供相手に何でそんな面倒なことをするのかって訊かれても困るけど、素でこの姿だと言われるよりはまだ納得ができる。

 ひょっとして大切な娘と接点が多い男を、みたいな風に思っているのかな?

 そんなことはないなんて保証はまったくないと思う。

 だったらなおさら用心しよいといけないんじゃないかな。

 つけ焼き刃にすぎない礼儀作法が通用する相手じゃないだろうけど、精いっぱい頑張らないと。

 退学にならない為、あるいは家族を守る為ってだけじゃない。

 よくしてくれている姫小路先輩、他の先輩たち、同級生の皆たちの為にもなるだろうから。

 あの人たちが、くだらない男と仲よくしていた、なんてレッテルを貼られるような結果は避けたいものだ。

 淹れてもらったコーヒーを一口飲んでみる。

 美味しいことは美味しいんだけど、あれ?

 これだと購買とかで飲めるものの、あるいは先輩たちの家に来た際に一緒に飲んだものの方が美味しいんじゃ?

 英輔さんの本職にはかなわない発言は、まんざら謙遜ではなかったのかもしれない。


「美味しいです」


 そうは思っても、美味しいことには違いないんだから、こう言っておくのが無難だろう。

 英輔さんはと言うと、じっと俺の表情を観察するように見つめてくる。

 やがて口を開いた。


「ふむ。美味しいけど一番美味しいわけではない、といったところかな?」


 その言葉に思わずぎょっとなる。

 それにともなって、くすくすという笑い声が聞こえてきた。

 声の主が誰なのか、言うまでもない。

 この部屋には二人っきりなんだから。


「なるほど。どうやら表情や態度に心情を出さないというのが苦手のようだね」


 全くもってその通りである。


「お恥ずかしいかぎりです」


 言いわけする余地なんてないだろう。

 目を伏せて恐縮するしかなかった。


「それは仕方ないことだろうね。君は私たちとは違い、幼少の頃からそういう教育を受けてきたわけではないはずだ。ただ、少しも成長しないというのも困るけどね」


 英輔さんは優しい口調で理解を示してくれる。

 成長しないのはダメだとも言われてしまったが、これはありがたいことだ。

 

「肝に銘じます」


「堅いなぁ」


 俺の態度に苦笑する。

 ただ、さっきまでと違って困惑はしない。

 この人はこっちの境遇や立場を理解している、と先ほどの発言で推測できたからだ。

 素の性格なのか、何か試しているのか、どちらだとしてもこの態度を崩さなければ、大きな問題にはならないと思う。

 そう信じて頑張るしかなかった。

 英輔さんは簡単な質問をしてくる。

 学校でのこととか、クラスで上手くやっているかとか。


「勉強はもっと頑張らないといけないなって思っています」


 恐らくだが、その気になれば俺の成績くらいはすぐに知ることはできる立場の人だ。

 隠すよりは自分からばらしてしまった方がいいんじゃないか。

 そう思って堂々と告げる。


「ははは。英陵は有名大への進学実績なんて皆無に等しいから無名だが、レベルが低いわけじゃないからね」


 英輔さんは笑いながらそう言った。

 全くもってその通りである。


「ええ、思い知りました」


 最近になってようやく理解したのだが、国内最難関と言える東郷大医学部に受かるレベルの子もいるし、旧帝国大学の難関学部に合格できる実力者もダース単位でいるようなのだ。

 進学する子がいないから、外には知られていないだけで。 

 そんな子たちに囲まれて、つられるように勉強を頑張っている俺も、成績がよくなっていたらいいなぁ。


「君は大学はどうするつもりでいるんだい?」


 どういうわけかそんな質問が飛んでくるが、嘘をつくわけにもいかない。


「国公立のどこかに入れたらいいなとは思っています」


 つまり何も決めていないということだ。

 この人なら一瞬で気づいただろう。

 

「ふむ。英陵大に進学する気はないのかな?」


 と思っていたらとんでもないことを言われた。

 口の中が空だったからよかったものの、そうでなかったらコーヒーを英輔さんの顔面に吹きつけていたに違いない。


「そんな無茶な。英陵大学って女子大でしょう?」


 本音がダダ漏れだったのか、苦笑を浮かべながら答えが返ってくる。


「実は大学も共学化の案が出ているんだよ。極秘で、だがね」


 えっ? 嘘だろ?

 と思ったけど、高等部が共学化したんだから、そこまでおかしくはないのか?

 どうして極秘情報を俺に教えるんだ?

 混乱してしまって、どうすればいいのか分からない。

 

「どうするかね?」


 念を押すように、もう一度尋ねられる。

 いや、本当にこれはどうすればいいんだよ。

 行きたいと言うのか正解なのか?

 でも、まだ共学化されたわけじゃないしなぁ。


「……分かりません」


 必死に考えた挙句、そう言うことにする。

 今言われてもすぐに決められないんだから、他に言いようがない。

 

「そうか」


 英輔さんは穏やかに言ったが、その表情から気持ちは読みとれそうもなかった。

 本音を隠すのが上手いと言えばその通りなのだろう。

 もしかすると失望されたのかもしれないけど、自身の答えに悔いはない。

 俺の一存で決められることでもないからな。

 

「まあいい。決定事項ではないから、君の胸にしまっていてくれ。ご家族にも言わないように」


「はい、誰にも言いません」


 誰かにうっかりしゃべったりしたらどうなるのか、言わなくても分かっているな。

 そういう副音声が聞こえた気がしたので、固く誓う。

 英輔さんはしばらくの間、こっちを無言で見ていたがやがて咳ばらいをした。


「それじゃ、堅苦しいのは終わりにしよう。君に私のコレクションを見せたいというのは、本当の話だからね」


 その言葉と表情には、どことなく浮ついた調子がある。

 まるで楽しみの遠足やお菓子を待ちきれない、子供のようだと言ったらさすがに失礼になるだろうか。

 

「こっちだよ。ついてきてくれ」


 英輔さんに促されたので、俺も立ち上がり彼の後についていく。

 応接室を出て右に曲がり、フローリングの廊下を少し歩いて先に大きな木の引き戸がある。

 移動時間は一分もない。

 三十秒もあったかどうか、といったところだろう。

 木の引き戸を開けたそこには、鉄道の模型が見渡す限り鎮座していた。

 部屋は十八畳分かそれ以上はあるんじゃないか。

 大型のベッドがいくつ入るのか、ちょっと目測では分からない。

 それほどまでに広い部屋に大きな棚があり、模型がびっしりと詰まっているのだ。

 これには開いた口がふさがらない。

 これほどの数を揃えるのは、子供では無理だろう。

 大人の財力あってこそである。

 でも、だからと言ってすごいとは思えなかった。

 すごすぎてどん引き、と言った方が適切だろうか。


「どうかね?」


 英輔さんの表情からは、得意げになって見せびらかしている少年を連想できた。

 いくら何でも失礼すぎて、とても言葉にはできないが、これこそがまぎれもない俺の本音である。


「すごいですね」


 言葉にしたのは、何の変哲もない感想だった。

 そうでもないと失礼なことを言ってしまったに違いない。

 やむをえない措置というやつだ。


「そうだろう」


 英輔さんは穏やかな物腰ながら、満足そうな顔をする。

 褒められて嬉しかったのだろうか。

 

「あいにくなことに、私の趣味を理解してくれる者はなかなかいなくてね」


 本当に残念そうに語るが、これは仕方ないんじゃないだろうか。

 姫小路先輩や奥さんといった女性陣は理解しにくいだろうし、そうでなくてもここまで収集しているとなると、男でも引いてしまうだろう。

 俺が何とか持ちこたえられたのは、はっきり言って英陵ファミリーの金持ちぶりへの耐性ができていたからにすぎない。

 でなければ呆気にとられて、どんな無礼なことを口走ったのか分かったものじゃなかった。

 少なくとも、俺はそこまで自分のことを信用してはいない。


「英輔さんほどの人でもそうなんですか?」


 ただ、意外ではあった。

 家族や使用人はともかく、他の人たちは違うだろう。

 この人の立場なら、その気になればいくらでも同じ趣味の人を探すくらいはできるんじゃないだろうか。

 俺の疑問を察ししたのだろう。

 英輔さんは意味ありげな笑みを浮かべた。


「いることはいるけどね。仲間という感じではないのさ」


 そうか、この人は姫小路家の人間だもんな。

 ほとんどの人は、その事実を意識してしまうのだろう。

 一庶民にすぎないはずの親父ですら知っていたくらいなんだから。

 まさかとは思うが、本当に仲間欲しさに俺を呼んだのか……?

 いや、それはないはずだ。

 それならまだ、試用期間中みたいな状態だという方がありえる。

 それとも娘に近づいている男がどんな奴なのか見ておきたかったとか。

 あっ、そっちがメインで、仲間探しの方がついでかな?

 普通に考えればそれが自然だろうし。

 まあ、ここまでが全部プラフって可能性もある。

 と言うか、全部演技で言っていることもデタラメっていうのが、一番納得できた。

 ただ、本気である場合を考慮すれば、あまりいい加減な対応をするわけにもいかない。

 少なくとも姫小路先輩が俺と仲よくしてくれているのは本心だろうし、他の女子も同様だろう。

 あれが全て演技だったりしたら、俺はへこんで立ち直れない自信がある。


「大変なんですね」


 ついつい、英輔さんに同情しているかのような言葉が出てしまった。

 しかし、他にどう言えばいいのか、よく分からないしなぁ。

 きっと俺も混乱から立ち直りきれていないのだろう。


「はは、赤松君が仲間になってくれたら嬉しいよ」


 これも本心なのかどうなのか。

 だが、あまり疑ってばかりもいられない。

 俺の表情から本心を読みとるのは、英輔さんのような人にとってはさほど難しくはないようだし。

 

「では、さっそく順番に披露していこう」


 そう言うと英輔さんは一つの模型を取りだす。

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