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はいそっ  作者: 相野仁
八話
76/114

12

「本日は体育祭の為、前菜と一緒にお料理を出させていただきます」


 ウェイトレスさんはそう言ってから、前菜、刺身、焼きもの、揚げもの、吹いものを順番に並べていく。

 前菜は山菜が数種類だが、俺に分かるのはタケノコくらいだ。

 フキノトウでもあるのかな?

 刺身はたぶん、ハマチ、マグロ、カレイ、タコ、ウニだな。


「フグもあるようだな」


 親父がぽつりとつぶやく。

 高校の食堂でウニやマグロが出るのか、なんて言うのは今更すぎる。

 ここは英陵なんだから、キャビアやフォアグラが出たって不思議なんかじゃない。

 前菜はどれもさっぱりしているように思わせて、ぴりっとした刺激がある。

 唐辛子か、それとも山椒なんだろうか?

 刺身はどれも新鮮である。

 しょうゆはもちろん、わさびまでが逸品と言っても過言じゃないどころか、過小評価を疑わなきゃいけないレベル。


「……確かにこの味に慣れちゃうと、戻れなくなるかも」


 千香がどことなく神妙な顔つきで感想を漏らした。

 お袋も無言でうなずいている。

 高級レストランや料亭と遜色のないものが遠慮も容赦もなく、バンバン出てくるからな。

 揚げものは天ぷらである。

 揚げられているのはエビ、ピーマン、サツマイモ、それからカシワだろう。

 ただし、まず色合いからして見たことがないようなものだったりする。

 こんがりきつね色、と言うだけじゃとても表現が追いつかない。

 上品な風格が漂っていて、揚げもの好きなら一目見れば涎が出てくる感じ?


「ここ、英陵なんだよね」


 妹が威に服してしまったような、顔つきで声を漏らす。

 うん、四月に俺が通った道を今、こいつも通っているんだろうな。

 どこか懐かしい気持ちになる。

 振り返ってみればずいぶんと遠くまできてしまったな、という感慨は決して誇張じゃないと思う。

 我がファミリーはすっかり無言になって、料理に舌鼓を打っている。

 おそらくメインディッシュであろう焼きものは、肉だった。

 どこの肉かなんて分からない。

 松阪牛くらいしか名前も知らないしな。

 食べる時は少し冷めてしまっていたが、そんなのは全くハンデにはならなかった。

 口の中に入れるとあっさりと溶けて、肉汁と濃厚な旨味があふれ返る。

 それでいてしつこさや重さがないとか、反則じゃないか?

 どんな肉をどう調理すれば、こんな現象が発生するというんだろう?

 料理人って魔法使いか、手品師なんじゃないのか。

 危うく忘れそうになったけど、吸いものを飲まないと。

 入っているのはふきと麩かな?

 具じゃなくて汁の美味さを味わえと言わんばかりである。

 実際、メチャクチャ美味しいけど。

 普段飲んでいるものが、水道水未満になってしまうかのような危険さがある。

 俺はすっかり耐性ができてしまっているけど、皆はやばいかもしれない。

 ちらりと様子をうかがうと、三者三様で衝撃と戦っているようだった。

 最も最初に立ち直ったのは、やはりと言うべきだろうか、親父である。

 何だかんだで美味いものを食べてきた経験が多いからだろう。

 お袋と千香は、四苦八苦している感じ。

 そこへウェイトレスさんがやってきて、飲みものを入れてくれる。

 これこそが、忘れてはいけない恐ろしさだと個人的には思っていた。

 なにしろ、飲みものは頼まなくても出てくるのだから。

 もちろん、頼みたいものがあればそちらを頼んでもよい。

 自動的に出てくるのは、緑茶、紅茶、コーヒーしかないのだ。

 どれも美味いけどね。

 無料サービスで出てきていいレベルじゃないのは、言う必要はないと思う。

 家族たちはもう、感嘆の声をあげる気力さえもなくしてしまったようだった。

 魂を抜かれかのようにぼうっとしている。

 表情がとても幸せそうなので、天国へトリップ中とでも表現すればいいだろうか。

 デザートがまだだぞ、と忠告した方がいいんだろうが、いつすればいいのか分からない。

 今話しかけても、聞こえないことだけは明らかだった。

 一人寂しくお茶の味と薫りを楽しんでいると、話しかけられる。


「あら、赤松さんじゃないですか」


 この声は姫小路先輩だ。

 俺は焦って立ち上がろうとする。


「大丈夫ですよ。お食事中に話しかけるという不作法をしたのは、こちらですから」


 それを先輩の優しい声が制した。

 それでも顔も見ずに発言するわけにはいかない。

 同級生相手でもきついのに先輩相手、それもよりにもよって姫小路先輩相手とか。

 立ち上がって振り向き、ひとまず先に頭を下げる。


「いいから、顔を上げて下さいな」


 先輩にしては珍しく、どこか取り乱したかのような口調だった。

 疑問はすぐに氷解する。

 彼女の左右には、二人の中年の男女が立っていたのだ。

 男性はスーツに青いネクタイを締め、黒い革靴を履いていて、鋭い印象を与える容貌である。

 女性は赤い花柄の着物に草履といういでたちのに、まとう上品な雰囲気が違和感を与えない。

 結い上げられた美しい黒髪と、突き抜けた美貌、柔らかいまなざしは先輩とそっくりだ。

 二人は俺と目が合うとにこりと微笑む。


「初めまして、君が赤松君か。いつも娘がお世話になっていて、どうもありがとう」


 穏和で優雅なテノールヴォイスがあるとすれば、まさにこの人の声質のことなのだろうと思う。


「この子はよく、あなたのことを話しているのですよ」


 最高級の鈴の音とはこのことか、と感心したくなるような綺麗な声で、女性が語る。

 先輩の美貌と美声は母親譲りだったんだな、と感じた。


「初めまして、赤松康弘と申します。いつも先輩には大変お世話になっております」


 礼を失さないように、精いっぱいの挨拶をする。

 たったの半年程度だけど、英陵で過ごしてきたおかげで、見苦しくはないものになっていると思う。

 先輩の親父さんは目を少し細め、うんうんとうなずく。


「なかなか礼儀正しい若者だな」


 とても気さくな印象だが、実のところ目だけは油断厳禁と感じる鋭いものを感じる。

 噂の男子生徒がどのような存在なのか、検分しようとしているんじゃないだろうか。

 この人に気に入られなければ、その時点でジ・エンド。

 退学か転校のニ択になってしまう。

 それくらいの相手だと思っていた方がいい。


「そう言えば、以前家にお見えになったのね。お会いできなくて残念でしたわ」


 お袋さんが頬に手を当てて、実に残念そうにため息をつく。

 勘弁して下さい、と言えればどれだけいいだろう。

 ひたすら恐縮し、平身低頭しているしかない。


「申し訳ありません。お邪魔しながら、ご挨拶すらできず……」


 先輩が無用だと言ったので、何もしなかったんだけど、まずかったんだろうか。

 冷や汗をかいていると、先輩が口を挟む。


「お父様、お母様。赤松さんのいじめるようなまねはおよし下さい」


 いつになく険しい口調で抗議してくれた。

 娘に注意された二人は、顔を見合わせると微笑みを交わし合う。

 何だ、何か意味ありげだぞ、今のは。

 代表して親父さんが応じる。


「お前は姫小路家の一員としての自覚が、不足しているようだな。彼と交流していくつもりならば、きちんと紹介しなさい」


「え、はい」


 先輩は虚を突かれた顔で、ほとんど条件反射に返事をする。

 どうやら別に俺と関わることを咎めるつもりはないらしい。

 それとも公の場だとはばかりがあるだけか?




 などという己を卑下するようなことが思い浮かぶ。

 相手はいいところのお嬢様なんだから、そこらの男と仲よくするのもほどほどにしなきゃいけないだろう。

 英陵で生活をしていると、ただの偏見なんじゃないかって気がしてならないんだが。

 先輩はご両親のことを紹介してくれた。

 肩書きとかは省略されたけど、その方がいいだろう。

 お嬢様揃いの中でも姫小路家はナンバーワン、それも別格らしいということは、何となく分かっている。

 英陵にいるような子の家の中で別格とか、具体的に聞かされたら失神してしまいかねない。

 俺たちの家族も順番に自己紹介をしていった。

 千香が名乗って紹介をすませると、どことなく先輩の視線が柔らかくなる。

 ひょっとして妹が欲しかったのかな?

 そんな気がした。

 互いに名乗り終えると先輩の親父さんが俺に視線を向ける。


「赤松君は車や鉄道は好きかな?」


「え、はい。鉄道はそれなりに……」


 瞬きをしながら答えた。

 車の種類も鉄道の種類もよく分からないが、鉄道の方は好きである。

 俺の言葉を聞いた先輩の親父さん、英輔さんはにんまりと笑う。

 いや、この表現は正しくないな。

 もっと上品で優雅で、動作だけ同じ全く違う笑顔と言うべきか。

 さすがは先輩の父親と言いたくなるくらいだ。


「ならば今度遊びに来なさい。私のコレクションをご覧いただこう」


 えっ? コレクション?

 鉄道の?

 思わず英輔さんの顔をまじまじと見つめる。

 

「お父様」


「あなた」


 先輩とお袋さんがたしなめるような表情で、英輔さんに声をかけた。

 そりゃいくら何でも気安すぎるよな。

 先輩の親父さんほどの人が、俺なんかを誘っていいんだろうか。

 そう思ったけど、すぐに否定する。

 これは考えようによってはチャンスと言えるからだ。

 先輩との仲が進展するとか、姫小路家関係の仕事に就けるとか、そういうことは望めないだろう。

 しかし、それでも俺が普通に生活するだけじゃ決して知ることができないようなことを知り、体験できないようなことを体験できるかもしれない。

 それは俺にとって大きな財産となるんじゃないだろうか。

 関わるなら、そのつもりでいた方がいいと思う。

 俺なんかよりも人生経験がはるかに豊富な人なんだ。

 くだらない下心を抱けば、あっさりと見抜かれてしまうはず。


「いやいや、申し訳ない」


 英輔さんは穏やかな笑みを浮かべる。

 とてもじゃないが反省はしていそうにない。


「ごめんなさいね」


 先輩がとても恐縮した様子で謝ってきた。

 

「謝る必要はないですよ。お誘い、嬉しかったですし」


 ひとまずフォローはしておこう。

 

「本当ですか?」


 心配そうな瞳を向けられたので、首を縦に振っておく。


「よかったです」


 本気で思っていると伝わったのか、先輩は安心したように微笑む。

 くう……この至近距離での反則スマイルは止めてほしい。

 耐性は作れたと言っても、完全に無効化できるわけじゃないんだから。

 心臓が全力でダッシュした直後と同じか、それ以上の勢いで跳ね回っている。

 な、何とか空気を変えないと。

 そこで俺が必死にひねり出したのは、先ほどの英輔さんの誘いだった。

 

「あの、いつならご都合がよろしいでしょうか?」


 彼の方に視線を向けて訊いてみる。

 本人よりもその娘である人の反応がまさった。


「赤松さん、本当に無理をなさらなくてもいいのですよ?」


 先輩はそう言ってくれる。

 おそらくだけど、英輔さんの誘いは断りきれず、気を回したのではないかと心配してくれているのだろう。

 確かに誘いを断るのも怖いレベルの相手だとは思っているけど、いやいやではない。

 でも、誘われたのを嬉しいと言っちゃった以上、こういう問いを投げないのも不自然だろうと思えるんだよな。

 

「土日ならいつでもいいよ」


 英輔さんの方は実に落ち着いていた。

 俺がこう言うのを予想していたんじゃないか、と疑問が浮かんだくらいになめらかな口調である。

 ただ、聞き流すわけにはいかない点があった。


「えっ? 土日ならいつでも?」


 そんなに暇なのか?

 金持ちの人って基本的に仕事やつき合いなんかで毎日忙しいイメージがあるんだが……。

 俺の疑問に英輔さんはニヤッと笑って答える。


「ああ。事前に言ってもらえたら、いくらでも融通はきく。翠子を通じて連絡をくれたらそれでいい」


「あ、はい」


 意外な展開にこういう答えしか出てこなかった。

 何故か英輔さんが意味ありげに先輩の方を見て、先輩が恥ずかしそうな顔をしていたけど、それを気にする余裕はない。

 どのタイミングならいいかとか、いざ遊びに行ったらどうすればいいのか、色々と考えなければならなかった。

 身から出たさびなんだけど、しくじるわけにはいかない。

 不幸中の幸いなのが、先輩に相談すれば何とかなりそうなことだ。

 

「それでは食事中、お邪魔いたしました」


 姫小路家の三人は優雅に一礼して去っていく。

 そう言えばマナー的な観点でなら、あの三人が圧倒的に失礼なんだっけ?

 そんなこと気にならないくらいのパワーを持った人たちだったな。

 三人はあいている席に座る。

 これから食事を始めるのだろう。

 彼らの姿に気づいた他の人たちは、全員おしゃべりを止めてしまった。

 遠慮されているのが俺の目にも明らかである。

 やはりあの人たちは別格なんだろうか?

 そう思っていると、我に返った千香が小声で話しかけてきた。


「すごい美形な人たちだったね、お兄ちゃん」


「ああ。先輩は生徒会長だったりする」


 訊かれてもいないことを答えたが、こいつが知りたいことを先回りしたという自負がある。


「うん、聞き覚えがある声だと思ったよ」


 案の定、満足そうな表情になった。

 こいつ、先輩が挨拶した時の声を覚えていたのか。

 それにマイクで若干質が変わっていたのに、すぐに気づいたのはさすがと言うしかないのかなぁ。

 大物になれそうな予感を改めて感じさせるなと考えつつ、完全にかやのそとだった両親に目を向けた。


「姫小路、なぁ……」


 親父がどこか意味ありげなことをつぶやいた。

 何か知っているんだろうか?

 先輩の家、大人の中では知っているのが当然というレベルの家だと言われても、不思議じゃない気はするけど。


「親父、何か心当たりでもあるのかい?」


 水を向けてみると、こくりと小さく首肯する。


「財界の三巨頭。それもこの国じゃなくて、世界の三巨頭の一つが姫小路だと聞いた覚えがあるな」


「はっ?」


 一瞬、何を聞かされたのか、さっぱり理解できなかった。

 世界の財界三巨頭……?

 この国の中でと言うなら、うっすらとではあるが予想していた。

 けど、世界で?

 にわかには信じられない。

 いつからこの国の富豪がそんなスペシャルな存在になったんだろう?

 俺だけじゃなくて、お袋と千香もポカンとしている。

 当然だろうな。

 ドラマや小説、フィクションの中にしか存在していそうにもない、そんなレベルだと言われたんだから。

 俺たちの表情に気がついたか、親父はごまかすようにあいまいな笑みを浮かべて、


「あくまでも噂だよ。欧米ならともかく、日本にそんなアメリカやロシアも顎で使えるようなレベルの富豪がいるとか、とてもじゃないが信じられないからな」


 全くもってその通りだと思う。

 俺たちはみな、親父につられるようにして、笑みを浮かべていた。

 これ以上このことは考えたくはないし、言及もしたくない。

 言葉には出さなくても、意思は通じ合ったんじゃないだろうか。

 触れると危険なものには、可能な限り近づかない方がいいのだ。

 俺たちはただの庶民なんだから。

 示し合わせたわけでもなく、赤松家四人はうなずきあい、食事を再開する。

 それを見計らっていたはずもないが、実にいいタイミングでウェイトレスさんが水のお代わりを持ってきてくれた。

 ガラスのコップに入った透明な水と大きな氷を見て、俺はようやく自分ののどが渇いていることに気づく。

 緊張していたことを自覚できないくらいに緊張していたらしい。

 相手が相手だったしな、と大きな失敗をしなかった自分をほめておこう。

 その方が気は楽だ。

 それからは何もなく食事は進み、最後にデザートが出てくる。

 デザートは赤いまんじゅうのような和菓子だった。

 甘さはひかえめで上品な味がする。

 お菓子は甘ければいいというものではない、という手本のようだ。


「ふー、美味しかったね」


 千香が満足そうに、それでいて声は抑えめに感想を述べる。

 その様子は自然体で、俺が羨ましくなるくらいだった。

 姫小路ファミリーとの接触後、どこかぎこちない空気だったのに、一人だけさっさと立ち直ってしまったらしい。

 やっぱりこいつは大物になりそうだよなぁ。

 「英陵でもちゃんとやっていけるのか?」という心配は、こいつには無用なんじゃないか。

 そんな気さえしてくる。

 デザートが終わったからと言って、油断してはいけない。

 ここならきっと食後の飲みものも出てくるだろう。

 そう千香には言っておく。


「何が出てくるの? やっぱり抹茶あたり?」


 和風コースとデザートの和菓子から想像したのだろう。

 俺も妹の意見には賛成だった。

 ここは変化球的なメニューは出てこないと考えていい。

 ウェイトレスさんが持ってきたのは、予想通り黒い湯飲みに入った抹茶だった。

 食事は無事に終わる。

 後半が始まるまで時間はあるものの、食堂にはあまり長くはいられない。

 そう忠告して俺は立ち上がった。


「それじゃ俺は戻るよ」


「あ、うん」


 それにつられるように他の三人も立ち上がる。

 俺なしだと厳しいのかな。

 さて、まだ昼休みは残っているけど、どうしようか?

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