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はいそっ  作者: 相野仁
八話
73/114

9

 いよいよ体育祭当日になった。

 持っていくのはお茶を入れた水筒とハンカチ、タオルくらいである。

 昼に関しては学校側が用意してくれるから心配いらないらしい。

 俺ってただ飯を食っているようなものなんだけど、果たしていいのだろうか?

 学校側がいいなら、いいのかな。

 いずれにせよ、応援を頑張ろう。

 俺が出るのは全体のダンスだけで、他は応援がメインだ。

 重い器具を運んだりする必要があるなら出番なんだけど、元女子高だからそんな種目はない。

 もうちょっと参加している感を味わえた方が嬉しいんだが、贅沢は言えないよなあ。

 珍しく、朝両親の顔を見たので声をかけてみる。


「今日は来られそう?」


 一応、以前に確認した時は来られると言っていたんだけど、当日になってやっぱり無理になったという例は過去に何回もあるのだ。

 念の為、訊いておいた方がいいと思っても責められないと思う。


「おう、今日はいけるぞ」


 まだパジャマ姿の親父がニカッと笑い、ちゃんと服を着ているお袋も同調する。


「何とか今日だけでもね」


 どことなく疲労が見えて、少し申しわけない気持ちになった。

 ただ、それと同時にせっかくなのだから、できれば来てほしいという気持ちもある。

 既に朝食を食べ終えていた千香は、コップに入っていた牛乳を飲み干してからこちらを見た。


「あたしも行くからね、お兄ちゃん」


「おう……」


 正直、こいつが来るのは別に意外でも何でもない。

 受験前に一度は見学しておきたいだろうし、今日みたいな日はうってつけだからな。

 他にも一応文化祭があるけど。

 俺は鞄に入れておいた英陵の「家族用入場チケット」を三枚取り出す。

 裏には俺の名前に校長のサインとハンコ、更に担任の小笠原先生のサインとハンコがあった。

 これを提示しない限り、生徒以外は中に入れない。

 北川も欲しがっていたが、奴は家族じゃないから最初から無理なのだ。

 ちなみにこれは文化祭も同じ。

 在校生の家族以外は決して入れないのが英陵のルールだ。

 さすがに理事会の人や卒業生なんかは例外なのかもしれないが。


「それじゃ先に行くよ」


 既に朝食を済ませていた俺は、そう断ってその場を後にする。

 家の外に出てみると、雲一つない見事な晴れ空だった。

 天が今日を祝福している、と言うと言い過ぎだろうか。

 でも、今日を楽しみにしていた人間にとってこの天気は嬉しい。

 背伸びを大きくする。

 今日は体操服登校が許されているので、何となく身軽だった。

 英陵の体操服は白と紺色でデザインされた、正直あまりかっこうよくないものである。

 お嬢様らしくもない気がするんだけど、伝統校だけに古くからこれなのかもしれない。

 校門へと近づいていけば、やはり体操服姿の女子の姿が見えてくる。

 少し早めに出たつもりだったが、多くの人が似たようなことを考えていたらしい。

 第九十八回体育祭と赤い太字で書かれ、縁を色とりどりの造花で飾り立てられた看板の下を通過する。

 校門には既に筋骨逞しい門番らしい人たちが立ち並んでいた。

 不審者を見かければ容赦ない行動に出るだろう。

 大概の不審者は、この門番を一目見ただけで近寄らないと思うけど。

 眩しい笑顔で挨拶をしてくるお嬢様たちに挨拶を返し、教室を目指す。

 体育祭と言っても一度は教室に集まり、そこで出欠を確認するのだ。

 教室に入ると既に何人か来ていた。


「ごきげんよう、赤松君」


 俺に声をかけてきたのは小早川である。

 学級委員長は早く来なければならない、という暗黙のルールでもあるんだろうか。

 そう疑問を覚えたこともあるほど、彼女はいつも早かった。


「おはよう。いい天気になったな」


 すっかり慣れたので、挨拶に一言をつけ加えるくらいならできる。


「本当ね。ただまあ、うちは全天候型グラウンドだから、雨が降っても平気だったわよ」


 さらりととんでもないことを言われた。

 そう言えばいつか忘れたが、そういう説明があったような、なかったような。

 確かに体育祭のしおりにも「雨天中止」とは書かれていなかった。

 それを妙に思ったのは俺とその家族くらいなんだろう。

 

「それでどうする?」


 小早川はこちらを見て小首をかしげる。


「本番前に最後のチェックでもしておく?」


 ああ、ダンスのことか。

 どうしようかと迷ったのは一瞬だった。


「うん、よろしくお願いするよ」


 やっておいた方がいいに決まっているからな。

 そう言うと、教室内にいた他の女子たちも立ち上がる。

 どうやら手伝ってくれるらしい。

 本当にありたがいことだ。


「どうもありがとう」


 改めて礼を言うと、笑顔が返ってくる。

 とてもじゃないが、この子たちにはかなわないな。

 あまり言うとくどくなってしまう為、心の中でだけ頭を下げておく。

 音楽はないので一人の子が手拍子をしてくれた。

 これがやたらと上手くて、基礎教養の差を感じさせられる。

 俺たちは縦に三列になってゆっくりと踊っていく。

 机や椅子を移動させるわけにはいかないので、ぶつからないように気をつけながら。

 大して時間はとらないはずなのに、一秒一秒がとても長く感じられる。

 終わると踊りに加わらなかった子と、ドアを開けてそっと入ってきた子たちが拍手をしてくれた。

 あ、登校してきていたけど、遠慮してくれていたんだな。 


「で、どうだったかな?」


 とりあえず感想を訊いてみる。

 事実上最後の審判みたいなものなので、さすがに緊張していた。


「よくなっていますよ」


「完璧とは申しあげにくいですけれど、これならば何の心配もないと思います」


 踊りに関しては厳しい子が及第点をくれたので、ホッと息を吐き出す。

 ギリギリで何とか仕上がった、といったところかね。


「さすがですわ、ヒーロー様」


「いざ本番という時はしっかりとしあげてくるなんて、お見事ですわ」


 褒めてもらうのはありがたいし、心配させていたのは申し訳なく思うんだけど、無駄に期待値を上げるのはどうか勘弁して下さい。

 これ以上ハードルが上がると、とてもじゃないが耐えられそうにありません。

 真っ向から言うわけにもいかないので、心の中でだけちょっと泣く。

 称賛されているのに泣けてくるなんてことが、この世にあったとはなあ。

 英陵って本当に恐ろしいところだよ。

 やや現実逃避してしまう。

 とは言え、ここまで言われたのに素知らぬ顔もできない。


「いやいや、皆が快く協力してくれたおかげで、何とか間に合ったよ。ありがとう」


 お礼をきちんと言っておかないとな。

 女の子たちはどこか嬉しそうだ。

 うん、親しき仲にも礼儀あり。

 いくら親しくなったとは言え、お礼を言うのをサボっちゃいけないわ。

 ふと会話が途切れて、何となく席に着こうと思えてくる。

 ただ、その前に俺は訊いておかなきゃいけないことがあった。


「今日家族が来るんだけど、昼とかどうすればいいのかな? 皆はどうしているんだい?」


 そう、我がファミリーのことである。


「あら、ご家族がいらっしゃるの?」


 小早川が目を丸くし、他のメンバーが身じろぎした。

 うん? どうしたんだろう? 俺、何か変なことを言っちゃったかな?

 疑問に思ったものの、答えは分からなかった。

 ここは知らないふりをして話を進めるしかないか。

 

「うん、そうなんだけど、よく分かっていないからね」


 てっきり案内に書いてあるものだと思ったら、書いてなかったのである。

 たぶん、俺以外は今更通達するまでもないのだろう。

 英陵高校側としては珍しいミスだった。

 

「あら、そう言えばそうね」


 小早川は納得した様子で教えてくれる。


「来賓の方々はクラスごとに割り振られた観客席に案内されるの。昼休みはそこに向かって合流して、それから食事をとればいいわ」


 あ、案内はしてもらえるのか。

 じゃあ迷子になる心配はいらないな、親父たち。

 千香がついていれば大過ないと思いたいところだったが。


「食事をとる場所は?」


「購買でも食堂でも、お弁当でもいいわよ。今日に備えて増員されているはずよ」


 おお、今日の為に人手を増やしているとか、英陵側もかなり本気なんだな。

 そういうことなら、せっかくだから弁当はいらないと今からでも連絡した方がいいかな?

 台所をパッと見た限りじゃまだ作っていなかったはず。

 千香はお袋が無理なら自発的に作るだろうけど、そうでないなら作らないだろうし。

 

「ごめん、ちょっといいかな。家族に弁当はいらないって言っておくよ。あ、購買や食堂の値段って分かるかな?」


「全部無料よ」


 小早川が即答してくれる。

 さすが委員長、とても頼もしい。

 断りを入れて携帯で千香に連絡をする。

 お袋や親父だと、まだ寝ぼけていてスルーしてしまう危険があるのだ。

 こういう場合、とにかく妹に伝えるのが一番確実である。

 話の途中なのでパッパッとメールを打って携帯をしまうと、何故か携帯を取り出している子たちが。

 いや、触っているところを見たことなんて滅多にないけど、持っているのは知っている。

 しかし、何でこのタイミングで示し合わせたように弄り出すんだ?

 俺が家族と食堂か購買を利用すると言ったから……じゃないよな?

 たまたまだよな?

 何かこれ以上は考えちゃいけない気がする。

 とりあえず、どこかにポイッと投げておこう。

 さほど待たされることなく、千香から返事が来た。

 「了解。これから作ろうとしていたところだからちょうどよかった。食堂が楽しみ」と書いてある。

 ふう、割とヤバかったみたいだけど、何とかセーフだったか。

 さて、皆の反応が楽しみだな。

 少しだけ人の悪いことを考える。

 俺が色々と言っているからある程度想像はできているだろうが、実物は全然別物だし。

 いつの間にか人が増えてきて、何となく話を再開する空気ではなくなってしまった。

 相変わらず、早めに登校してくる子たちばかりである。

 引き留めて話をしてもいいんだけど、空気を読めないのかと思われるのはちょっと怖い。

 少々悩んだものの、無言で席に座ることにした。

 八割がた集まっている状況でもう一回踊るのはさすがにな。

 どうせ大勢の前でやらなきゃいけないと分かっているが、気持ちの問題だ。

 相羽とデジーレが同時に入ってくる。

 二人と目が合うとどちらもニコリと微笑んでくれた。

 微笑み返すのが照れくさかったので、片手をあげることで返礼としておく。

 予鈴が鳴る前には全員が揃ったし、小笠原先生は早めに登場する。

 紺色の野暮ったいジャージ姿だったけど、小笠原先生が着ると奇妙なまでに決まっている感じがするからすごい。


「本日は体育祭です。英陵生としての自覚を忘れないで下さい」


 挨拶も実に簡単だった。

 まあ、英陵の女の子たちなら、いちいちうるさく注意する必要なんてないだろうな。

 いい加減な校則でも皆きちんとしているし。

 これが育ちがいいってやつなんだろう。

 劣等感を覚えないと言えば嘘になってしまうが、あまり気にしすぎても意味はない。

 周囲のフォローのおかげだったとしても何とかやれているのは事実だし、卑屈にならないように気をつけよう。

 先生が退出すると早くも移動がはじまる。


「とうとうですね」


「頑張りましょう」


 大概の移動時間では無言を貫く女子たちも、今日みたいな日は例外らしい。

 どことなく興奮しているように見受けられる。 

 俺に話しかけてくる子がいないのは、出場種目というネックがあるせいだろうな。

 男子が出場するのは運動能力的な意味で卑怯だという理由だ。

 俺が運動苦手か、他の女の子が運動得意だったらまだ勝負になったのかもしれないけど、ここはお嬢様学校なんだよなあ。

 最後尾を歩いていると、百合子さんがそっと寄ってきた。


「ごきげんよう。赤松様」


「あ、おはよう」


 お互いにあまり大きくない声で挨拶を交わす。

 ヒーロー様と呼ばれないというのは、とてもありがたいとしみじみと思う。

 百合子さんが呼び方を変えてくれたのであれば、少しは影響が出るんじゃないだろうか。

 ひょっとしたら俺の願望に過ぎないかもしれないけど、今はまだ希望を捨てたくはない。

 

「百合子さんは運動得意?」


 訊いてみると恥ずかしそうに目を伏せた。

 それからそっと首を横に振る。


「残念ながら苦手なのです。今日は皆さんの足手まといになってしまわないか、とても心配です」


 動作や仕草の一つ一つが上品で美しい。

 ファンの女の子が多くても、これじゃ仕方ない気がしてしまう。

 

「英陵の女の子は誰もそんなこと、気にしないと思うけど」


 これは本心である。

 中学時代のあの熱い空気など、この学校に入って一瞬たりとも見てもいないし感じてもいない。

 「皆さん、怪我には気をつけて楽しく頑張りましょう」とでも言いたげな、のんびりとした雰囲気で満ちていた。

 誰かが完全に足を引っ張って最下位に沈んだとしても、誰もが優しく見守り、温かく励ましそうである。

 

「そうなんでしょうけど、それだけに余計に申し訳ないです」


 百合子さんは困ったように微笑む。

 

「それはまあ、確かにそうかもしれないね」


 誰にも咎められないからといって何も感じないかと言うと、それはまた違うことだしなあ。

 百合子さんみたいにいい子なら、人一倍気にしてしまうのかもしれない。

 などと考えていたら、俺たちの会話を聞いていたらしい女の子たちが話に参加する。 


「百合子様、お気になさらず」


「そうですとも。わたくしたちだって、決して得意ではないですから」


「こういうことは参加することに意義があるのです」


 どれも一様に百合子さんを慰めるものばかりだ。

 こうして励ましあう姿はとても美しい。

 女の子同士の友情っていいよなと思う。

 容姿も性格もいいお嬢様たちだから、補正がかかっている可能性は否定しないけど。

 何だかオリンピックの建前みたいなことを言っている子もいるが、学校行事だしそれくらいでちょうどいいかも。

 

「俺は参加したいけど、するわけにはいかないかなあ」


 百合子さんに聞こえるようにつぶやいてみる。

 参加するだけ恵まれているという論法はあまり好きじゃないが、意識を他のことに向けさせてみようと思ったんだ。

 すると効果はてきめんだった。

 百合子さんはハッとしてこっちを見て、表情を曇らせる。

 ……まずい、ちょっと効きすぎたかもしれない。

 

「そうでしたわね。赤松さんは参加できないんですものね」


 心の底から同情されていることは分かる。

 それだけに失敗したと後悔が生まれた。


「いや、今のはその、失言だったと思う」


 俺が参加できないから参加できる事を喜べって、何の説得にもなっていないよな。

 反省、反省。

 そう思って唇を噛むと、百合子さんはにっこりと微笑む。


「お優しいのですね、赤松さん」


 えっ? どうしてそうなるんだ?

 一体全体、俺のどこが優しかったの?


「本当に。まさにヒーロー様ですわ」


 え、いや、ちょっと待って。

 話の流れがさっぱり理解出来ない。

 それとも庶民とお嬢様の思考回路の差なんだろうか?

 俺が目を白黒させていると、百合子さんは珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「どうしてそう思ったかは、乙女の秘密です」


「あ、はい」


 とても可愛らしくて魅力的なその表情に、俺はノックアウトされてしまい、何も言えなくなる。

 そんな俺に対して百合子さんは柔らかく追い打ちをかけてきた。


「今日は敵味方に分かれてしまいますのであまり励ませないのですが、楽しんで下さいね」


 男が美形のお嬢様たちの体育祭を楽しむ、というのはけしからん意味にもなりがちである。

 ただし、百合子さんたちにそんな含むものはないはずなので、素直に受け取っておいた。

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