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はいそっ  作者: 相野仁
八話
72/114

8

 紅茶を飲んだ後、俺は姫小路邸を去ることになった。


「美術館見学の件ですけれど、体育祭が終わった後でもよろしいでしょうか?」


 姫小路先輩は優しく尋ねてくる。

 まず体育祭に集中してほしいという意図は明らかだったため、素直にうなずいておく。


「はい、よろしくお願いします」


 これ以上増やされたら脳みそが比喩抜きで破裂しそうだ。

 英陵のことだから、美術品に関する知識があるのを前提としたイベントがあったりするかもしれない。

 心配しすぎだといいんだけど、英陵なんだよなあ。

 俺はまだまだ頑張らないといけないのは確定している。

 この学校を卒業したいならば、当然の義務と言えた。

 挫けてなんかいられない。


「また学校で会いましょうね?」


「すぐに会えるますよね」


 別れ際、先輩達二人はなんだかとても名残惜しそうに手を振ってくれる。

 まるで少しでも離れたくないとでも言わんばかりに。

 さすがに思い違いだろうなぁ。

 もうちょっと水泳を教えて欲しかったとか、そういうことに違いない。

 ……いや、さすがにちょっと無理があるかな?

 いずれにせよ、またすぐに会えるんだし気にしすぎない方がいいだろう。

 高遠先輩の方はどうするんだろうと思ったんだけど、家が近くだからまだ時間的に余裕があるようだ。

 それってつまり、高遠先輩も高級住宅街に住んでいるんだよな。

 当たり前なのか。

 高遠先輩だしな。

 何だか俺の頭、とても疲れている気がする。

 二人の仲はいいとは以前から思っていたが、もしかすると幼馴染だったりするかもしれない。

 機会があれば訊いてみようかな。

 帰りは例の高級車で家まで送ってもらう。

 車も運転手さんも全く同じである。

 何気に家まで送迎してもらうのは珍しく、新鮮な気分だった。

 とは言っても、高級住宅街がどんどん遠ざかっていくのを見ていれば、嫌でも現実へと引き戻される。

 慣れてはいけないとどれだけ必死に言い聞かせても、かなり苦しくなってきているなぁ。

 幸いと言うか、まだ家で食べるご飯がまずいとか物足りないと思ったことはない。

 そこまでいってしまえば、末期に近いと考えた方がいいだろう。

 ……贅沢な悩みだよな、本当に。

 


 この翌日から体育会の練習が本格的に始まった。

 とは言っても、俺がやることはあまりない。

 唯一の男子は、女子に混ざるわけにはいかないのだ。

 男子顔負けの運動能力を誇る女子アスリート相手ならばまだしも、どう考えても並以下のお嬢様たちしかいないんだから。

 俺が体育の授業中にやらなければいけないのは、全体ダンスの「男子の振り付け」を覚えることだった。

 最初は俺を中心に据えようという案が出たらしいが、姫小路先輩と小早川が反対してくれたらしい。

 俺のことを最も詳しく知る同級生がまず「負担が大きすぎる」と言い、お嬢様たちに絶対的な発言力を持つ姫小路先輩がそれに賛成した為、男子の負担が軽いものにとなったようだ。

 二人ともグッジョブです。

 たった一人の男がお嬢様たちの中心とか、想像しただけで死ねる。

 ただでさえ俺、ダンスなんてロクに踊ったことがないのに……。

 ごかまし方を教えてもらう必要はある。

 もっとも、実際のところは目こぼしをしてもらう、という方が正しいだろうな。

 あるいはごかまされたフリをしてもらえるか。

 いずれにせよ、最低限のスキルは身につけなくてはならない。

 お嬢様たちは社交経験があって、ある程度目が肥えているようだし。

 まあ俺がそんな経験なんてこれっぽっちもないド庶民だと、皆知っているから今更な気はする。

 だからと言ってそういう立場にあぐらはかきたくないのだ。

 追い出されるだけならまだしも、来年以降男子の受け入れがゼロになったりしたら責任を感じてしまう。

 学校の計画や戦略を頓挫させた原因になるとか、目も当てられないわ。

 誰もがいい子たちばかりなので、報復されると思わないけど、あの子たちは「お嬢様」だからなぁ。

 富と権力を持った大人たちの考え方は違う。

 そういうつもりでいた方がいい気はする。

 俺を家に招待していることを保護者たちが知らないなんてことはないはずだが、誰も咎められていないんだろうか?

 それよりかは許しを得て俺を招待している、とみなした方が自然かな。

 

「赤松さん? 何か考えごとですか?」


 俺の踊りのパートナーになってくれている女子が不安そうに話しかけてくる。


「いや、ちょっと頭の中で教わったことを思い出していたんだよ」


 慌てて言い訳すると信じてくれたのか、納得した顔で微笑んでくれた。


「そうでしたか、ごめんなさい」


「いや、こっちこそ」


 謝り合戦になりかけたので、どちらともなく黙り込む。

 我ながらこの状態によくもまあ慣れたものだ、と少し呆れる。

 言うまでもないかもしれないが、今はダンスの練習中で女子と手を握って体を寄せ合っていた。

 女の子の柔らかい感触とぬくもり、ほのかに匂う甘い香りがすごい。

 ただ、ここのところ毎日のように体験していたからなあ。

 最初は心臓が跳ね回っていて、落ち着かない気分だったけど。

 慣れたのはそれだけじゃない。

 今はもう、女の子の足を踏む回数はなくなった。

 これまでは散々迷惑をかけたし、我慢を強いていたと思う。

 練習につきあわせた千香が、ぶーぶー不満を言っていたくらいだからな。

 曲が終わると動きを止めて集合する。


「はい、だいぶよくなりましたね」


 先生がにこやかにそう言う。

 ここでいちいちリアクションの声が発生しないのが、英陵が英陵たるところである。

 最初は戸惑ったし、少しさびしさもあったけど、慣れたらとても上品なようにしか思えない。

 別に過去の級友たちは下品だったと貶したわけではないが。

 俺は先生の言葉に安どの息をこぼす。

 どう考えても一人だけ足を引っ張っていたからな。

 皆、踊りスキル高すぎなんだよ。

 聞いたところによると、小学生の頃から練習している子たちは多いらしい。

 小学生の習い事にダンス……? と思った。

 バレエならまだ聞いたことはあるってレベルなんだよなあ。

 話を戻すとしよう。

 以上の理由からイベントが成功するには俺のレベルアップが必要不可欠なのだ。

 分かっていたことだし改めて思い知らされていたことでもあったが、何とかめどは立った気がする。

 唯一の男子だしできなくてもノーカウントだったかもしれないけど、意地は見せておきたかった。

 この分だと何とかなりそうだが、まだ油断はできない。

 今まで踊っていたのは、ダンスパーティー用のものなのだから。


「では次は百花繚乱に行ってみましょうか」

 

 これは全校生によるダンスである。

 流れる曲に応じてパフォーマンスをするので、学年全体でいちいち合わせなくても練習することはできるのだ。

 複数のダンスの練習をやらされるあたりかなりハードではないかと思うのだが、他の子たちは全員平然としている。 

 お嬢様たちにとってはこれくらい、何でもないのかなぁ。

 たおやかでお淑やかに見えて、案外体力あるね。

 子供の頃からダンスをやっていたので、ダンスに必要な体力はあるということなのか?

 何でも慣れは大事らしいしな……俺がキャッチボールをやったりゲームをやったりしている間、ダンスをやっていたのだと言われたらうなずける気がする。

 俺たちが配置についたのを確認してから曲が流れだす。

 俺の位置は中央のやや後方だ。

 一人だけ男なので目立つと言えば目立つんだが、こればかりは仕方がない。

 最前列よりずっとマシだ。

 こんなところに男がいると見た目的なものが大変じゃないかというは気もするんだけど、気にしたら負けな気もしている。

 女の子たちはきびきびと動くが、その一つ一つは洗練されているし、上品で優雅だ。

 それに対して自分の動きはロボットみたいなカクカクした、ダメなものである。

 素人目にも分かるはっきりとした違いというやつだ。

 ずいぶんとマシになったんだけどなぁ。

 まだ時間はあるから、何とか及第点まで仕上げたいところだ。

 この分だと、また千香に練習につき合ってもらわなきゃいけない気はする。

 先生に頼んでトレーニングビデオを貸してもらおう。

 授業の終了を告げる綺麗な音が聞こえてくると、一度集まってから解散した。

 その後先生に話しかけて事情を説明する。


「赤松君は本当、真面目で練習熱心よねえ」


 とても褒められるが、何だか落ち着かない。

 足手まといにならないためには人より練習するしかないのに。

 むしろ本番で足を引っ張るなと注意されてもおかしくないような。


「ただまあ、インストラクター一人が映ったものになるけど、それでもかまわない?」


「はい」


 先生の確認にうなずく。

 本当なら女子全員の動きが映ったものの方が望ましいんだけど、それはできない。

 在校生の姿が映った画像や動画を校外に持ち出すのは厳禁なのである。

 保護者ですら、記念撮影の類しか認められないという厳しさだ。

 もし俺が破ったりしたら、一発で退学だな。

 それとも盗撮容疑で警察が動いたりするだろうか。

 などと益体もないことをつらつらと考えているうちに、動画が入ったDVDが手渡される。

 こうして疑いもせず映像を借りられるのは、恵まれているのだと感謝の気持ちを忘れずに頑張っていこう。

 授業が終わると、女の子たちが練習相手になると申し出てくれるが、辞退しておく。

 いくら何でも俺のために時間を使い過ぎになっちゃうからな。

 甘えてばかりじゃいられない。

 たとえ幻想であっても「ヒーロー」と呼ばれる以上、かっこ悪いところばかり見せられないと思うんだ。

 思い上がり、もしくは見当違いかもしれないんだけど、何もしないよりは努力する方がマシだろう。 

 その例外となるのは家族くらい。

 すなわち、妹様である。


「え? またあたしと練習するの?」


 千香は嫌そうに顔をしかめた。

 そんな表情だって絵になるんだから、美少女というやつは得だと感じる。

 俺ももう少し顔がよければ……と自虐したってはじまらない。

 

「お前、英陵を受けたいって言っていただろう? 英陵に入学したらお前だってダンスを踊らなきゃいけないんだぞ」


 それもこいつはれっきとした女子だ。

 「男だから」色々と許されている俺とは違ってくるだろう。

 いや、でもまあ、これまでの体験を振り返った限り、そして英陵の女子たちの性格を考えてみれば、「外部入学組」には優しいかもしれない。

 いずれにしても、できないよりはできた方がいいはずだ。

 

「そうなんだけどさ」


 妹は歯切れ悪く言った。


「せめて制服を着替えたいんだけど?」


 彼女は自分が着ている中学の制服を指さす。


「……ごめんなさい」


 これは俺が悪い。

 すっかり気持ちがはやっていたようだ。

 私服に着替えたいのは当たり前だろう。

 というか、俺だって着替えた方がいいに決まっているし。

 着替えてから俺の部屋に集合ということにした。

 ……焦っていたのかなぁ。

 ため息をつきながら着替えて、シャツを洗濯かごに入れておく。

 千香の奴は降りてきていない。

 こういう時、男の方が早いんだよな。

 まあ、服に対する認識が違うせいかもしれないけど。

 部屋に戻ってダンスの説明が書いた紙を取り出す。

 覚えているとは思うが、念の為見直しておこう。

 ほどなくしてノックの音が聞こえたので、ドアを開ける。

 

「お待たせ」


 妹がにこりと微笑む。

 くっ、やっぱりこいつは結構可愛いな。

 妹のことを可愛いと言ったらシスコン扱いされそうだから、なかなか言葉にはしないけど。

 今日は水色の長袖シャツにジーンズというラフな格好なのに、決まっている印象を受ける。

 着こなし力が俺とは全然違うということなんだろうか。


「うーん」


 相手が妹ということで遠慮なくじろじろと見る。

 改めて見てみると、こいつは英陵に入っても浮くことはなさそうだな。


「な、何よ」


 千香が怯んだ様子で後ずさりをする。

 おい、実の兄に対して変質者を見るような目を向けるのはやめてくれよ。

 遠慮なく見まわしたのは反省するから。


「いや、お前なら英陵に入っても大丈夫じゃないかなって」


「えっ? 本気で言っているの?」


 何故かこいつは目を丸くする。

 何だよ、そんなに意外だったのか?


「本当に本気だよ」


 もしかしたら、兄のひいき目が入っているのかもしれないが。

 それでもこいつは英陵の美形お嬢様たちの中に入っても、そん色はないと断言できる。

 そうきっぱりと断言すると何故か、千香は恥ずかしそうに目を伏せた。

 

「意外。お兄ちゃんがあたしのこと、そんな風に見ていたなんて」


 …………あれっ? 何か変な雰囲気だぞ。

 そこまでおかしなこと、言った覚えはないんだが。

 ここは気づかないフリをしておいた方がよさそうだ。

 下手につっつくと蛇でも出てきかねない。


「お前は自慢の妹だけどな」


 そう言うと、千香はのけぞる。


「……褒めても何も出ないんだからねっ」


 プイッと顔をそむけてしまう。

 そんな口をききながらもそっと手を出してくるあたりが可愛い。

 さて、馬鹿はここまでにして練習をはじめよう。

 音楽の方もCDをラジカセごとレンタルしてきてある。

 ラジカセくらいなら持っていると言ったんだが、「試してみて」と言われた。

 実際に使って見たら音質が全然違っていて、もうため息しか出ない。

 たぶん、貸してくれた小早川は分かっていたんだろうなあ。

 「試してみて」としか言わなかったのは、我が家のラジカセを貶すのを避ける為だろう。

 相変わらずお行儀がいい。

 ただ単に事実を言われても気にならないのにな。

 音楽が流れはじめると、俺たちはゆっくりと動き出す。

 決して早いテンポの踊りではない。

 誰も何も言わないけど、俺への配慮の可能性はあった。

 だが、踊る時間がかなり長めなのが辛い。

 ……一曲が終わるまでに二回、千香の足を踏みそうになってしまった。


「だいぶ上手くなったんじゃない? お兄ちゃん」


 踊り終えた妹はそう評価する。

 何やら上から目線チックだけど、こいつはさっさと覚えてしまってもう踊れるのだ。

 俺はあっさりと抜かれてしまったのである。

 ここでもスペック差を実感するハメになってしまった。

 後、男の方が女性をリードするというのがダンスってやつなのだ。

 きっと英陵の女子たちはそんなことを期待してはいないんだろうが、だからと言って努力をしなくてもいいことにはならない。

 たとえリード下手であったとしても、パートナーとして及第点はとりたかった。

 嫌な顔一つせずに練習相手になってくれる子たちの為にも。


「そうか? じゃあ次は体育祭の方だな」

 

 ダンスパーティーと体育祭で踊るものが違っていて、両方踊らなきゃいけないってのがきついんだよな。

 でも、悪いのは物覚えがよくない俺自身だからやるしかない。

 幸い、体育祭の方は覚える事が少ないし、これは動きを周囲に合わせれば何とかなる。


「うん、頑張ってね」


 千香はそう言うとベッドに腰を下ろす。

 今回のこいつは、俺の振り付けが間違っていないかチェックする係だ。

 黙って間違い探しなんて退屈だろうに、嫌な顔をせずにやってくれる妹には感謝しかない。

 照れくさいから言葉にはできないけど、今度の誕生日プレゼントはちょっと豪華なものにしようかな。

 その後はと言うと、 


「あ、ちょっとずれた」


「ワンテンポ遅い」


 と千香が容赦なくダメだしをしてくる。

 ホントにためになっていると思う。

 先生はともかく、女子たちはここまではっきり言ってこない。

 そもそもいちいち止めたりはせず、全体を通しでやってから優しく注意をする感じだ。

 まあ、身内相手の気安さってのはあるんだろうけどな。

 たっぷり一時間も練習すれば、嫌でも汗はかいてしまう。


「休憩する?」


「おう」


 妹は立って部屋から出て行ったと思いきや、冷たいお茶を入れてきてくれた。

 ガラスのコップに氷が入っているのも涼しげでいい。


「はいよ」


「ありがとう」


 なかなか気が利く奴である。

 喉が渇いている今、よく冷えたお茶が美味しい。


「お兄ちゃんさ」


 千香が不意に口を開く。


「もうちょっと思い切りよくやった方がいいかもしれないよ。ぎこちなくなっちゃっているから。たぶんだけど、今のままじゃダメな意味で目立つんじゃない?」


「それはそうかもしれないな」


 思い返す限り、他の子たちは皆堂々としていた。

 それなのに俺一人おっかなびっくりやっていたら、確かに目立ってしまうかも。


「サンキュー。そのへん気をつけてみるわ」


 せっかくの助言だから心にとめておこう。

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