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はいそっ  作者: 相野仁
七話
62/114

 盆を過ぎたらクラゲが出る。

 そういう話を聞いた事はあるのだが、少なくとも気にしない人達は一定数存在している事を、目の前の光景が教えてくれた。

 夏休みが残り二週間を下回った頃、俺は北川ら中学時代の友達と海に来ていた。

 選んだのは電車で三十分ほど乗った先にある海水浴場である。

 手軽に来れる場所にあるからなのか、あまり海も砂浜も綺麗とは言えないものの、人はそれなりに来ていた。

 当然、北川の標的となるべき存在達も。


「おっほー、いるいる」


 黒い海パン一丁になった北川はだらしなく鼻の下を伸ばしながら、額に右手を当てて遠くを見る。

 その視線の先には水着姿の女の子達の姿があった。

 奴がロックオンしているのは、どうやらそれぞれオレンジと水色のビキニを着ている二人組らしい。

 胸には谷間があって腰は見事にくびれている。

 年はおそらく二十歳くらいだろうか。

 年上のお姉さまという印象を受ける。

 どちらとも小麦色に焼けた肌をしているが、天然のものか日焼けサロンに行った結果なのか、俺じゃ分からないな。


「どうする? 皆で行くかい?」


 沢木が真面目な顔で尋ねてくる。

 赤いボクサータイプのパンツをはいたこの男は、一見冷静なようでいてその実そわそわしている事くらい、つき合いの長さから読めた。

 水着の女の子があちこちにいるせいで、興奮を抑えきれないらしい。

 いわゆるむっつりスケベというやつである。

 いちいち指摘しないのは、友の情けだ。

 北川ですら野暮な真似はしない、と言えば少しは伝わるだろうか。


「いや、ここは別々にいこう」


 そう言ったのはその北川だった。

 奴は俺の方を意味ありげに見ながら、理由を語る。


「女の子の好みはバラバラだし、別にナンパしたくない奴もいるからもしれないからな」


 こいつはこれで気を利かせたつもりなんだろうか?

 ……悪気がないっていうのは時として厄介だなあ。

 もっとも、俺も周囲から見れば同じかもしれない。

 気をつけるようにした方がいいだろうな。


「それだと一緒に来た意味がないような気がするが」


 山田が冷静に鋭い指摘をしてくる。

 確かに無意味だよなあ。

 落ち合った後、同じ電車に乗って同じ駅で降りて、同じ海水浴場に来ただけになってしまう。

 北川は左手で後頭部をぽりぽりかきながら、やや迷いを表情に浮かべながら言った。


「それじゃあどうする? 定期的に合流でもするか?」


「そうだな。せめて一緒に昼飯くらいは食べよう」


 そう提案してきたのはやはり山田である。

 俺としては別に異論はない。

 要するに北川のナンパ攻勢に引きずられなければそれでいいのだ。

 保身的なセコイ考えもある事は否定しない。

 こうして俺達は一度バラバラに行動する事になった。

 北川は一目散に女の子達のところに駆けていく。

 それなりにいる人を器用に避けながら砂浜を進んでいく様は、いっそあっぱれと言ってもいいくらいだった。

 山田と沢木もそれぞれ海へと向かっていく。

 俺も行くとしようか。

 まだまだうだるような暑さだし、せっかく来た以上は泳いでおきたい。

 喧騒が聞こえてきてロマンチックさとは無縁な砂浜を進んで、波打ち際へと進む。

 観察した分にはどうやら今は引き潮のようだった。

 波が高くなったら思わぬ事故が起こらないとも限らないし、沖の方まで泳ぎたいなら今がチャンスだろうな。 

 俺はウォーターボールで遊んでいる人達の右を通り抜け、正面に誰もいない事を確認してから顔を水につける。

 そしてゆっくりと平泳ぎを始めた。

 一通り泳ぐ事はできるが、長い距離を泳ぐとなると平泳ぎが一番なのだった。

 波に逆らうように水をかき分けていく。

 そうだな、あの防波堤まで行ってみようか。

 ボードに乗っている人達に気をつけながら進んでいく。

 ビキニ姿の女の子達は結構いるけど、どうにも興味がわかないんだよなあ。

 本当に俺の目が肥えてしまったのか?

 いや、まさかな。

 くだらない考えを打ち消すように、顔を水につける。

 でも、実際否定しきるのは難しいようにも思えた。

 今日、海水浴場で見かけた女の子達、どれも英陵の中では埋もれてしまいそうな気がする。

 女の子達の事を顔や体だけで評価するなんて実にけしからん事だろうけど、単に見かけるだけの相手の中身を評価するのは不可能に近い。

 というか、ここにいる女性陣が悪い訳でもないんだよな。

 単に姫小路先輩や百合子さんのレベルが高すぎるだけだろう。

 あの二人は芸能人だって言われても、きっと誰も疑わないと断言してもいいくらいなんだし。

 いや、そういう意味だとデジーレとか生徒会役員の先輩達も当てはまるか?

 そんな存在が同じ学校に複数いるなんて、フィクションの世界だけだと思っていたんだけどなあ。

 現実……より正確に言えば英陵高校恐るべし、と言ったところか。

 普通、石を投げれば当たるレベルで美少女達がいたりしないよな。

 だから他の学校の……おっと、北川の発言癖がうつりかけた。

 やばいやばい。

 女子社会で女子を敵に回してしまう事ほど恐ろしいものは滅多いないんだから、気をつけよう。

 ……前もこんな風に思っていた気がする。

 進歩ないなあ、俺。

 暗い感情を振り払うべく、俺は平泳ぎに意識を向けた。

 やがて防波堤へとたどり着く。

 そこには何人かの人が先に来ていた。

 泳ぎができて体力的に問題がない奴なら誰でも来れそうな距離である。

 現に先に来ていた男女は一瞬だけ俺を見たが、すぐに興味をなくしてしまった。

 手ごろな足場の上に立って、砂浜の方を見てみる。

 豆粒のように小さな人影が見えるくらいだった。

 俺がどこにいるのか、あいつらからじゃ見えないんだろうなあ。

 もっともそれはこっちも同じ事だが。

 ひとまず休憩しよう。

 俺は人がいない位置にそっと腰を下ろす。

 ごつごつしているが、意外と座り心地は悪くない。

 少しバランスが悪いくらいだ。

 周囲を海で囲われた場所にたたずむというのは新鮮な気持ちになる。

 日常とは切り離されるって事なんだろう。

 ただ、俺の日常も日常っていいのか疑問ではあるな。

 英陵での日々は普通の高校生が送るようなものではなかったと思う。

 辛くはなかったけど、気の抜けない毎日だったし。

 おかしな表現かもしれないが、人間としてのレベルが高い子が多いような気がする。

 真の上流階級はまず心からして豊かなのか、なんて思わされたものだ。

 相手が可愛い女の子ばかりだったから特に何も感じなかったものの、そうでなかったらすごい劣等感を持つ事になっていたかもしれない。

 この経験を今後の糧にしていけばいいんだけど……果たして俺の人生の役に立つ時が来るんだろうか。

 まあ、社会に出て就職すれば営業職になるかもしれない。

 そしてその時、あの子達に営業をかければ、会うだけは会ってくれるかな?

 ……今のうちからそんな事を考えても仕方ないか。 

 休憩もできたし、砂浜に戻ろう。

 再び平泳ぎだ。

 今度は波に乗るせいか、行きよりは楽な気がする。

 気持ち的な問題だという可能性は否定できないけど。

 岸の方に近づくと人が増えてきたので、足が立つあたりのところで一度止まる。

 もう泳ぐスペースはないも同然だしな。

 砂浜にあがって、友達の姿を探してみる。

 あいつらは果たしてどこで何をやっているんだろう。

 北川に関しては容易に予想できるが、他二人は一応複数可能性があるんだよな。

 誰にもぶつからないよう気をつけつつ、きょろきょろしながら歩いているうちに女性の大きめな声が聞こえた。


「いい加減にして!」


 そしてビンタでもしたような音が響く。

 もしやと思ってそちらに目を向けると、怒りを浮かべて去っていく女の子と涙目になっている北川が視界に入ってくる。

 あいつは何をやっているんだか。

 タイミングを見計らって俺はナンパに失敗したらしい友人に声をかけた。


「よっ、何連敗だ?」


 肩を軽く叩くと北川はこっちを見て、情けない顔になる。


「赤松ー。俺、これで三十連敗だよー、何でなんだろー?」


 さ、三十……?

 決して長いとは言えない時間でか?

 俺としては他意はなかったんだが、これはシャレにならない気がする。

 何でダメなのか、何となく分かる気はするがはっきり言っていいものか。

 普段なら遠慮なく言うところなんだが、さすがに今の北川に言うのはちょっとなあ。

 でも、慰めようがないしなあ。

 少し迷ったけど、はっきりと言ってやる事にする。


「そりゃ鼻の下を伸ばしながら、下心丸出しで話しかけたりするからじゃないか? 女の子はドン引きだろうよ」


「ええ……そんなに俺って分かりやすいか?」


 俺の指摘にショックを受けたのか、北川は落ち込んでしまう。

 と言うか、全く自覚なかったのかよ。

 こりゃ本当にダメじゃないのか。


「分かりやすいにもほどがあると思う」


 きっぱり断言する。

 更にショックを受けたようだが、これくらいじゃないと効果なさそうだもんな。


「ど、どうすれば……」


「諦めろ」


 そっけなく言うと、北川は「ガバッ」という効果音が目に浮かぶような勢いで、顔を上げる。

 そして俺の両肩をわしづかみにした。


「そんな事言うなよ! それじゃあ俺は今日、何しに来たんだよ!」


 血の涙を流しそうな剣幕で、抗議してくる。

 抗議と言うよりは喚いていると言った方がいいかもしれない。

 俺はため息をつきつつ、冷静であるように努めながら言った。


「ほら、そこがダメだって言っているんだよ」


 俺の言葉を聞いた北川が、ハッとした顔になる。


「そ、そうだったのか?」


 でもイマイチよく分かっていなさそうだ。

 どうしたらいいのか。

 いくら何でも他人のふりをして放置なんてできないしなぁ。


「ど、どうすればいいんだ、教えてくれっ!」


 こいつの両手の爪が俺の肩に食い込み始める。

 服を着ているならまだしも、今は海パンだけなんだから、痛いなんてものじゃない。

 ひとまず力ずくで引きはがす。


「今日はもう何もしない方がいいんじゃないのか」


 だってかなりの注目を浴びているし。

 それも好奇心を含んだものではなく、白い目の類である。


「だから、それじゃあ、何をしに来たのか分からねえんだよおっ」


 北川は再度叫ぶ。

 心なしか周囲の人が距離をとったような気がする。

 うん、気持ちは理解できますよ、皆さん。

 俺だってこいつが友達じゃなかったら、関わり合いになりたくないって思っただろうからな。

 だが、友達である以上は見殺しにするわけにはいかない。

 ため息をつきながら意見を出す事にした。


「俺が声をかけてみるから、お前は黙って立っていろよ」


「お? 手伝ってくれるのか?」


 北川はたちまち目を輝かせる。

 さっきまで情けない顔をしていたのに現金な奴め。

 さすがにこの流れで俺がナンパをしたくなったとは考えなかったか。


「一回だけだぞ」


 あらかじめ断っておく。

 何度もやらされたら堪らないし、仕方なくやっているとも思えないだろう。

 とりあえず俺は近くを偶然通りかかった二人組みに声をかけてみた。

 二人はそれぞれ茶髪のショートヘアとポニーテールで、青いビキニとオレンジのワンピースといういでたちである。

 見た感じどちらも俺よりやや年上で、両者とも健康的に日焼けした肌がまぶしい。


「すみません、少しいいですか?」


 ルックスもスタイルもなかなかの二人組みはナンパされるのに慣れていそうな態度だった。

 少なくとも北川に声をかけられていた子達のように、露骨に嫌そうな顔をしない。


「君一人?」


 ショートヘアの方がどこかからかうような表情で訊いてくる。

 質問されたからには答えざるをえないな。


「いえ、あっちで死にそうな顔をしている奴と二人です」


「ええーっ?」


 俺の発言は冗談だと思ったのだろう、二人組みは軽やかな笑い声を立てた。

 女の子の笑い声って華やかでいいな。

 英陵の子達と違って品のよさっていうのはないけど……ナンパ中にあの子達の事を考えたら失礼か。


「彼、一体どうしたの?」


 ワンピースを着ている方が尋ねてくる。

 ちょっと迷ったものの、ここは本当のことを教えることにした。


「女の子目当てで来たのに、誰も遊んでくれなくて心が折れたようです」


「おいこらてめえ」


 俺の言葉が届いたのか、北川が不満そうに抗議してくる。

 だが、逆にそれがツボに入ったらしく、二人の女の子達は面白そうにくすくす笑った。


「よかったら、あたし達が遊んであげようか?」


 からかい半分、同情半分といった態でビキニの女の子が申し出てくる。

 それを聞いた北川はいきなり元気になって立ち上がった。

 そしてご飯を置いてもらった腹ペコの犬がダッシュするような勢いで二人に迫る。

 

「やったね、俺北川って言って」


 その馬鹿に俺は肘鉄を入れて、早くも引きかけている女の子達に向き直った。


「うちの馬鹿がすみません。俺もいるし、一緒に遊んだりお茶したりしてもらえるだけでいいんですが、どうでしょうか?」


 なるべく優しく、礼儀正しく話しかける。

 女の子達はどこか不安そうに北川の法をチラ見しながら、小声で相談した。

 うん、気持ちは分かるよ。

 こいつがこの勢いで英陵の女の子達に近寄ろうとしたら、恐らくは側に控えている護衛に瞬殺されるはずだ。

 さっきのこいつは不審でいかがわしい男そのものだったからな。


「お茶くらいなら」


 二人は同時に、遠慮がちに言った。

 北川が発言する前と比べて、明らかにテンションが落ち込んでいる。

 当の本人はと言うと、俺に肘鉄を食らったのが不満なのか、こっちを睨んでいた。

 女の子達の態度の変化に気づかないし、その原因も全く理解できないというなら、ナンパが成功しなかったのも当然なんじゃないだろうか?

 いくら何でもこれは擁護のしようがない。

 二人がお茶をしてくれるという事で一気に機嫌が直った友人の姿を見ると、前途多難な今後ができてしまって、ため息をつきたくなる。

 お茶をすると言っても全員水着姿だし、ここは海浜浴場だから海の家で何か飲んだり食べたりするくらいしかない。

 北川が大張り切りだから何も言わないでおこうか。

 今は何を言っても馬耳東風だろうしな。

 俺達は海の家に入って、適当な場所に腰をかけて注文をとる。


「俺らの奢りだから遠慮は無用だぞ!」


 北川がそう胸を張ったところで俺は財布をロッカーに預けたままな事を思い出す。


「しまった、取ってこないと」


 舌打ちしながら立ち上がると、北川は「まあまあ」と言いながら着席を促してきた。


「気にするな。ここは俺がはらってやるよ」


 いつになく気前がよくて、正直かなり気持ち悪い。

 爽やかな風に装っているが、女の子達への見栄なのはバレバレである。

 でも、ここは触れないのが優しさってものだろう。

 

「サンキュ」


 俺は言葉に甘える事にして礼を言う。

 そして座り直すと女の子達がホッとした表情になる。

 どうやら俺が財布を忘れたふりをしてこの場を去るのでは、と疑われたらしい。

 それとも、単に北川だけが残るという状況に警戒したんだろうか?

 いずれにせよ脈はなさそうだぞ、友よ……と心の中でだけ語りかけておく。

 その後、ジュースやお茶を飲みながら色々と雑談をしたが、手ごたえらしきものは全くと言っていいほどなかった。

 北川が積極的に話しかけるものの、女の子達は曖昧な笑みを浮かべてあやふやな返答をする事が多い。

 ダメだこりゃ。

 俺はそう思ったけど、一人席を立つわけにもいかない。

 女の子達のさっきの反応を見た限りでは、俺が立ったら彼女達も立ってしまうだろう。

 だがしかし、そろそろ限界かな?

 そう思っているうち、女の子達は「そろそろ」と断って立ちさってしまった。

 北川は情けない顔をしていたが、追いかけようとはしない。

 見込みが全くないってようやく気がついたのか?

 いずれにせよ、焦って乱暴な真似をしないのはよかった。


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