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北川の執拗な攻撃に半ば押し切られる形で、夏休みに会う事にした。
とは言ってみても、俺も割と楽しみである。
何故なら同世代の男を見るのは、かなり久しぶりだからだ。
厳密に言えば遠くから見かける事くらいならあったけど、言葉を交わした事はない。
春休みにボウリングに行って以来だろうか。
本当に女の子達とばかり会っていたんだなとしみじみと思う。
たまには男と旧交をあたためるのも悪くない。
皆の近況も知っておきたいしな。
そう考えて家を出る。
今日は千香の奴は絡んで来ない。
中学時代の友達と会うからだろう。
よく考えてみれば酷い話かもしれないが。
北川と待ち合わせしたのは家からそれなりに離れた位置にある喫茶店である。
ウィングコーヒーは何となくだが避けた。
俺の服装はTシャツにジーパンとラフそのものだ。
男友達と会うだけだから、身だしなみには大して気を遣わなくていいのは素晴らしい。
待ち合わせ時間の三分前くらいについておく事にする。
これもまた適当なものだ。
あまり適当すぎると英陵の子達相手にポカをしてしまうかもしれないから、気をつけなきゃいけないな。
後、北川の目的には英陵の事を知りたいってのもあるんだろうし、余計な情報を漏らさないようにもしないと。
もっとも、俺が持っていて口外したらまずい情報なんてあるのか分からんけどな。
何にも注意されていないし。
それに万が一の事があったら北川が消されるだけ……だといくら何でも後味は悪いから心しておこう。
俺に飛び火しない保障もないし。
むしろ、余計な事を言った俺こそが狙われて、北川の方がおまけってパターンの方がありえそうだ。
俺が店の近くまで行くと、身長が百八十センチほどで肩幅もある、スポーツ狩りの黒髪の男がドアの脇に立っていた。
こいつこそが北川である。
軽い中身に反して、外見は真面目なスポーツマンなのだ。
バスケ選手かバレー選手とでも言えば大概の人が納得してしまうその男は、携帯を見ながら足でトントン地面を叩いている。
かなりイライラしているな。
俺達が待ち合わせする時って大体こんな感じだったと思うけど。
むしろ今日なんか早めについた気がするんだが。
そう不思議に思いながら近づくと、不意に顔をあげた北川とばっちり目が合う。
「赤松、おせーぞ!」
開口一番文句を言われたので少しムッとする。
遅れたならともかく、時間前に到着したんだ。
相手が英陵のお嬢様がたなら謝罪の一手になるけど、こいつ相手にそんな遠慮はいらない。
「うるせー。時間までについたんだから、ごちゃごちゃ言うよ」
はっきりと言い返す。
こんな乱暴な言葉使い、お嬢様達はもちろん千香にもした事はない。
男友達っていいなぁ。
美少女に囲まれた華やかな生活も悪いわけじゃないけど、気を遣う事も多い。
その点、男友達だと暑苦しい反面、気を遣う必要はないのだ。
じーんとしていると、北川はこっちをじろじろ眺めながら言った。
「何かお前さ、雰囲気変わった? 上手く言えないけど、ちょっと違うぞ」
「あん? 何を言っているんだ、お前? 頭が暑さにやられたのか?」
不可思議な事を言いだした友達に疑問を持つ。
人間、ほんの数カ月で変わるわけがないだろうに。
「いや、何て言うかお前、前はもっとだらしない感じだったじゃないか。今はこう、きちんとしているって感じがしてさ」
「ああ」
なるほど、そういう事か。
北川が言わんとする事を理解し、少し納得した。
「確かにそれはあるかもな。だってずっとお嬢様達の視線があるところで生活しているんだぜ? きちんとしないとあっという間に地獄行きだぞ」
事情を説明してやると北川は唸る。
「何だ、そういう事かよ。でも、それだけ聞いたら、何だかあまり羨ましくない気はするなあ」
俺にとっては当然とも言える事を言いだす。
「当たり前だろ。ハーレム状態だなんて喜んでいたら、多分あっという間に痴漢認定されて退学だな」
「うへっ。そんなに厳しいのかよ」
北川はげんなりとした顔になる。
どうやら英陵に関してかなり甘い幻想を抱いていたようだ。
確かにいい子達ばかりでよくしてもらっているけど、勘違いしてはいけない。
俺が俺なりに頑張ろうとしている事が伝わっているからこそ、よくしてもらっているはずだ。
この点、よくよく釘を刺しておいた方がいいだろうな。
「そりゃお前、オリエンテーションの為だけに島を買って使ったり、その時の為だけにメイドや執事がいたりするんだぞ? スケールが違いすぎる」
「はぁ? 何だそれ?」
北川はポカンと間が抜けた顔をする。
うん、これが自然な庶民的反応だろう。
ちょっと落ち着く。
「まあ、俺達の理解を超えたスケールばかりって覚えておけ」
「お、おう……」
我が友人はうなずき、それから言った。
「それより中に入ろうぜ。いい加減暑い」
「それについては全面的に同意だな」
何も炎天下で立ち話をする必要はないよな。
喫茶店のドアを開けると高い音を立てて鈴が鳴り、すぐにウェイトレスが迎えてくれた。
ピンクを基調とした制服と紺色のミニスカートを履いた、二十歳くらいの女性である。
化粧をしてて髪を茶色に染めていて可愛らしいタイプだけど、それくらいだな。
隣で北川が「おっ」と小声をあげて鼻の下を伸ばしている。
「二人で、窓際を希望します」
仕方がないので俺が応対した。
この店は窓際の席だとクーラーがよく届くのである。
何度か来た事があるからこそだった。
水とメニューを置いてウェイトレスが一旦下がると、北川がうっとりとした顔で言う。
「あの子、新入りだけど可愛かったな」
「そうか?」
俺は疑問を呈する。
可愛いか否かの二択でなら確かに可愛い部類に入るだろう。
だが、そんな口に出して褒めるほどずば抜けているとは感じなかった。
英陵ならあれくらいいくらでもいる、と言うよりあの子より容姿がいい子は珍しくないからな。
俺の態度が不満だったのか、北川が納得しかねるといった顔でこちらを睨む。
その癖よどみない動作で椅子をひいて腰を下ろしたんだから、案外器用なのかもしれない。
「えー、何だよ。その淡白な反応。前は一緒に盛り上がったじゃないか?」
以前はそうだったな。
つまり数カ月で俺が女の子を見る目が変わったという事なんだろうか。
曖昧な反応をすると、目の前の男はずいっと身を乗り出してきた。
「まさかと思うけどお前、英陵には可愛い子だらけだからあれくらいじゃ、何とも思わないって言うんじゃないだろうな?」
怒りと言うよりは妬みを声に込めてすごんでくる。
大体あっているんだが、さてどうしたものだろうか。
北川は元から可愛い女子に関係する事だと、結構勘が鋭いんだよな。
ごまかせるか分からないし、正直に言ってみるか。
「そうだな。こういう言い方は悪いけど、綺麗な子ならたくさんいるからなぁ」
「紹介しろっ!」
脊髄反射としか言いようがない食いつきっぷりだった。
予想はしていたけど、唾がここまで飛んできそうな剣幕なのはちょっと引くなぁ。
「無理だな。連絡先が分からんし」
別に嘘は言っていない。
知っているのはデジーレのだけだしな。
「え? マジで?」
強い口調で断言したのが功を奏したのか、北川は冷静さを取り戻して聞き返してくる。
ここは堂々と答えよう。
「ああ。俺と連絡先を交換してもいいのか、家族の許可を取らなきゃって言われたし、結局出なかったみたいだ」
「そ、そうなのか」
北川の頬が軽くひくつった。
どうやら英陵の女子生徒達がどういう存在なのか、やっと分かってきたらしいな。
もっとも、俺だってすぐに把握できたわけじゃないから、偉そうな事は言えないんだが。
「本人はいい子達なんだけどな。あくまでも本人達は」
大切な事なので繰り返して言った。
「お、おう」
友人はそう言っただけにとどまる。
話が途切れたので、俺は逆に訊いてみる事にした。
「お前の方こそ、高校はどうなんだよ?」
「それがだな……」
北川は気を取り直したようにしゃべりだす。
担任があまり熱心でない事、部活の先輩が理不尽な事などをだ。
「一番の問題は、クラスに可愛い子がいない事だな! うちの学校の女子、顔面偏差値がしょぼい奴ばっかなんだよな〜」
女子が聞いたら怒りそうな事を平然とでかい声で言う。
おいおい……俺は慌てて周囲を見回す。
そして誰も聞いていなかった事を確認するとほっとした。
ついで目の前にいる馬鹿を睨む。
「声がでかすぎるぞ。もう少し小さい声で話せよ」
「すまんすまん」
ちっとも反省していない様子で謝ってくる。
ダメだ、こりゃ。
俺はあからさまにため息をついた。
こいつが女の子にモテない理由が何となく理解できた気がする。
もっとも、俺だってモテない事に変わりはないけど。
英陵の子達は性格がいいから仲良くしてくれるが、そうでなかったら今頃俺は孤立していただろうなぁ。
可愛い女の子達の中に男が一人ってシチュエーション、ハーレムって言った奴出てこいよ。
ハーレムどころか針のむしろだぞ。
うっかり粗相したら家族ごと消滅するんだぞ。
そのへん分かって言ってるのかと言いたい。
……ふう、クールダウン終了。
「赤松のところはどうなんだよ、そのへん?」
そう問いかけてきた北川の意図を一瞬把握しかねたので、尋ね返す。
「何がだ? 綺麗な子は多いとは言ったぜ?」
「ばか、ちげーよ。クラスの女子だよ。学校全体には多くても、クラスはハズレとかあるだろ?」
……こいつ、少しも懲りていないな。
俺は内心ため息をつきながら答えた。
「クラスに綺麗な子なあ」
まっさきに名前を挙げるなら、デジーレと小早川だろうか。
相羽は綺麗って言うより、可愛らしいって感じだしな。
他の子達は先に挙げた二人と比べると劣っていると思う。
女の子達の見た目で優劣を語るなんて、ひどい話なので言葉にはしないけど。
クラスの外となると、最初に挙がるのは百合子さんだろうなあ。
学年が違うなら、季理子さんに紫子さん、後は生徒会役員の先輩達だな。
うん、こうして考えてみると、俺の知り合いって美人率高いのかもしれない?
……これ言ったら、北川は間違いなく激怒するから黙っていよう。
「何だよ? 思いつかなかったのか?」
「ああ、ちょっとな」
嘘でもこう言っておこう。
幸いな事に俺の本音には気づかなかったらしく、嬉しそうにニヤニヤしていた。
「そうか、お前もか。さすが友達だな!」
がははと笑いながら、俺の右肩をバシバシと叩く。
そんなに喜ばれると少し気持ち悪いな。
というか、友達だからとか関係ないだろうに。
こいつはそんなに悪い奴じゃないんだけど、女の子が絡むとこれなんだよなぁ。
「それじゃ、この夏は海でナンパ祭りだな!」
「……何でそうなるんだ?」
俺は心の底から疑問に思ったが、北川はそうは感じなかったらしい。
「何だ? 山の方がいいのか? 山にだって可愛い女の子はいるだろうけど、海なら水着だぞ!」
下心全開じゃないか。
少しは隠す努力をした方がモテるとは思うんだけど。
俺がそう指摘すると、北川は笑い飛ばした。
「そんな女! どうせムードがないとか、そんな人だと思わなかったなんて難癖をつけてくるんだよ! こっちから願い下げだぜ!」
何だかやけに具体的な気がする。
もしかして実際に経験したんだろうか。
……考えすぎだと思いたいけど、こいつの事だからなぁ。
さすがに英陵の女の子目当てで俺に接触してきたとは思わないけども。
「なあ、ナンパ祭りに行こうぜ?」
北川がもう一度誘ってくる。
目はギラギラと輝いていて、粘りっ気が混ざっている。
やれやれ、こいつがこういう表情の時はしつこい。
早めに妥協案を出して折れさせた方が利口だろうな。
でもなあ、中学時代の友人とナンパに行ったなんて、女の子達に知られたらやばいんだよなあ。
さてとどうすれべいいだろうか。
なんて思ったが、意外と難しく考えすぎな気もするな。
だって、あの子達が庶民が行くようなところに行くとは思えないし。
ただ、油断は禁物だよな。
本人達は行かなくても、俺の動向を調査したり監視したりしている人間はいるかもしれない。
いつの間にか調べられていたって事実もあるし、考えすぎてもやりすぎって事はないだろう。
とは言え、これらを気にしすぎて、友達つきあいを遠慮するっていうのもどうなんだってなりそうだ。
……うん、ごちゃごちゃ考えるのはよくないな。
「海に行くくらいならいいぞ。ナンパはやらないけど!」
「マジで? 枯れすぎじゃね? 女子高生活がお前を賢者にしちゃったか?」
単にお前があけすけなだけだろう。
ため息をつきながらそう釘を刺したが、のれんに腕押しだった。
ダメだなこりゃ。
一回痛い目にあった方が懲りるだろう。
……こいつが懲りるのに必要な回数が本当に一回なのかは分からんけど。
後、女子高暮らしとか誤解されそうな言い方は止めてもらいたい。
今年から共学化されている以上、元女子高という言い方が適切なはずだ。
男は俺しかいないから、まだほとんど女子高みたいなもんなんだが。
しかし、せっかくだから俺はナンパしないという事を強調しておこう。
こいつがやるのはこいつの勝手だが、俺がやらないのは俺の自由のはずだ。
「そりゃ、うかつに男の煩悩を見せられない環境にい続けたらな……」
「うーん、これはお前の為に頑張るしかないか!」
北川は何やらはりきり始めた。
嫌な予感がしてならない。
こいつ、友情パワーを変なベクトルで発揮しなきゃいいんだが。
……でも北川なんだよなあ。
「妙な事は考えるなよ? 小さな親切、大きなお世話って言葉をちゃんと思い出せよ?」
「分かっているさ、俺に任せろよ!」
どんと胸を叩いたが、正直全く信用できない。
もっとも今問い詰めたとしても、効果は期待できないだろう。
こいつが変な方向に暴走しない事を祈ろう。
より現実的なことを考えるなら、被害を最小限で食い止められるよう、あれこれ想定しておいた方がいいだろうか。
「他にも何人か誘うけどいいよな?」
北川はさっそく携帯を取り出しながら訊いてきたので、俺はうなずいておいた。
「誘うって山田とか沢木とかあたりか?」
「おう」
俺の問いには即答えが返ってくる。
山田も沢木も中学時代の友達だ。
一番暴走する危険が高いのが北川だが、ストッパーになる事を期待できる奴はいない。
俺が何とかするしかないのか。
とりあえず北川と話してあるうちに持ってきてもらっていた水を一口飲み、メニューを見る。
さて何を食おうか。
メニューを見る限りじゃ、オーソドックスな喫茶店のようだ。
写真を見る限りではパスタかオムライスが美味そうである。
パスタとサラダとスープにしておこうか。
そう決めるのと北川が携帯をしまうのがほぼ同時だった。
「ほれ」
俺はメニューを友達の方に差し出してやる。
「とりあえず三人からの返事待ちだな。あ、お前はどこの海がいい?」
「どこがいいって言われても……」
どうせ時間がかかるだろうから、真面目に考えてみる事にした。
一学期を振り返ってみれば、今後も女の子達の家に行く機会はあるだろう。
少なくともダンスを習わなければいけないし、他にも何かあれば教わる必要が出てくる。
つまり何らかの手土産は持っていかなきゃいけないので、俺の財布のダメージは覚悟しなきゃいけない。
それを考えるとあまり遠くは行きたくないな。
けど、近場だと何かあればすぐにお嬢様達の耳に入ってしまう気がする。
そもそも夏休み、海水浴だとか海の家だとか教えたばかりなんだよな。
もしかしてフラグか? フラグなのか?
……いや、馬鹿な事を考えるのはよそう。
フィクションの世界ならばともかく、ここは現実なんだ。
そうそう変な展開になったりするはずがない。
「……先にバイトするっていうのはなしか?」
バイトをして軍資金を貯めてそこそこ離れた場所に行く、というのがベターではないだろうか。
そう思って提案すると北川は目を丸くしたものの、反対はしなかった。
「別にいいぜ。俺もする予定だし」
こういう時に根掘り葉堀り訊いてこないのは助かる。
こういう気遣いを女の子達相手にやれば、一人くらい振り向いてくれるかもしれないのに……。
言うだけ無駄だったから今更言わないが。
俺達は飯を食った後、別れる事にした。
正直、こいつの女子談義には辟易とさせられたので、今後は誰か一緒に聞いてくれる人間が必要だと思ったのである。
それに学校側にバイトしていいか、確認しておいた方がいいだろう。
無断でやったら一発で退学くらいありえそうなところだし。
ところで海って今から行っても女の子達はいるんだろうか?




