4
いつまでも喋ってばかりいるわけにもいかないという事で、俺達は着替える事になった。
女子達は小早川の部屋で、俺は適当なあいてる部屋を借りてである。
さすがの豪邸でもプール用の更衣室まではないらしい。
男の着替えというのは早いものだ。
全部脱いでパンツをはいて帽子をかぶるだけだからだ。
そもそも夏だから着ているものの枚数も少ない。
女子はそうはいかないのだろうが、俺一人じゃプールの場所が分からないし、部屋で待っているようにとも言われたものだ。
間違えて女子の更衣中だったり、他のメイドさんの部屋に入ってしまったりしたら堪らないし。
万が一そうなると、お嬢様の級友にして客から、覗きをした犯罪者に転落する事になる。
くわばらくわばら。
暇だから準備体操でもしておこうか。
それとストレッチも。
軽く汗を流していると部屋がノックされた。
おっと、迎えが来たようだな。
「はい」
返事をしてからドアを開けると、水着姿の女の子達がそこにいた。
「おお」
その素晴らしい光景を見たら、思わず感嘆の声が漏れてしまった。
小早川はノースリーブセパレートだ。
胸元の白い地に水色のラインが入っていて、白い肌とのコントラストが映える。
露出の少なさが彼女の性格とマッチしているし、決まっている。
デジーレは緑色のビキニだった。
豊かな胸を大胆にも露わにしている。
スイカかメロンかが問題だが、あまり凝視するわけにはいかない。
相羽はピンクのワンピースだった。
彼女の小動物的可愛らしさ、起伏の少なさも微笑ましい。
大崎と恵那島も色違いのワンピースタイプである。
ただ、相羽と違ってそのボディは立派なメリハリがあった。
それだけに色気もある。
とまあ、俺は女の子達の姿を鑑賞し、一人ずつ褒めていく。
相羽なんて顔を真っ赤にしてうつむくし、大崎と恵那島も頬を染めてもじもじしている。
デジーレも水着姿を見せるのはさすがに恥ずかしそうだった。
そりゃ一人だけ胸の谷間が見える大胆な仕様だもんな、と思ったけど追及しないでおこう。
今の俺の視線も大概いやらしいに違いない。
鼻の下が伸びていない自信なんて全くなかった。
北川の奴がこの場いたりしたら、襲いかかって御用になっているかも。
そんな危惧を抱くほど魅惑的な光景だった。
「そろそろ移動しましょうか」
小早川がそう声をかけ、皆は動き出す。
ただ、彼女も若干声が上ずっていた。
目が泳せて俺と視線がぶつからないようにしている節があるし、彼女も恥ずかしいのかもな。
学校でスクール水着だった時は、ここまでの反応じゃなかった気はするんだが。
女心は今一つよく分からない。
疑問に思うだけ野暮なのかもしれないけど。
タオルなどは家の方で用意してくれているらしい。
プールがあるくらいだから、必要なものも常備しているそうだ。
となると更衣室も実はあるんじゃないか?
まあ気にしても仕方ない。
別にあの部屋で着替えさせられた事が不満なわけでもないし。
俺は女子達の後ろをついていくわけだけど、これまた精神力が必要だ。
男ならピンときただろう。
目の前には魅惑のお尻がいくつもあるのだ。
デジーレはこっちもデカいとか、小早川は形がいいとか。
そして相羽は意外と大きいとか。
ちらちら見てはそう思ってしまう。
あまり見ていると気づかれるだろうから、必死で視線をそらす。
かえって挙動不審になっている可能性もあるけど、お尻を凝視するよりはマシだろう。
廊下を抜けるとエレベーターを利用する。
プールは地下にあるらしい。
「だからエレベーターを使うのよ」
小早川はそう説明してくれた。
地下だからエレベーターって俺には理解できない論法だったけど、いちいち口にするのは野暮だろう。
俺にとって天国のような拷問はやがて終わりを迎える。
エレベーターが目的地に到着したのだ。
透明な自動ドアの向こうにはロッカーがあり、隣にはシャワー室もある。
「ロッカーの中にはタオルが入っているはずだから、どれでも好きなものを使って」
鍵もかかるらしいけど、正直なところ必要性は感じない。
俺の荷物を狙うくらいなら、お嬢様達のものを狙うだろう。
そもそも泥棒がこの豪邸の地下にまで侵入できるとは思えない。
気にしないようにしていたけど、普通にガードマンや番犬、監視カメラが完備されていたからな。
プールサイドに行って全員で準備運動をする。
俺は先に済ませていたけど言える空気じゃなかった。
集団で来ているのに一人で入ってしまうのはどうかと思うし。
やはりここでも目のやり場に気を付けないといけない。
油断しているとむき出しになった白い太ももとかが目に入ってしまうからだ。
デジーレは背中も白いな。
当たり前か。
そんな事をぼんやりと考えつつ、準備運動を終えた俺達は同時に水に入る。
水は温かったので一気に肩までつけた。
予想通り、温水プールだった。
「どうする? 早速始める?」
小早川が皆に問いかける。
デジーレはどちらでもよいという態度で、他の女子達は首を縦に振った。
最後に俺に視線が向けられるが、俺もどちらでもよい。
ただまあ、そんな事を言えない空気の気がしたので、賛成に回っておく。
泳ぎが苦手な子達が練習したいって言っているんだから、その方がいいと思ったのだ。
「じゃあ早速練習しようか。ちょうど泳げる人が三人、苦手な人も三人だから綺麗にペアで分けられるわね」
小早川がそう言ったものの、俺は偶然だとは思えない。
俺とそれなりに親しい泳げない子達、更に泳げる子を含めてぴったり偶数とか誰かの意図が働いた結果だとしか考えられなかった。
もっとも、そう配慮されるのは当然ではある。
奇数になってあぶれちゃう子が出るよりはずっといいし。
……誰かあぶれるなら、それは俺だという気はするし。
「赤松君は誰と組む?」
とんでもない事をこの家のお嬢様は言い出した。
五対の視線が俺に集中する。
俺が誰を選ぶのか決めるのか?
無茶ぶりなんてものじゃないぞ。
暑さなんて少しも感じないのに、冷や汗をかく。
気のせいか胃も痛くなってきた。
誰を選んでも角が立つだけなのには俺の気のせい、あるいは自意識過剰なんだろうか?
相羽、大崎、恵那島の三人は期待と不安が入り混ざった顔でじっとこっちを見ている。
デジーレは我関せずといった様子だが、何となく興味はありそうだ。
そして言いだしっぺはどこか面白そうな、悪戯が成功した子供のような表情だった。
おい、わざとかよ。
多少の怒りを込めた視線を送ると、何とぺろりと舌を出した。
常日頃とのギャップも相まってかなり可愛かったけど、ごまされはしないぞ。
そんな心の声が通じたわけじゃないだろうが、小早川は二度手を叩いた。
「冗談よ」
などと言ってクラスメート達を唖然とさせた委員長は、改めてペアを発表する。
「赤松君はリナさんとね」
どうやら最初から決めていたらしい。
さっきのフリは彼女なりのジョークというのは本当のようだ。
俺は少しも笑えなかったけどな。
あまりねちねち言ってもみっともないからこれ以上は根に持たないでおこう。
「相羽、よろしくな」
「う、うん」
俺が声をかけると相羽は緊張したのか、ぎこちなく返事をした。
相羽ならあまりいやらしい気持ちを抱かなくてすむから助かるな。
こんな事、本人に知られるわけにはいかないけど。
たっぷり十コースもあるので、一組で一コース使う事になった。
「とりあえずやってみてくれ」
泳ぎなんて練習が一番だからな。
才能がある奴はとっくに泳げるようになっているだろうし、ない奴は地道に練習するしかない。
相羽は強張った顔を上下に動かし、ゆっくりと泳ぎ始める。
そしてものの数メートルで立ち止まってしまった。
あれ、何かおかしいな。
前は十メートルくらいは泳げていたはずなんだが。
何で泳げなくなっているんだ?
俺が教えた方法がマイナス方向に働いてしまったのか?
いや、顔が強張っていたし、緊張して上手く泳げなかっただけかも?
できれば後者であってほしい。
前者だと俺の手には負えないからな。
足をついて顔を上げた後、情けなさそうな顔をしている同級生に声をかける。
「相羽、とりあえず深呼吸をしよう」
なるべく優しく言う。
厳しく言ってもたぶん委縮させてしまうだけだろうしな。
小動物的な少女は素直に深呼吸を繰り返す。
「これは授業じゃないんだから、別にできなくてもいいからな?」
そう言ってやるとどこか安心した表情で、それでいて複雑そうにうなずく。
うーん、これだけじゃダメなのか。
他に緊張している理由は何だろう。
俺に水着を見られているとか……これは今更すぎるか。
第一、正解だったとしても俺じゃどうしようもない。
まさか俺の視線に慣れてくれとは言えないし。
本人は謙遜しているけど、同世代の男に対して免疫がほぼないお嬢様なんだからな。
本当に嫌なら俺が誘われる事はなかっただろう。
その点は理解しているので、あまり卑屈になる必要はないと思うけど。
「何なら別の日にでも……って、それはできないのかな?」
今日の集まりは小早川によって調整されたはずだった。
それに女子達の会話でも海外がどうとか避暑地がどうとかってなっていたよな。
皆がバラバラになってしまうと無理だよなぁ。
まあ、夏休み終盤ともなれば帰ってくるんだろうから、絶対無理とも言えないが。
「どうだろうね。私も家族と旅行に行くし……」
相羽が遠慮がちにつぶやいた。
帰って来てからでもいいだろうに。
そう思ったけど、考えてみれば皆それほど熱心ではないか。
上達したくて必死なら、それこそ親の金でいいコーチを雇って特訓を受けているはずだもんな。
じゃあ何で今日集まったんだとなるけど、単に皆と一緒にいたかっただけかな。
俺に泳ぎを教えてほしかったと思うのは自惚れなのかなぁ。
「まあいいか。今日は時間が多くあるんだし、頑張ろう」
「うん」
女の子と一緒なのに、埒もない事をつらつらと考えているわけにもいかない。
再び俺は泳ぎの指導に意識を戻す。
相羽はプールの壁に手をつき、ゆっくりと泳ぐ。
どうしても息継ぎのタイミングがズレるな。
うーん、どうすればいいんだろうか。
息継ぎさえタイミングよくできるようになれば疲れにくくなるし、もっと距離を稼げるようになると思うんだが。
そんな簡単に素人が解決できるならプロはいらないってなるけど、だからと言ってそう開き直る気にはならないんだよなぁ。
何度か失敗した後の相羽に思い切って言ってみる事にする。
「もう少し、顔をあげるタイミングを早くしてみたらどうだ?」
少女は三回瞬きをして、小首をかしげた。
「私、遅いのかな?」
「うん」
ここは即答しておこう。
狙い通り、相羽は考え込む。
「じゃあもう少し早くしてみるね」
そう言った後、早速練習を再開する。
だが、やはり上手くはいかない。
だよなぁ。
そんなに簡単にいくなら誰も苦労しないよなあ。
ただ、息継ぎをするのは少し楽そうになったようには見えた。
もしかすると俺の感覚的なものかもしれないけど。
それから少し経つと小早川が手を叩いて集合をかけた。
「少し休憩してから組む相手を変えましょう」
そう提案したのである。
小早川はそれだけ言った後、一度プールから出た。
勢いよく浮かび上がった見事なお尻に一瞬、目を奪われてしまう。
ダメだダメだダメだ。
大急ぎで自分に言い聞かせ、必死に視線をずらす。
プールから出た小早川はサイドの隅に行ってベルを鳴らした。
ほどなくしてメイドさん達がワゴンを持って入ってきて、飲み物を用意してくれる。
プールサイドですぐにお茶会ができるとか、さすがの一言だな。
何と言うか、昼食も食べられそうな勢いだ。
そう口にすると、ご令嬢は意味ありげに俺の事を見る。
「赤松君がいいなら、ここに持ってきてもらうけど?」
マジですか。
一旦出ていちいち着替えなきゃいけないのは面倒だなって思っていたのでありがたい。
でも、本当にいいんだろうか。
それに他のメンバーに訊いてみる必要はないのか?
俺が皆の顔を見ていくと微笑みが返ってくる。
以心伝心って難しいな。
エスパーじゃないから当たり前か。
などと馬鹿げた事を考えていると、デジーレが口を開いた。
「プールサイドで食べるのもよいものですわ。食事のたびにいちいち着替えたり移動したりするのはあまりよくないのです」
そうなのか?
よく理解できない感覚だが、プールサイドでご飯を食べる方が貴族的らしいという事は分かった。
他の子達も特に抵抗はないらしい。
単にいちいち着替えるのが面倒なだけなのかも……と思ったけど言わないでおこう。
蛇が出てきそうな藪をわざわざつつく事はない。
「俺は別に平気だな。海水浴とかに行くとそんな感じだし。お嬢様達が同じ事をするのかって驚いただけで」
そう言うと納得したと言わんばかりの空気が広がる。
色々と食い違いを感じているのに、共通部分があると分かればそりゃ驚くさ。
「海水浴……私達が知っているものと同じかな?」
相羽がそんな疑問を口にする。
海水浴なんてどれでも同じだろう。
と思ったけど、言葉にするのはためらわれた。
お嬢様達ならプライベートビーチの一つや二つ、持っているのかもしれない。
そして砂浜にまで食べ物を運ばせたりしているのかも。
デジーレの発言を思い出してそんな考えが浮かんだのだ。
「皆はプライベートビーチとかなんじゃないの?」
俺の疑問に対しては、メイドさんに指示を出していた小早川が答える。
「プライベートビーチって言うか、島かしら。オリエンテーションで言ったような」
「セキュリティ面ではその方が安心ですよね」
大崎が淑やかに微笑む。
いや、セキュリティ云々の前にスケールが違うんですけど。
プライベートビーチどころかアイランドかよ。
俺の心情が伝わったのか、お嬢様一同は怪訝そうな顔になった。
「赤松さんが言う海水浴って?」
恵那島の問いかけに俺は正直に答えるべきか悩む。
だが、その気になればいくらでも調べられる事だと思い、素直に明かす事にした。
一つの砂浜に数百人くらいの人間がいる事、気を付けないとすぐに人にぶつかってしまう事などを。
人が全くいない砂浜もあるけど、そういうところは何らかの訳ありなんだよな。
お嬢様達にしてみれば、不特定多数の人間と同じ浜で泳ぐという発想がありえないらしく、割と興味深そうに俺の話を聞いていた。
「後は海の家かな」
「海の家……?」
お嬢様達は一様に頭上にハテナマークを浮かべる。
「うん。焼きそばやラーメンとかを買って食べるんだよ」
端的すぎるかな?
「飲食店みたいなものでしょうか?」
大崎の言葉にうなずく。
それでも他のお嬢様達は納得しなかった。
「砂浜に飲食店があるのですか……?」
デジーレが理解不能と言いたそうな顔になっている。
砂浜に料理を運ばせるのはいいけど飲食店があるのは理解できないのか?
そっちの方がよっぽど分からないんだが。
思ったけど言わない方がいいよな、これも。
「あ、私、ちょっとは分かるよ」
そう言ったのは相羽だった。
「この間読んだ小説に出てきたもの」
「へえ、そうなんだ」
お嬢様達の目が輝く。
あれ、何で海の家なんかが珍獣的な扱いを受けているんだろう。
まあ現物を見た事がないんじゃ仕方ないのかな。
俺達が会話している間に、メイドさん達が食事の準備を整えていく。
テーブルを持って来たり、椅子を持って来たり。
そしてそれが終わると料理が運ばれてくる。
湯気が立っているスープとサンドウィッチだった。
購買などで売っているものより更に高級そうなのは錯覚だろうか。
上等そうなパン、高そうな肉、新鮮な野菜、柔らかそうな卵。
様々なものが挟まれている。
「食べやすさを優先してもらったから。こんなもので悪いけど」
こんなもの扱いするなよ。
食べものに対して失礼だろ。
一瞬だけ小早川に腹が立ったが、ぐっと我慢する。
きっと謙遜しただけなんだ。
そう自分に言い聞かせたのである。




