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はいそっ  作者: 相野仁
六話
56/114

2

 今日は午後から学校の図書館での勉強会だ。

 少し迷った挙句、制服に身を包む。

 デジーレに確認したところによると、学校の用事で登校するわけではないのだから私服でも構わないらしい。

 こういうところで大らかなのは、お嬢様学校の特徴だろうか。

 私服可だからと言って変な恰好で来る子なんて誰もいないんだろうし。

 本日のメンバーはデジーレ、小早川とまあいつも通りとも言える顔ぶれだ。

 相羽達は残念ながら来れないらしい。

 二人とも俺の私服姿は知っているはずだから、今更かっこつけても無駄な気はするんだけどね。

 それでも他の学年の人もいるかもしれないし、何より生徒会役員も日替わりで登校しているそうだ。

 俺は一年でしかも男子という理由で免除されたけど、少しくらいは顔を出した方がいいだろうな。

 それを考えると私服より制服の方がいいというのもある。

 先輩達も私服かもしれないが……少なくとも高遠先輩だけは制服だろう。

 俺は約束より十分ほど早く着くように家に出た。

 これまでの経験からすると少し早すぎるくらいでちょうどいいはずだ。


「お、お兄ちゃんデートですかぁ?」


 玄関で靴を履いている俺の姿を見た千香が、そう言ってからかってくる。


「うん」


 まともに相手する気分じゃなかったので、わざとうなずいてやった。


「えええええ」


 大きな声をあげて驚きやがる。

 いくら俺が女の子にモテるタイプじゃないからって、失礼だろう。

 相手が千香じゃなかったら殴るところだな。

 いずれにせよ、さっさと家を出よう。


「じゃあな。留守番よろしく」


 そう言って玄関のドアを開けると、焦った声が後ろから届く。


「後で詳しく話を聞かせてもらうからねー」


 何で俺が妹にいちいち詳しい話を聞かせなきゃいけないんだ?

 女の子達相手という事で色々相談に乗ってもらっているし、その礼を兼ねてある程度は訊かれた事に答えるようにはしているつもりだが、何でもかんでもっていうのは違うだろう。

 帰ってからそのへん言っておいた方がいいかな。

 今回は学校で待ち合わせだから、高級車や運転手さんに迎えに来てもらう事はない。

 だから多少は気が楽だった。

 外に出ると元気いっぱいの太陽が、これでもかと日差しと熱を送ってくる。

 地上に何の恨みがあるのかとぼやきたくなるほどだ。

 そこそこ歩を進めたところで俺はタオルを取りだして汗をぬぐう。

 これまでなら平気でシャツの袖とかでぬぐっていたが、今はできない。

 言うまでもなく女子達の視線や印象対策である。

 制汗スプレーのお世話にはなっているものの、効果があまりなさそうなのはどういうわけだ。

 救いがあるとすれば、学校の図書館は空調機が完備されているという事だろうか。

 家でいる時ほど温度は下げられないだろうけど、ないよりはずっといい。

 まさに天国と地獄の差がある。

 うだるような暑さに耐えながら校門にたどり着くと、近くに人影はなかった。

 携帯で時間を確認すると十分ほど前か。

 早めにきているか、それとももう少ししたらくるかだろうな。

 待ち合わせは図書室の入り口だし、先に行っていようか。

 敷地内を進んでいくと、ところどころから喧騒が聞こえてくる。

 恐らく部活動の人達だろう。

 文科系のクラブはともかく運動部の方は全国レベルのところが存在していないし、そこまで情熱を持って取り組んでいる人はほとんどいない印象だ。

 そうかと言って、夏休みに練習しないわけではないという事なのかもしれない。

 真面目な性格の人達が揃っているから、休みでもきちんとしているという事かも?

 念の為、校内の案内図で図書室の位置を確かめておこう。

 中に入るとひんやりと涼しい空気が俺の皮膚をなでる。

 休みであっても冷房が入っているらしい。

 実にありがたい事だ。

 図書室がどこか再確認していると、その間に一人の女子生徒と出会った。


「あら、ヒーロー様ごきげんよう」


「……こんにちは」


 俺は情けない表情にしそうになるのを必死に抑え、何とか挨拶を返します。

 相手はどう見ても三年生だから、失礼がないようにしなければならない。

 悪意や揶揄の意図を感じられないから余計にだ。

 今更触れるまでもなく、水準以上の美貌を持った先輩は瞳に好奇心を宿して訊いてくる。


「今日はどうかしたのかしら? 生徒会のお仕事なの?」


「いえ、同級生達と勉強会です。僕、成績が今一つなので皆が頼りなんです」


 おどけて言うと「あらあら」と先輩は手で口を隠し、上品に笑った。

 自虐したつもりはない。

 期末考査でも何とかクラスの足を引っ張るのを避けてホッとしただけだ。


「待ち合わせの邪魔をしてはいけないから、このあたりでね」


 先輩は優しく微笑み、ゆっくりと手を振って別れを告げる。

 俺はぺこりと頭を下げて歩き出す。

 完全に初対面なので、名前が分からない。

 姫小路先輩や紫子さん、季理子さん以外にもまだあんな人がいたんだなあ。

 さすが英陵、色んな意味で別格だ。

 図書室の入り口に向かうと、まだ二人の姿は見えない。

 よかった、待たせる事にならなくて。

 女の子達を待たせるものじゃないとは千香にも言われているからな。

 小早川もデジーレも早めの行動を取るタイプだから、正直少し不安だった。

 胸をこっそりなでおろしていると、足音が聞こえてデジーレと小早川が姿を見せる。

 二人とも制服姿だった。

 残念なような、二人らしいような。

 何とも形容しがたい気分になった。

 デジーレは夏休み前と変わらないが、小早川の方は髪を後ろに束ねている。

 とても似合っているし新鮮な気分になった。

 どうやら二人同時に来たらしいけど、示し合わせてきたのか、それとも偶然の一致だろうか。

 二人の性格を考えるならどっちもありえるな。

 二人は俺の姿を認めると微笑を浮かべる。

 決して走ったり小走りになったりしないのが二人らしい。

 デジーレは貴族令嬢さながらの上品さで、小早川は委員長に選ばれるような気真面目さで。

 

「ごきげんよう。早かったのですね、ヤス」


 デジーレは微笑を浮かべてそう声をかけてくる。


「ごきげんよう。早めの行動を心がけるなんてとても感心ね」


 小早川も純粋さ称賛を送ってきた。


「いや、ほんのさっきついたところだよ」


 少しでも遅かったらやばかった。

 そう思っているのだが、二人は謙遜と受け止めたらしい。


「ずいぶんと謙虚ですね。そこがいいところですけど」


「そうね」


 二人は微笑みあう。

 何となく居心地が悪い気分になる。

 褒められるのが照れくさいと言うか、背中がむず痒くなると言うか。


「いつまでもここに立っているわけにもいかないし、中に入ろうよ」


 俺はそう促す。

 戦略的撤退ってやつだ。

 武士の情けならぬお嬢様の情けか、二人はこれ以上追及してこなかった。

 図書室の中にはまばらだけど人が何人もいる。

 図書委員だけではなく、勉強をしたり本を読んだりしている人達だ。

 適当にあいている席に三人で座り、俺は小声で話しかける。


「意外と人がいるんだな。皆、家で勉強しているのかと思った」


 庶民だって家庭教師を雇ったり塾に通ったりしているのだ。

 お嬢様達にできないはずがない。

 俺としてはそう思ったのだが、デジーレはそっと首を横に振った。


「そうでもないのですよ。皆と一緒にやりたいという方もいますし、家だと置いていない本もありますからね」


 家によっては娯楽系の類は全て禁止だったりもするという。

 そういった家の子達は、学校の図書室で勉強するという名目でここで本を読むそうだ。

 もちろん、実際に勉強もするものの、本当の目的は別だとか。

 なるほど、お嬢様だからこそ家じゃできない、許されていない事もあるんだな。

 英陵だってどちらかと言えば娯楽系について寛容とは言えない。

 少なくとも漫画とかは一切置いていなかった。 

 それでも歴史小説などは置かれている。

 それがお嬢様達にとっては楽しみらしい。

 分かってはいるつもりだけど、大変なんだなぁ。


「それに夏休み中も学食はやっているからね」


 小早川がそう捕足する。

 友達とワイワイ勉強をしたり、一緒に食事を摂ったりという事をする生徒達は多いそうだ。

 勉強が苦にならない子がたくさんいるのはさすがと言うべきか。

 北川がこれを知ったら目をむいて卒倒しそうだな。

 そのおかげで俺もこうして一緒に勉強してもらえるなら、感謝すべきなんだろうけど。


「学食……俺も利用できるのかな」


 つぶやいたけど、本当に可能か疑ったわけじゃない。

 そこらの学校なら「夏休みは利用不可」なんてセコイ真似をするかもしれないが、英陵がそんな事するはずはないと確信していた。


「できるはずよ」


 小早川は即座に断言する。

 一縷も疑っていない顔だった。

 俺も同感だが、本当に言いたい事は他にある。


「いや、俺も皆と学食で食べながら勉強したいなと」


 勇気を持って口に出した。

 たぶん、これは言葉にしないと伝わらないだろうからな。


「あら」


 小早川もデジーレも目を丸くしていた。

 俺が言い出すとは意外だったんだろうか?


「そういう事でしたら、皆に声をかけなくてはいけませんね」


「いえ、一度に全員は無理でしょ。シフトでも作った方がいいと思うわ」


 二人はひそひそと何事か相談をし始める。

 あれ、何やら地雷でも踏んだような気分になったけど、気のせいだろうか?

 気のせいだよな?

 まるでコックにどう料理するか色々思いを巡らされている食材の気分になったんだが、被害妄想だよな。

 

「こら、そこ!」


 不意に小さいながらも鋭い声が聞こえてきた。

 驚いて振り向くと、図書委員らしき人が小早川とデジーレの二人を睨んでいる。

 いつの間にか声が高くなっていたようだ。


「申し訳ありません」


 二人はしゅんとして謝罪する。

 真面目な優等生である二人が珍しい。

 他人事のように思ったけど、言うかこれって俺のせいじゃないか?

 そうは思ってもここで庇ったら、余計うるさいって怒られそうだな。

 後で謝ろう。

 そう思い勉強を始める事にする。

 二人は特に俺を責める事もなく、宿題に向きあう。

 三人で仲良く宿題を片付けつつ、声に気をつけながら教えあいもする。

 と言うよりは、俺が二人に一方的に教わっていた。

 俺は泳ぎを教えるからいいんだ……この二人は泳げるんだけどな。

 本当に何でもそつなくできる奴らだと思う。

 理不尽な恨めしさを抱きつつ、二人の端正な顔を見ていると不意に目があった。


「何か?」


 声には出さなかったけど、小首をかしげる。

 何でもないと言うように首を横に振り、再び宿敵と取っ組み合いを始めた。

 小早川、デジーレと言う美人で何でもこなせるお嬢様達の援護を受けて、どんどんと片付いていく。

 いちいち思い出して比べるまでもなく、過去最高のはかどり方だ。

 ひと段落すると俺はシャーペンを置いて背伸びをする。

 全身からミシミシという音が聞こえてきそうだった。

 それなりの時間、集中してやれていた結果だろう。


「今日はこれくらいにしておきますか?」


 俺と同じくシャーペンを置いたデジーレがそう尋ねてくる。

 時間は四時前だから、かなりの間頑張っていた事になるな。

 小早川は何も言わず、俺の方を見てきた。

 俺の判断に従うって事だろうか。

 

「そうだな。これくらいで」


 俺の言葉を聞いた小早川はシャーペンを置き、背伸びをする。

 「んん」と少し漏れ聞こえた声が色っぽく感じたのは俺だけの秘密だ。

 俺達三人は勉強道具を片づける。

 さて、今日はもうこのまま解散かな。

 俺がそう思っていると、デジーレが提案をしてきた。


「せっかくですし、購買か学食でお茶でもいかが?」


「この時間ならば、まだティータイムをやっているわね」


 小早川はその言葉を待っていたかのように応じる。

 そこで二人は黙って俺に視線を向けてきた。

 やっぱり俺が決めるんだな。

 俺を立ててくれているのか、それとも男が決断するべきだという考えが彼女達にあるのか?

 どちらにせよ俺の希望は決まっている。


「せっかくだからお茶をしていきたいな。つき合ってくれるかい?」


「喜んで」


 二人のお嬢様がたは微笑で応じてくれた。

 ここで断られていたらマジでへこんだだろうな。

 流れや場の空気的には、承知してくれるとしか思えなかったし。

 俺達三人は連れ立って外に出る。

 一歩出たところで小早川が質問してきた。


「それで? どちらにする?」


「購買にしよう」


 食堂は何となくお茶をするには敷居が高く感じられるからだ。

 小早川とデジーレだけならさぞ絵になるんだろうけどな。

 自虐めいた事を考えながらも足を動かし続ける。

 購買にたどりつくとばったりと高遠先輩と出くわした。


「あら、赤松君。ごきげんよう」


「こんにちは」


 高遠先輩は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐにクールな表情に戻って声をかけてくる。

 俺がそれに返事をすると、デジーレと小早川があいさつをした。


「まどか様ごきげんよう」


「ごきげんよう」


 美少女達が「ごきげんよう」と言葉を交わす光景は、未だに見慣れないんだよなぁ。

 さすがに違和感は覚えなくなっているけども。

 高遠先輩は髪を切ったらしく若干短くなっていたし、髪をサイドテイルにしていた。

 あいさつが終わったタイミングで訊いてみる。


「高遠先輩、髪形を変えました? とてもよく似合っていますよ」


「あら、ありがとうございます」


 高遠先輩は若干嬉しそうに口元を緩めた。

 頬も少し赤らんでいた気もするけど、きっと違う理由だろう。

 そう思いたいところだ、主に同伴者からの反応的に。

 同級生の女子達は俺が高遠先輩を褒めたのが気に入らなかったのか、それとも高遠先輩だけを褒めた事が気に食わなかったのか、不機嫌そうな空気を発していた。

 それに気づいたのか、高遠先輩は少し意味ありげな視線を俺に向けてから去っていく。

 まだ仕事があるのだろう。

 高遠先輩がこの場からいなくなった事で遠慮がなくなったのか、二人の女子は冷ややかな視線を浴びせてきた。

 俺に被虐趣味があるのならばあるいは喜んだかもしれない。

 しかし、あいにくとそんな趣味はこれっぽっちもなかった。


「小早川のその髪型は新鮮で驚いたよ。デジーレはいつも通り美人だった」


 必死で褒め言葉を捻り出して口にする。


「まあ、許してあげましょう」


「そうね」


 二人の女性達は大して感銘を受けなかったらしく、そんな事を言う。

 ただし、やや頬が紅潮していて目が泳いでいたので、効果がなかったというわけではないようだ。

 これを指摘するときっと藪蛇になるので黙っておこう。

 それにしても女の子達っていちいち褒めなきゃいけないのは面倒くさいな。

 そんな気の利いた言葉がぽんぽん出てくるわけがないのに。

 けどまあ、英陵で生活していく以上は慣れなきゃいけないんだろうなあ。

 そっと内心でため息をつきながら、俺はコーヒーとサンドウィッチを注文した。

 デジーレと小早川は紅茶とスコーンである。

 イギリスかと少しだけ思った。

 どこにしようか迷ったけど、食堂に移動する事にする。

 敷居が高いと敬遠しておいてなんだが、やはり夏に外は厳しい。

 だからと言って涼しくてお茶を楽しめるスポットは思いつかなかった。

 幸いな事に購買で買って食堂でお茶をするという行為は、決して珍しいものじゃない。

 俺達以外にも利用者はいた。

 入り口付近があいていたのでそこに座ろう。

 まずは飲みものに口をつけてのどを潤す。

 少し時間を置いてから、小早川が口を開いた。


「水泳の事なんだけれど、赤松君はいつぐらいがいいかしら?」


 それか。

 ホントにいつでもいいんだけど、今言ったら信じてくれるのかな。

 信じてくれても話が進まない気はするな。


「皆はどうなんだい? 俺の方は融通が利くから、できるだけあわせようと思っているんだけど」


 我ながら悪くない答えだったと思う。

 質問を質問で返すような真似は悪手だろうけど、そこは同級生のよしみという事で目をつぶってもらえたら。


「八月の二日と四日かしらね。主だった人達の都合がいいのは」


 小早川はよどみなく答える。

 どうやら既に皆に訊いて回っていたらしい。

 仕事が早いのはさすがと言うべきか。


「じゃあ、二日はどうかな?」


「構わないと思います」


「ええ」

 

 俺の提案に二人とも賛成してくれたので、八月二日に決定だ。


「何かあればデジーレから連絡してもらうわね」


「うん」


 そう言えば俺と連絡先交換してもいいか悪いか、そのへんはどうなったんだろう。

 何も言ってこないって事は……俺からは訊かない方がいいのかな。

 

「場所は私の家ね。メンバーについてはまた後日になると思うわ」

 

 てきぱきと答える小早川の言にうなずきかけたけど、問題があるのに気づく。


「了解って、俺は小早川の家を知らないんだけど」


 困惑を浮かべると、委員長殿はくすりと笑った。


「デジーレ達がやったように、家の車を学校前まで回すわ」


「そ、そうか」


 またあれなのか。

 いや、小早川の家も高級住宅街とかにあるんだろうし、そこに徒歩や自転車で行くよりはマシだけどね。

 俺は表情がひきつるのを必死で抑えていた。


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