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はいそっ  作者: 相野仁
五話
51/114

2

結論から言うと、小早川とデジーレに勉強を見てもらえる事になった。

 ただし彼女達にも予定があるので、実際に見てもらえるのはテスト一週間前の今日からである。

 夏休み前でも短縮授業がない英陵だけど、テスト一週間前は午前中で終了なのだ。

 そして部活も生徒会活動も休みになる。

 正直、本気でよかったと思う。

 「テスト前にいちいち勉強期間を設けないのも上流階級のたしなみ」とか言われたら、お手上げだったからな。

 そして俺はいったん家に帰り、昼ご飯を食べてからデジーレの家に行く予定だ。

 いくら何でもお嬢様達を我が家に招くわけにはいかないからな。

 いや、俺はもう気にしない事にしているんだけど、両親はそうもいかないだろう。

 それに千香の奴も今日から帰宅が早いし。

 あいつがうちのお嬢様連中と出会ったら、スーパーハイテンションになって話しかけまくるであろう事は目に見えている。

 避けられる地雷は避けるのは基本だ。

 用意されていたそうめんを流し込むとさっそく服を着替えて準備を始める。

 待ち合わせは十四時だけど、少し早めに行った方がいいだろう。

 本日はデジーレの家の車がやはり校門前で待っていてくれる。

 もはやお馴染みになってしまったので、今更気にしてなんかいられないな。

 それよりも、お嬢様達の服装を褒める事を考えた方がいいだろう。

 過去も自分なりに褒めたつもりだったけど、妹には「もう少しバリエーションがないと」と忠告されてしまった。

 何でも「女の子は褒められるのは嬉しいけど、他人と同じ事言われるのは不満なんだよ」との事らしい。

 「褒めておけばいいんだろう」という考えが透けて見えるのがマイナスなんだとか。

 しかし、どう言えばいいんだろうか?

 今日勉強を教えてもらうのはデジーレ、それと相羽が一緒だ。

 勉強という名目があろうとも、そして相手の家でやろうとも、年頃の男と二人きりというのはまずいからである。

 当然の事なので俺は腹を立てたりしなかった。

 むしろデジーレや小早川みたいな美少女と、部屋で二人きりになったら俺の精神が摩耗して死にかねない。

 それとも理性が崩壊する恐れもある。

 どちらも芸能界で活躍していると言われても違和感がない、とても魅力的な女の子達なんだから。

 女の子達の外聞だけでなく、俺自身にも配慮された判断だと思う。

 念の為、制汗スプレーを吹きつけ、更に口臭対策ガムを噛む。

 更に身だしなみチェックも怠らない。

 毎日やっている事ではあるが、学校よりもお嬢様の実家の方が緊張するものだ。

 まして今日行くデジーレの家は、外国の貴族なんだから。

 ……そう言えばあいつは留学中なんだよな?

 家はどうなんだろう?

 親御さんと一緒なんだろうか?

 それとも一人でいるのかな?

 いや、それはないか。

 貴族令嬢が一人で外国に留学するとか考えにくい。

 そもそも迎えの車を出してくれるわけだしな。

 最低でも誰か身の回りの世話をする人間を連れてきていると考えるべきだろう。

 英陵は上流階級の子女でないとお断りだが、上流階級ならば誰でも入れるわけではない。

 要するにいくら家柄がよくても経済力がないと論外なのである。

 むしろ「成金」的な家であっても経済力があればオーケーのはず。

 つまるところ、デジーレの実家も充分大金持ちのはずなのだ。

 使用人の一人や二人、常駐させる事くらいわけもないだろう。

 家族がいないなら少しは気が楽になるな。

 もっとも、何かあればすぐ報告が行くんだろうけど、それでも相羽家や桔梗院家に行った時よりはマシじゃないだろうか。

 そう思わないと緊張してしまってダメだ。


「うし、行くか」


 荷物と身だしなみのチェックを今一度やり終えた俺は、自分に発破をかけて家を出る。



 校門のところで待っていると、赤いスポーツカーがやってきた。

 高級外車には違いないんだろうけど、今までに俺が見た車とは明らかにベクトルが違う。

 運転しているのは、黒いサングラスをかけた金髪の女性だ。


「あなたがヤスヒロ・アカマツ?」


 目の前に車を止めた女性がそう訊いてくる。

 流暢ではあるものの、外国人である事がはっきりと分かる発音だった。


「はい、そうです。デジーレ……バズゼール家の人ですか?」


 普通に言いかけてしまい、慌てて訂正する。

 外国人は知り合いならファーストネームで呼び合う事も珍しくないようだが、お貴族様の場合はどうなのか分からないからな。


「ええ。乗って下さいな」


 女性はにこりともせずに促し、すぐに前を向いてしまう。

 使用人にしてはずいぶんと無愛想な人だな。

 相羽や桔梗院の家にいた人達とは天地の差がある。

 日本人と外国人の差だからか?

 OMOTENASHI、という単語が頭をよぎる。

 けど、今言っても仕方ない事だ。

 俺は馬鹿な考えを頭から追い払うと助手席に座る。

 ほとんど間を置かずに車は発進した。

 実に滑らかな発車に驚かされる。

 がさつでぶっきらぼうなイメージがあったけど、運転は丁寧で上手じゃないか。

 どうも知らない間に変な先入観を抱きかけていたらしい。

 改めた方がいいな。

 本当でがさつで乱暴な人間に、こんな優しくスムーズで同乗するのが快適でしかない運転は無理だろう。

 ましてや癖が強そうな外国車なんだし。

 ちらりと横目で運転席を見る。

 女性はデジーレと同じ髪の色で、赤い口紅をさしていた。

 肌の色は白いし化粧っ気もあまりない。

 サングラスが邪魔だけど、普通に欧風美女の可能性は高そうだ。

 服は水色の半そでシャツ、そして何とショートパンツである。

 露わになっている白い太ももが眩しくて、慌てて視線を前に戻した。


「初心な子ね」


 小声でつぶやかれたが、俺の耳にははっきりと届く。

 頬が熱くなるのを抑えられない。

 さりげなく横目で見ていたつもりだったが、しっかり気づかれていたようだ。

 それにしても一向に使用人らしくない格好だな。

 俺が見た人達はほぼ執事服かメイド服だった。

 メイドの本場や本家は外国のはずだけど……そういう服装が存在しない国なんだろうか。

 疑問が湧いてくるものの、まさかこの人に訊くわけにもいかない。

 そこまで考えたところでふと閃く。

 服装について質問すれば、何も下心丸出しの視線を向けていたわけじゃない、と分かってもらえるんじゃないか?

 やってみる価値はあるな。

 いやらしい視線で自分の体を見ていた、とデジーレやその家族に報告されたらたまらないし。

 デジーレは意外と笑って聞き流してくれるかもしれないけど、家族相手には致命的だろう。

 唇を軽く舐めてから声を発した。


「いえ。服装なんですけど、そういうもので怒られないんですか?」


「もう暑い季節なのよ? 何を言っているのかしら?」


 女性は怪訝そうに答えてくる。

 あれ、何かおかしくないかな……?

 使用人が勤務中にそんな恰好をしていてもいいのかと訊いたつもりなのに、どうして季節云々って言われたんだろうか。

 どうして食い違っているんだろう?

 それとも俺が言った事を理解できなかった?

 ……この可能性は低いと思う。

 ここまで日本語を流暢に話せるのに、俺が言いたい事が分からないはずもないだろう。

 じゃあどこかに勘違いがあるのか……?

 そうは思ったものの、それが何なのかまでは分からない。

 仕方がないので黙り込んでしまう。

 女性も特に話しかけては来ず、沈黙が車内にやってきた。

 正直、かなり気まずいがどうしようもない。

 いくつか信号を通過した後、車は左右に曲がっていく。

 そしてとある建物の地下へと進む。


「ここよ」


 女性は短く言っただけである。

 俺は驚きつつも半分は納得した。

 何故ならば「超高級マンション」として有名なところだったからだ。

 高級ホテルさながらの外観で、月の賃料が百万以上だとか、ガードマンとコンシェルジュが二十四時間体制で詰めているとか、噂になっていたほどである。

 入口に近づくと遮断機があり、更に制服を着たガードマンが二人立っていた。

 女性が遮断機ところでボタン操作すると、音を立てて機械は道を開ける。


「暗証番号ですか?」


「ええ。部屋の番号と暗証番号の両方が必要なの」


 それは厳重だな。

 ガードマンが見ている前でやらなきゃいけないのか。

 それでも絶対安全とは言い切れない気もするが、今言う事じゃないよな。

 地下でも明るいのは予想通りだし、止まっている車が全て高そうなのも想定の範囲内だ。

 普通の車なら新車でも買えそうな家賃を、毎月払っている人達の集まりなんだから。

 ある場所に車を止め、女性はエンジンを切ってキーを抜いた。


「さあ行きましょう。デジーが待っているわ」


 この時になって俺は初めて、この女性がただの使用人ではないのかもしれないと思い始める。

 一介の使用人が、雇い主のお嬢様の事を愛称で呼んだりはしないだろう。

 仮にそれくらい親しい関係だったとしても、客である俺の前で言ったりするだろうか?

 単純に考えるのであれば、客の前で呼んでも問題にならない関係という事になるんじゃないだろうか。

 俺はそこで思考を中断する。

 女性が後に続くように促し、先に進み始めたからだ。

 ここで置いて行かれると迷子になるのは必至である。

 それどころか不審者と見なされ、警察を呼ばれたりするかもしれない。

 俺と家族だけじゃなくて、デジーレにも迷惑をかけてしまうだろう。

 駐車した場所から歩いて一分ほどのところにエレベーターがぽつんとあった。

 ドアは自動式ではなく、暗証番号を入力しなければいけないようである。


「厳重なんですね」


 今度は声に出す。

 女性はうなずいてから言った。


「ええ。暗証番号と部屋の番号を入力するのは同じだけれど、打ち方が違っているの。単にこの二つの番号を知っているだけじゃ、中には入れないというわけ」


 それはすごい。

 しかし、住んでいる人間も覚えておかなきゃいけないから大変だな。

 それだけの事をしなければならないような金持ちが住んでいるって事なのかもしれないが。


「この国は治安がいいけれど、それでも犯罪が起こらないわけではないでしょう?」


「その通りですね」


 日本人として否定できないのは悔しいが、確かに女性の言う通りである。

 まして金持ちとなると余計に起こりやすいだろう。

 デジーレは目の覚める美貌の持ち主で、スタイルもいいのだから。

 かくして話をしているうちに、エレベーターが「チン」と鳴って止まった。

 女性に促されて俺は十二階で降りる。

 何と言うかホテルのような見た目と雰囲気を持つところだ。

 残念ながら、俺が知っているホテルよりはずっと上等そうである。

 オリエンテーション合宿の時に止まった建物も立派だったけど、それを上回っているんじゃないだろうか?

 まあ、あれは年に数度しか使わない建物らしいから、あまり凝らなかった可能性もあるんだが。

 女性の後に続いて歩いていると、奇妙な事に気づく。

 部屋の番号は出ているのだが、どの部屋にも表札がない。

 出さないのが超高級マンションの流儀なんだろうか?

 疑問を口に出して尋ねてみると、女性は「ああ」と言ってから教えてくれた。


「この階、そして上と下の階は全てバズゼール家が借りているからでしょう」


「……はい?」


 この女性は今なんて言ったんだろうか。

 階を丸ごと借り切っている?

 それも一つだけじゃなくて、上下とも?

 思わず足を止めてしまった俺に向かって怪訝そうな顔を向けられた。


「デジーはまだ若い娘です。少しでも安全を確保し、快適な生活をさせる為には当然でしょう?」


 ざっと見た限りだが、一つの階に部屋は二十ほどあるようである。

 三階で六十だから、年間当たりの賃料は六億を超えるはず。

 単純な計算なんだけど、娘の為に毎年六億の家賃を払うのは当然だと言い切るバズゼール家の金銭感覚はどうなっているんだろう。

 それとも貴族ってそれくらいの金を持っているものなのか?

 俺の変な顔を見て女性はため息をつく。


「あなたの立場は知っているけど、いちいち驚くと身が持たないと思うわよ」


 ご忠告ごもっとも。

 既に感覚はマヒしているつもりでいたが、所詮は「つもり」でしかなかったという事だ。

 スケールのデカい衝撃は今後も来るだろうから、今のうちから心の準備はしておいた方がいいよな。

 真顔でうなずいてみせると女性は軽く息を吐き、一つの部屋の前のインターフォンを鳴らした。


「お客様をお連れしたわ」


 応答に対してそう言う。

 扉がすぐに開けられたが、さすがに自動ではなく手動だった。

 開けてくれたのは、二十代と思しき若い女性である。

 こちらの方は典型的なメイド服を着て、カチューシャをつけていた。


「いらっしゃいませ、赤松様。フリーダ様もお疲れ様でした」


 黒い髪の女性は流暢な日本語を話したが、どう見ても外国人である。

 目は茶色だし、彫の深い顔立ちをしているのだ。

 と言うかメイドさんに様づけで呼ばれたって事は、フリーダさんは偉い立場なんだな。

 納得していると当の本人が口を開いた。


「言ってなかったけど、私はフリーダ。デジーレとは……日本語ではイトコになるのかしら」


 イトコの部分を特に言いにくそうな顔で説明してくれる。

 ああ、従姉妹だったのか。

 呑み込めたものの、別の疑問が沸きあがる。

 招待主の家族が迎えに来るってどういう事?

 訊けないけどな。

 少なくともこの人達には。

 デジーレに訊いたら教えてくれるだろうか?


「あら、ヤス。いらっしゃい」


 ある意味絶妙なタイミングでデジーレが姿を見せた。

 インターフォンを鳴らしたんだから、偶然とは言えないけど助かった事は確かである。


「お邪魔します」


 そう言って軽く頭を下げた。

 そんな俺に対してフリーダさんがからかうように声をかける。


「日本人ってすぐに頭を下げるのねえ。私達の故郷だと、そういう時は抱きしめるのよ?」


「それはちょっと……」


 デジーレを抱きしめるのが嫌だという事はない。

 むしろ逆で、嬉しすぎる。

 自分の理性に自信を持てないから、できれば遠慮したいのだった。


「フリーダ、ここは日本なのよ。日本の流儀に従いなさい」


 デジーレは彼女にしては珍しくツンと澄ました表情で、鋭く言い放つ。

 普段は穏和で人当りのいい姿しか見ていないだけに、新鮮な驚きもある。

 元が抜群にいいから、女王様然とした態度も似合ってしまう。

 美人って得だよなと思った。

 注意されたフリーダは肩を竦めてから面倒くさそうに謝罪する。


「はいはい、ごめんなさい」


 明らかに謝意がこもっていない言葉に嘆息し、デジーレはその青い瞳をこちらに向けた。


「ヤス、この子がごめんなさいね。どうしてもヤスの事を見てみたいってワガママを言うものだから」


 なるほど、謎は解けた。

 俺がどういう男か、デジーレが招いた男がどんな奴なのか、好奇心を刺激されたのだろう。

 それならば一応の説明はつく。


「そりゃ気にはなるでしょ。デジーレが年の近い男の子を家に呼ぶなんて初めてだし。伯父様が知ったら、飛び上がって驚くでしょうね」


 フリーダさんは楽しむように口元を緩める。


「フリーダ?」


 そんな人に向けられる、威厳と迫力を備えた一声。

 こ、怖い。

 俺は本気で縮み上がったが、フリーダも堪えたらしい。

 ペロッと舌を出して謝罪する。


「ごめんごめん、言ってみただけだから」


 今回はかなり焦っている事が伝わってきた。

 デジーレが怒ると怖いのは確実だな。

 女王様みたいな見た目と迫力があるんだから、当然と言えば当然だが。

 ていうか、デジーレの親父さんには内緒なのか?

 それっていいのか?

 一瞬思ったけど、一緒にテスト勉強するだけだしな。

 いちいち親に報告する必要もないだろう。

 デジーレが貴族令嬢でさえなければ。

 一般庶民はともかく貴族ともなればしなければならないのかもしれない。

 そう思って同級生の顔を見ると、安心させようとしているかのように笑顔を向けてくる。


「フリーダの戯言は気にしなくてもいいのですよ。困っている人間に手を差し伸べるのだから、むしろバズゼール家の名を輝かせる事になります」


 それはさすがに誇張だろうと思わないではなかったが、俺の為に言ってくれたのだから俺が否定するわけにはいかないよな。

 黙って好意を受けとる事にしよう。

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