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はいそっ  作者: 相野仁
五話
50/114

1

 もうすぐ七月だ。

 俺にとって楽しみな日と憂鬱な日が同時に来る、厄介なシーズンである。

 楽しみな日と言うのは水泳の授業だ。

 他校ではどうだか知らないが、ここでは男は俺一人である為、水泳も男女合同で行われる。

 当然、女子の水着姿を見放題だ。

 指定のスクール水着ではあるが、だからこそ色々と……。

 視線を悟られないよう、ゴーグルでも用意しておいた方がいいかな。

 ごほん、ずっと我慢してきたものの、俺だって健全な男なのだという事で了承願いたい。

 英陵は七月に入っても短縮授業はなく、水泳は強化授業という事で二週間で九回も行われる。

 いざと言う時に泳げるのも淑女のたしなみ、という事らしい。

 よく分からんけど、俺にとってはいい目の保養になるので不満はなかった。

 そして今一つ、俺が憂鬱な理由。

 察しのいい人はとっくに気がついているだろうけど、期末テストなんだ。

 成績の悪い人間は夏休み返上での補習が待っている、例のアレである。

 以前に行われた中間テストは微妙な出来だった。

 国・数・英・化学・日本史のどれも六十点は取れたんだが、クラスの平均が六十二点、学年平均が六十四点だったのである。

 それを聞いた時、目が点になったのは責められない……と思う。

 もしかしなくても、俺は足を引っ張る側の人間だったのだ。

 俺の点数を知った女子達の、何とも形容しがたい表情が忘れられない。

 慰めるような、仕方がないと言わんばかりの様子はきつかった。

 今度のテストでは、何とかして平均点は上回りたいものである。

 と言うか何で皆、勉強できるんだ……いや、何となく想像はつく。

 真面目でいい子達ばかりだし、家庭教師を雇ったり塾に通ったりする金に困るような家はない。

 むしろ成績が悪いと家の恥だと言わんばかりに勉強させられているのかも。

 ……うん、少なくともうちのクラスにいわゆるがり勉タイプっていないから、ちょっと無理があるかも。

 とにかく、何とか成績アップに努めないと、またしてもクラスの足を引っ張ってしまう事になるのだ。

 開き直ってしまえば精神衛生的にいいのかもしれないが、あまり女子達に失望されたくはない。

 笑われるかもしれないけど、俺には俺なりのプライドがあるんだ。

 この場合は単純な見栄かもしれないけど。

 ともかく、俺は勉強に必死である。

 どうすれば成績アップをするのか。

 宿題と予習復習をしっかりすればいいと言われるかもしれないが、それだけじゃ厳しい。

 少なくとも中間テストの時もこのあたりはきちんとしていたのだ。

 と言うか、レベルが高い学校なのでそのあたりをサボるとついていけなくなってしまう。

 さっきも言ったけれど、俺には俺なりのプライドがある。

 女の子達にあまり頭が悪い奴とは思われたくない、というつまらない類のものなんだけど。

 でも、それだけじゃダメなんだよなぁ。

 ホント、どうすればいいんだろうか?

 先生に訊いてみようかな。

 少なくとも小笠原先生なら、快く教えてくれるだろう。

 放課後、生徒会の先輩達にあらかじめ断りを入れてから職員室へと向かった。

 小笠原先生は大概、職員室か顧問をしている美術部にいるかのどちらかだ。

 美術部とは接点がないし、何となく近づきにくいから、職員室にいてくれると嬉しいんだが。

 俺の願いが通じたのか、小笠原先生は自身の席にいた。

 

「失礼します」


 俺が一声かけて入室すると、すぐに視線をこちらに向けてくる。


「おや、赤松君。どうかしましたか?」


 怪訝そうな先生に向かって俺は教科書を見せた。


「分からないところがあるので教えて下さい」


「あら」


 先生はくすりと笑って快諾してくれる。

 どこか嬉しそうだったのは気のせいだろうか。

 うん、気のせいであっても迷惑そうにされなかったのは大きい。

 隣の席の先生が不在なので、椅子を拝借する事にする。


「それで、どの科目ですか?」


 先生が秀麗な顔を寄せて尋ねてきた。

 他意はなかったんだろうけど、俺はドキリとしてしまう。

 シャンプーと化粧品の匂いがわずかにだけど漂ってきたからだ。


「えっと、できれば全科目を……」


 俺は気を取り直して、それでいて恐る恐る申し出る。

 さすがに期末テストの対象となる九教科全て、と言うのは恥ずかしかったのだ。

 相手が先生なのである程度はマシだけど。


「あら、そうでしたか」


 先生は目を瞬かせたものの、笑ったりはしなかった。

 それに救われるような気持ちになる。

 こういう事ってやっぱり笑うような人には頼めないもんな。


「でも、私ではなく同じクラスの子達に訊いてみるのもありだと思いますが。恥ずかしいですか?」


 優しく訊かれたので、俺はややためらいがちに答えた。


「それもあります。けど、それ以上に誰に頼めばいいのかよく分からなくて……」


 途中で言葉を濁してしまう。

 誰が成績がいいのかは一応それなりに把握しているつもりだ。

 だが、誰がどの教科を得意としているかまでは知らない。

 訊けば教えてもらえるとは思うものの、何となく訊く気にはならなかったのだ。


「そうでしたか」


 小笠原先生はあくまでも柔らかな口調を貫く。


「成績がよいと言うならば、やはり小早川さんですね。語学力ではバズゼールさんです」


 やっぱりこの二人か。

 俺は先生からの情報に驚きはしなかった。

 確か小早川がクラスで一位でデジーレが二位だったもんな。


「それに教えるという意味ならば、内田さんか高遠さんがいいかもしれませんね。同じ生徒会役員のメンバーでしょう?」


「はい」

 

 先輩達か……選択肢がないわけじゃなかったけど、それでも同級生達以上に気乗りがしない。

 そんな俺の心情を読み取ったのか、先生は小首をかしげた。

 大人の女性なのにこういう動作をした途端、可愛らしく見えるから反則だと思う。


「気が進みませんか? 同級生達よりは頼みやすいかと思ったのですけど……それならば、既に頼んでいましたか。ごめんなさいね」


 申し訳なさそうな顔をした先生に慌てて答えた。


「いいえ、先生は何も悪くないです」


 どちらかと言うと俺が情けないのが原因だからな。

 それとも意気地なしって言うべきだろか。

 ……どっちでも変わらないな。


「どうしても頼みにくいなら、先生達が教えますけど、しかし赤松君もクラスメイトと接点を増やす努力をした方がよいですよ」


 ごもっともです。

 ただ、接点を増やす為の方法が情けないよなって話だったんだが。

 ああ、でも考えてみれば、クラスメイト達は俺の成績の事を大体は知っているよな。

 ここで頼らなかったら、意地を張ってカッコ悪いみたいに思われるんじゃないだろうか。

 どうせかっこ悪いなら、素直に頼った方がまだマシかもしれない。

 周囲の評価を気にしすぎているきらいはある。

 でもな、実質男は俺一人なんだぞ?

 うっかり評価を下げてしまったら地獄に転落する事くらい、さすがにもう想像はできる。

 だから細心の注意を払わなきゃいけないんだ。

 仲よくなれば、大概の事は許してもらえると思うけど、それでも合宿の時みたいな事は勘弁してほしい。


「分かりました。小早川あたりに頼んでみます」


「ええ、そうするといいでしょう」


 小笠原先生は素晴らしい笑顔で送り出してくれた。

 思わず惚れてしまいそうになる。

 まあ、俺なんかが告白しても相手にしてくれないだろうな。

 美人で性格もいい人だから、いい男をよりどりみどりだろうし。

 そういう意味じゃ、この学校の女子達も同じようなものかな。

 俺から見て可愛いと思わない子がいないとか、どこの美少女ゲームの世界って感じだしな。

 もっとも、例外なくお嬢様揃いだから、自由に恋愛できるのか分からないけど。

 やっぱり上流階級のお嬢様と言えば、政略結婚ってイメージが強い。

 実際にデジーレなんて貴族様らしいし。

 ……うん、少なくともきっかけがないと訊ける事じゃないよな。

 尋ねても無視されたりはぐらされたりしないだろうと思えるくらいの関係は築けていると思うが、だからと言って藪から棒に問いかける勇気はない。

 馬鹿な事を考えるのはこれくらいにして、生徒会室へと向かおう。

 そう、今日も生徒会は活動しているのである。

 テスト対策の為という理由で、特別に許可されたのだ。

 もしかすると先輩達は、俺の成績をある程度知っているのかもしれない。

 と思うのは考えすぎ、あるいは穿ちすぎだろうか。

 時々女子生徒達とすれ違うが、彼女達の視線からは好奇心が見られなくなった。

 何とか彼女達の日常の一部に溶け込めたのだと思う。

 そう考えると少しほっとした。

 このまま何とか三年間過ごしたいものだ。

 大学にも行けるならプラス四年になるけど、今はまだ気が早い。

 生徒会館に入ると、既に先輩達は揃っていた。

 当たり前と言えば当たり前なのだが、やはりバツが悪く思える。


「お疲れ様です」


 俺がそう声をかけると、約一名を除いて微笑で応じてくれた。

 例外はもちろんと言うべきか、内田先輩である。


「あれ、ずいぶんと早かったね? 何かあったの?」


 目を丸くしてストレートに尋ねてきた。

 良くも悪くも歯に着せない性格なのだろう。

 別に今回は何もないんだから、一向にかまわないんだが。


「ええ。先輩達やクラスメイト達に訊いた方がいいんじゃないかと言われまして」


 照れ笑いを浮かべて頭をかく。


「なるほど。それもそうですね」


 高遠先輩はそう相槌を打つ。

 先輩達も賛成なのか。

 俺なりに接点を持つようにしているつもりなんだけど、周囲から見たらまだまだなのかな。


「じゃあ、お姉さんが優しく教えてあげようか?」


 内田先輩が悪戯っぽい表情で、茶化すように言ってくる。

 俺にしてみれば渡りに船だ。


「はい、お願いします」

 

 頭を下げて頼むと、先輩は当てが外れたのか、目を白黒させる。

 それを見ていた他の先輩達が一斉に笑い声を立てた。

 と言ってもどの先輩も口元を手で隠してくすくす笑う、上品なものだったが。


「ちょ、あれ?」


 内田先輩は何度も首をひねる。

 俺が頼ってくるのがよほど意外だったらしい。


「自分で言うのもなんだけど、私でいいのかしら?」


「はい」


 俺は再び即答する。

 またしても驚いている先輩に本音を明かした。


「だって先輩、ずっと学年一位をキープしているんでしょう? とても頼もしいです」


「そ、そう……」


 先輩は何やら眩しそうに目を細めて視線をずらす。

 少し不本意そうなのはどうしてだろうか。

 学年一位の学力をアテにしている、という言い方がまずかったかな?

 しかし、他の先輩達もいるところで「先輩がいい」みたいな事を言うわけにはいかないだろう。

 下手をすれば退学になりかねない。

 いや、姫小路先輩達だから、話せば分かってくれる可能性の方が高いとは思うけど。

 けどまあ、わざわざ龍の逆鱗に触れたり、虎の尾を全力で踏みに行くような真似をする事もないよな。


「そういう事でしたら、私も力になれると思いますよ?」


 高遠先輩が咳払いをした後、そう申し出てくれる。

 これはちょっと意外だった。

 こういう時に声をあげそうなのは、姫小路先輩と水倉先輩だったからだ。

 藤村先輩や高遠先輩は、少し引いている場合が多いイメージだったのである。


「ありがたいのですが、ご迷惑では?」


 つい、そう尋ねてしまう。


「私の時とは反応が違う……」


 内田先輩が不満そうな声を漏らす。

 あ、この表情は拗ねているな。

 この人も小笠原先生とは違った意味で、年上らしからぬ可愛さがある。

 

「智子さん一人に頼む方がかえって迷惑ではないかしら?」


 高遠先輩はメガネをくいっとあげながらそう言った。

 どこか冷淡で皮肉っぽく聞こえたのは、被害妄想だろうか。

 しかし、指摘された内容な実にもっともな事だ。


「そうですね。ごめんなさい」


「分かればいいのですよ」


 ふっと表情を和らげる。

 クールで怜悧な女王様みたいな顔つきから、優しい慈母のような顔へと。

 このギャップは本当に反則だと思う。

 高遠先輩が怖がられているのは、きっと前者しか知らないからだろうな。

 後者の方を知っている人間がもっといれば、今よりもずっと人気があるだろうに。

 もったいないと思うのと同時に、知っている人間が少なく、その中に俺もいるというのがちょっとした優越感なのも事実だ。

 我ながら浅ましい奴だな。

 反省した方がいい。

 

「私は別に平気ですけど」


 内田先輩は心外だと言わんばかりに声をあげたが、高遠先輩のひと睨みで黙ってしまう。

 うん、怖がられる理由は分からなくもないな。


「それで赤松君」


 姫小路先輩が空気を変えようとするように言葉を発した。


「どれの科目が苦手なのですか?」


 当然の質問ではあるな。

 さて、全科目と言うべきなんだろうけど、さすがにちょっとためらってしまう。

 そうかと言って言わないという選択肢もないしな。

 一、二秒悩んだ後に正直に答える事にした。


「できれば全科目をお願いしたいんです。中間テストでは今一つだったんで」


 恐る恐る言ってみると、先輩達は個人差はあれど「あら」とか「まあ」とか言いたそうな顔を作る。

 より正確に言うと声には出さなかっただけで、表情で言っていた。

 恥ずかしかったけど、これは仕方ないだろう。

 中間でいい成績をとれなかった俺が悪いんだから。

 訊くは一時の恥だったけ?

 一生の恥にならないよう、今のうちに取りかえせばいいんだよ。

 そう自分に言い聞かせる事にする。


「九科目となると、少し大変かもしれないわね」


 水倉先輩がみずみずしい唇に人差し指を当ててつぶやく。

 その仕草も可愛らしいが、今はそれを楽しむ余裕がない。


「ごめんなさい」


 穴があったら入りたい心境で俺は目を伏せて言う。


「いいえ、いいのよ」


 水倉先輩は慌てて手を振って否定するが、気を使われている感は否定できない。

 さすがに全科目というのは図々しすぎたよな。

 小笠原とデジーレに頼んでみようか?

 いや、二人になら図々しく頼めるっていうわけじゃない。

 あいつらに得意科目を頼んでみて、その残りを先輩達にって考えたのだ。

 英語はデジーレに教わるのが一番の気もするし……いや、待てよ?

 デジーレにしてみれば英語は子供の頃から慣れ親しんでいる言葉かもしれない。

 それを俺に上手に教える事なんてできるんだろうか?

 デジーレがきちんと教える事ができたとしても、俺に理解する力はあるんだろうか?

 ……こういう事を考えだすときりがないな。

 とりあえずはデジーレに言ってみて、ダメだったらその時また考えるって方針でいった方がいいかもしれない。

 となると、この先輩達に言わないわけにもいかないな。


「あの先輩がた、実はですね……」


 俺は小笠原先生に言われた事を伝えた。


「同級生に教えてもらえるなら、その方がいいんじゃないかしら?」


 姫小路先輩は特に気分を害した様子もなく、右手を頬に当てながら小首をかしげる。


「そうですね。その方がいいとは思います」


 高遠先輩も賛成はしたけど、ポーカーフェイスの為、感情が読み取れない。

 一体何を考えているのか、想像するのが怖いな。

 姫小路先輩が俺よりの意見を出した以上、悪い事にはならないと思うけど。

 色んなところで絶対的な影響力を持っている人だからな。

 この人が味方でいる限りは安心、みたいな奇妙な法則がある。

 俺の思い込みじゃないはずだ。


「まあ、赤松君の成績次第だけど、同級生に優秀な子がいるなら、そっちに頼んでみた方が何かといいでしょうね」


 内田先輩はどこか含みがある顔で意見を述べる。

 そういうものなのかね。

 まあ、自分達を無視して他の人に頼みごとをされた、となるとあまりいい気はしないかな。

 接点がない、あるいは大して親しくはない相手ならまだしも、友達と思っている奴にそんな事をされたら。

 つまり、俺って友達扱いされているって事でいいのかな。

 今更何を言っているのかと思われるかもしれないけど、女の子基準での「友達」がイマイチよく分からないんだよな。

 男なら一緒に遊びに行ったり飯を食ったり、共通の話題で盛り上がれたら友達って事でいいと思うんだが。


「分かりました、明日にでも頼んでみます。先輩達にはその結果次第……なんて事になってしまいますが、それでも構わないでしょうか?」

 

 全員うなずいてくれたので、ひとまずこの話は終わりを迎えた。


「喉渇いたでしょう? お茶をどうぞ」


 水倉先輩が優しくお茶を勧めてくれたので、ありがたくいただく事にする。

 うん、美味しい。

 本日も先輩達のお茶はいい味だった。

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