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お茶とお菓子に舌鼓を打った後、俺達は移動する。
相羽の家は我が家が二軒くらいは入りそうな広さだから、ダンスホールの一つや二つあったところでおかしくないな。
そもそも各部屋に移動するのに時間がかかる。
「でっかいなぁ。おっと、庶民丸出しでごめん」
俺は思わず感嘆の言葉を漏らした後、素に戻って赤面した。
いくら何でも貧乏根性が露骨すぎたんじゃないかな。
「気にしていないよ」
相羽は笑顔で手を振る。
百合子さんとデジーレも口元に笑みを浮かべてはいたものの、嘲るような感じじゃなかった。
そういう性格の子達じゃないのは今更だろう。
ただ、使用人の人達はどうかまでは分からないので、自重するようにしないとな。
いや、ホントこれで下の方とか、英陵は一体どうなっているんだ?
実は相羽が勝手にそう思っているだけだったりするんじゃないだろうか?
疑問は声に出せない。
百合子さんやデジーレの家に行く機会なんてないだろうけど、もしあったりしたら。
そして相羽の家が小さいなんて確信してしまう結果になったりしたら。
想像するだけでも恐ろしい。
移動するだけで軽く数分をかけて、俺達はダンスホールへ到着した。
学校の舞踊館よりは二回りほど狭い気がするが、立地的には仕方ない。
むしろこれより広かったりする方が異常だ。
「さっそくする?」
相羽の問いにうなずく。
だらだらお喋りをするというのも魅力的だけど、さすがに女子達相手だと話のタネも尽きてくる。
男友達や妹相手ならどんな馬鹿話だって平気でするんだが、それをお嬢様達にやったらドン引きだろうからなぁ。
さっさと練習してさっさと帰ろう。
こういう考え方はあるいは相羽達に対して失礼かもしれないけど。
相羽は部屋に備え付けられている音響機器のところへ行って、リモコンのボタンを押す。
すかさずワルツが流れ出した。
「さ、踊ろう?」
相羽が差し出してきた手を取る。
最初に相羽と踊るのは既定路線っぽい。
デジーレや百合子さんの様子を横目で見ながらそう思った。
あるいは俺が来るまでに順番を決めていたのかもしれないな。
その為だけに早く来ていた、なんて事はないだろうけど。
だって未だに誰の連絡先も知らない俺とは違い、三人は互いに連絡を取り合う手段くらいあるだろうからな。
相羽と踊り始めたけど、かなりやりにくい。
身長差が二十センチ以上もあるのが原因だろうか?
他にも単純に俺がヘタクソって理由もあるんだろうけどな。
相羽の足を何とか踏まないように気をつけてはいるが、その分余計にぎこちない。
油が切れたロボットみたいな感じ?
「上手くいかなかったね」
曲が終わって相羽はしょんぼりする。
「間違いなく俺のせいだな」
別に相羽を庇ったというつもりはない。
確かダンスの授業中、こいつは無難に踊っていたはずである。
つまり今回踊った相手が悪いという事になるだろう。
「まあまあ、その為の練習ですから」
百合子さんが穏やかにフォローをしてくれる。
それはその通りなので、これ以上言うのは控える事にした。
「休みますか? それとも続いて踊りますか?」
デジーレが尋ねてくる。
「踊るよ。一曲くらいじゃ全然疲れていないし」
これは意地でも何でもなく、ただの事実だった。
もっと長かったら精神的に疲れてしまったかもしれないが。
「では次はわたくしとお願いしますね」
デジーレが微笑みながら前に出てくる。
相羽はさっと身を引くし、百合子さんも自然とそれを受け入れていた。
やっぱり、順番みたいなものをあらかじめ決めてあったんじゃ……?
そう思ったものの、黙って白人美少女の手を取った。
いちいち言うのは野暮みたいなものなんだろう。
いくら俺でもその程度の事は想像ができる。
再び曲が最初から流れ始めた。
密着するとドギマギするのは、デジーレの方が発育がいいからだろうか。
ダメだ、余計な事を考えちゃいけない。
そう自分に言い聞かせるものの、柔らかな感触と甘い匂いが阻止してくる。
こんな雑念があるから上手くいかないんだろうに。
自分自身にイライラさせられる。
デジーレに気取られないよう、小さく息を吸って吐く。
これを二度繰り返し、意識の切り替えを図る。
相羽の時よりは踊りやすかったので、多少はスムーズに踊れたと思う。
相羽には悪いけど、パートナーってのも大事だという事がよくわかった。
踊り終えると相羽がぽつりと言う。
「やっぱり私じゃダメなのかな……」
聞こえてしまったが、反応に困る。
助けを求めて百合子さんに視線を送った。
「仕方ないですよ。踊りはそういうところがありますから」
さっそく慰めてくれる。
「うん……」
相羽も本当は分かっているのだろう。
すぐにうなずいた。
引きずらなかったらいいんだけどな。
「次は私ですけど、赤松様はまだ大丈夫ですか?」
百合子さんはうってかわって眩しい笑顔を向けてくる。
切り替えが早いと言うか何と言うか。
俺はまだ大して疲れていなかったので、首を縦に振っておく。
こういう事は体に覚えさせた方がいいんだろうしな。
相羽はそのままにしていいのかと思ったけど、デジーレがそっと隣に寄って行き、何事か話しかけている。
やがて相羽の頬が緩んだ。
何かリラックスさせるような事でも言ったのだろう。
長いつき合いなだけはあるな。
それを見届けてから百合子さんは俺の前に立った。
彼女も彼女なりに相羽の事を気にしていたんだろう。
全く無視して踊ろうとしたら、俺もドン引きだっただろうけどな。
百合子さんは俺に手を差し出しながら、改めて微笑みかけてくる。
ただし、どこかその表情はこわばっているように見えた。
もしかすると緊張でもしているのかもしれない。
自惚れや勘違いでなければ、百合子さんは俺に対してかなりの好意を抱いている。
ただの感謝の気持ちというにはさすがに行き過ぎているからな。
だから俺と踊るだけでも緊張してしまうのだろう。
「百合子さん、踊る前に深呼吸をしてみよう」
「あ、はい」
素直に俺の言葉にうなずき、右手を胸に当てて目を閉じる。
そして大きく深呼吸をして、目を開けた。
ややリラックスをした様子で俺に再度微笑む。
「ありがとうございます。少し楽になった気がします」
「いや、いいんだよ」
別に親切心だけで言ったわけじゃない。
今の俺にダンス中パートナーをフォローする余裕なんてあるはずもないから、先手を打っただけだ。
仲よく共倒れなんてならない為にもな。
どちらかと言えば打算の方が大きい。
言ってもあまり効果はないと言うか、百合子さんの場合感心する材料にされてしまいそうだから言わないが。
相羽がスイッチを押して曲を流す。
三曲目ともなればさすがに少しはましになったんじゃないだろうか?
そう思うのは自惚れかもしれないな。
相羽と比べたらデジーレや百合子さんは踊りやすい相手だ。
それに二人ともかなり踊るのは上手い。
デジーレと百合子さんならデジーレの方が上手だろうけど、百合子さんもなかなかのものだと思う。
何気なく誘導されている気がするのだ。
デジーレの時は気がつかなかったけど、もしかすると同じような事をされていたのか?
今回気づいたのは、百合子さんの方がわざとらしいのと、三曲目という事で慣れが生じたからかもしれない。
少なくとも、こっそりリードされている事に気づいたのは、俺が進歩した証と見なせるだろう。
たとえそれが微妙なレベルだったとしてもだ。
大切なのは少しでも上達していく事だよな。
そう自分に言い聞かせておく。
三曲目が終わるとさすがに少し休みたくなったのでその旨を皆に伝える。
「じゃあ少し休憩しよう」
相羽はそう言うと、インターホンの受話器をとって何かボタンを押した。
ほとんど間を置かずにメイドさんが複数入ってくる。
それぞれ椅子とテーブル、更にはお茶を持っていた。
いくら何でも早すぎるだろ。
これは事前に準備するように言っていたんだな。
むしろ俺が休憩するって言わなかったなら、いつまでも待たせていた事になるんだろうか?
だとしたら少し悪い事をしたかもしれない。
そう思って顔の動きで謝ると、そっと微笑まれた。
気にするなと言われたかのようだった。
これも仕事のうちっていう事だろうか。
「使用人の仕事を奪ってはいけない」という話は聞かされていただけに、納得して引き下がるべきなんだろうな。
職業人のプロ意識を舐めるべきじゃないって意味で。
運転手の人の運転技術も凄かったしな。
俺は空いている椅子に腰を下ろす。
四つの椅子はひし形、もしくは円状に置かれていて、俺の左が相羽で右が百合子さんだ。
「どうかな、俺の踊り?」
俺は紅茶を飲む前にそう質問してみる。
女の子達の目から見た率直な意見が欲しかったのだ。
三人はお互いの顔を測ったかのように同時に見て、うなずきあう。
まず口を開いたのは相羽だ。
「私は正直に言って踊りにくかったよ。でも、体格差とかもあるから……」
言いにくそうにしながらもはっきりと言われる。
確かに俺も踊りにくかった。
体格差とか相性だけで片づけていいものかどうか、俺じゃ分からないけど。
だからこそ女子に意見を求めたわけだが……。
次はデジーレが俺を見据えて言う。
「わたくしはだいぶたどたどしさがとれてきているように思いましたわ。何度も練習すれば、スムーズに踊れるようになると思います」
これは及第点をもらえたと受け止めていいんだろうか?
それともまだ伸びしろに期待できるから、ひとまずは合格にしておこうって感じなのか?
後者の気持ちでいた方がいいかな。
デジーレはあまりキツイ事は言わない性格っぽいし。
最後は百合子さんである。
この子からはどんな評価が飛び出すのか、正直予想できない。
「そうですね。ステップ自体は既に覚えていらっしゃるようですから、後はひたすら練習して数をこなすべきだと思います」
これまで俺に向けていたものとは違い、真剣な面持ちで言われた。
意外だと言うと失礼になるかな。
きっと俺の為を思って真面目に感想を言ってくれたんだろうし。
単に好意を持っている人間を無条件に肯定する、なんてキャラクターじゃなくてよかった。
少しだけ百合子さんを見直した、なんて言えば傲慢になってしまうだろうか。
「ありがたく受け止めるよ」
俺も表情を引き締めて、三人の顔を順番に見ながら答えた。
「要するに練習あるのみって事でいいか?」
簡単に言うと三人はコクリとうなずく。
まあ他に反応のしようもないだろうな。
身もふたもない言い方をしちゃっただけに。
でも直さなきゃいけない部分が特にないっていうのは、ある意味で気が楽だ。
ひたすら数をこなせばいいなら、時間が解決してくれるとも言える。
問題は、今日だけで何とかなるかどうかだな。
ダンスは練習するにも相手が必要だろう。
俺の場合は、相手に合わせて踊る部分がちゃんとできていないわけだから、なおさらに。
妹相手にやるわけにもいかないし、何度もこの面子に頼むのもなぁ。
今日ある程度できるようになればいいか。
と言うかそれしか道はない。
そう思って一つ気合を入れる。
もちろん心の中でだ。
表に出すときっと驚くからな。
こういう点でも女の子はやりにくいと思う。
こうして休みの日にわざわざつき合ってもらえている事には感謝しているんだけど。
「そろそろ練習を再開してもいいかい?」
俺が声をかけると三人のレディは立ち上がる。
相羽がインターフォンを鳴らすとメイドさん達が入室してきて、後片付けを始めた。
そしてまた順番に踊っていく。
相羽、デジーレ、百合子さんの順である。
……相羽が一番踊りにくい相手だというのは変わりがない。
デジーレや百合子さんはそうでもないのにな。
いくら練習してもどうにもならないものなんだろうか。
そんなよからぬ考えが浮かんできたりする。
相羽は百も承知でつき合ってくれているのかもしれない。
俺の練習台になる為だけにだ。
だとしたらその気持ちを汲むべきだろう。
お礼なんてどうすればいいか分からないけど、それくらいなら俺でもできる。
それからどれくらい練習を重ねただろうか。
「お嬢様、失礼いたします」
一人のメイドさんが入ってきて、相羽に耳打ちした。
「え、もうそんな時間?」
この家の娘は目を丸くして声をあげる。
どうやらそろそろ帰る時間になったみたいだな。
時が経つのは早いものだ。
デジーレや百合子さんは最悪この家に泊めてもらい、明日ここから学校に行くという手を使えるかもしれない。
しかし、俺にそんな真似が許されるはずもない。
そうは思っても、あまりそそくさと帰るのもな。
そんなにいたくなかったのかと思われてしまうかもしれない。
何か予定があると言っておけばよかったのかな。
色々と気を回さなきゃいけないというのも面倒な話だが、今日面倒を見てもらったのは俺の方だしなぁ。
「あんまりお邪魔していても悪いし、そろそろお暇しようかと思うんだけど」
誰も何も言いださなかったので、結局自分で言う事にした。
「そうだね……」
三人とも残念そうにしてくれる。
実は俺も少しは名残惜しいんだよ。
相羽は可愛い系だし、デジーレはスタイルのいい金髪美人、百合子さんは純和風な感じの美少女だからな。
こんな子達と合法的に密着できるというのは、健全な男にしてみれば嬉しくないはずもない。
練習中は真面目に徹していたけど、俺だって別に欲望がないわけじゃないんだから。
「また機会がないわけでもないでしょうし、今日はこのあたりにしておきましょう」
デジーレのこの一言が締めになり、俺は相羽の家から撤収する事になった。
百合子さんが一番残念そうだったのは、体育の授業では俺と踊れないからかな?
単純に考えれば、七組と八組なら体育の合同授業で一緒になりそうなものなんだけどな。
残念ながら英陵はいい意味でか悪い意味でか知らないけど、このあたりは単純ではないのだ。
七組の合同相手は二組なのである。
つまり、今回みたいな事がない限り百合子さんと踊る事はないだろう。
オリエンテーションの時のように、例外はあるんだろうが。
「そうだな」
俺は百合子さんの態度に気づきながらも何も言わなかった。
言えなかったと言った方が正しい。
俺は練習場所を提供してもらう立場の人間だからな。
この手の事に関してはどうにもならないと思う。
「あ、あの」
百合子さんは勇気を振り絞るようにして、俺達に話しかけてくる。
「もしよろしければ、またこうして一緒に練習しませんか?」
実のところこの言葉は予想していた。
むしろ予想していなかった奴はいないはずである。
「別にいいけど、俺の一存じゃな……」
俺は本心をはっきりと口にした。
すると百合子さんがすかさず反応する。
「こ、今度は私の家ではいかがでしょうか? その、ご迷惑でなければ」
これには少し驚く。
百合子さんの家ってどう考えても厳しそうだったので無条件で外していたんだが、実は俺の思い込みに過ぎなかったのか?
俺は思わず百合子さんの方を見る。
本人は「覚悟を決めて高い場所から飛び降りた」的な表情だ。
これは単に俺を誘う為だけなのか?
残念ながら判断しきれない。
「百合子さんの家が許可を出してくれるなら、俺は構わないよ」
紫子さんもいるから、意外とハードルは高くないのかもしれないな。
そんな楽観的な考えも浮かんできたので、了承する事にする。
「そうですか」
百合子さんは微笑ましいくらいに安堵していた。
それを見てデジーレが声をかける。
「ユリコ。わたくしも参加していいですか?」
「ふぇ? も、もちろんですよ」
間が抜けた声を出した後、慌てて承知していた。
俺以外の子の事を失念していたっぽいけど、言及しないのが優しさというものだろうな。
「私も、日程次第じゃ参加したいな」
「では今日と同じメンバーでやりましょう。日は追ってお知らせしますね」
百合子さんは口元を綻ばせながら言った。
「賛成だな」
四人で約束を交わし、相羽邸を後にする。
余談だが、学校までは車で送ってもらった。




