15
「ええっ? 翠子様達がっ?」
それが小早川達の反応だった。
誰も彼もおよそお嬢様らしからぬ、素っ頓狂な声を出して思わず耳を塞ぎたくなったほどである。
さすがに実行するには遠慮が勝ってしまったが。
しかしまあ、予想できなかったという事でもない。
一人くらいならまだしも、生徒会役員全員参加ってなったらそりゃあな。
ウィングコーヒーでの打ち上げが認められたと伝えた時は、控えめな歓声と拍手が起こったし、それを見て「これがお嬢様学校と庶民の違いか」と思ったものだが。
さすがに本気で驚いた場合は、同じ人間だったな。
今は朝のホームルーム前だ。
昨日聞いた事をさっそく皆に伝えたのである。
英陵の子達は、大体十分くらい前には教室内に揃っているから、俺さえ早めに伝えれば情報伝達は難しくないのだった。
誰の連絡先も知らない、という事実もさほど不利にならないのはありがたい。
お嬢様達の携帯の番号を訊くには勇気もいるし、きっかけも必要だろう。
とまあ、たっぷり時間をかければ皆はさすがに立ち直ったようだ。
誰もが説明してもらいたそうな視線を浴びせてきているからな。
ここで口々にまくしたててこないあたり、まだ皆冷静さは残っていると見るべきか。
それともどれだけ驚いても、最低限の立ち振る舞いができるように叩き込まれているんだろうか。
……何となくではあるものの、後者って気はする。
「ど、どうしてそういう事になったのかしら?」
前言を撤回したくなるくらい動揺を露にして尋ねてきたのは、我らが学級委員長の小早川だった。
こういう場合、まず先陣を切るのは自分の役目だと思っているんだろうか。
視線での譲り合いがなかったところから察するに、暗黙の了解でも存在しているのかもしれないけど。
俺はそんな風に思いながら問いに答える。
「何でもそれが、打ち上げを認める条件らしいよ」
「初めての試みだからかもしれませんわね」
そう言ったのはデジーレだった。
だいぶ冷静さを取り戻したらしい。
この外国の貴族令嬢をも驚かせるんだから、生徒会の先輩達って凄いな。
何となくそんな事を考えてしまう。
「先輩達もそういった予想をしていたな」
俺は生徒会でのやりとりの一部を明かした。
「もしうまくいけば、今後広めていくかもって」
「な、何か凄い事になっている気がする……」
相羽はそう言って情けない顔をする。
ほとんどの泣きそうだった。
もっとも彼女の立場になって考えてみれば、無理もない事かもしれない。
劣等感を抱く要因にもなっていた家が経営する店に、同級生どころか上級生達も来るというのだから。
ただ、本人には悪いけど、俺にとってはラッキーだったと言える。
先輩達、特に会長の姫小路先輩が評価すれば、彼女の劣等感も払拭されるんじゃないだろうか。
そんな期待感があるからだ。
「そうか? 俺としては皆がウィングコーヒーのよさを知ってくれるチャンスだと思っているけどな」
だからこういう言い方をあえてする。
そもそも、この学校の生徒達は、むやみに他の価値観を貶めたりするような人間ではない。
もし、そんな考えの持ち主が一定数いるのであれば、俺が受け入れられたはずがないじゃないか。
この点を思えば、相羽のはただの考えすぎだと分かりそうなものだ。
現に庶民向けのチェーン店に行くって事に、誰も反対しないしな。
とは言え、本人にしか分からないような辛さや悩みだってあるんだろうから、あまり口やかましく言わない方がいいんだろうけど。
俺の中で相羽は最初に仲よくしてくれた女の子だから。
その次がデジーレだな。
ひよこの刷り込みじゃないけど、やっぱり最初によくしてくれた子とはいい関係でいたいと思う。
そういう意味で今回の件については余計なお世話なのかもしれない。
でも、俺がウィングコーヒーが好きなのは事実である。
そしてそれを知ったクラスメート達が興味を持ったのも嘘じゃないだろう。
うまく言えている自信はないけど、いい方向に転がってくれるとは思っている。
ただ、相羽がそうは思えなくても責められない。
一つはそんな簡単に気持ちの切り替えができるなら、そもそも劣等感なんて持ったりしないだろうからだ。
そしてもう一つ。
「み、翠子様達がお飲みになるようなものじゃないよう」
姫小路先輩達が来るという点だ。
俺は先輩達自ら淹れたお茶を飲ませてもらった事が何度もあるから、相羽が言わんとする事は理解できる。
少なくとも想像はできているのだ。
誰もが高そうな茶葉を使い、慣れた手つきで淹れていた。
つまり普段から高級品ばかり飲んでいる可能性は高い。
使用人達に任せるのが自然な家の令嬢達だと考えれば、きっとお茶を淹れて飲むのが趣味とか道楽とかそういった類なのだろう。
「私達は気にしていなかったけど、そういう点は確かに気になるわね」
小早川が遠慮がちな目を相羽に向けながらも、ぽつりとつぶやいた。
うん、思い返してみれば分かるな。
と言うよりは気がついてしまったと言うべきか。
「しかし、今更無理だぞ」
俺は忠告する。
あの人達にそういう理由で断るなんてできるはずもない。
たぶん、逆効果にしかならないだろう。
内田先輩はもちろん、おっとりとして内気に見える藤村先輩でもだ。
俺の言葉を聞いた一同は困った顔をする。
……実のところ、皆のこういった態度こそが、相羽の劣等感の原因になっているんじゃないだろうか。
あんまり人の事は言えないかもしれないけど。
「大丈夫だろ。あの人達はそんな人じゃないって」
「そうですわね」
デジーレと小早川がそう言って微笑んだ。
皆を落ち着かせようとしているような、そんな表情だった。
それだけにクラス内の空気は微妙である。
皆にとってそこまであの先輩達の存在は大きいのだ。
これは何か考えた方がいいかもしれない。
今のまま行っても何とかなるとは思うものの、この空気が打ち上げが終わるまで続くのはちょっと勘弁してほしいな。
さて、どうすればいいだろうか。
予鈴が鳴ったので席へと着く。
小早川やデジーレはすぐ近くにいるから、あまり気持ちの切り替えには役に立たなかった。
授業は集中して聞くものだなんていちいち言うまでもない。
そう言わんばかりの授業態度の子達ばかりである。
これはさすがお嬢様学校と言うべき事なのかは、少し疑問ではあった。
進学校では大体そうだと聞いた事もあるからだ。
とは言え、そういう学校とは違って「がり勉」といった空気でもない。
緊張感というと大げさになってしまう。
そんな不思議な空気なのである。
俺はそこまで真面目な性格じゃなかったが、この空気には溶け込めていると思う。
単にあてられてしまっただけじゃない。
立場が立場だけに、不真面目な態度を取るわけにはいかないという気持ちの方がずっと大きい。
いい意味での緊張感を持ち続けてきたのだろう。
だが、今もそれができているかと言うと微妙だ。
先ほどの件がずっとくすぶっているからである。
正直なところ、生徒会の先輩達はウィングコーヒーで出てくるものが舌に合わなくても、それを態度に出すとは思えない。
打ち上げの真の目的を知っていればなおさらだ。
だから、ネックとなるのはクラスメート達の心理の方だな。
言い方は悪いけど、先輩達に抱いている幻想が原因で、勝手に委縮してしまっているのだ。
少なくともこの件に関しては、相羽の事をとやかく言う資格はないと思えてしまうくらいに。
球技大会までまだ日があるのに、そんな状態が続くのはよくないだろう。
したがって何かいい手を考えないといけない。
一体、どうすればいいのだろうか。
「次の問題を赤松君、答えてちょうだい」
当てられてしまったが、答えられるはずもない。
立ち上がって即答する。
「すみません、分かりません」
「そう」
先生は淡々と着席を許可してくれた。
俺がまともに授業を聞いていなかった事には気づかなかったらしい。
きっと今までの間、ずっと真面目に聞いていたからだろう。
ほっとして腰を下ろす。
この学校では問題に答えられなかったからと言って、何かあるわけじゃない。
そういう意味ではやりやすい。
もっとも、あまり「分かりません」と連発したいとも思わない。
くだらないと思う人もいるだろうけど、男の見栄ってやつだ。
周囲に可愛い女子しかいないんだから、ちょっとくらいはいいところを見せたいじゃないか。
あまり授業中には考え込まない方がいいよな。
かと言って休み時間は無理がある。
以前ならともかく、今は大概デジーレか小早川のグループに組み込まれてしまう。
嬉しかった事だけど、今だけはちょっと厄介だ。
ぜいたくだとは分かっているだけに、本人達に言うわけにもいかない。
どうすればいいか。
何かいいアイデアさえ出てくればいいんだが。
……朝の空気を何とかしたいと思ったのは、デジーレや小早川も同じだろう。
だからグループに背を向けても咎められない気はする。
そういう考えもあるが、一方で二人の事だから自分に相談してくれと思うかもしれない、という考えも浮かぶ。
二人とも親切で面倒見がいいタイプだからな。
俺が一人で悩むのにはいい顔をしないだろう。
普段ならありがたいんだが今となると……。
いっその事相談してしまうのも手じゃないか?
いや、姫小路先輩達に庶民のコーヒーを飲んでもらう事を不安がるのは、どうやって払拭すればいいのかって言えるか?
少なくとも皆がいるところじゃ言いにくいな。
皆がいなくてデジーレと小早川しかいない状況があればベストなんだけど、そんな状況ってあるのか?
今まではなかったと断言できる、というのが現実だ。
俺が言えば皆は席を外してくれはするだろうけど、どう言えばいいんだ。
勘ぐられたりしないだろうか?
……やっぱり二人に相談するのはボツにしよう。
それならいっそ先輩達に相談した方がマシな気がする。
でも、それはそれで問題があるんだろうな。
後輩達が先輩達はコーヒーを飲めるのか心配している。
要約すればそういう話なんだけど、これうかつに言ったらクラスメートに恥をかかせた事になったりするんじゃないか?
俺の考えすぎならいいんだが。
女子ならではの考え方、上流階級ならではの考え方も想定しなきゃいけないからややこしい。
休み時間になると背中をつっつかれた。
こういう声のかけ方をされるのは珍しいなと思いつつ振り返る。
小早川が端正な顔に疑問を浮かべながら、口を開いた。
「何か赤松君。さっきの授業、うわの空じゃなかった?」
後ろからでも分かるのかと驚いたが、素直に認めるのはよくない気がする。
「え、そんな事はなかったけど。俺の事をよく見ていたのかい?」
「なっ……」
小早川は絶句し、ついで顔を真っ赤に変えてしまう。
我ながら卑怯な言い回しだと思った。
「そ、そんなのじゃないわよ」
こいつの立場じゃ、こうやって否定するしかないもんな。
後ろからだとすぐ前の人間が、授業に集中しているかは判断しにくいはず。
寝ていたりしたら別だろうけど、そうでない限りがじっくり観察しないとな。
鈴が転がるような笑い声が聞こえてきた。
確認するまでもなくデジーレだ。
「あら。実は授業に集中していなかったのは、ヤスではなくてフミの方だったのかしら」
「ちょっとデジー」
小早川が金髪の美少女を睨みつけるが、睨まれた方は少しも怯まない。
「フミも可愛いところがあるのですね」
「だから違うと言っているでしょう!」
我らがクラスの委員長殿は、日頃の落ち着きぶりはどこへやら、声を荒げて否定する。
それだけでなく声のボリュームも増大させてしまったので、クラスから注目を集めてしまう。
一言声をかけた方がいいな。
「小早川、落ち着け。皆が見ているぞ」
ハッと我に返った小早川は、慌てて席に着いた。
何と言うかこういう姿を見ると親近感を覚えてほっこりとする。
口にしたらたぶん、睨まれるだろうから言わないが。
「デジー、覚えていなさいよ」
当面の敵はデジーレだしな。
小早川のような美少女が睨めば、充分すぎるほどの迫力がある。
ただし、睨まれている方には大して効果はなさそうだった。
「あら、わたくしが何かしたかしら?」
そればかりか、しれっとそんな事を言う。
なんという強心臓なんだろう。
デジーレの事は世話焼きタイプではあるものの、基本的には上品でお淑やかなお嬢様だとばかり思っていたけど、意外とお茶目だと言うか、人をからかうのが好きだったりするんだろうか?
「この……」
気のせいでなければ、いつもは冷静にリーダーシップを発揮する小早川は、体から怒気をみなぎらせているように見える。
このままじゃまずい事になるんじゃないかな。
フミやデジーと呼び合っているくらいだから仲はいいんだろうし、デジーレが予想できていないとは思えない。
だからと言ってこのまま見過ごすわけにもいかなかった。
「二人とも仲良しなんだな」
そういう理由で俺は一見して的外れになりそうな事を言ってみる。
「どこが? 失礼だけど、赤松君の事が心配になってきたわ」
案の定、小早川の矛先がこちらに向く。
怒気を消して何とも複雑な視線を送ってくるあたり、無関係な人間に当たり散らさないだけの冷静さは残っているようだった。
反対にデジーレは悪戯っぽい笑みをたたえている。
意外とお茶目なんだな。
恐らく小早川は全く違う感想を持っているんだろうけど。
「え? でもそういう軽口を言い合えるなんて仲がいい証拠じゃないか?」
少なくとも俺は誰ともそんな関係じゃない。
さすがに口に出しては言わなかったが、小早川は鋭敏に察してしまったようだ。
小さく息を飲み、表情が変わる。
「そうね。確かにそうよね」
渋々といった感じで認めた。
悪いな小早川。
俺は自分のズルさを自覚していたので、心の中で謝る。
言葉にしたらきっと台無しになってしまうから。
「ヤスはわたくしのお友達ですわ」
デジーレが横からそう口を挟んでくる。
ありがとうと言いたいが、恐らくちょっとずれている。
このあたりの機微が完全に伝わらないのは、彼女が日本人じゃないからだろうか。
単純に日本人が分かりにくいだけかもしれないけど。
「ありがとうデジーレ。そう言ってもらえて嬉しいよ」
とは言えそんな事を言うわけにはいかない。
彼女は善意で俺をフォローしてくれたんだし、友達扱いされるのは嬉しい。
ただ、まだまだうわべだけに近い関係だという事は否めないだろう。
こればかりは時間が必要だと思う。
「もちろん私の友達でもあるわよ」
すかさずと言えるタイミングで小早川がそう言った。
まるでデジーレに対抗するような感じだった。
と言えば小早川に怒られるだろうか。
……うん、まるでデジーレと小早川が俺の取り合いをしていると思っているみたいだな。
これはないわ。
自意識過剰でかなり恥ずかしい。
デジーレも小早川もかなりの美少女なのに、俺なんかを取り合うなんて事があるはずもない。
「ありがとう。もちろん俺も二人の事は友達だと思っているよ」
心の内側から沸き起こってくる羞恥を振り払うべく、小早川に言葉をかける。
「え、ええ」
真面目な委員長は少し動揺していた。
いくら何でも直接的すぎたかな?
友達に真正面から友達だよ、なんて言われたらちょっと面食らうもんな。
なんて考えかけたけど、二人からさっき直接言われたばかりだよな。
単に男に免疫がないから、と考えた方がいいかもしれない。
それだったら自分が言う分はよくて、俺に言われたら動揺したり照れたりした件について、説明がつく。
うん、皆男に免疫がない、もしくは少ないお嬢様達ばかりなんだよな。
今後は言い方にいっそう気をつけた方がいいんだろうか?
別にナンパしたりしているわけじゃないんだけどなあ。
あ、でも、桔梗院姉妹に対しては否定しきれない結果になったし、自重を意識するようにしよう。
いつの間にかウィングコーヒーでの打ち上げする件について、打開策を考える事を忘れてしまっていた事に気がついたのは、次の授業が始まってからだった。