14
打ち合わせを終えて正道寺先輩達は帰って行った。
「それじゃ、通常業務に戻る前に一息入れましょうか」
姫小路先輩の一言で休憩に入る。
こうして合間合間で休ませてもらえるので、それほどハードワークだとは思えない。
美人な先輩達に囲まれている、という理由は俺の中では小さなものなのだ。
今日のお茶当番は藤村先輩である。
言っては何だけど、高遠先輩と比べたら数段落ちるように思う。
そうは言っても俺よりは圧倒的に美味しいんだけどな。
練習してみたいという気持ちはあるんだが、ここにあるお茶の葉を使うのは怖いとも思っている。
どう考えても高級品揃いだからな。
茶缶一つ分で俺の年の小遣いよりもずっと高いんじゃないだろうか?
いちいち値段を確認するのもいやらしく思われそうなので、一度も訊いた事はないんだけど。
「ど、どうぞ」
俺にカップを差し出す時だけ、少しどもる。
怖がっているのではなく緊張しているのだろう。
だいぶ慣れてもらえたと思うが、緊張するか否かは別問題であるらしかった。
「ありがとうございます」
先輩の目を覗き込むようにしてお礼を言う。
「い、いいえ」
頬を赤らめて逃げるように席に戻ってしまったが、これは単に恥ずかしがっているだけだな。
一口つけると紅茶の味が口の中に広がる。
うん、美味しい。
「ど、どうでしょうか?」
すかさず問いが発せられる。
固唾をのんで見守る、という表現がぴったりな顔つきで。
「美味しいですよ。僕には到底出せない味で」
微笑みかけると安心したように胸に手を当てる。
意外と大きそうだなってこれはいけない。
セクハラになってしまう。
迅速に目を逸らしておく。
幸いな事に、誰にも気づかれなかったようだ。
皆、お茶を味わう事に集中しているらしい。
俺にしてみればお茶なんて、喉の渇きを何とかできればそれでいいんだけどな。
「そう言えば赤松さん」
姫小路先輩がカップを置き、口を開いた。
「学校側に要望を出していた件ですが、許可は無事におりましたよ」
「え? そうなんですか? ずいぶんと早かったですね」
俺は目を丸くする。
何しろこの学校では初めての試みなのだ。
昨日の今日でそんな簡単に許可がおりるとは思ってもみなかった。
「翠子にお礼を言った方がいいですよ。先生がた相手に熱弁をふるっていましたから」
「え?」
高遠先輩の言葉にびっくりして、まじまじと生徒会長の端正な顔を見つめる。
「ちょっと、まどか」
当の本人はかつてないほど焦っていて、暴露した人を睨んだ。
そういう姿もとても可愛らしいなと思ったけど、声には出さない。
今言うと恐らくややこしい事になるから。
それにしてもこの二人、思っていたよりずっとフランクな関係っぽい。
俺の前じゃある程度義務的と言うか、礼儀正しい感じだったけど。
こういう姿が素なんだろうな。
それよりも何らかのフォローをしないと、高遠先輩が悪者って事になりかねない。
本気で思っているわけじゃなくて、照れ隠しか何かではあるんだろうけどな。
「姫小路先輩、どうもありがとうございます」
可能な限り丁寧にお礼の言葉を述べる。
「い、いえ。これも生徒会長の役目ですから」
同学年の副会長を睨んでいた先輩は、打って変わって恥ずかしそうな顔をした。
まあ本気で怒っていたんじゃないだろうし、ここはもうひと押しすればいいんじゃないかな。
「高遠先輩のおかげでお礼を言えたわけですから、どうか責めないで下さい」
「ええ。分かりました」
あっさりと了承してもらえる。
ほら、やっぱり本気で怒っていたわけじゃないんだろう。
仲がいいからこそのものだ。
今更気がついても遅いだろうから、気づいてないふりをするしかなさそうだが。
……と思ったんだけど、この空気は何だろう?
会長を除く全員がどこか白けたような、あるいは呆れたような顔をしている。
どうして高遠先輩まで、俺の事をそんな目で見るんだろう。
俺、何か言ったらまずい事を言ったんだろうか?
ああ、高遠先輩にもお礼を言わなきゃいけないのに、まだ言っていないな。
「高遠先輩もどうもありがとうございます。おかげできちんと姫小路先輩にお礼が言えました」
「いえ、いいのですよ」
こちらも一転して頬を緩める。
と言ってもせいぜい数ミリといった感じだが、それなりに表情を読めるようになったと思う。
高遠先輩はクールな人だけど、決して無表情な人ではないのだった。
ただ、やっぱりと言うか他の先輩達の反応が微妙な気がする。
お礼の言い方がまずいんだろうか?
いや、それならそうと教えてくれるよな。
内田先輩ならはっきりと、他の先輩は優しく。
……ダメだ、考えてもさっぱり分からん。
「後、言っておかなければならない事があります」
咳払いを二度して後、姫小路先輩が改まった態度で言った。
「はい」
自然と背筋を伸ばして続きを待つ。
「打ち上げ当日ですが、わたくし達も参加する事になりました」
「えっ?」
俺は何度も瞬きをし、姫小路先輩の美貌を見つめる。
先輩達も打ち上げに?
生徒会長はどこか申し訳そうな顔でうなずく。
「はい。それが学校側が出した条件だったのです」
「初めての試みですからね。後、上手くいけば校内で広める事もありだと考えているのでしょう」
高遠先輩がクールに補足してくれる。
それもそうか。
ここはお嬢様学校だし、初めての行動にお目付け役がついてくるのはむしろ当たり前だな。
「分かりました。クラスメート達に伝えておきます」
「お願いしますね」
水倉先輩の言葉に首を振る。
同級生達の連絡先は知らない。
まだ誰も携帯のメールアドレスも番号も教えてくれていないのだ。
だからと言って俺から訊くにも、タイミングが掴めなかった。
一応連絡網はもらっているから家に連絡する事は可能だけど、実際に電話をかける勇気はない。
かけたところで出るのは、きっと使用人とかだろうしな。
家の人も英陵に男子生徒が入学している事くらいは承知しているだろうが、あまり男の俺がかけない方がいい気はするし。
急ぎの要件ってわけじゃないし、明日学校で伝えても充分だろう。
「ああ、コーヒーはしばらく飲んでいなかったわね」
内田先輩が少々わざとらしくはあったものの、嬉しそうに声を立てた。
「そう言えばそうね」
水倉先輩がすかさず同意し、姫小路先輩と高遠先輩も続く。
皆さんどうやら普段はコーヒーを飲まない人らしい。
ちょっと待てよ?
「あの、皆さんは紅茶派だったりするんですか?」
もしコーヒーが苦手な人にコーヒーを飲んでもらうなんて事になったら気まずくないか?
ウィングコーヒーはコーヒー以外も置いてあったはずだけど、だからと言って知らんぷりを決め込むのもな。
「そうですが、別にコーヒーが嫌いだとか飲めないという事はないですよ」
俺の不安を察知したのか、高遠先輩が慰めるような顔で言葉を発した。
「うん。単に紅茶の方が好きってだけだからね」
水倉先輩、姫小路先輩、内田先輩も同じ反応を示す。
よかった。
この人達に苦手な飲み物を飲ませるなんて知られたら、ファンの人達にどんな目に遭わされるか分からない。
上品な子が多いお嬢様学校なので、そんな過激な行為とは無縁だとは思いたいんだが。
「私はコーヒーの方が好きだし……」
藤村先輩が小さく手をあげておずおずと主張した。
何だコーヒー派の人もいるのか。
「はあ。てっきり上流階級は紅茶じゃないとダメなのかと思いました」
俺がそう言って笑うと周囲からも笑い声が起こる。
全員手で口元を隠しながら。
「さすがにそれはないわよ」
内田先輩が目尻に涙を浮かべながら言う。
「そういうものなんですね」
割と浮世離れしてそうなイメージだったけど、そうではないらしい。
少しだけ安心できた。
親近感を覚えたと言うと言いすぎになるんだが。
お茶を終えると通常業務に戻る。
このあたりの切り替えは早い。
正直、初めの頃は戸惑ったくらいだ。
今ではすっかり慣れたけどね。
カップを洗うのは淹れた人なんだけど、基本的には俺も手伝うようにしてる。
淹れてもらってばかりになってしまうのが一番よくないからな。
俺も淹れられるようになるのがいいんだろうが、高い茶葉を練習で使うのは気が引ける。
先輩達は気にしなくていいと言ってくれるんだけど。
今日は藤村先輩と肩を並べて洗う。
「どうぞ」
俺が洗って先輩が布で清拭するという形が基本だ。
ちなみにダメな部分はやり直しさせられる。
一番厳しいのが高遠先輩なのは予想通りだが、他の先輩達も決して優しくはない。
単に俺がいい加減なだけの可能性もあるけどな。
むしろこちらの方がありえるか。
家でも洗い物が上手になったって妹の千香に褒められたくらいだしな。
先輩達に怒られなくなったのも最近だけど。
「ありがとうございます、お茶美味しかったです」
改めて言葉をかけると先輩ははにかんだ笑みを浮かべる。
この人は美人だけど、笑顔は可愛いのだ。
美人と可愛いを併せ持つって卑怯だよな。
濡れた手をハンカチで拭き、自分の椅子に戻る。
他のメンバーは仕事を始めているので、無駄口を叩いてる暇はなかった。
業務が終わると後片付けと戸締りに移る。
今日の戸締りは姫小路先輩だった。
普通なら三年生は免除らしいのだが、姫小路先輩は自発的にやっているらしい。
そのせいかどうかは定かじゃないけど、高遠先輩もやっている。
三年生が鍵当番の時は、心なしか皆の片付けペースは速い気がするな。
誤差程度かもしれないけどさ。
当番以外は先に帰ってよいというルールに則り、俺達は先に辞去する。
と言っても俺以外は全員車だから、一緒に帰るといっても校門止まりなんだが。
体格のいい黒服の男達がお嬢様達を待っているのもいつも通りです。