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はいそっ  作者: 相野仁
三話
26/114

6

 朝、いつも通りに登校する。

 高級車から出てくる制服姿の少女達、というのはもはや風景の一部だ。

 紫子さんと知己を得て、周囲の見る目が変わった気がする。

 これまでは興味本位的な視線が多かったのだが、それがどこか遠慮するような感じになった。

 似たような事は生徒会の役員になった時にもあったように思う。

 つまり、姫小路先輩や紫子さんがそれだけ影響力を持っているという事なのではないだろうか。

 一人二人に好意を示してもらえたところで何か変わるなんて、普通では考えられない事だと思うけど、ここは英陵だからな。


「ごきげんよう、赤松様」


「おはよう」


 俺に声をかけてくるのはもっぱら同級生達だ。

 他の子達は俺に気づくと道を譲ってくれるし目礼もしてくれるけど、それだけでしかない。

 ただ、その時の表情が硬いものから柔らかいものになったというのが、進歩を感じる。

 俺がこの学校に受け入れられてきているな、と実感する一幕なのだ。


「あら、赤松君、ごきげんよう」


 ひときわ明るい声が耳朶を打った。

 聞き覚えのあったので振り向くと内田先輩が可愛らしく手を振っている。

 

「内田先輩、おはようございます」


 俺はあいさつを返す。

 同級生なら手を挙げて応えるだけでもいいが、先輩相手にそんな事はできない。

 

「ダメよ、私が手を振ったら振り返してくれなきゃ」


 内田先輩は口元を緩めながら軽く睨んでくる。

 朝から絶好調のようだ。


「こうですか?」


 衆人環視の中で揉めたくないという思いから、仕方なしに手を振った。


「はい、よくできました」


 満足してくれたようなのでよしとしよう。

 この人、無邪気に絡んでくるタイプだけど、適度に相手していれば害はないのだ。

 おっと、こういう言い方じゃ失礼だな。


「今日もいい天気よねぇ」


 先輩は気持ちよさそうに目を細め、晴れ渡った空を見上げる。


「全くですね」


 賛成して動作の真似をした。

 天気予報で「快晴」と出る、雲の少ない空である。

 今はまだ春だからいいものの、夏だったらさぞ暑いだろう。


「おっと、行きましょうか」


 先輩は正面に向き直って歩き出す。

 生徒会役員が二人も足を止めて空を見上げたんじゃ、何事かと思う生徒達もいるからな。

 かと言って先輩を放置して俺だけ歩いて行くわけにもいかない。

 早めに気づいてくれて助かったよ。

 下駄箱の入口まで行くと先輩と別れた。


「まったねー」


 お嬢様らしからぬあいさつに苦笑しながら。

 すると先に来ていた小早川が、ちょうど靴を履き替えたところだった。


「あら、赤松君。ごきげんよう」


「うん、おはよう」


 別に珍しくはいない、日常の一コマだ。

 俺はそう思って靴を脱いだのだが、小早川はクラスに向かわず話しかけてくる。


「智子様とずいぶん仲がいいのね」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 智子様……? ああ、内田先輩の事か。

  

「うん。あの人気さくでとてもよくしてもらっているよ」


 これは別に嘘ではない。

 諦めるとか言っていた癖に時々からかおうとしてくる事があるものの、それさえ除けばとてもいい先輩だと思う。

 俺も話しやすいし、いてくれるとありがたいと言うか。

 

「確かにあの方はそうでしょうね」


 小早川はすぐに同意してくる。

 うん? 口ぶりから察するに、あの人と知り合いなのか?


「小早川って内田先輩とは知り合いなのか?」


「ええ。中等部の頃、同じ部活だったの」


 なるほど、そういう接点なのか。

 高等部の生徒会も、会計を除けば部活は禁止されていないはずだけど、実際のところ所属している人はいない。

 それがたまたまなのか、生徒会業務が忙しいからなのかは定かではなかった。

 少なくとも内田先輩なら、平気で両立させられそうだし。

 

「高等部じゃ部活には入っていないみたいだけど、小早川は何か知っているのかい?」


 履き替えが終わった俺は小早川と肩を並べて歩き出す。

 問われた少女は小さく首を横に振る。


「そのへんは何も聞いていないわ。そもそも、智子様が高等部に進学なさってからは接点がないし」


 おや、意外な展開だ。

 あれだけ明るくて社交的で後輩にも気さくな人だから、在籍していた部にはマメに顔を出しているとばかり思っていた。


「あの人、社交的で気さくだから、てっきりマメに連絡を取り合っていると思っていたよ」


「まさか! とんでもない」


 何故か小早川は驚いたように叫ぶ。

 思わずと言った感じで足を止めてしまう。

 そんなに強く否定するような事なんだろうか?

 それとも俺達の認識にはズレがあったりするんだろうか。

 俺の不思議そうな顔を見たのか、小早川は説明を開始した。


「だってあの方、中等部一年の頃からずっと学年一位なのよ。気安く話しかけて下さるからって、勘違いして馴れ馴れしくするなんてできないわ」

 

 何やらすごい事を言われた気がする。

 少なくともこいつの考え方では、俺はとんでもない事をやっている事になるんじゃないだろうか。

 

「……俺、割と馴れ馴れしくしちゃっている気がするなぁ」


 別に抗議するつもりはなかった。

 ただ、内田先輩に対して異なる印象、異なる意見に驚いただけである。

 小早川はそれと気づいたのだろう、特に咎めるようなそぶりは見せなかった。


「まあ、智子様が怒ったりしない分には問題ないんじゃないかしら。どちらかと言うと、私が委縮してしまっているわけだし」


 フォローするような事を言ってくれる。

 委縮してしまうような相手か?

 姫小路先輩や高遠先輩、紫子さんあたりならまだ分かるんだが。

 そう思っても口にする事はできない。

 聞く人によっては内田先輩への侮辱だと受け取るだろうから。

 ましてや小早川のように、憧憬とも畏怖ともつかない印象を思っている相手にはなおさらだ。

 

「そうか。俺、まだまだそのへん分からないからなぁ。紫子先輩も相当すごい人らしいし」


 意図的に声を抑えてぼやく。

 それを聞いた小早川は表情を引き締めた。


「そうね。紫子様に妙な事をしたら、英陵生の半数くらいは敵に回す事になるって覚悟した方がいいと思うわ」


「うわ、それは凄いな……」

  

 たった一人の機嫌を損ねただけで約半分が敵になるとか、普通じゃまずありえないだろう。

 とは言え、荒唐無稽だと笑えない。

 紫子さんが持つ周囲への影響力は、うすうすではあるが感じているからだ。


「そして残り半数は姫小路先輩を怒らせた場合敵に回るって感じか?」


 何となくではあるが予想できた事を口にする。

 ところが、小早川はうなずかなかった。


「いいえ。その場合、紫子様も翠子様につくでしょうから、ほぼ全員って事になるんじゃないかしら」


 ほ、ほぼ全員……?

 思わず竦んでしまう。

 気さくで優しいって言うのが俺の持つ姫小路先輩像なんだが……それだけにその影響力は恐ろしいって事なんだろうか。

 俺がビビった事が分かったのか、小早川はどこか哀れむような目を向けてきた。


「お二人とも温厚でお優しいから、滅多な事をしない限りは大丈夫のはずよ」


 そうだよな、そう思いたい。

 紫子さんは百合子さんとの件も特に怒りは見せなかったし、下の名前で呼んでくれと言ったくらいだ。

 好かれた可能性はあっても、嫌われた可能性はないはずだ。

 姫小路先輩に嫌われたら、連鎖的に嫌われてしまうらしいが……あの人が俺を嫌うなんて、今のところ想像もできない。

 自意識過剰じゃなかったらいいんだが。

 それにしても、姫小路先輩と紫子さん、人気を二分しているのに仲が悪いわけじゃないのか。

 女社会って派閥と言うか、グループ分けがしっかりされているようなイメージだったんだけど。

 そこはまあ、英陵だからって事なのかね。

 基本いい子達揃いで、ドロドロとしたものとは無縁っぽいし。

 単に俺が知らないだけって可能性もあるだろうけど、そういう事を考え始めたらキリがないのも確かだ。

 ……何か知らず知らずのうちに、「英陵だから」と思う事が増えている気がするなぁ。

 まさかと思うが、一種の思考停止状態に陥ってきているのか?

 かと言っても、英陵だからって以外の答えなんて俺じゃ思いつかないし……。

 クラスに入って先に来ていた同級生達にあいさつをする。

 可愛い女の子達に笑顔であいさつされるというのは、男としては嬉しいものだ。


「おはよー」


 そして隣の席の相羽、その向こうの恵那島と大崎にも声をかける。

 三人とも笑顔で返事してくれた。

 やっぱりいいなあ。

 友達ができた感がいい。

 問題は一緒に遊ぼうにも選択肢が限られている事くらいか。

 しかし、ないものねだりをしてはいけない。

 ここで異分子なのは俺の方だと忘れてもいけない。

 ちょっとしつこいくらい言い聞かせておいた方がいいだろう。

 たまにやらかしてしまうし。

 せっかく仲良くなったのもあるし、先生が来るまで話してみようか。


「三人は球技大会、バスケとラクロスとどっちにする?」


 俺の問いにまず相羽から答えた。


「私はラクロスかなあ。運動あまり得意じゃないんだけど」


 次に恵那島が言う。


「私はバスケットボールでしょうか。たぶん、控えですけど」


 最後に大崎が口を開いた。


「私もラクロスですね。出番があるかはわかりませんけれど」


 何か、三人とも謙遜と言うかネガティブな事を言っている気がする。

 確かに一緒に体育の授業を受けた限りでは、三人とも運動が得意って感じはしない。

 でも、そこまで運動神経が抜群ってタイプも珍しいと思う。

 単に七組にいないだけなら、俺じゃ分かるはずもないんだが。

 

「そうなのか。それじゃ、球技大会はあまり楽しくないんじゃないか?」


 少なくとも俺の価値観ではそうだ。

 各スポーツで活躍できる奴はそうでも、苦手な奴にしてみれば参加義務がうっとうしい。

 それが球技大会っていうものだった。

 けど、三人は首を横に振る。


「そうでもないですよ。勝たなければいけないってプレッシャーをかけられたら困りますけど、皆のんびりとしてて、交流を楽しむといった感じですから」


 大崎がおっとりと言えば相羽も頷きながら続く。


「そうだよね。応援合戦とかあるし、先輩達の試合を観戦したりもできるし、楽しいよ」


「ふーん、そういうものなのか」


 俺は正直、ぴんと来なかった。

 応援合戦とか先輩の試合を観戦とか、はっきり言えば「どこの運動会?」状態である。

 その事は三人とも承知の上だったのだろう。

 微妙に矛先を変えてきた。


「赤松君はどうするの? 多分、試合に参加できないと思うんだけど」


 訊いてきたのは相羽である。

 俺は一瞬言おうか迷ったものの、特に隠す事でもないと思い直して打ち明けた。


「姫小路先輩に訊いてみたら、生徒役員として実行本部のメンバーになってくれ、みたいな事を言われたんだけど」


「あ、そっか。そうだったね」


 三人は納得し何度もうなずく。

 俺が生徒会役員だという事を忘れていたのか、それとも生徒会役員が球技大会の実行委員になるという事を忘れていたのか。

 そのあたりをつっこむには、もう少し仲良くなってからの方がいいだろうな。


「実行委員でしたら色々役目があって忙しいですけど、その分やりがいもあると思います」


 恵那島がそう言って俺を励ますように笑いかけてくる。

 大崎も首肯して言った。


「そうですね。皆さんの為に頑張っている事がよく分かるでしょうし、赤松様のお人柄も理解されるでしょうね」


 さすがにそれは楽観的と言うか、願望が強すぎじゃないかなと思う。

 紫子さんと百合子さんのおかげで多少は広がっただろうけど。

 

「やっぱり、全体から見ればまだまだなんだろうね」


 これは覚悟している事だ。

 信頼というものはそんなに簡単には手に入らないって。

 三人は最初遠慮気味な顔をしていたが、俺の気持ちが伝わったのがためらいながらもうなずいた。

 代表するように大崎が口を開く。


「入学を許された上に全く問題を起こしていませんから、ある程度の評価は勝ち得ていると思います。だからと言って、すぐに信頼や好意に変わるかと言いますと、そういうわけにもいかないと申し上げるしか……」


 どこか歯切れが悪く言葉を紡ぐ同級生に対し、心配は無用だと笑みを向ける。

 

「そんなのは百も承知だよ」


 いちいち口にするのは面倒だという気持ちがないわけじゃなかったが、あくまでも俺の事を心配してくれているのだ。

 不安はきちんと拭い去ってあげる努力をしなければならないだろう。

 

「俺は常に試される立場だという事くらいは理解しているさ。皆が俺に対して協力的でいてくれる事もな」


 そういうと三人は安心したような顔を見せてくれる。

 不安げな表情でも可愛いけど、女の子達はやっぱり笑顔が一番だよな。

 男としての下心抜きにしても、この子達とは仲のいい関係でありたいと思う。 

 そして小笠原先生が来てホームルームが始まった。

 何事もないと思っていたのだが、一つ忘れていた事がある。


「それでは席替えをしたいと思います」


 そう、席替えである。

 中学時代は毎月席替えがあったものだが、それは英陵でも同じらしかった。

 俺はすっかり存在を忘れていた。

 新しい同級生と仲良くなるチャンスだと思うものの、そう簡単にいくのかという懸念もある。

 あいさつ以外のやりとりをした事がある相手は、相羽、恵那島、大崎、小早川、高梨、デジーレ、村久保、芳沢くらいのものだ。

 桔梗院姉妹との話も、結局上記のメンバーが代表して質問してきただけだったし。

 いや、あまりネガティブになるのもよくないよな。

 新しい友達を作るいいチャンスだと考えよう。

 席替えだが、まず最前列を希望する者を募り、そしてそれを除いたメンバーでくじを引くという形式だ。

 希望者は二人だけだったので、そいつらを教卓の前の席に決め、残る席に順番に番号を振っていく。

 一番から三十八番まで黒板に書いた後、先生はくじが入った箱を持って移動した。

 一番手は当然と言うべきか、俺である。

 引いた数字は……二十九番か。

 同じ列の後ろから二番目だな。

 まあ、位置が変われば見える風景も変わるだろう。

 問題は前後と隣だな。

 一体誰が来るんだろう。

 最前列を希望した二人は、いずれもそんなに仲が良くない子達だ。

 だから知り合いが近くなる可能性が減ったわけじゃないとは思う。


「赤松君、何番?」


 相羽がこっそり小さな声で話しかけてきたので、小声で返す。


「二十九番。相羽は?」


「十二番。離れちゃったね」


 相羽が残念そうに言ってくれたので、俺もことさら残念そうな顔を作って「本当だな」と相槌を打った。

 全くの嘘というわけではないので容赦してもらいたいな。

 全員がくじを引いた後、小笠原先生が言った。


「それでは席の移動を開始して下さい」 

 

 その一言で皆は一斉に席を立つ。

 俺も鞄を持って立ち上がった。

 前に座っていた子の名前は……何だっけ?

 やばい、思い出せない。

 まあ、いいか。

 問題はこれから一緒になる子の名前の方だ。

 俺は一番左端の列の後ろから二番目へと移動する。

 俺の右隣に座ったのは、デジーレだった。


「お、デジーレ」


「あら。ヤスでしたか。これからよろしくお願いしますね」


 さすがに眩しい笑顔ではなかったが、優雅な微笑を浮かべてくれる。


「うん。デジーレが隣で嬉しいよ」


「まあ……」


 俺の言葉を聞いたデジーレは少し頬を赤くした。

 あれ、今の一言に女の子が照れるような要素ってあったっけ?

 追及したら藪蛇になりそうだから、黙っておく事にしようか。

 前の席の子は並木という子だったので軽く会釈をしたが、後ろの席は小早川だった。


「小早川、よろしくな」


「ええ」


 俺が話しかけても小早川はクールに応えた。

 少しだけ口元が緩んでいたので充分だと思う。 

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