8
バーベキューは何とか無事に終わった。
他のクラスも、一人か二人はそれなりにできる子が配置されていたのである。
そのあたりは学校側も考えていたのかもしれない。
「こういうのっていいよね」
相羽が満足そうな顔で言うと、恵那島と大崎も似たような表情でうなずく。
「本当ですね」
俺達は今、後片付けの最中である。
ゴミは適当に廃棄せず、きちんと持ち帰るのだ。
これはお嬢様学校だからとかは関係がない、当然の事だろう。
綺麗に使うからこそ、次も楽しめるのだから。
「やっぱり珍しかったし、大変だったんじゃないか?」
俺も会話に加わる事にする。
彼女達とは同じ班で行動し続けていたし、カヌー乗りやバーベキューという関門を一緒に乗り越えた事もあって、仲間意識みたいなものが芽生え始めていた。
「確かに大変でしたけど、だからこそ楽しかったというのもあります」
恵那島が言うと相羽が相槌を打つ。
「そうだよね。家じゃ絶対にやらせてもらえないような事だし」
大崎も全く同感のようだ。
やっぱりこの子達はいいところのお嬢さんなんだなーだと思う。
知識として頭には入っているものの、実感するのはこういう時だと言うべきだろうか。
「赤松様にはご迷惑だったかもしれませんが」
大崎は気遣わしげな視線を向けてくる。
俺はそれを笑い飛ばす事にした。
「いや、いいんだよ。学校生活じゃ俺が助けてもらう事の方が多いんだから」
これは事実である。
茶道や華道、ダンスといったお嬢様学校特有とも言えるような授業は、クラスメート達に頼るしかない。
嫌な顔一つせずフォローしてもらっているのだから、そのお返しのようなものと思えばいい。
「ご恩送りというものですね」
恵那島がぽつりと言った。
ごおんおくり……? そんな言葉があるんだろうか。
恩を送っていくという意味かな?
「何にせよ困った時はお互い様という事で」
「はい」
班員達は笑顔で応えてくれた。
正直、以前と比べるとかなり自然になっていると思う。
男が一人という状況では、この連帯感はかなり大きい。
後片付けが終わると、今度はキャンプの為の準備である。
キャンプと言ってもテントを組み立て、飯盒炊飯とたき火をやるくらいだろう。
それだけでキャンプファイヤーと言えるのか、分からないけど。
男だけなら、そして天候がよければ外で一泊もありかもしれないが、俺を除けば女だらけである。
いくら学園の為の島だと言っても、危険である事には変わりないのだ。
次はテントの組み立てだったが、あまり心配してはいなかった。
バーベキューの時のコンロを見たせいである。
テントだって普通のものなら、男が一人ずつくらいいないと厳しいはずだ。
それだけに、お嬢様達だけでも組み立てられる仕様のものなんじゃないだろうか。
カヌーもきちんとゴールできなかったのは桔梗院達くらいで、他の子達は時間をかけながらもゴールしたんだし。
俺のこの考えは楽観的、あるいは間違いなんだろうか?
その疑問の答えはほどなくして分かった。
テントが各班ごとに割り当てられたからである。
まず、どんなものか簡単にチェックしてみたら、思わず苦笑が出たというのが本当のところだ。
テントはロッジ型で、ポールは軽いし、おまけにはめ込むタイプのものだった。
強度という点で多少の不安は残るものの、天気がよくて風もない今日であれば問題は起こらないだろう。
杭で固定するのは俺がやればいいわけだし。
「どうですか?」
確認作業が終わるのを見計らったかのようなタイミングで、大崎が声をかけてきた。
俺は立ち上がって振り向いてから口を開く。
「どうやら簡単に組み立てられるタイプのようだな。皆でてきぱきと終わらせてしまおう」
俺の指示に従って三人は動いてくれる。
まず屋根部分を組み立て、次にインナーテントをセットし、それからアウターテントの番だ。
そして俺が持ち上げている間に足ポールを立てる。
最後に俺がペグで固定して完成だ。
「わあ」
お嬢様達は口元に両手を当て、感嘆のため息を漏らす。
四人で力を合わせたのですぐに完成したのだが、彼女達にとっては大きな喜びだったようだ。
女子三人と一緒だったと思えば、まあこんなものかね。
周囲を見回してみれば、どこも説明書を見ながら頑張っていた。
デジーレがいる班はもう完成間際だったが、他はそうもいかないらしい。
当たり前と言えば当たり前である。
他の三人も当然、それに気がつく。
そして俺の方を見て、どこかすがるような目と口調で言った。
「あの、赤松様。私達もお手伝いに行ってもよいでしょうか?」
この大崎の発言には少し驚かされる。
手伝ってくる、あるいは手伝いに行こう、という言葉は予想していたんだが。
「いいんじゃないか?」
何で俺に許可を求めるような言い回しをしたのか、それが分からない。
その疑問が氷解したのは、次の相羽の言葉でだった。
「よかったら、一緒に行ってくれない?」
ああ、そういう意味だったのか。
俺は自分の鈍さを呪う。
だがしかし、それは置いとくとして、受け入れにくい提案だった。
「いや、皆バラバラに行った方がいいと思うよ」
はっきり言って、八人分も作業量はない。
一人一人がそれぞれ別の班を手伝った方が、全体の作業効率はあがるだろう。
俺が主張すると三人は少し残念そうにしながらも、受け入れてくれた。
まるで俺と一緒にいたかったみたいな反応だ。
小さく息を吐き出し、勘違いしてはいけないと自分に言い聞かせる。
彼女達が俺と一緒にいたかったとしても、それは自分達がクラスメート達に教える事ができるのか、という不安感の表れだ。
別に単純に俺といたいという意味じゃないはずだ。
魅力的な女の子達だけに、つい誤解しかけてしまうのが悲しい。
それが男って生き物の悲しさだと、心の中でだけうそぶきながら移動し始める。
テントの準備が終わるとただちに飯ごう炊飯の準備……とはならなかった。
待っていたのはブレイクタイム、俺の言葉で表現するなら休憩時間である。
別に休憩時間が挟まれるのは変な事ではない。
ただ、俺が面食らったのはその中身である。
どこからどうやって調達してきたのか、ワゴンが並び、お茶とスコーンが運ばれてくる。
……大量の執事らしき人とメイドさんらしき人達が運んでいるので、どこからどうやってというのは正しくないかもしれない。
しかし、野外活動中に、本職の人達に給仕してもらうというのはどうなんだろうか。
何か間違っているだろうと思うのは、俺が庶民だからなのか?
それとなく周囲を見回してみたけど、誰も疑問に思ってはいないらしい。
「赤松さん?」
恵那島に呼びかけられたので振り向く。
「これはダージリンですね。我が高では……」
おそらくは俺が分からなくて困っていると勘違いしたのだろう。
お茶の種類や楽しみ方を懇切丁寧に説明してくれた。
ありていに言えば興味がない事だったが、善意を無にするわけにもいかない。
「分かったよ、ありがとう」
説明が途切れたタイミングを狙って礼を言っておく。
続きを封じる意味合いもあったんだけど、恵那島は「いいえ」と照れ笑いを浮かべた。
……こういう反応を見ると、自分の心が汚れきっているって思うなあ。
善意を無碍にしてしまったようで自己嫌悪の感情すら湧く。
自分達が立てたテントに腰を下ろし、いい香りを発している紅茶を一口飲む。
仰いで見ればぬけるような青空が広がっている。
川のせせらぎは残念ながら話し声で聞こえない。
大声で騒ぐような子は英陵にはいないのだが、小声でも数百人ともなれば遠くの音を遮断するには充分のようだった。
女の子の声ってそういうものらしいし。
皆はさすがと言うべきか、ジャージ姿であってもお茶を飲む様は絵になっている。
唯一の例外なのが俺だった。
浮いているのは今更で、シュールとすら言えるだろう。
気にしているのはきっと俺だけなんだろうけど。
「赤松君、だいぶ馴染んできているよね」
不意に相羽がそんな風に言ってくる。
驚いて見ると、にこりと微笑まれた。
恵那島と大崎も首肯する。
「そうか? 自分じゃいまいち自信がないんだけど」
「大丈夫だよ。少なくとも咎められるような事はないから」
相羽が言うならそうなんだろう。
遠慮なくはっきりと指摘してほしいと頼んでおいたからな。
ただ、せっかく話しかけてきてくれたのに、このまま終わらせるのも勿体ないと思った。
「皆の方はさすがに様になっているよな。画家が絵に描きそうなくらいだ」
感心してみると三人はいっせいに顔を赤くしてしまう。
……これくらいの褒め言葉でこの反応なんて、本当に初心すぎると思う。
少しくらいは慣れてくれないとやりにくいんだが、適当に聞き流されるも悲しいしな。
勝手なジレンマを陥っていると、三人は「そんな事ない」と謙遜する。
「やっぱり翠子様や紫子様には敵わないですよ。あのお二方は別格といった感じです」
大崎が憧れを込めて言った。
翠子様っていうのは、生徒会長の姫小路先輩の事だろうな。
後一人の紫子様っていうのは誰だろう。
確か生徒会の先輩も口にしていた気がするけど。
とは言え、この流れで訊くのもどうかと思う。
「そんな事はないだろう」
俺が言うと、三人の瞳には珍しく懐疑的なものが浮かぶ。
「そうかな?」
相羽が言うと恵那島が小首をかしげる。
「赤松さんは翠子様の事はご存知のはずですよね? 生徒会役員になられたのですから」
「うん、まあ雑用だけどね」
俺の謙遜混じりの言葉は聞いてもらえなかった。
「翠子様をご存知なのに、そのような事を仰るなんて」
大崎の顔は何とも複雑である。
真面目でおっとりしたこの子がこんな顔をするなんて、一体全体姫小路先輩はどれくらい巨大な存在なのか。
そういう疑問はさておき、この子達だって魅力的なのは事実だ。
それは理解してもらわなければならない。
どう言えばいいんだろう。
ただ単に何となく褒めるだけじゃ、ダメなんだろうな。
「相羽は親しみやすいし、恵那島は冷静で頼りになるって感じだし、大崎は一緒にいれば和ませてくれるのに。何も卑下する事なんてないと思うよ」
かと言ってすぐにいい言葉が浮かぶはずもない。
仕方なく、とっさに出てきた事を言い並べる。
「そ、そうかな?」
どうやら外さなかったらしく、三人ともまんざらでもなさそうな顔をした。
女の子の喜ぶ褒め方って難しいよなぁ。
この子達は(少なくとも男には)褒められていないのか、大概の事で喜んでくれるんだけど。
「赤松様だって勇気があって、優しくて素敵ですよ」
大崎がそんな事を言ってきたのでドキリとさせられる。
しかし、さっき褒めた事への返礼みたいなものだろう。
そう自分に言い聞かせる。
褒められたと思って浮かれたら、一気に失墜してしまう。
そんな危険なところだと忘れてはいけない。
昨晩の事だって、それなりの人間は誤解だと分かっていたのにも関わらず、居心地の悪い時間をそれなりに過ごさなきゃいけなかったんだ。
一度やらかすと挽回するのは容易じゃない。
今日あったカヌーの転覆みたいな、汚名を返上する為にうってつけな出来事なんて、そうそう起こるはずがないのだ。
ほっと息を吐いて空を見る。
いちいち細部まで気を回しているのがとても馬鹿らしくなるような、そんな大空を。
「赤松君は空が好きなのかな?」
相羽がふと質問をしてくる。
そりゃ何度も空を見ていたらそう思われるのも無理ないか。
好きか嫌いで言えば好きなんだけど、きっと相羽の言う「好き」とは種類が違う。
「何と言うか、青く晴れ渡った空を見ていると、心が洗われるような気になるんだよ」
これでも言い回しには気を使ったつもりだ。
リフレッシュしている、なんて言えば「じゃあ、英陵にいるのが苦痛なのか」となりかねないからな。
「素敵な表現ですね」
恵那島がそう微笑み、俺を真似して空を見上げる。
大崎も相羽も、恵那島に釣られたわけじゃないとは思うが、同じ事をした。
「赤松様って詩人だったのですね」
大崎に至ってはそんな事を言う。
さすがに褒めすぎだと思い、俺は内心ドン引きだった。
態度に出せばおっとりとしたクラスメートを傷つけてしまいそうなので、必死に押し殺したが。
ふと気づいたんだが、もしかしてこの子達の中で俺って存在は、かなり美化されているのか?
いくら何でも自意識過剰すぎるような……。
うん、そうだ、自意識過剰、自意識過剰。
早口言葉のように繰り返し、自分の脳をクールダウンさせる。
たぶん、彼女達の表現であって、特別な感情が含まれているわけではないのだ。
男は勘違いしやすいって言われているらしいし、気をつけないとな。
美少女達に囲まれて、仲良くお茶できるだけで我慢しないと。
入学が許されるのにかなり厳しい審査があったんだし、それは今だって継続されていてもおかしくはない。
調査してだけじゃ分からなかっただけ、ともなれば容赦なく退学させられるはず。
この子達の親の誰か一人でも怒らせれば、あっという間に我が家は消滅する危機を迎える。
そんな階級の家の子達なんだという事は忘れてはいけない。
あまり卑屈になりすぎると逆に幻滅されてしまいで、それはそれで怖いんだけど。
飯ごう炊飯は特に問題はなかった。
炊くだけって言えば語弊があるかもしれないけど、それでもお嬢様達にとってはバーベキューより難易度が低かったらしい。
俺にとってはどっちも似たようなものなんだが、それは言ってはいけない事だからな。
そして、最後にはキャンプファイヤーである。
無数の宝石を散りばめたような見事な星空の下で、煌々と燃え盛る炎をぐるっと取り囲む。
芸術方面に疎い俺でも心を震わさずにはいられないような、すばらしい光景だと思う。
それで皆で歌を歌っていく。
ここまでは中学の時と同じだったので、俺も安心していたのだが、世の中は……と言うよりは英陵高校は、そこまで甘くはなかった。
三曲歌った後、今度はダンスタイムとなったのである。
ちょっと待て、まだダンスの授業は先だったはずだぞ。
俺は本気でそう言いたかった。
実際に口から出したのはうめき声だけだったが、周囲にいた女子達にはそれで通じたようである。
「私達でよければ教えるよ?」
相羽がそう言い、三人娘は笑いかけてきた。
女の子にこう言われて拒絶するわけにもいかないよな。
立ち上がって恭しく一礼する。
「お嬢様がた、非才の身ではありますが、よろしくお願いします」
三人とも慣れた様子で立ち上がって礼を返してきた。
どれもごく自然なもので、慣れている事が俺でも読み取れる。
離れた場所から音楽が聞こえてきた。
普通ならば録音したものをスピーカーか何かで流すんだろうけど、英陵の場合は楽団とも言うべき存在がこの場で演奏するのである。
一体どこが野外活動で、オリエンテーションなのか激しく問い詰めたい。
だが、それをやっても無駄だろうなと思えてしまう。
誰もが当たり前の顔をしているからだ。
家に帰ったら千香の奴に教えてやろうと思う。
「知っているか? 金持ちってな、子供のオリエンテーション合宿の為に、大量の使用人や楽団を送りつけてくるんだぜ」
そう言ったらあいつはどんな顔をするかなぁ。
初めに手に取ったのは相羽だった。
意味はない。
三人のお嬢様達が顔を見合わせて、無言で牽制合戦とも譲り合い戦争ともつかない事を始めたからだ。
「名前の順で」
俺がそう言うと三人は何度か瞬きしたものの、やがて諦めたように従ってくれた。
相羽の手はイメージ通り小さくてそして柔らかい。
ミステリに出てくる探偵の真似事をするなら、「苦労を知らないお嬢様の手」だとなるだろう。
けれども、今日の為、そしてさっきまでの行事で彼女の手はそれなりの苦労の跡がうかがえる。
手を握った拍子にそこまで読み取ったわけじゃないのだから、少しも自慢にならないし、推理と呼ぶ事すらできないのだが。
曲の名前どころか、カテゴリーさえも分からない。
ただ、相羽の指示に従い、彼女の右手を握りつつ、反対の手をほっそりとした腰に回しているだけだ。
傍目にはステップを踏んでいるように見えるかもしれないが、実態は単なる足踏みである。
互いの足を踏まないようにだけ注意すればいいという、彼女の言葉に甘えたのだ。
星明りや火の明かりに照らされるお嬢様達の姿はとても幻想的で、俺の語彙力では恥ずかしながら「ムードがある」「ロマンティック」とくらいしか言いようがない。
着ているものがパーティードレスではなく、体操服である事は何の影響も感じなかった。
喋る者はほぼいないのが、一種のセレモニーみたいな空気を作り出すのに一役買っている。
相羽とのダンスが終わり、恵那島、大崎とのダンスとなっていってもそれは変わらない。
三人とのダンスが終わった俺は大きく息を吐き出す。
何とかごまかしきれた、というのが本心だった。
大役を果たした気分になり、少し離れた場所へ腰を下ろす。
ダンスはまだ終わりではないが、相羽達はもう俺と踊ろうとはしなかった。
遠慮してくれたんだろうな。
班員達の心遣いに感謝しながら、同級生達の踊りを見る。
正直、あまり明るくないせいで、俺との違いはあまりよく分からなかったが、それでも俺よりはずっと堂々としているように思う。
単に俺に見る目がないだけの可能性は否定できないのだが。
そんな俺のところへ近づいてくる影があった。
誰かと思えば桔梗院である。
それと分かったのは、彼女が俺の真横に座って小声で話しかけてきたからだ。
「あの、赤松様。私と一曲踊ってはいただけませんか?」
その誘いにとっさに返答しかね、思わず端正な顔を見たのは責められないと思う。
「ダメでしょうか」
遠いキャンプの火と星と月くらいしか光源がなかったとしても、彼女の顔が悲しそうなものになった事は理解できた。
「いいよ」
俺は仕方なくそう答え、曲が新たに始まるタイミングを見計らない、ほっそりとした手を取る。
「ありがとうございます。大切な思い出にします」
とても嬉しそうな声が耳朶をくすぐった。
いくら何でも意気込みすぎだと思ったが、それを口に出すのは野暮というものだろう。