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はいそっ  作者: 相野仁
十話
110/114

9

 翠子さんが去ってからたっぷり三分くらいは経過して、ようやく三人は再起動した。


「驚いたわ……まさか翠子様に話しかけられるだなんて」


「私たちのことをご存じだなんてびっくりよね」


 三人は口々に言い合う。

 その頬は興奮でうっすらと上気している。

 どちらかと言えばおとなしくて落ち着いた印象が強かった子たちの興奮している様は新鮮だった。

 彼女たちはやがて遠慮がちに俺の方を見る。


「やっぱり赤松さんがいらっしゃったから話しかけられたのではないかしら?」


「他に理由はないでしょうね」


 そんなことはないと思いたいが、言い出しにくい。

 翠子さんと同じ空間で過ごした日々は彼女たちの方がはるかに長いだろうからだ。

 

「そう言えばあのメンバーも王羲之を見に来たのかな?」


 俺は強引に話をずらそうとする。

 露骨だったとしてもお行儀のいいお嬢様たちには効果てきめんなやり方だ。


「どうでしょう? 翠子さまは他の方のお付き合いかもしれません」


 まあ翠子さんだしな。

 英陵に展示されているものは大体持っていたり、本物を見たことがあったとしても意外じゃないか。

 実は爵位を持っていたなんてことが分かったりしたしな。

 他にもまだ明らかになっていない事実が出て来るんじゃないかと言いたくなる。

 書道については以前二人で遊びに行った時はなかったような気はするけど、頼めば出てくるんだろうなと思えてしまう。

 いちいち試してみる気にすらなれない。

 翠子さんが俺たちに話しかけてきたというのは、他のお嬢様たちの間でも話題になっている。


「やっぱり」


「さすがヒーロー様」


 という声なんて聞こえない。

 絶対に聞こえないぞ。

 

「最後になってしまったけど、御子柴さんが行きたいところはどこだい?」


 ここから脱出するために俺は問いかける。


「そうですね」


 彼女はちょっと迷ってから答えた。


「体育館がいいです」


「体育館か」


 えっと、ここからだとどう行けばいいんだっけ?

 とっさに出て来なかった俺に向かって御子柴さんは指である方角を示す。


「体育館はあちらですよ」


 ……お世話になります。

 素直に後をついていくことにした。

 お嬢様たちをエスコートできなくて申し訳ない。

 この点については、彼女たちの幻想はとっくに砕け散っているだろうな。

 むしろ何でいまだに「ヒーロー様」と呼ばれているのか分からないくらいだ。

 幻想を抱かれているよりはよっぽどいいんだけどな。

 

「体育館には何があるんだい?」


 秘密って返されることも覚悟していたが、御子柴さんは別に隠したりはしなかった。 


「ふふふ、人形があるんです」


「へえ、人形?」


 俺は正直ピンとこない。

 人形と言えばひな人形とかそういうものを思い浮かべてしまう。

 ここの文化祭にふさわしいものなんてあるんだな。

 アンティークか何かなんだろうか?

 

「殿方はやはり人形には疎いですか」


 御子柴さんは気にした様子もない。 

 俺が疎いのは人形にかぎった話じゃないけど、あえて言わないのは彼女の情けかな。

 体育館に入っていくと、けっこうな数のお嬢様たちがいた。


「あら?」


 そこで出会ったのは百合子さんたちだった。

 他三人は見覚えがあるけど、名前は知らない。


「赤松さんもこちらにいらっしゃったのですか?」


 お嬢様たちがさっと道を開けるのを当然という様子で、百合子さんは嬉しそうに寄って来る。

 何だろう、格の差みたいなものを感じてしまう。


「ええ。級友のすすめで」


 と言ったのは「友達が見たいと言ったから」と答えるよりも、心証がマシだと判断したからだ。

 

「そうなのですね。殿方が人形に詳しいと言うより、納得できました」


 百合子さんはにっこりと俺に笑いかけた後、ちらりと探るような視線を三人に向ける。

 

「あ、私のおすすめです、百合子様」


 御子柴さんがそう答えた。

 表情も声も若干かたく、ちょっと緊張しているらしい。

 こういう光景を見せられるとやっぱり……と思ってしまうなあ。


「そうでしたの」


 百合子さんはすぐに俺の方に向きなおる。


「こちらの方がいれば大丈夫でしょうけど、何か分からないことがあればわたくしでもお役に立てると思います」


 彼女は微笑んで同じ班のメンバーと去っていく。

 「我慢」という単語が聞こえたのは気のせいじゃないんだろうな、きっと。

 しかし、問いただすのは怖いし、デリカシーがないと思われそうだ。

 それに今いっしょの三人を放置するわけにもいかない。

  

「御子柴さん、詳しいよね?」


 何となく聞いてみると、彼女は複雑そうな表情で応じる。


「多少自信はありますけど、百合子様にかなうかどうか……」


 え、あの子そんなにすごいのか?

 お嬢様のたしなみってやつなんだろうか。


「せっかくの行事なんだし、御子柴さんに解説をお願いしたいんだけどな」


 そう言ってみると彼女はちょっと元気が出たらしい。


「はい。未熟な身ではありますが、精いっぱい努めさせていただきますね」


「いや、そんなにかしこまらなくても」


 いいのにと思ったけど、百合子さんと遭遇した影響なのだろうか。

 彼女のこわばりはすぐにはほぐせなかった。

 しかし、少しずつ戻ってきたらしい。


「失礼しました」


「気にしなくていいよ」


 彼女は謝ってきたが、こちらとしては謝られる理由がなかった。

 

「御子柴さんのおすすめはどれかな?」


 とりあえず質問を振る。

 考えてもらって、少しずつ元に戻ってもらったらいい。

 そういう狙いがあったのだ。

 

「そうですね……混んでいますが、フランスのビスク・ドールがおすすめですね」


 彼女は少し考えた後、そう言って左側に顔を向ける。

 確かに大きな人だかりが出来ていた。

 それだけ人気があるんだということが嫌でも分かる。

 ビスク・ドールって聞きなじみがないけど、お嬢様たちの間で人気があるならすごい品なんだろうな。

 そっと近づいて見てみると、陶磁製の可愛らしい少女人形が並んでいる。

 これってアンティーク人形ってやつじゃないのか?

 ビスク・ドールっていう呼び方が正式なのか?

 よく分からないけど、目の前に陳列されている人形たちは年月を感じさせながらもきっちりと手入れがされていることが俺の目にもよく分かる状態だった。

 

「あれはジュモー工房の品でしょうね」

 

 と御子柴さんが言う。

 まだ離れているはずなのにどこのメーカーなのか分かるものなのか。

 愛好者の眼力って本当にすごいよな。


「他にはどんなメーカーがあるんだい?」


 せっかくだからと聞いてみたら、彼女は嬉しそうに教えてくれる。


「あちらはブリュ、そちらがケストナーですね」

 

 違いもいろいろと説明されたけど、全然分からない。

 分かる人には分かるものなんだな。

 「違いが分かる通」とは彼女のような人のことを指すのだろう。

 途中で彼女はハッとなって自分の口を手で押さえる。


「ご、ごめんなさい。私ったらつい」


「気にしなくていいよ」


 俺はそう言ったものの、彼女の申し訳なさそうな表情は変わらない。

 やむを得ず彼女をフォローする文句をひねり出す。


「好きなものを話す君の表情は素敵で、新しい一面を見つけられて嬉しかったよ」


「え、そ、そうですか」


 我ながら歯が浮きそうだと思ったものの、それだけに効果はてきめんだった。

 彼女は真っ赤になってうつむき、もじもじとしている。

 ……ちょっと効果がありすぎたかもしれない。 


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