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「私の行きたいところは……そうですね。中庭なんていかかでしょう」
淵野辺さんはそのようなことを言い出して、俺は意表を突かれたけど、他のふたりは「なるほど」という顔をしていた。
「分かった。中庭に行ってみよう。ところでここからはどう行けばいいんだっけ?」
中庭自体ほとんど行ったことがないので、ここからの道順を思い浮かべることができなかった。
素直に彼女たちを頼りのが賢明だろうと判断する。
「ふふ、それではご案内いたしますね」
淵野辺さんは上品に微笑みながら俺の一歩前を歩く。
道中色んな人とすれ違うが、にこりと笑うばかりで誰も話しかけてこなかった。
これもまた上品な対応ってやつだろうか。
それともお嬢様たちだから、「いちいち話しかけられて足止めされるのは厄介」という感覚が理解できるのだろうか。
両方かもしれないな。
だってここは英陵なんだから。
「中庭には何があるんだい?」
「ふふふ、行ってみてのお楽しみですわ」
聞いても意味深な笑みが返って来るだけだった。
彼女たちにしては珍しい反応だ。
意地悪という言葉から対極の領域に住んでる子たちが、こういう態度なのには何か理由があるのだろう。
何かびっくりするようなものでもあるのかな。
中庭にはこうやって行けばいいのか……と思っているうちに到着した。
中庭と言っても中学校のような狭いスペースじゃなく、体育館が入りそうな広さだ。
そしてそこには食べ物の屋台がいくつも出ていた。
どんな展示物があるんだろうとばかり思っていたから、完全に意表を突かれて唖然としてしまった。
「ふふふ。驚かれましたか?」
淵野辺さんはしてやったりという顔で聞いてくる。
悔しいが完敗だったので大きくうなずいた。
飲食店が営業しているのは知っていた。
昼飯持参を呼びかけたりされなかったからだ。
そもそもお嬢様たちには弁当を持ってくるという発想すらなさそうだし……。
一番意外だったのはクレープ、サンドイッチを買っているお嬢様たちがいることだった。
「お嬢様たちだってああいうものを買うんだな」
偏見が入った言葉かもしれないと気づいたのは、声に出した後だった。
しまったと思ったが、淵野辺さんたちは少しも気にしていなかった。
「ええ。私たちだって、立食パーティーに出たことはありますもの」
と宮下さんが説明してくれた。
立食パーティーと屋台で買い食いするのでは、ずいぶんと差異があるような……。
上流階級にとっては似たようなものなのだろうか。
さすがに歩きながら食べているような子は一人もいなかった。
いつの間にか用意されていたベンチや椅子に座って、楽しそうに食べている子ばかりだった。
「赤松さんはああいうスタイルに親しみはあるのではないでしょうか?」
淵野辺さんに尋ねられてこくりとうなずいた。
屋台のたこ焼きを買ったり、コンビニでおやつを買ったりすることはあるものだ。
お祭りの時は言うまでもないだろう。
だからこそ、英陵の敷地内で見られることが驚きだったのだ。
立食パーティーと同じ扱いをされるとは夢にも思わなかった。
「俺の為に連れてきてくれたんだな。どうもありがとう」
「どういたしまして」
淵野辺さんの心遣いに礼を言うと、素敵な笑顔が返ってくる。
いいなぁ、この笑顔と心遣い。
「よろしければお昼はいかがでしょう?」
少し早い気もするが、目の前の光景が胃袋を刺激したのは事実だった。
「そうだな。じゃあ皆で行こうか?」
同行者を置き去りにして、自分一人ご飯を食べるわけにもいかない。
「はい」
三人は素直についてきてくれる。
元々そのつもりだったのだろう。
中庭の入口のすぐ近くの左側の店はサンドイッチ屋、その奥がクレープ屋だった。
「いらっしゃいませ」
店主は女性で、多分三十代だと思われる。
元気のいい声ではなく、上品でていねいなあいさつがかけられる。
屋台の人が着ているような服装ではなく、紺やグレーのスーツなのがシュールだった。
しかし、英陵で店を出す条件なのかもしれないと思えば納得はできる。
無理やりでも納得するしかないとも言う。
サンドイッチはタマゴサンド、ツナサンド、ハムサンドと色々あった。
持ち運びしやすいようにパック入りである。
ひとパック当たりの量があまり多くないのは、お嬢様たちが想定ターゲットだからだろう。
こればかりは仕方がない。
財布をとり出したところで値札が出ていないことに気づいた。
「あなたもこちらの生徒さんなんでしょう? お金はいりませんよ」
屋台のお姉さんに優しく教えてもらって、俺は赤面しながら財布をしまった。
「そういえばそうだった」
屋台だからとついつい反応してしまったが、英陵だったら無料で食べられるよな。
「カツサンドとハムタマゴサンドをひとつずつで」
「はい。どうぞ」
笑顔で品物を手渡される。
正直これだけじゃ足りないけど、他にも商品が出ているからな。
せっかくただで食べられるんだから、色々と食べてみよう。
食欲の秋なんだから。
淵野辺さんはタマゴサンド、宮下さんはハムサンド、御子柴さんはツナサンドだった。
ひとつだけじゃ女の子でも足りないだろうと思ったものの、きっとクレープなんかを食べるためだろうなと考える。
「どこで食べようか?」
パックを抱えながら聞いてみると、御子柴さんがアイデアを出してくれた。
「教室か、ベンチか、食堂でしょうか」
確実に座れるのは教室だろう。
食堂は混んでいる可能性がある。
ベンチはすいているけど、人気がないらしくて座っている子が見当たらない。
……ベンチを設置した人が泣くんじゃないかとちょっと同情したくなった。
「食堂か教室かな。……そう言えばめったに教室で食べないな」
ふと思った。
無料で豪華な昼食を食べられる恩恵をふんだんに受けるために、家から弁当を持ってくることはなかった。
母さんも楽でいいと笑ってすませている。
「では教室に行きますか? もしかするとどなたかいらっしゃるかもしれませんね」
淵野辺さんの意見に少し考えた。
教室でクラスメートを食事をとるのは、中学までは日常である。
それが遠い過去のように感じられるから不思議だった。
「うん、そうしようか」
教室に戻ってみると、ふた組ほどが先に戻ってきている。
全員食べ物と飲み物のカップを机の上に置いていた。
「あら、赤松さんお帰りなさい」
「ただいま」
やりとりをしてから尋ねる。
「飲み物はどこで扱っているのかな?」
「食堂で扱っていますよ。後は下駄箱を出た先にもお店が来ています」
にこりとして教えてもらった。
そうか、食堂に行けばよかったんだな。
淵野辺さんたちはたぶん知っていただろうけど、俺に合わせてくれたのだろう。
「じゃあ飲み物を俺が持ってくるよ」
俺は三人にそう言った。
「何がいい?」
「では紅茶をお願いします」
淵野辺さんはそう答え、他の二人は同じものをと言う。
分かったと出発するには、英陵で過ごした時間は長かった。
「紅茶と言ってもブランドも色々あるんだろう? ミルクかレモンかもあるし」
「食堂でミルクティーを頼んでいただければ大丈夫です」
淵野辺さんがうっかりしていたとばかりに言い、他の二人も同じものにしてくれる。
きっとバラバラの注文じゃ覚えられないだろうという、俺への配慮なんだろうな。
ありがたく甘えて食堂へ行ってみると、けっこう賑わっていた。
遠目からでも知り合いのグループはいたものの、気づかないふりをして紅茶を入口の脇で四人分もらう。