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はいそっ  作者: 相野仁
十話
106/114

5

「お兄ちゃん、何してるの?」


 演説内容を考えていた俺の真後ろから声をかけてきたのは妹の千香だった。

 完全な不意打ちを食らって思わず飛び上がりそうになる。

 メモ帳を閉じて振り返りながら注意をした。


「お前、部屋に入る時はノックくらいしろよ」


「したけど返事なかったよ?」


 妹は真顔で言う。

 こいつはこの手のうそはつかないから、きっと俺が気付かなかったんだろう。

 兄妹だからか、お互いの顔が目と鼻の先になっても平然としている。


「……そうだったのか。ごめん」


 すぐに謝ると彼女はため息をついた。


「根を詰めすぎないようにね。ところで何をしているの? 進級やばいの?」


 こいつの遠慮のない物言いには慣れているので苦笑しか出ない。


「それは何とかなっているよ。兄を何だと思っているんだ?」


「かっこつけて親孝行しようとして、不慣れな女社会に飛び込んで、ラッキーと思わず試練だと考えちゃう、超真面目な馬鹿兄貴」


「ストレートすぎるわ!」


 あまりにも容赦ない言葉に俺は思わず抗議の声をあげる。

 

「だってそうじゃん? ひとりで損ばかりして、馬鹿みたい」


 妹の表情は馬鹿にしているものではなく、心配そうな色で満ちていた。

 だから続きの文句が急停止してしまう。


「……もしかしてお前が英陵を受ける気になったのって……?」


 思わず聞いてみると、千香はさっと目をそらす。


「ふん、自意識過剰すぎだよ」


 こいつが目をそらして憎まれ口を叩くのは、図星を突かれて照れくさい時だ。

 そうか、そうだったのか……。

 俺は自分が頑張るのは当たり前だと思って頑張ってきたけど、周囲にはそんな俺のことを心配してくれる人たちがいる。

 そんなことを忘れていたんだから、確かに俺は馬鹿な兄貴だ。

 

「損なことばかりじゃないぞ。いやらしい話をするなら、大学や就職にアドバンテージがもらえるかもしれない」


「えっ?」


 俺の言葉を聞いた千香は目を丸くする。


「あくまでも可能性の話だけどな」


「……そういうの英陵はありなんだ? 何となく絶対に許されないイメージを持っていたんだけど」


 妹はすぐに喜んではくれず、半信半疑という顔だった。

 

「まあ、確約をもらったわけじゃないからなあ。立ち消えになるかもしれないな」


 慎重に言うと千香は不満そうに口をとがらせる。


「何それ。ぬか喜びもいいところじゃない?」


「いや、だって権限を持っているのはお嬢様たちじゃなくて、その親御さんたちだからな」


 お嬢様たちがどれだけ望んだところで、権力を持っている親にダメだと言われたら覆らないだろう。

 そもそも同級生たちの評価は高くても親世代の評価はどうなんだろうか。

 ダメだったらたぶんとっくに学校から追い出されているとは思うんだが……。


「ふーん? 悪いことばかりじゃないってことね」


「お前も仲良くなったお嬢様の秘書くらいには雇ってもらえるかもしれないぞ」


 冗談めかして言ったが、千香はくすりともしなかった。


「あいにく、あたしはもう少し選ぶ余地がありそうだからね」


 生意気な口を叩くものの、こいつの言っていることは事実である。

 ただ、頭のいい女子は必ずしも歓迎されるわけじゃないといつか親父がぼやいていた気がするんだけど。

 こいつならと信じたいが、誰とでも仲良くやれるタイプじゃないのが兄として引っかかる。

 やっぱり社交性って大事だと思うし……。


「選択肢は多いほどいいらしいぞ。正直、まだピンとこないけど」


「心配してくれるのはうれしいけど、お兄ちゃんはまず自分の心配をしなよ」


 兄として心配したら物の見事に切り返されてしまった。

 

「……うん」


 とっさに反論を思いつかなかったため、仕方なくうなずく。

 

「で、何をしていたわけ?」


 いろいろな話をしたはずだったが、結局千香はごまかせなかったらしい。

 客観的な意見もほしかったので聞いてみることにする。


「英陵に来てよかった。みんなのために頑張って働きたい。ねえ」


 千香の表情からするとあまり評価は高くなさそうだな。

 兄妹だとすぐに分かってしまうのも善し悪しだ。


「ダメかな?」


「無難すぎて印象に残らないんじゃない?」


 容赦ない感想が俺の心にグサリと突き刺さる。


「いやまあ、信任投票形式になるならいいのかな? 話を聞く限りだと、みんなお兄ちゃんに入れてくれそうだしね」


「……そう信じたいけど、どうなんだろうなあ?」


 大丈夫だとは自分に言い聞かせてはいるものの、一抹の不安はぬぐえない。

 翠子さんがいるおかげではないかと気の弱いもう一人の自分がささやきかけてくるのだ。

 

「え、自信がないの?」


 千香の問いにうなずいた。

 他のお嬢様たちの前じゃあまり弱音を吐けなかったが、こいつにならかまわないだろうという思いがある。


「ふーん。他の人には見せないわけか。まあお兄ちゃんにしては悪くないんじゃない?」


 生意気な表現でほめてくれた。


「そうか?」


「うん。だって自信がなさそうな男よりも自信に溢れている男のほうが、女子にはかっこよく見えるもの」


 意外な答えが返ってくる。

 

「そういう意味ではお兄ちゃんはもう少し堂々としていたほうがいいかもね」


 ……そういうものなのか。

 女子ウケとか深く考えたことはなかった。

 嫌われないように精一杯やってきたつもりだったけど。


「かっこいい女子ってたぶん英陵にもいるだろうけど、いい意味で男らしさ、男くささを出せるのはお兄ちゃんだけだろうし、そういう意味では有利だよ」


 有利と言うか、お嬢様たち相手に男らしさ勝負で負けたら立つ瀬がないと言うか……。

 

「頑張れ、お兄ちゃん」


「お、おう。頑張るよ」


 何だかんだ言って応援してくれるらしい。

 妹に可愛く言われると、生意気な口を聞かれたこともすっ飛んでしまうのだから我ながら単純だ。

 

「……ところでお前、何をしに来たの?」


 俺はようやくその疑問を思いつく。

 妹が用がないのに部屋に遊びに来るほど可愛かった時代は、残念ながら数年前に終わっている。

 今は用がないかぎり近づきもしないはずだ。


「あ、そうだった。晩ご飯だよ」


 言われて時計を見ると確かにそんな時刻になっている。

 同時に腹の虫がぐうっと鳴った。

 一体いつの間にと思いながら、いったん思考を中断する。

 没頭していた時は気にならなかったけど、一度空腹を感じたらもう集中できなくなってしまったのだ。


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