第9話くま耳と幽霊少女
「お前はどんだけ節操がないんだ」
俺は、目の前で腰に手を置いて、仁王立ちする夕凪の前で正座させられていた。
「俺のせいじゃ……」
「言い訳するな!」
「うっ!」
説明しようとする俺に、夕凪はピシャリと言い放たれ、絶句してしまう。
「私というものがありながら、他の女を連れ込むなんて、どういうつもりだ?」
「別に、お前とは恋人という訳じゃないし。それにこいつは……」
「うぅ……私達の愛はそんなものだったのか……?」
まるで付き合っているような口振りで話す夕凪を、俺は軽くツッコミを入れる。
更に少女の事を説明しようとした俺の言葉を遮り、夕凪は両手で顔を覆った。
「いや、その……愛とか言われても……」
『……嘘泣き』
しどろもどろになる俺とは打って変わって少女は冷静だった。
夕凪の顔を横から覗き込むと、ボソッと呟いた。
「……貴様は何だ?」
『私はこいつにとり憑いた幽霊よ』
「幽霊ごときが私に盾突くか」
まるで威嚇するように睨み付けて低い声で聞く夕凪に、少女はアッケラカンと答えた。
少女も負けてはいない。
「まあまあ、二人共落ち着いて」
『うるさい!』
「お前は黙っていろ」
「……」
一触即発な雰囲気を感じ取った俺は、柔らかく間に割って入った。
しかし、あっさりと一蹴される。
俺は部屋の隅っこに行って、のの字を書きながら拗ねた。
『まずはあんたから不幸にしてやるわ』
「やってみろ」
そんな俺をお構いなしに、二人の話はどんどん進んでいく。
しかも、不穏な方向にだ。
バチバチと火花が飛び散っていたかと思うと、少女はスーッと消えていった。
「おい!何怒らしてるんだよ!」
「成り行きだ」
「これから、どうするんだ?」
「何とかなるだろう」
心配になった俺が夕凪に詰め寄ると、いつもと変わらぬ表情で返してきた。
まったく、こいつは何も考えてない。
俺は深々とため息を吐いた。
と、その時、いきなり棚の上の雲丹の置物が落ちてきた。
「危な……っ!」
「……」
庇おうと飛び出したが、夕凪がヒョイと避けた為、雲丹は俺の鼻面に直撃した。
「くおーーーっ!」
「何をしている」
雲丹の棘が刺さって悶絶する俺。
そんな俺を冷ややかな視線で見つめる夕凪。
何故、こんな目に遭うんだ?
というか、これが幽霊少女の言っていた不幸なのか?
これは、気を付けなければ……。
「さて、散歩にでも出掛けるか」
「何故!?」
いきなり、散歩に出掛けると言い出す夕凪に、俺は思い切り詰め寄った。
「毎日の日課だ」
「いや、そんな日課初めて聞いたぞ」
「うるさい。行くったら行くんだ」
突拍子のない事を言い出した夕凪に、俺はツッコミを入れる。
夕凪は子供のように駄々をこね出した。
こうなっては梃子でも動かないだろう。
仕方ない。
俺がカバーしよう。
そう心に誓って、俺は玄関を出た。
外に出た夕凪はぶらぶらと歩き始める。
夕凪は機嫌が良いようで、くま耳がピコピコと動いている。
俺はというと、周りに注意を払っていた。
「暴れ馬だーーーっ!」
「あ、暴れ馬!?」
あまりに唐突な事態に、俺は困惑する。
俺が住んでいるのは、田舎でも西部劇の舞台でもない。
普通に考えて、暴れ馬などいるはずが……。
とか、考えている場合じゃない!
今まさに、暴れ馬は夕凪に迫っていた。
「夕凪っ!」
俺は夕凪を押し退けて暴れ馬の前に出ようとしたのだったが、サッと避けられた。
「え……?」
残された俺は呆然としてしまう。
と、次の瞬間、暴れ馬に弾き飛ばされた。
「どわーーーっ!」
しばらく倒れていた俺は、むくりと起き上がる。
何だか頭が痛い。
「頭に蹄鉄の跡がついてるぞ」
「うぅ……」
冷静に指摘する夕凪に。俺は手で顔を覆って、さめざめと泣き始めた。
何故、俺がこんな目に遭うんだ……。
「横綱が酔っ払って、張り手しながら走ってるぞーーーっ!」
「いやいやいや」
マジでありえないから!
両国国技館の近くじゃあるまいし。
それよりも、夕凪を救わなければ!
俺は横綱の前に立ちはだかった。
「来い!」
俺は気合いを入れて、横綱とガップリ四つに組む。
が、相手は横綱、簡単に上手投げされてしまう。
しかし、横で見ていた親方の一人がものいいをつける。
「え?」
いやいや、何処をどう見ても完璧にやられたから。
ものいいをつけられた横綱は納得いかないのか怒っている。
これはまずい。
「いや、間違いなく、俺の負けだから」
親方に説明するが、首を横に振るだけだ。
そんな……。
やるしかないのか。
仕方なく、俺は横綱と向かい合う。
「おらーーーっ!」
「どはーーーっ!」
まあ、結果は見えていたけどね。
俺はあっさりと投げ飛ばされた。
しかし、またもや、親方の一人が手を挙げている。
ものいいだ。
「嘘……だろ」
そんな感じで俺は結局八番も相撲をとらされたのだった。
その後も不幸は続いた。
ハゲたヒーローに襲いかかられたり。
おデブなペルシャ猫が空から降ってきたり。
そのどれも夕凪は軽く避けて、災難は全て俺に降りかかった。
家に帰り着いた頃、俺はボロボロになっていた。
「……もう勘弁して下さい」
「仕方ないな」
平伏する俺に、夕凪はため息を吐いた。
しかし、夕凪が納得した所で、幽霊が納得しなければ意味がない。
もしかして、幽霊少女に頭を下げて、丸く治めてくれるのだろうか……?
「おい、そろそろ満足したか?」
『うん。ありがと』
夕凪が天井に向けて言葉を投げ掛けると、幽霊少女が嬉しそうな笑顔でスーッと現れる。
「じゃあ、もう成仏しろ」
『そうだね。本当にありがと』
夕凪の言葉に、少女は笑顔のまま、光に包まれて消えていった。
俺は訳がわからず、ぽかんとしてしまう。
「どういう事だ?」
「あの少女はお前の事を恨んでいたからな。私が力を貸してやったんだ」
俺が尋ねると、夕凪は神妙な表情で説明をしてくれた。
なるほど。
俺は納得した。
幽霊少女の為に夕凪は一芝居うって、俺に復讐を果たしたのだ。
「お前、あの少女の為に……」
「いや、お前の不幸な姿が見たかっただけ」
「コンチクショーーーっ!」
あっさりと言い放った夕凪の言葉に、俺はその場から逃げ出した。
夕暮れに染まる街に、泣き声をこだまさせながら……。