第7話くま耳と温泉旅館前編
始まりは一通の招待状だった。
それが、恐怖の一日の始まりだった。
「それで送り主はわからないのか?」
「ああ。本当は行きたくないんだが……」
電車の席、向かい側に座るくま耳の質問に、俺は暗い表情で俯いてみせた。
一週間前、突然家に届いたのだ。
俺の名前だけ書かれた封筒に、温泉への招待状が二枚と簡素な地図が入ってるだけで、手紙などは入っていなかった。
気味悪いので放っておいたのだが、それを夕凪が目敏く見つけた。
「せっかくの温泉なんだ。行かなきゃ損だろう?」
「そんな問題じゃない気がするが……」
勿体ないと言わんばかりに、夕凪はくま耳をピコピコと動かして力説する。
俺は深くため息を吐いて、ブツブツと小さく呟く。
「うるさい。男がごちゃごちゃ細かい事を言うな!」
「ぐふぅ!」
夕凪は何かと不満気な俺の肝臓を的確に打ち抜いた。
俺は痛みで身体をくの字に折り曲げる。
「ほら、着いたぞ」
そんな俺に、夕凪が指差す。
顔を上げると、地図に書いてある駅が見えてきていた。
「うわぁ……」
古臭い建物だ。
駅は無人で、ポストのような箱に切符を入れて改札を出た。
「田舎だな」
辺りを見回した夕凪がポツリと呟いた。
確かにそうだ。
しかし、のどかというには何も無さ過ぎる。
取りあえず、地図を頼りに進んで行くと、ポツンとある建物が見えてきた。
古びた旅館だ。
『小隈旅館』
どうやら、ここが目的地らしい。
「よし、入るぞ」
「あ、ああ……」
何だかおどろおどろしい建物に、躊躇なく入っていく夕凪に、俺は釈然としないものを感じながらも後に続く。
玄関には誰もいない。
誰かが来る気配もない。
「すみませーん」
「客だぞ、誰もいないのか?」
取りあえず、俺は聞こえるように、中に呼び掛けてみる。
夕凪は横柄な態度で胸を張る。
「は……い……」
「おわっ!」
突然、消え入りそうな返事が背後から聞こえてきた。
全く気配を感じなかった俺は驚いてその場から飛び退く。
女将だろうか、そこにいたのは、青白い顔の女性だった。
「招待状を受け取った者だ。部屋に案内しろ」
「……承っております。どうぞ……」
小さく会釈して、女性は俺達の前を音も無く歩いていく。
俺達が案内されたのは、二階にある『怪の間』という部屋だ。
嫌な名前だなぁ。
「……どうぞ」
もう一度頭を下げて、女性はスタスタとその場を離れる。
俺は部屋のドアを開けて、中に入る。
「……」
俺は思わず沈黙する。
そこで見たのは、寝転んで漫画を読みながらお菓子を頬張る少女の姿だった。
それにしても、この少女透けてるぞ。
もしかして、幽霊……?
全然、それっぽくないけど……。
「……」
「……ッ!」
固まっていると、不意に少女と視線が合う。
驚いたように目を開いた少女はアワアワと慌て始める。
「あの……」
「ち、ちょっと待ってて」
声を掛けようとすると、少女は狼狽えながら部屋のドアを閉めた。
「えっと……」
「朝霧、何をしている?」
なかなか中に入らない俺に、夕凪は苛立ったように問う。
仕方なく、俺はもう一度部屋のドアを開け放った。
「うらめしや」
「……」
何か繕ってるな。
俺は何と返していいかわからない。
先程姿を見ているせいで幽霊だとしても全然怖くない。
「ファーストコンタクト失敗……ちっ!」
「お前、今舌打ちしたろ!」
「何を言ってる?」
「……何でもない」
自分の失敗を棚に上げるように舌打ちして消えていく少女に、俺はツッコミを入れる。
そんな俺に、夕凪が疑問符を浮べて首を傾げた。
角度的に、夕凪は少女の姿が見えなかったのだろう。
というか、幽霊だから姿自体見えなかったのかもしれない。
俺は誤魔化すように首を横に振って、部屋の中に入る。
「ふむ。なかなかに良い部屋じゃないか」
「確かに」
入った時の雰囲気とは裏腹に、部屋は広くて良い感じだった。
と、そこで俺は一つの疑問が頭に浮かぶ。
「部屋、これ一つだけか?」
「そのようだな」
「待て。それはちょっとまずいぞ」
部屋がこれ一つだけという事は、俺と夕凪は同じ部屋で寝るという事だ。
「何かまずいのか?」
「男と女が同じ部屋で寝るのは、さすがに問題があるだろう」
わからないといった感じで首を傾げる夕凪に、俺は身振り手振りで説明する。
「なるほど。お前はエロい事を考えているんだな」
「またそれかーーーっ!」
またもや、エロ呼ばわりされた俺の叫び声が温泉宿に響き渡るのであった。