第10話くま耳とスキー教室
何故、こんな事になってしまったのだろう……。
俺は小さな山小屋の中で凍えていた。
小屋の中にいるのはあいつと俺だけ。
遡る事数時間前、全ては始まった。
「それじゃ解散!」
スキー教室でやって来た雪山で学年主任の号令を期に生徒が散り散りになっていく。
皆一様に楽しそうだ。
「日向先生」
「花澤先生……どうしたんですか?」
自分も滑ろうかと考えていると、花澤先生が声を掛けてきた。
「良かったら、スキーを教えて貰えませんか?」
「花澤先生、スキー初めてですか?」
「はい……」
俺が問い返すと花澤先生は、少女のように顔を赤らめて、本当に恥ずかしそうに俯いた。
その姿は何とも可愛らしい。
「もちろ……」
「……」
俺が快諾しようとした時だった。
背後から妙な視線を感じる。
その殺気にも似た視線に振り向くと、そこにはくま耳少女が睨み付けるように、俺を見つめていた。
「私にスキーを教えてくれ」
「は?」
突然の申し出に、俺は唖然としてしまう。
この抜群の運動神経を持つ少女が滑れないという事に違和感を覚える。
それに、花澤先生の方が先約だ。
俺は花澤先生に視線を送る。
「あっ、私の事は気にしないで下さい。大川先生に教えて貰いますから」
「は、花澤先生!」
俺の視線に気付いたのか、花澤先生はにこやかな笑顔を見せて走り去っていった。
残された俺は、深々とため息を吐いた。
まあ、こうなっては仕方ない。
サッサと夕凪にスキーを教えるとしよう。
「夕凪、お前は全然滑れないのか?」
「いや、プロスキーヤー並みに滑れるぞ」
「おい……」
取りあえず、実力を知ろうと尋ねると、夕凪はアッケラカンと答える。
こいつは……。
「まったく、お前は目を離すと、すぐ浮気するんだな」
「人聞きの悪い事言うなーーーっ!」
まるで、俺が夕凪と付き合っていて、毎回女性に声を掛けているような口振りだ。
言っておくが、俺は別に夕凪と付き合っている訳ではない。
こいつ、頭おかしいんじゃ……。
「おりゃ!」
「ぐふぅっ!」
俺は、いきなり夕凪に思い切り拳を捩じ込まれた。
身体がくの字に折り曲がる。
「また変な事を考えただろう」
「ぐぐ……」
冷たい視線が上から降り注ぐ。
くそっ!
何でバレるんだ?
表情に出やすいのだろうか?
俺は痛む腹を押えながら首を傾げる。
「愛が為せる技だ」
「訳分からんわーーーっ!」
夕凪の言葉は意味不明だった。
まったく、夕凪は毎回人をからかいやがって……。
「夕凪ちゃん、一緒に滑ろうよ」
「ああ、今行く」
クラスメートの宮崎が夕凪にゲレンデから手を振ってくる。
夕凪はそれに手を振り返し、そちらに向かっていった。
俺は滑る気にもなれずにロッジに向かう。
と、ゲレンデの方が俄かに騒がしくなる。
くま耳が問題でも起こしたのか、と俺は騒がしい方へと向かった。
「どうした?」
「あっ、先生!人が行き倒れてるみたいっすよ」
人だかりが出来ている場所に着くと、クラスの生徒を見つけて、俺は状況を尋ねた。
俺は人垣の間から覗き見る。
「……」
すると、見た事のあるハゲた変態が目に飛び込んできた。
間違いない、猫男だ。
「おい、大丈夫か?」
人垣を割って入ると、俺は猫男を抱き上げる。
見なかった事にしたかったが、人としての良心が疼いた。
「……う……」
「私に任せろ」
俺の呼び声に、猫男が小さく呻く。
取りあえず、生きているみたいだ。
そこへ、夕凪がやってきた。
「あ、ああ……」
夕凪に手で制された俺は、気圧されるように後ろに下がった。
と、次の瞬間、夕凪は猫男の頬を張る。
「……うぐ……」
往復ビンタのように張る夕凪に、猫男は苦しそうに呻いた。
しかし、夕凪の手は止まらない。
何度も何度も張り続ける夕凪に、猫男の顔は怒った河豚のように膨らんでいく。
「う……」
「……」
「うぅ……」
「……」
「別の逝ってしまうわーーーっ!」
「ちっ」
さすがに耐え切れなくなった猫男は、ガバッと起き上がる。
夕凪の奴、今舌打ちしやがった。
あいつ、ワザとだな。
「うぅ、裏切り者め!許さないからな!」
恐らく、舌打ちが聞こえたのだろう、猫男は半泣きで夕凪に殴り掛かった。
しかし、夕凪は猫男をヒョイと避ける。
しかも、夕凪の背後は斜面になっていた。
「うわーーーっ!」
そのまま、猫男は斜面を転げ落ちていく。
悲鳴が聞こえなくなった時だった。
夕凪の足元が崩れてしまう。
「……ッ!」
「危ないっ!」
俺はバランスを崩した夕凪の手を掴もうと手を伸ばした。
夕凪も必死で手を伸ばす。
届いた、と思った瞬間、ありえない状況が起こった。
「あ、れ?」
夕凪が俺の手を引っ張った。
その反動で、夕凪はゲレンデに戻っていく。
俺は完全にバランスを崩して、斜面へ落ちていった。
あいつ、俺を犠牲に自分だけ助かりやがった。
俺は転がりながら、頭にそんな事が過ぎっていた。
どれだけの時間が経ったのだろう、俺は寒さで目が覚めた。
周りを見渡すが、猛吹雪で辺りは真っ白だった。
間違いない、俺は遭難した。
「ヤバい……」
ずっと、雪に倒れていたせいで、服はビッショリと濡れている。
このままでは凍死する。
俺は危険を感じて、その場から歩き始めた。
何処をどう歩いたのかわからない。
気が付くと、目の前に小さな山小屋があった。
「助かった……」
俺は山小屋のドアを開けて中に入る。
そこには先客がいた。
『あっ……』
お互いに声がハモり指を差した。
先客の正体は猫男だった。
そういえば、こいつも転がり落ちていたな。
猫男は寒そうに自分を抱き締め、ガタガタと震えている。
「……」
「……」
俺と猫男の視線が絡み合う。
しかし、いつまでもこうしておく訳にもいかない。
俺は黙ったまま中に入ると、猫男の対面に腰掛ける。
それにしても寒い。
雪と風が入り込まないとはいえ、暖をとる術がない以上、身体は暖まらない。
「……このままじゃ死ぬな」
「……ッ!」
俺と同じ事を考えていたのか、猫男がポツリと呟いた。
わかっていたとはいえ、口に出されるとショックだった。
「助かる方法は一つ……」
「……」
嫌な予感がする。
ただならぬ雰囲気を纏い、ゆっくりと立ち上がった猫男の表情は全く見えない。
俺はゴクリと生唾を飲み込む。
「お互いの人肌で温め合うんだっ!」
「やっぱり、変態だーーーっ!」
メイド服をガバッと脱いだ猫男に、俺は思い切り叫んだ。
まずい……。
「さあ、早くお前も脱ぐんだ」
「ち、ちょっと、落ち着け」
「私は冷静だ」
何故か手をわきわきとさせて、ジリジリとにじり寄る猫男を、俺は後退りながら手で制する。
しかし、猫男は真剣な表情で、俺の言葉に耳を貸さない。
確かに、生きる為にはそれしか方法がないのかもしれない。
だけど……。
「こんな事するくらいなら死んだ方がマシだーーーっ!」
「待て!今、お前が逃げると私が死ぬ」
俺は叫んで山小屋を飛び出した。
命が危ないせいか、猫男は俺を全裸で追い掛けてくる。
捕まったら、人として大切な物を失ってしまう気がする。
俺は雪に埋もれながら必死で逃げた。
「待てーーーっ!」
振り返ると、猫男は雪の中を泳ぐようにして追い掛けてきていた。
そのスピードは尋常ではない。
俺はあっという間に追い付かれた。
「ち、近寄るな」
「大丈夫。すぐに良くなるから」
「助けてーーーっ!」
怯える俺に、猫男は荒い息遣いで迫る。
意味不明だが不穏である事だけは間違いない。
俺は無駄だと知りつつ助けを呼んだ。
「朝霧に寄るな、変態!」
「ぐはぁっ!」
奇跡が起きた。
空から夕凪が降ってきて、俺に飛び付こうとした猫男を殴り飛ばした。
「夕凪……助けに来てくれ……ぐふぅ!」
感動して目を潤ませる俺に、夕凪は容赦ない拳を打ち込んだ。
な、何故……?
完全に動けなくなった俺の首根っこを掴んで、夕凪は歩き出す。
「……心配したぞ」
ポツリと呟いた夕凪の言葉に感動しつつ『こうなったのはお前のせいだ』と心の中でツッコミを入れずにはいられなかった。




